曖昧さが多い現代科学(2)
前の方で、現代物理学の曖昧さを物理学者の良心などというふざけた自己弁護論とか物理は
why?でなくHowを追求する学問だなどと言う私から見るととんでもな意見に対する批判をしまし
たが、物理学関連でわからないことについて調べて見ると、本当に「なぜ重力があるのか?」
というような「哲学の問題だ」と言い逃れるしている一番プリミティブな素朴な疑問への答えど
ころか、もっと理論自体の基本に係わると私が考えることでも実に曖昧なものばかりという感
がしています。物理学の歴史の中で実に多くの語彙が導入されてきていますが、理論の進展
の中で最初に導入した学者の概念と後世の学者の概念が変質してしまっている感があるもの
も見られ、また、人によりその概念の定義が異なっているものもあります。そして、どこを探し
てもその語彙の直接的説明がなくからめてからの説明しかないものもあります。
すでにいくつか書いていますが、改めて私が感じている曖昧さの例をいくつか示します。
まず、『電場・磁場・重力場』などという『場』の概念です。
場と言うのは近接作用説でファラデーが提唱した概念だと私は理解しています。ファラデーは
場と言うのを空間の歪という概念で把握していたと聞き及んでいます。
で、実は私自身、長い間、この説明に全然疑問を感じず、納得してしまっていました。しかし
よくよく考えて見ますと、啓蒙書であげられている空間図形の歪の図による説明で理解してい
たのですけど、時空間ってあんな空間図形ではないですよね?
厳しくいいますと、啓蒙書での説明と言うのはわかりやすく書いたつもりかもしれませんけど、
実は極めて読者に誤ったイメージを与えていないでしょうか?
それはともかく、確かに電場・磁場という概念は電磁現象をうまく説明できかつ電磁気学として
電気機械などにしっかりと設計応用されてきたのは事実です。で、綿々と実在する当然の存在
として教えられてきました。
しかし、AB効果という理論が出され、かんかんがくがくの議論の末、日立研究所にてそれまで
長年単なる数学計算上の便宜的仮想存在のものと考えられてきたベクトルポテンシャルが実
在するものであることが実証されてしまい、議論はピリオドが打たれたそうです。
そうなると、今度は電場・磁場を実在するものという考え方はおかしなことになりますね。実際
電場・磁場は直接可視のものじゃないのですから。
しかしどうでしょうか?未だに電磁気学は電場・磁場での説明のままですね。なぜでしょう?
21世紀に工学部で使われている電磁気学の教科書は昔のままです。
ま、いずれにしろ元から『場(field)』というのは語彙だけでその物理的実体像は曖昧なままの
ものですが、Maxwellが考えていたようにベクトルポテンシャルの実在が証明された今、単なる
説明を簡単にするために導入されたものであると言えるでしょうね。
しかし、では次に『ベクトルポテンシャル』って一体全体何かという問題が出てきます。
ネット調べたのですが、結局、直接的なこれの物理的実像の説明を発見できずにいます。
わずかに、ポテンシャルエネルギーとの関連でのからめて説明がありましたが、私が求めてい
るのはそういうものではなく、直接的な「何か?」なんですが・・・
ここにも私が言う『曖昧さ』が見られます。
繰り返しですけど、『量子』という概念も実に曖昧ですね。物理学では「時間」の概念も意外に
曖昧な気がしています。じっくり考えると実に曖昧さばかりが目につくのです。
結局、語彙はありますけど、その概念説明は表面的であり、かつ人により様々な解釈をされ
ていかにも自分の概念が正統みたいに記述している・・・理論の中味で数学的なつじつまが合
えばそれでいいのだというスタンスの気がします。
しかし、本当にそんなんでいいのでしょうか?本当にそんなんで真理を見いだせているので
しょうか?私はどこかで何か間違えているのではないかと思うのですが・・・
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