京極堂シリーズ・中禅寺の語る蘊蓄(1)(’20/11)
〜『しょうけら』(塗仏の宴・宴の支度)の「庚申講」について〜
京極夏彦氏の「百鬼夜行シリーズ」とか「京極堂シリーズ」と称せられている小説では、メインキャ
ラクタである古書肆「京極堂」店主で裏の武蔵晴明神社宮司でかつ拝み屋の中禅寺秋彦にいろいろ
と蘊蓄を語らせています。それは中禅寺秋彦の属性として、記憶力に優れ、妖怪。古書の類、全国の
寺社仏閣、宗教等に造詣が深いという人物と設定されている故であり、古書肆というのは実に適所の
職業設定となっています。そして、その語りに於いては、ただ単に知識の披露だけではなく、その正
非は別として、一般的な学者の見解とは対峙した独自の見解と理由も示されています。
このシリーズは、ミステリーの類ですが、他に類を見ない独自性−中禅寺秋彦と云う「拝み屋」を副
業とするキャラクタに言葉の力を与え、その豊富な知識・適格な調査能力・卓越した分析力による
「憑物落とし」で事件を解決に導くというもの−を有したものです。
そういうキャラクタを生み出せているのは、作者の京極夏彦氏が故・水木しげる氏と交友関係にある
ように、妖怪研究家でもあることにあろうかと思っています。その研究の過程で中禅寺に語らせてい
る蘊蓄知識の収集とか独自見解の構築とかをなされたものと思われます。難しい漢字は古書名・内容
に出て来ることから、そういう統一性の中でのものだろう−あえて一般的ではない(ワープロ変換で
一発では出て来ない)漢字の選択は、全体の体裁と趣味的なものだろうと推測していますが、古いミ
ステリーを読んでいると結構、そういう漢字の使い方がなされている例は多々あります。ルビの振っ
てある漢字ですが、難読漢字とは限らず、むしろ私にとっては難読な漢字にルビがなかったり、逆に
難読なものにルビが振られていないものもあったりします。html文書では、ユニコードになってしま
う(したがってANSI対応とすると文字化けしてしまう)ような漢字も多々出てきます。そういう部分は
ひらがなにしています。
さて、ネットみていると蘊蓄語り部を飛ばし読みしていることを公言されている方もおられますし、
私も最初はやっぱり飛ばし読みしていた−そもそも私は結論部を早く読みたくて飛ばし読み・斜め読
みを常とする輩ですが(^^;−のでしたけど、暇ですので、この際、じっくり読んでみました。
日常生活には役には立たない雑学の部類ですが、読んでみると、私にとっては意外に面白いです。
折角ですので、そんな中で中禅寺秋彦に語らせている作者自身のものであることは間違いない筈の蘊
蓄をいくつかまとめてみました。要するに「蘊蓄部分」のネタバレです。
ひとつ目は、「塗仏の宴・宴の支度」の中のサブタイトルになっている「しょうけら」で木場
修太郎刑事相手に語られている「庚申信仰」に関するものです。
この中では、有数な民俗学者の柳田国男・折口信夫の「庚申信仰・純国産説」を、従来の民俗学の取
り組み手法による限界の考え方であると否定し、原形は忘れられているがとしながら、中国からの輸
入説−道教に基づく『三尸説』を展開しています。
実は私は、「庚申信仰」なるもの自体全く知りませんでした(^^;。また、「民俗学」という分野に
ついても、名前だけ知っていただけで、まるで疎い輩でした(^^;。
お恥ずかしいことに、「十干十二支」自体疎くて・・・「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」の十干と「子丑寅
卯辰己午未申酉戌亥」の十二支との組み合わせで六十通りであり、庚申の日は、六十日毎、六十年毎
