京極堂シリーズ・絡新婦の理(全ネタバレ)(’18/11)


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 完全にネタバレしていますので、ご留意くださいm(__)m
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考えてみるに、この物語のようなことが現実に可能なのかそして起こり得るのかといささか疑問も感じてい
ますが、小説・フィクションということで「面白ければそれだけでいい」という私には京極堂シリーズの中では
この『絡新婦(じょろうぐも)(ことわり)』は「塗仏の宴 宴の支度」「塗仏の宴 宴の始末」(著者・京極夏彦氏的には二
つは別々のものだとのことですけど、本質的にはやっぱり上巻・下巻の位置づけでの一連の物語でしょう)
と共に一番興味深かった作品ですので取り上げることにしました。
勿論感想は人それぞれであることはネット検索すればよくわかりますが、この二作品は「人間が自覚しない
まま、ある人物の意志に依って動かされてしまう
」という一種の「怖さ」を感じた故で、だからこそ冒頭で「現
実的に可能なのか」と書いた訳です。

この物語では、事件の解決において、京極堂シリーズ4大キャラのうちの、事件解明役たる古書肆『京極
』店主、代代の武蔵晴明社宮司で『拝み屋 』を副業としている中禅寺秋彦は勿論のこと、暴走気味
の警視庁刑事・木場修太郎、奇人変人の『薔薇十字探偵社』探偵=榎木津礼二郎がよい働きをし
ています。もう一人、小説家の関口巽は事件自体には関与していなくて−巻き込まれ型の変人で事件解
決に役に立つどころか足を引っ張ることが多い関口が関与などしたら、もっと事件はややこしいことになっ
ていたでしょうね(笑)−やじうま根性でこの事件に興味を抱き、強引に中禅寺について行って、大団円では
明かされることがなかった真の真犯人『蜘蛛』と中禅寺との対決場面に同席して語り部を勤めています。
京極堂に集う仲間としては、中禅寺の妹で奇譚舎の奇譚月報・編集記者の中禅寺敦子、警視庁刑事で
木場修の相棒・青木文造、元国警神奈川県本部刑事で「箱根山事件」(鉄鼠の檻)の不始末に連座して
捜査一課刑事から左遷されたのを機に警察を退職し、(この物語の中で)押しかけで榎木津の探偵助手に
なった益田龍一(名前を覚えようとせずでたらめな名前を付けてしまう榎木津からは「ますやま」と呼ばれ
ている)や事件に巻き込まれてしまった町田の釣り堀『いさま屋』の伊佐間一成、青山の骨董屋『待古
』の今川雅澄(伊佐間と今川は海軍時代、青年将校であった榎木津の部下で二人は友人関係)のサブ
キャラが事件に関与します。もう一人、相模ばらばら事件で中禅寺と知り合ったサブキャラのカストリ雑誌
「実録犯罪」編集記者・鳥口守彦は大団円前では敦子の調査に協力したという敦子の言葉の中だけで登
場大団円の後、関口が京極堂を訪れた時にいて、中禅寺に後情報報告に来ている形でのちょい役登場で
す。

この小説で著者・京極夏彦氏は特異な手法を使っています。小説のエピローグを人名を示さないままプロ
ローグの位置に置いた−小説の最後の中禅寺の言葉を冒頭で二重に示して、中禅寺と蜘蛛との対決場
面を入れているという−形にして事件の本旨を先頭で示したものです。小説に引きずり込むうまい手法で
すね。


タイトルに入っているモチーフの妖怪『絡新婦』は中禅寺の蘊蓄によれば、「蜘蛛の巣」そのもの。
蜘蛛』と称せられる不明の人物がある目的のために年月をかけて作り上げた外部からは俯瞰できない
謂わば「蜘蛛の巣」にかかった人物により事件が起きるというもの。その蜘蛛の巣に引っ掛かった人物−
真犯人・蜘蛛のいわば「駒」は誰一人、後ろに真犯人・蜘蛛がいることに気が付いていない。真犯人・蜘
蛛は決して法的に罰することができない・・・。

