京極堂シリーズ・中禅寺の語る蘊蓄(2)(’20/11)
〜『邪魅の雫』より「世界を騙る」〜
古書肆「京極堂」店主で裏の武蔵晴明神社宮司でかつ拝み屋の中禅寺秋彦の語る蘊蓄第二弾として、
『邪魅の雫』の中で、画家・西田新造の、西田のアトリエでの憑物落としで語っているものを挙げ
ます。
同席者は、作家・関口巽、探偵見習・益田龍一、国警神奈川県本部の山下徳一郎警部補、警視庁小
松川署(前警視庁本部)の青木刑事、そして西田新造と画商の原田美咲。
〇世間話とは、身近に起こったモノゴトを第三者が語った話、または語り合うこと
−柳田国男監修『民俗學辞典』には、世間話に就いて次のように説明されている−
実話または経験談の形で話され、昔話のように一定の形式を持たない。中に全くの事実
談がないではないが、人の性情は先ず新しい世間話を求め、やや無責任な話し替えがお
こなわれて誇張や発展が常ならない
−お年寄りの茶請け話やご婦人たちの井戸端会議で語られるようなものであるので、概ね無
責任なもので、尾鰭も付くし、必ずしも正確なものではないが、まるきり嘘ではなく、登
場する人物は実在の、しかも話者や聞き手が或る程度知った人物でなくてはならない。
〇お伽話は、元々は、夜眠らないで話すお話のことだった。
−柳田国男監修『民俗學辞典』によれば、おとぎ話が児童向けの作り話−童話の意味に充て
るようになったのは新しいことである。
−柳田国男曰く、日本の物語はお伽の衆によって整理され、また修飾された。
−お伽衆とは、足利時代にいた、夜な夜な大名の話し相手を務める人達のこと。
〇職業的語り部達は、古来語り伝えられた数多くの物語から型を学び、その型に
手を加え、改作することで補強し、新しい物語を仕立て直しては聞き手に供給し
てきた。
−職業的語り部とは、足利時代の前述のお伽衆、室町時代の咄の衆など。落語家の起源。
−「改作」:どんなお話も最初は世間話。詰まらない世間話は一度きりで終わるが、面白い
ものは、語る度、受ける箇所は誇張され、要らない箇所は端折られていく
〇昔話は、固有名詞が排され、話だけが伝えられている
−いつのことか判らず、起きた場所は何処でもない。話を構成する要素は凡て置換可能であ
る。型の方が昔話の核となる。
−様々な物語からその骨格を洗い出し、その後に精錬した−物語の構造を抽出した。
〇伝説は、必ず固有名詞が必要、場所も時間も特定されていなければならない。
−仏語のレジェントに充てて、近年(昭和二十八年に対しての近年)使われ始めた言葉。
−伝説は、真実である必要は全くない。真実かどうかと云うことは問題にならず、事実と
して伝えられていること、そして、伝えられていると云う事実の方こそが問題になる。
−伝説は歴史ではない。
−信じる必要はなく、信じられていたという事実を認めればいい。
〇民譚、民話、民間説話は、民意を得た物語構造を元に卑近な要素で修飾し、再構
成した作者の居ない創作物
−要素を排し洗練された構造に、卑近な要素を再度代入することで、より面白い話に仕立
てる訳
〇実際にあった、と云う部分がより強調された場合、伝説は稗史と呼称される
−稗史は正史ではない歴史−正式な記録(公的な記録)が残っていない歴史。
−「公式な記録」とは為政者がこれでよし、としたものだけ−公的な機関が編纂した記録
−信憑性が高くても、公的な機関が編纂した記録でないものは歴史資料でしかない。
〇歴史は記録されることで作られ、民間伝承は記憶されていることで受け継がれる
〇歴史も伝説も最初は凡て世間話
−正史に記されているかいないか、その一点を除けば、伝説も歴史もそう違わず、元はいず
れもただの出来事−それを語り記したのが誰かという差があるだけ。権力者側が取捨選択
をした、というだけ。
〇歴史学は記録が基本になり、民俗学は記憶を頼りに組み上げられる。
−歴史学と民俗学は手法が百八十度違っている。
−民俗学は今に受け継がれている記憶を辿る学問
−歴史学は、テキストクオリティに徹して掛からないと、歴史的な検証は不可能
−民俗学の資料は、歴史学にとっては参考程度にしかならない−参考程度に止めておくべきも
のである。
−歴史学の資料を民俗学的な手法で読み解くことは有効ではない。
歴史資料は徒に行間を読んだり紙背を探ったりしてはいけないものである−ここに書かれて
いる記述は、それだけのものとして読むべき、過剰な意味の汲み出しはしてはいけない。
資料の読み替えは、それに相応しい証拠と共に精緻に検証されるべきものであり、恣意的に
読み替えて済むものではない。
−私の個人的な「現代のアカデミア歴史学」への批判ですが、明らかに「恣意的解釈」が共
通標準解釈として横行している気がしてなりません。「魏志倭人伝」など、恣意的な解釈
での「勝手な『ここは××・・・×の誤り』だとする改変」が横行しています。自己のイ
デオロギーや知見をベースにした「解釈・説明」も多すぎる気がしています。
したがって、ここに述べている「歴史学」というのは、アカデミアが「歴史学と称してい
るもの」であり、決してそれは「真の歴史」とは言えないものだと思っています。前述の
ように「公的機関が編纂したもの」が歴史なら、記録自体、「勝者が書いた歴史」であり
また、ここは正しい、ここは嘘と断定するのは不遜な手前勝手な解釈でしかないと思って
います。
おまけです。京極堂−中禅寺秋彦の口癖である(間違いなく作者の哲学でしょう)「この世に不思議なこと
は何もないのだよ、関口君」に関して−
〇謎とは解らないこと、不思議とは誤った解釈である(中禅寺の持論)
−解らないというのはよいが、不思議と云った途端−それは解釈になってしまう。
「不思議だ、不思議だ」と云うのは解釈の押し付け。
〇怪異というのはあってはならぬことで、怪異かどうかを定めるのは、その世界の
王(権力そのもの)であらねばならない
−昔は「怪異が起きた」と記すことは罪であった−個人の解釈はいいが何かに記録すること
は、それが外の世界にも通用する普遍的な解釈であると、その人個人が判断したのと変わ
りなく、これは−罰せられた。
−しかし、社会システムの変容により、個人の判断で構わないという社会になった。
それでも少し前までは、民俗社会の諒解が必要だったが、その時代の約款は無効になって
しまい、凡ては個人の判断に委ねられてしまい、この世は不思議なものだらけになってし
まった。
('20/11)
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