曖昧さが多い現代科学
もう確立してしまっていると考えられている多くの現代科学の教科書定説に対する
異端説や反対論があり、それら教科書定説に反するものは悉く無視または主張者
に対する中傷罵倒の嵐状態ですけど、なぜそのような異端説とか反対論が常に出
てきてくすぶり続けているのでしょうか?
私は自分自身に照らして考えるに、これは全て『現代科学の曖昧さ』が要因では
ないでしょうか?
そう考えてググって見ましたら・・・
なんと「現代科学の曖昧さは科学者の良心」とのたまっている方がいて目が点に
なりました。で、それを言ったのが私が軽蔑している学者でしたので何をかいわん
やという怒りが湧いてきました。なんで軽蔑しているかといいますと、この御仁は
「擬似科学批判」で名を売っているからです。そんな非生産的なもの、科学者とし
てどこに価値があるのでしょうか?そのベースは何かと言うと単に「教科書定説」
と違う、「教科書定説」で説明できないというだけのものなんですね。次第にとん
でも扱いから脱却しつつある常温核反応も否定攻撃しているようです。
要するに視野が狭く、その卑しい心根がありありと見てとれる御仁であり、とても
真の学者とは認められないため軽蔑しているというわけです。
古典物理学ともう何か古臭いものというような蔑称みたいな分類をされている
ニュートン力学は少なくとも実用の範囲で完全に工学的応用がなされています。
しかしながら、それを拡張した現代物理はどうでしょうか?また、現代科学の定
説であるビッグバン宇宙論はどうでしょうか?完全にどこにもすきのない理論に
なっているでしょうか?アマチュアの私から見れば「すきだらけ」です。極めて
『曖昧さ』ばかりなのです。現代科学の定説と言うのはこういうのが極めて多い
のです。しかし教科書は多数派の意見がいかにも「真実」かのように断定説明に
なっています。
ま、「ど素人が納得できなくても専門家・権威が納得して賛成している」のであ
るから、納得できないと言うのは頭が悪いか勉強が足らんだけというのでしょう。
ネット見ればそれは一目瞭然ですね。そのものずばりの表現で異端説・反対論
者を攻撃していますから。
しかし、そんなことで真の科学の進歩などあるのでしょうか?
科学者というのは常に現在までの知識・定説に疑問を持ちながら予断のない
目で実証実験観察を行い、解析し検討していくことが本質ではないでしょうか?
私は真の科学には「曖昧さ」などあってはならないと思います。
ですから「説明できなくてもいいのだ」などという態度は絶対におかしいと思う
のです。「説明できない」というのは「曖昧さ」そのものです。前述のように、
その曖昧さを美徳のように主張するなんていうのはもってのほかです。学者
の地位を献上して欲しいです。
目次に戻る
次へ