に繰り返される、と語られています。で、「庚申」は「かなえさる」と読むそうです。これは、十干
を木火土金水の五行に兄と弟の組み合わせに対応させることによるそうで、十干の「庚」は五行の
「金」と「兄」の組み合わせに相当することになるからです。即ち、
「甲」→木兄、「乙」→木弟、「丙」→火兄、「丁」→火弟、「戊」→土兄、「己」→土弟、
「庚」→金兄、「辛」→金弟、「壬」→水兄、「癸」→水弟
と対応させているようです。調べてみましたら、1949年生まれの私の場合、己丑だそうです。
中禅寺の語りによれば、「民俗学」の方法論と云うのは歴史学と違い、文献至上主義ではなく、基本、
「フィールドワーク」であり、細かな部分を採集し、積み上げて分類整理し、系統立てて推論を導き
出すもの、であるが、「庚申」というのは、そういう旧来の民俗学の方法論ではどうにも補完し難い
性質がある、と−底抜けの柄杓で水を汲むようなもので、汲めども汲めども終わりがないから分類の
しようがない、情報処理が追いつかない・・・。
そこで批判が出て来るのですが−民俗学者は多くはロマンティストだから往往にして欠落部分を思
入れで埋めようとする、と・・・柳田国男は作神説、折口信夫は遊行神説
ここに私自身、前から気になっていて、賛同したいことが書かれていました。
『思いつき』と『思い入れ』は似て非なるものである
ここで、
・思いつき:こうかもしれない
・思い入れ:こうなって欲しい、こうなるべきだ
であり、思入れが募ると眼が曇る、と・・・。どんな場合も思いもよらぬ結論と云うのは信じられる
が思い通りの結論と云うのは怪しい、と。ここでは、庚申に関する民俗学者批判として述べられてい
ますが、科学アカデミアの世界ではそれが蔓延化している気がします。
以下、中禅寺は(間違いなく作者の考えでしょう)、木場の質問に答える形で庚申信仰についての蘊蓄
と、それを基にした民俗学者の説に対抗する説を披露していますので、小説の出て来る順とは変えて
いますが、羅列して行きたいと思います。
〇庚申講(庚申待ち)とは
・庚申講は宗教ではない−教義も開祖も決まった本尊もない。
−習俗だけが長く続いていて、ある時期爆発的に流行して、すぐに止んでしまった。
−飾ってある本尊らしきもの(猿とか三面金剛など)は、記念碑とか供養塔のようなもので
決められた回数だけきちんと講を続けられたら、記念に寄合の場所に祀るもの。
・庚申講では、庚申の日に寝ないで徹夜して「しし虫」が体内から抜け出さない
よう監視する。
・「しし虫」は一名、「シヤ虫」、「ショキラ」、「ショウケラ(精螻蛄)」とも
呼ぶ。
−『庚申縁起』(庚申堂に伝わる)に書かれ、呪文などの口碑でも伝わっている。
・戒めを破る時−徹夜しないでさっさと寝る時−には呪文を唱える。
−その呪文は、「しし虫よ、精螻蛄よ、」などの意味の解らぬ呼び掛けから始まる例が
多く、また、「寝たるそ寝ぬそ寝ぬそ寝たるそ、」で終わるものが多い。
〇庚申講は国産ではなく外来のもの(中禅寺説)
・しし虫、ショウケラ(精螻蛄)は中国の『三尸』のこと。(中禅寺の主張)
−三尸とは、中国で、人間の体内に宿るとされている「三尸九虫」に対応するもの。
九虫:回虫、蟯虫の類。
三尸:上尸(名:彭倨);頭に棲み、面皺をたたむも、眼病、歯周病を齎す
中尸(名:彭質);腹に棲み、内臓を冒し短気健忘を齎して、悪夢、不安を呼び、
人を悪事に誘う
下尸(名:彭矯);足に棲み、感情を身だし精を悩ます
・三尸は寿命を司る神の眷属である。
−庚申の日に、こっそり躰から抜け出して天に昇り、司命神である天帝に告げ口をする。
−「天帝」は中国で一番偉い神=宇宙で一番偉い神(中華思想)。但し、取り入れた仏教で