唯一、中禅寺だけは蜘蛛・真犯人が誰かを見抜きましたが、そもそも、蜘蛛・真犯人は中禅寺・榎木津が
参入してくることを予測し、手まで打っていたのでした。真犯人・蜘蛛は長期にわたりそういうことから程遠
そうな対外的イメージを確立し、最後には身代わりまで用意しておいて、中禅寺以外の目をそらし、結局、
中禅寺は口外しないまま−多分法的に罰することができず、また直接実行犯は逮捕または自殺しました
からでしょう−、それでも大団円の後日に再度出かけて行った際に、真犯人・蜘蛛と直接対決を行い、それ
以上の謀の阻止だけは成功したようです。それが、最初に出て来るシーンです。ネット上に、関口はおいし
いところだけ持って行ったと書いている方がおられましたが、強引に中禅寺について行って(今回、関口は
事件に関与しておらず蚊帳の外だったため、暇に明かせてどんなところか見たかっただけだろうと思います
が、行きの電車の中で中禅寺から事前にいくつものヒントを貰いました)、この場面に無言の聞き役で立ち
会いました。

事件は東京(それゆえ警視庁の木場刑事、青木刑事が乗り出しています)と千葉県で発生したのですが、
主要舞台は千葉県であり、上記キャラでは、関口、敦子、鳥口以外は全員千葉県房総半島南端地域に集
合します。

物語は、千葉県興津町(房総半島の南端付近)の石長比売命(いわながひめのみこと)を創祖神と奉る歴史の古い旧家・織作家
纏わるものであり、中禅寺による「憑物落し」の舞台は、織作家の祖父の故・織作伊兵衛が大正期に創設
し、現在、四女・織作碧が在学中の千葉県勝浦町にある全寮制の名門・聖ベルナール女学院と、織作
家の2か所です。

織作家は歴史の古い旧家でしたが、傾きかけていたのを明治時代に婿養子に入った曾祖父の故・織作嘉
右衛門
に事業の才があり、織作紡織機を創設して財をなし今に至っています。織作紡織機は現在、
田財閥
グループに入っていて、物語が始まる直前に亡くなったばかりの父親の故・織作雄之介は織作紡
織機社長で柴田財閥の重役を担っていました。嘉右衛門、伊兵衛、雄之介は皆、婿養子です。
織作家の住処は、「蜘蛛の巣館」と称せられている巨大で複雑な洋館です。
織作家家族は、この物語の開始時点(昭和28年2月)では

 織作真佐子:母、お方様
 織作茜:真佐子の次女
 織作葵:真佐子の三女、女権拡大運動リーダ
 織作碧:真佐子の四女、聖ベルナール女学院生徒、13歳中学生
 織作是亮:婿養子、茜の夫、聖ベルナール女学院理事長
 織作五百子:曾祖母(嘉右衛門の妻)、刀自

の6人、全員、蜘蛛の巣館に同居(碧だけは通常は寮生活)しています。父親と長女は下記のように既に死
亡しています。

 織作紫:長女、昭和27年4月死亡
 織作雄之介:婿養子、真佐子の夫、昭和28年2月死亡(物語開始の直前)

蜘蛛の巣館には他に次の二人が同居しています。

 出門耕作:使用人、是亮は耕作の息子[ということになってます]
 セツ:家政婦

この事件は、旧家・織作家の隠されてきた秘密に遠因があります。

この物語では、物語開始時点以前のものも含めて実に多くの人が亡くなります。京極堂シリーズ最多です。
以下に示しておきます。対外的には病死/老衰死とされているものも、中禅寺は殺人と認定し、蜘蛛にそれ
をぶつけています。

 昭和27年4月長女・織作紫病死;中禅寺により毒殺と認定
 昭和27年5月矢野妙子殺害;(信濃町);『目潰し魔平野祐吉による犯行
 昭和27年10月川野弓栄殺害;(千葉県興津町);『目潰し魔平野祐吉による犯行
 昭和27年12月山本順子殺害;(千葉県勝浦町);『目潰し魔平野祐吉による犯行
 昭和28年2月織作雄之介病死;中禅寺により毒殺と認定
 昭和28年2月前島八千代殺害;(四谷暗坂);『目潰し魔平野祐吉による犯行
 昭和28年2月本田幸三殺害;(千葉県勝浦町);『絞殺魔杉浦隆夫による犯行
 昭和28年2月麻田夕子事故死;(千葉県勝浦町);緑の殺害自白は嘘
 昭和28年2月織作是亮殺害;(千葉県興津町織作家);『絞殺魔杉浦隆夫による犯行
 昭和28年2月渡辺小夜子殺害;(千葉県勝浦町);『絞殺魔杉浦隆夫による犯行
 昭和28年2月?高橋志摩子殺害;(千葉県興津町茂浦);『目潰し魔平野祐吉による犯行
 昭和28年2月?織作碧殺害;(千葉県勝浦町);『目潰し魔平野祐吉による犯行
 昭和28年2月?織作葵殺害;(千葉県興津町織作家);出門耕作による犯行
 昭和28年2月?出門耕作殺害;(千葉県興津町織作家);織作真佐子による犯行
 昭和28年2月?織作真佐子自殺;(千葉県興津町織作家)
 昭和28年3月?織作五百子老衰死;(千葉県興津町織作家);中禅寺により毒殺と認定

