観測と実在

現実世界で我々が「存在している」と認識するものってなんでしょうか?
「目で見える」ということは「目」という観測器官が何らかの働きかけがあってそれを「可視」
という現象で検出されたものです。
素粒子は霧箱の軌跡からその存在を実際に確認したことになっていますが、これも何かが
霧箱の気体に働き掛けた結果の反応を観測しているのです。

しかし、ふとおかしなことを考えてみました。本当に「見えている」「観測されている」ものは
「真に実在しているものであろうか?」という疑問です。

SFの世界などではバーチャルリアリティというのが出てきます。我々人間は共通認識とし
て「見えている」「観測されている」ものを当然のように「実在している」ものと考えているわ
けで、真に実在するものだということは現代科学では証明できないことでしょう。

ま、そんなとこころまで疑ってしまったら人間やっていられないのでそれはやめにしておい
て、ここで論議したいのは「人間の目で見る」ということも含めての観測というのはどうい
うことかということです。

現実世界で我々が「存在している」と認識しているものというのは「人間の目で見る」こと
も含めて何らかの器官・装置で観測されたものであることは間違いないでしょう。
で、その観測と言うのはどうして可能なのでしょうか?観測する何らかの器官・装置に何
かの作用があってそれらの器官・装置がそれに反応した結果
ではないでしょうか?

要するに
  原因   ⇒   結果
  作用      現象の観測
という図式です。すなわち、我々が『存在している』と実証認識しているものは作用の働
いた結果としての一側面ではないでしょうか?

そういう我々人間が「人間の目で見る」ということも含めての観測結果として『存在してい
る』というしている世界を『現実世界』として科学も含めて世の生業を決めているのが人
類ということでしょう。無論、「目で見る」ということはある範囲では人間以外も共通に有
している属性のようなものかもしれません。

しかしながら、我々一般人には見えないゆえに「そんなものは実在しない」とされ、実在を
主張すると「とんでも」「詐欺師」扱いされているものに「幽霊」とか「UFO」などがあります。
ですが、多くの人々の可視という目の観測装置で捉えられなくてもそれだけで実在しない
と断言できるのでしょうか?私が冒頭で「実在」について疑問をはざんだ理由は実はここ
にあるのです。無論、残念ながらというか幸せというか私には霊感なるものはないようで
すし、UFOを目撃したこともありません。

ですけど、「実在している」と人類が思っていることが単に多くの人類に備わった目と言う
観測器官で観測されたものというだけであると考えるなら、簡単に「そんなものは実在し
ない」と断言できないはずです。「科学で証明できないから」とえらそうに主張する傲慢な
学者がいるようですが、「現代科学の知識には乗らない」だけにすぎないということを御
理解されていないようです。

現代物理は要するに多数の人類が結局、共通して目という観測装置で捉えた観測結果
を実在の全てだと思い込んで確立されているものにすぎないのであって、科学者が神の
領域まで踏み込みつつあるだなどと思っているならそんなものは不遜で傲慢な思い込み
にしかすぎないのです。絶対真実であるという断言はできないのです。

そういうスタンスの上で、多数の人類が結局、共通して目という観測装置で捉えた観測
結果をとりあえず実在するものとして、物理学は成立しているということを忘れてはな
らないと思うのです。

さて、現代物理の現状を見て見ましょう。現代物理は数学先行に陥っていて物理的意義
概念というのが実に曖昧になってしまってはいないでしょうか?だから説明できないもの
ができなくていいとばかり説明・解明放置されたり、人により解釈が異なっていたりしてい
ます。量子しかり波しかりです。そういう曖昧さのまま理論構築がされるため、万人が真
から納得できない理論や解釈などが横行しているのです。

うわべだけなぞって数式でつじつまがあえばよしとするような現代物理のあり方で本当に
真実が見極められるのか私は大いに疑問を感じています。真実を見極めるためには
『本質』ということに照準を定めて解明すべきであると思うのです。そこからおのずと色々
わかったようなわからないような事象の説明もできてくるのではないかと考えます。

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