は、その地位は低下して、仏法を加護する十二天の一人としての「帝釈天」に比定され
ている。
−中国の古書である『抱朴子・内篇巻六微旨』によると、罪の軽重に従って命数を奪う神
がいて、体内の三尸は形がなく、謂わば鬼神(霊)のようなモノで、宿り主を早く死なせ
たいと思っている、と。
・不老不死に対する憧憬は、中国の民間信仰の道教に色濃くあり。
・道教において、不滅のものらしい三尸対策として生み出されたのが、「三尸が
躰から抜け出さぬよう寝ずに監視する」という方策
−これは、まさに、庚申講の「しし虫」と同じ(徹夜するのは人が虫を監視するため)であ
り、三尸説を取り入れて、初めて庚申の日と特定される理由づけが出来る
(少なくとも柳田国男説の作神や折口信夫説の遊行神なら、わざわざ庚申の日を決めて
祀る意味がない)[説得力があるなあ]
・民俗学者は、山村で収集した言葉の中に「三尸」がないという理由で輸入され
た『三尸説』を否定。
−三尸説が古い時代に日本に伝来したと証明するような証拠自体はないが、庚申経』と呼
ばれる経典もどきの書きつけが、先程の道教経典を下敷きにしていることは明らかであ
り、各地に伝わる『庚申縁起』にも、例えば彭候子、彭常子、彭児子云云と云った呪文
や、三尸九虫が害をなすと云った記述までも見られ、中には、しょうきらとは虫のこと
也、一説に三尸のことと云う−と明記してあるものまで存在するが、民俗学者は、それ
らは道教の三尸のことを知っていた後世の知識階級がつじつま合わせで主張したものと
して否定し無視。庚申信仰には日本古来のものが混じっているため、それを重視して純
国産説を取る民俗学者の柳田国男、折口信夫らはそこから恣意的にそれぞれ作り神説、
道祖伸からの遊行神説を唱えているというのが中禅寺の批判。
・庚申縁起などは後世の作ではあるが、それは三尸説そのものを退ける根拠とは
ならない
−知識人の言葉で語られない三尸虫が、全国各地に堂堂と伝えられている。民俗学者はそ
れらをちゃんと採集しているにも拘わらず、原義を見失っているので理解出来ずにいる。
そもそも伝えている民俗社会自体からして意味を知らない。それが何なのか、何故そう
呼ぶのか、誰も知らずに使っている−「しし虫」です!
〇庚申講の様々な形態
・各所で行われている庚申講は、細かい所を具に見て行くとディテールがまるで
違っている。
−そのため、前述で中禅寺が「旧来の民俗学の方法論ではどうにも補完し難い」と云い、
民俗学者はとば口で引き返してしまっていると民俗学者の説を批判。
・庚申信仰の本尊に竈神を祀ることが多々ある。
−竈神も三尸と同じく天に昇り天帝に罪業を報告する。但し、それは晦日の時であり(大
晦日に徹夜する風習はこれによる)、面倒なので一緒の日(庚申の日)にされたと思われる。
・本来、荒神と竈神は別物だが、荒神と竈神が同一視されている。
−荒神信仰の三宝荒神は、修験道と日蓮宗、天台宗が主に祭祀した神。信仰対象としての
荒神は多く竈の神とされることが多い。
−似たようなものが混じっただけという学者もいるが、例えば普通、荒神と庚申の語呂が
似ているからと云って間違えたりしない。荒神様が混じって来るのは、名前が似ている
からじゃなくて、寧ろ三尸と同じことをする竈神と一緒くたにされたからである。
・荒神は元元庚申尊になり得る性質を持ったモノでもあった。(中禅寺説)
−荒神と云うのは単体の神はどうやら居なくて、多分総称として捉えるべきもの−荒神と
は、その名から推し量れば荒ぶる神だが、その性質はまちまち過ぎるので、一定の基準
を満たすいろいろな神様を、総じて荒神と呼んだのではないか(山の荒神、畑の荒神、