以上で全16件ですが、事件後に渡辺小夜子の父親が自殺をしたという情報が、鳥口から中禅寺/関口に
齎されましたので、それを含めると全17件となります。ただし、中禅寺が関口に言ったように、目潰し魔に
よる最初の事件・矢野妙子殺しだけは「とばっちり」
でしょうから、蜘蛛の意図に関するものは合計16件
いうことになります。


榎木津と中禅寺は、一連の事件の根底に流れる真相にいち早く気が付き、前述の言わば京極堂に集う仲
間達の一部に(榎木津は益田に、中禅寺は益田、敦子、青木に)先にそれを語っていますので、まずはそれ
について触れたいと思います。中禅寺、榎木津以外には思いもしない事件構図のため、中禅寺の説明を聞
いてもなかなか理解できないものでした。

山本順子本田幸三の二人の教諭殺害、生徒の麻田夕子の転落死と生徒不祥事疑惑に揺れていた聖ベ
ルナール女学院では織作是亮理事長の対応の不手際に業を煮やした前理事長で現・柴田財閥の若き代
表である柴田勇治が善処のために乗り出すことになり、その際、探偵=榎木津礼二郎は、父親を通しての
強い同行要請により、厭厭乍ら柴田グループ御一行様として成り立てほやほやの下僕=探偵助手・益田
龍一を伴って同行してきたのですが、榎木津はすぐにこの学院に置ける騒動の裏にあるものに気が付き、
益田に対して、

 「経過(プロセス)自体が事件を生成して行くような陰険な事例(ケース)は好みじゃないんだ。探偵は神の
 ように孤高だ。これ以上下衆の手駒にされる・・・・・・のはもう御免だ!
」(※1)

 「この事件は君たちの手に負える代物じゃないな。敵は−事件の作者だ・・・・・・。君達は登場
 人物だ。登場人物が作者を指弾することは出来ないぞ
」(※2)

と告げ、これは拝み屋(中禅寺秋彦)の仕事だとしてちんぷんかんぷんの益田に中禅寺を引っ張り出すよう
指示したのでした。

一方中禅寺秋彦です。中禅寺も榎木津の言葉の(※1)と同様なことを言っています。

 「僕は真犯人の役に立つのは御免なのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・」(※3)

と榎木津と同様なことを言っています。そして、あれはあれで探偵だ。あれと意見が食い違うと云う
ことは間違っていると云うことだ
、と。
普通の探偵小説では、探偵が事件解決を行うのですが、京極堂シリーズは異なる構成がされているんで
すよね。本作品では、「探偵・榎木津」ではなく、「『探偵』=榎木津」であり、榎木津は、「意識が入らない相
手の記憶が画像として見えてしまう」という特異体質と直感力があるが、それゆえにそれを論理的に語ろう
としない・語れない。そこで、「拝み屋」中禅寺の出番と云う訳です。互いに口では悪口を言い合っています
が、実はお互いに相手の力を認め合っていて、補完し合っているわけです。この中禅寺の言葉にその一
端が窺えます。

中禅寺のところには、最初に、柴田勇治の意向を受けて榎木津に出馬要請をするために薔薇十字探偵社
にやってきたものの榎木津は外出して不在だったために、榎木津に出馬を促すよう中禅寺に依頼すべく京
極堂にやってきた柴田財閥顧問弁護団の増岡則之弁護士から聖ベルナール女学院騒動関連情報が入っ
ていました。この時、増岡は話している中で中禅寺向きの仕事ではないかと気が付いたのですが中禅寺は
自身の出馬は断り、最初の増岡の要請通り榎木津に話をしておくと逃げたのでした。榎木津が嫌々ながら
柴田勇治御一行様に同行して聖ベルナール女学院に出掛けたのは、父親を通しての強い要請と、この中
禅寺からの伝言を受けた際、中禅寺が、女学院だから女子生徒が沢山いるよと榎木津の関心をそそるよ
うなことを付け足したらしいこともあったようです。

その後、中禅寺は、目潰し魔事件に関しては、青木刑事から、被害者の共通性が不明だとして情報が齎さ
れ相談を受けていました。ある日京極堂にはまず、電話での出馬依頼に中禅寺から速攻で断られた益田
が重ねての出馬要請にやってきましたが、中禅寺はこれまで齎された情報から既に前述の榎木津が気が
付いたことと同様な事件の裏に共通して流れている構図に気が付いていて、榎木津に関して、

 「客体はどんな形でも主体と関ることで客観性を失う。関わらずに真理に至る以外に
 探偵で居る術はない。榎木津は、無自覚のうちに事件に関ってしまったことに腹を立
 てているんだ


と言い、榎木津は降りるだろうと。元刑事の益田は、これ以上の犠牲者が出ないようにと執拗に中禅寺の
出馬を促したのですが、中禅寺は首を縦には振らず、

 「益田君。この事件はね、君の知っている多くの事例とは基盤となる原理原則が異なっ
 ている。仮令だれかがどんな形で関わろうと、結果は多分−
」「−同じなんだ

といい、僕が出ても状況は何等代わり映えしないと。そして、更に

 「君は君の意志で行動しているつもりで、知らず知らずのうちに真犯人の計画の一端
 を担ってしまっているのだ。真犯人の役に立ってんだよ


と本事件に流れている核心的なことを語り、もう事件は終わっているからいいじゃないかと。
前述のように中禅寺から「君の知っている多くの事例とは基盤となる原理原則が異っているのだ」と言われ
たにも関わらず、経験知識からの元刑事的発想でしか考えることが出来ない益田は、理解できずにいて、
元刑事の使命感からか必死になって中禅寺を口説こうとしたのですが、のらりくらりと躱され、関る人間が
増えることこそ敵の思う壺
だと。また、敵とは誰かと聞かれて敵は蜘蛛だろうと。で、その蜘蛛は何を企ん
でいるのか
と聞かれたのに対しては、

 「解らないよ」「−情報が少な過ぎる。否−流布している情報は凡て、元のところで蜘蛛
 に操作されているだから第三者のどのような判断も、どのような行動も、凡て蜘蛛の引
 いた筋書通りに運ぶんだ


と。新参者で中禅寺のことも榎木津のことも二人の間の関係もまだよく知らない(箱根山の事件「鉄鼠の
」で国警神奈川県本部の一刑事として関わっただけ)益田は、だから動きたくないのかと言い無言で返さ
れのでした。それでも尚益田はあれこれ並べたのですが、中禅寺は益田の言った

 「警察は殆ど動きを封じられているんです

殺人事件なのに学院側が売春疑惑が確実になるまで確保した(榎木津の働きです)犯人を警察に引き渡
すのを拒否するという暴挙に出ている
−と聞いて驚くも、尚もしつこく、頼みの綱は中禅寺さんだけだと言う
益田に、行って警察と学校両方を説得するのか?僕は調停員じゃないぞ、と。ただ、君がそこまで言うのな
ら話だけは聞こうかと−それでも益田の執拗な依頼だけでは動く気は毛頭ありませんでしたが−。

実はこの時点で既に中禅寺には、目潰し魔事件では5人目の被害者が出た情報も齎されていたのでした。
で、益田が中禅寺に話をしていた時、京極堂に妹・中禅寺敦子がやってきて、青木刑事から相談を受けて
いた目潰し魔事件における二番目以後の被害者−川野弓栄山本順子前島八千代高橋志摩子−の
共通性に関して中禅寺が思い描いたことを証する情報を齎しました。それは全員が何等かの雑誌に情報
が出ていたということで、奇譚月報編集記者であるゆえに兄から調査を受け、収集したそれら雑誌を提供
しました。中禅寺は、「殺す前に載せるんじゃなく載ったから殺されたのじゃないか」と考えたと−警
察は普通そんなことは誰も考えたりしません−。驚く益田には、