道の荒神、家の荒神、竈の荒神など)。
−荒神祓いは盲僧−天台系の琵琶法師の役割
−荒神なんて神は仏説には登場しない。荒神は、そ乱神であるとか大日尊だとか、諸説
があるが、一説には奥津彦、奥津姫、陰陽道の三神を併せたモノとも、仏法僧の三宝
を護持する三面六臂の神とも云う。
〇庚申信仰が広まった事情の考察
・三尸説は、当然ながら当初は都の知識階級に伝来。難解な小理屈は村社会には
馴染まない、何者かが意図的に広めでもしない限り、農村にまで伝わらない筈。
・庚申講の根源は比叡山の守護たる日吉神社である。
−比叡山の守護神社は、神仏習合の天台神道たる山王一実神道の日吉大社。比叡山の山神
とは即ち日吉大社の祭神である山王権現である。
−日吉大社の前身である小比叡社の祭神は大山咋神と云うのが定説。古事記によれば、
大山咋神は大年神の子、同じく大年神の子である兄神は興津日子神、姉神は興津比売命。
古事記によれば、興津日子神は竈神。
・比叡山には開祖最澄の天台宗の総本山延暦寺がある。
・天台宗は大黒天と縁が深く、延暦寺には三面大黒天が祀られている。
−最澄が比叡山に入山した時、大黒天が現れ、我この山の守護神たらんと言ったのに対し、
最澄が、自分には三千の宗徒がいるので、一日に千人しか扶持できぬ大黒天では困ると
云うと、大黒天は忽ちに三面六臂の姿に変じ、三千を護ると言った−三面大黒の縁起に
基づく。
−大黒天は、日本では大国主命と習合し容貌も性格もすっかり変わっているが、元々
は莫訶哥羅というインドの戦闘神、人の生き血を啜り人肉を喫う、夜叉の総大将である
死神。
−「大日経」や「仁王経」によれば大黒天は閻魔と同体であり、冥界の神である−とされ
ている。
−大黒様は糧食の守護神として台所に祀られるもの
−大己貴の和魂である大物主を先程の大山咋と合祀したのが大比叡社、今の日吉大社の
大宮。
・天台宗中興の恩人・良源(慈恵大師、興津付近では元三大師とも称せられる)は
角大師とも称せられ、お札になっている。
−角大師は旧暦の十一月二十三夜に来ると云う恐ろしい姿の神様。ある日、厄神に襲われ
た良源が形相を夜叉に変えて追い払い、翌日、弟子を集めて鏡に映ったその形相を筆写
させたものがお札の起源とされていて、一説には、比叡山の山神の姿である、と。
−お札に描かれた角大師も大黒天であると云うことになる。
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図1 角大師(〜ネット上から)
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・天台の回峰行では、仏法僧大荒神摩訶迦羅耶莎訶と云う真言を誦える。
−回峰行とは、山内の各霊所で祈り乍ら一日で叡山中を隈なく廻り、それを千日間続ける
と云う荒行。
−この真言は、叡山の奥の院たる慈恵大師の御廟前で、九頭竜印を結んでなされている。
−この真言に「荒神」が入っている。
−天台では延暦寺に祀っている三面大黒天の左右ふたつの顔を、それぞれ弁財天と毘沙門
天に当てて説明するが、これはどうもこじつけくさい。大黒天は元来三面多臂の姿をし
ているから、これは本来の荒神の姿に戻ったと云うこと。
・山王の神使は猿だが、古くは猿そのものを崇拝していたような節もある。
−元三大師こと良源と云う人は、死して後その姿を借りてしまう程だから、殊の外、山王
権現の信仰に力を入れた人でもある。
−庚申の三猴−見ざる云わざる聞かざる−は最澄の作とされるが、嘘−海外にも見られる
ため。最澄の作としたのは、理論家であり詭弁家でもあった良源ではなかったか?