 「君の知っている現実と、君の全く知らない現実があるのだよ。そこでは全く同じ事件が・・・・・・・
 全く別の動機で引き起こされている・・・・・・・・・・・・・・・・んだ
」(※4)

と語ったのですが、これまでの中禅寺の言葉が理解できていなかった益田にはこれも余計にちんぷんか
んぷんでした。実際、目潰し魔の最初の犯行を除き、彼の手に掛かった被害者は真犯人・蜘蛛に取っては
邪魔な存在=排除したい存在だったわけで、一つの情報源だったことを中禅寺は見抜いた訳です。

来ることを知らせていた青木刑事が次にやってきました。青木は新たな情報から川野弓栄、前島八千代、
高橋志摩子に関る共通性が見出されたことを述べ、そこから底の浅い仮説を自慢げに滔滔と語ったため、
黙って聞いていた中禅寺から、「憶測で発言するのは止し賜え。青木君」と一喝されてしまいました。
ある事象をその事象の中だけで考えるやり方ではこの事件の真相は解明できない訳で、中禅寺はそのた
めのヒントを示して来たのですが、過去の経験と知識だけでしか物事を考えない下々、なかなか彼の言葉
は理解できずにいたのでした。この場で三人に対して語った中禅寺の重要なポイントを纏めておきます。

・予測するんじゃなく綱を張る。関係者が都合よく動いてくれるように、予め四方八方に
 水面下で圧力(バイアス)をかけておく−というのが蜘蛛の手口

・張った網にかかった場合のみ有効に活用し、掛からなかった場合は無視する−という
 手口

・真犯人が操っているのは加害者ばかりではなく、蜘蛛は寧ろ被害者の方に積極的に
 働きかけた節がある

・被害者を含め、蜘蛛が彼等を消したがっているなんてことは誰も知らないので、誰か
 別の動機で殺してくれれば、絶対に蜘蛛は疑われない。そこで蜘蛛は、自分以外の
 誰かが被害者を殺してもおかしくない状況を作るために、被害者自身が自発的に第
 三者に怨まれたり憎まれたりするような行動を執るように仕向けた。そうさせること
 で第三者に被害者を殺したくなる動機を与えたかったと思われる


まとめとして中禅寺は、

 「蜘蛛は具体的な犯罪計画には一切加担していないだろうし、法律に抵触する行為にも
 一切手を染めていない。蜘蛛は罠に掛かったものを巧妙な情報操作で操り、自発的に
 犯罪に駆り立てて、自滅に追い込むだけ
」(※5)

要するに、中禅寺は、蜘蛛=真犯人は、「警察が逮捕し裁判所が量刑を決める」という法律の下での裁断
ができないことを早くも見抜いていた訳です。なかなか理解できない三人は中禅寺が出した例でなんとか
「自発的に動かさせる」構図を理解したのですが、蜘蛛が構築した「蜘蛛の巣」構造というのが理解できな
い・・・中禅寺は、簡単に考える青木に対し、

 「僕等は、往々にしてその点から、どれか一本の糸のみを辿って行き凡てを知った気
 になるのだ。それは大きな間違いだ


と指摘し(目潰し魔事件に関った青木刑事はまさにそういう−名探偵者にでてくるぼんくら警察がよくやる−
浅はかな視点で二つもの底の浅い仮説を語り、一つ目は小さいことが気になる−得てして作られたストーリ
ではそれは無視されることが多いことを知っていた−木場の綿密な調査で覆され、二番目の仮説はこの場
で中禅寺から撥ねつけられました)、

 「交差した点が巣の中心なのか否かを判断するためには、巣から離れて俯瞰するしか
 ないのだ−
」(※6)

すなわち、関わらずに真理に至る以外に−術はないが、

 「−しかし我我は糸に絡め取られている。巣から逃れて客観視することは出来ない
 だから、我我は地道な行為を丹念に繰り返し、内側の糸へと徐徐に(ステージ)のレヴェルを
 上げて行くしか、中心に至る道はないのだ−