−庚申尊に三猴の絵が描かれるのは、申と猿の語呂合わせではなく、意図的なもの。
・庚申講で祀られている青面金剛という仏様はいない
−曼荼羅に描かれている大黒天は、三面六臂で髪を逆立て、正面の顔は憤怒相で眼は三つ、
象の生皮を広げ、剣を戴き、山羊の角と、裸女の髪の毛を掴んでぶらさげている。
→顔の数は異なるが、青面金剛と似ている。
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図2 青面金剛(〜ネット上から)
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−仏典で青面金剛に触れているのは『陀羅尼集経』くらいであり、庚申尊としての姿は概
ねその記述に添っている−一面四臂。或は六臂、八臂で、剣などの武器を携え、それに
裸女の髪の毛を持ってぶら下げている・・・。
−ある地方では、庚申尊として半裸の女性像を祀っている所があり、ショケラとと呼ばれ
ている→青面金剛がぶらさげている女はショケラということになる。
・・・大黒天の原形−荒神と青面金剛は非常に善く似ており、ともに庚申尊、庚申尊は
三尸−精螻蛄を退治する、精螻蛄は角大師と同じ、角大師は大黒天の原形
⇒自分で自分を退治してる!ことになる。
⇒その捻じれが庚申信仰の正体を解らないものにしてしまった。
−「角大師」は元三大師から離れた別の形で信仰されていることも多く、「大師講」とい
うのもあるが、有効なのは「タイシ」だけ、このタイシは本来道教の神、中檀元帥
−西遊記に出て来るなた太子の名で知られている−だった可能性あり。そして青面金剛
はこのなた大師ではないか(中禅寺説)−庚申縁起の中で、青面金剛は先ず、童子の姿
で現れれ、青面金剛となる以前は、青光太子とまで呼ばれている。なた太子もまた多く
童子話で表され、それでいて戦闘中の姿は三面六臂で描かれることが多い。
悪魔退治で民間に広く信じられているなた大師は、『封神縁起』では、托塔天王の子
とされていて、托塔天王は、仏教では毘沙門天に対応する神。毘沙門天は三面大黒の
顔のひとつでもあるが、須弥山の北方を守護する四天王のひとり、夜叉の長ともされ、
これは大黒天の属性とも重なっている。
・庚申を広めたのは−天台宗であり、計画的・意図的に流行せたもの。
−雑多で纏まりのない庚申行事の、表面上無関係な事象を繋ぐのは天台宗だけ
−庚申堂の殆どは天台宗(庚申縁起を書いたのも多分天台僧)。
−比叡天台の本山たる中国天台山は、道教が非常に盛んな地、開祖最澄を筆頭に、叡山の
僧が道教を学び、度々本邦に持ち込んだ筈
−一時、江戸で庚申が大流行したのも、徳川幕府と天台宗が癒着していたからである(天
海僧正)。
−山王一実神道の縁起と、庚申縁起はディテールが非常に善く似ている。
実は、先に木場から「しょうけら」について、どんな虫だ、と問われて中禅寺は石燕著「図説百鬼
夜行」に描かれた「しょうけら」の絵を示していました。
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図3 しょうけら(小説に示されている絵)
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小説内では図に就いて、
屋根には天窓のような開口部がある。そこに異形の者が張りついている。前身真っ黒であ
る。筋肉に沿うように白い筋が這っており、どこか皮を剥いだ人体のようでもある。肩口
には鱗のような模様も見える。白い髪は逆立ち、耳まで裂けた口からは、鋭い牙が覗いて
いる。おまけに目玉も剥いている。魚類のような真ん丸の眼である。前足の指は三本で、
鷹の爪のような鉤爪が生えている。
怪物は天窓に取り付き、凝乎と中の様子を窺っている、覗いていると云うよりも、監視し
ているような印象だった
とあります。これは角を除けば「角大師」に似ていると言っています。即ち、天台宗のお札の「角大
師」−比叡山の山の神・大黒天−荒神を表していることになるでしょうね。
で、この図では、元々、庚申講において、人間に監視されている筈の「しょうけら」が逆に、人間が
徹夜して起きているかを監視していることになります。そこで、中禅寺は−
本来個人的な健康法、長命法だった筈の庚申待ちが、誰も気づかないまま、い
つの間にか、実に巧妙に、ある信仰に形を変えさせられている。視ている筈の
者が知らないうちに視られている−天台宗に。
という、庶民の講組織を利用して勢力拡大を図った天台宗を揶揄している絵だろうと述べています。
そして、自然に根付いているのだから大成功だ、流行り神と伝統宗教は一見無関係なようだが、稲荷
社と真言宗、白山神社と曹洞宗と、珍しいことではない、とし、
表向きは何の効力もないようだが、これが効く−遠回しではあるが一種の情報
操作が可能になる訳
だと・・・。
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