(要するに、外がない、したがって、外から俯瞰することができない)
と述べ、中央に至れるのはいつのことか解らないし、その時は事件が終わった時じゃないかと。で、益田は
「そんなぁ」−勝てない。防げない。作者は指弾できないと暗澹たる気持ちに。 中禅寺は更に追い打ちを掛
けるように、

 「縦糸は幾本もある。その糸毎に全然違う筋書きが用意されている。それは皆蜘蛛の
 意思の下、中央へ進んでいる。どう足掻こうと無駄だ。出来ることはただ一つ、仮令(たとえ)
 蛛の思惑通りであろうとも、実行犯を出来るだけ早く検挙することだ。被害者は少ない
 に越したことはない


と。(意気揚々として京極堂にやってきて自分の仮説が否定されたばかりか犯罪を取り締まるのを使命とし
ている警察官にとっては最悪なこと−犯罪の進展を防止する術がない、実行犯を逮捕するしか手がない−
というようなことを中禅寺から言われてしまったわけで)青木は苦虫を噛み潰したような顔をして下を向いた
・・・敦子が尚も、手はないの、と聞いたが中禅寺は、「ないよ」と答えるだけでした。ただ敦子が収集してき
た雑誌類は役に立つかもとは云いましたが。
結局、蜘蛛=真犯人の目的が不明であり、誰がどう動くのかもわからない−予め予測し防止することが不
可能−という構図
な訳で、結局中禅寺が乗り出しても、蜘蛛=真犯人の第一の目的は中禅寺達の目前で
達成されてしまいました。中禅寺が言った通り、どうすることもできなかったのでした・・・。できたのは絞殺
魔=杉浦隆夫と付録的に妻・美江憑物落だけ。これにより隆夫の次の犯行はなんとか阻止でき、警察の
取り調べに役立ったものの、結局は蜘蛛の目論見を阻止できませんでした。


ここまででも十分ネタバレであり、元々書きたいことは以上とあと最後の中禅寺×蜘蛛対決の中にあった
中禅寺の一言だけ触れて終わりにしようと思いましたが、この物語では榎木津の活躍と木場の良い働きが
あって、それにも触れたいこともあり、ねたばれついでに自分自身の覚書の意義も含めて、事件の物語及
び中禅寺による憑物落しについても記しておこうと思いますので、この記事は完全ネタバレ記事ですm(__)m


まずは木場刑事が事件に関与することになった最初の物語です。
前年(昭和27年)に東京と千葉県で起きた目潰し魔事件(同一犯人による同一凶器−特注の鑿−)により、
1月末に警視庁と国警千葉県本部との合同捜査本部が出来ました。そこに2月になって結局一連の目潰
し魔事件と断定された四谷暗坂の老婆・多田マキ経営のもぐりの連れ込み宿で日本橋の老舗呉服屋の若
女将・前島八千代
殺人事件が発生し、警視庁の木場刑事(巡査部長)は所轄の四谷署への応援で、青木
刑事、木下國治刑事長門五十次・老刑事と共に殺人現場に臨場したことからこの事件に関与。この事件
は長門刑事がすぐに指摘したようにそれまでの事件と異なり、被害者に情交の跡が見られ、また、現場の
部屋には木場が気になったように中から鍵がかかっているなど特異な様相が見られました。ちなみに被害
者の身許はすぐに判明−それは、被害者に掛かって来た怪しい電話を取ったことから、妻の八千代の所
業を疑い尾行して、マキからの通報で警察が来るまで一晩現場付近で見張っていたと言う夫・前島貞輔
証言によるもので、貞輔とタキの証言−相手の男は坊主頭の兵隊服を着て黒眼鏡(サングラス)をした大男−から木場
は男に心当たりが。男の身許は木場とは別に八千代の残したメモにあった電話番号から所轄によりすぐに
割り出され、それは木場が気が付いた通り、木場の旧友の川島新造でした。新造は殺害時刻(午前3時頃)
に連れ込みを出て来たことで疑いを掛けられたのでした。更には、新造の騎兵隊映画社に張り込んでいた
四谷署刑事の前で騎兵隊映画社に怒鳴り込んだ女−娼婦の高橋志摩子−の悲鳴で乗り込んだ四谷署の
七条刑事と、新造を尋ねて来た木場も振り切り逃走、新造は既に一連の目潰し事件犯人と断定され指名
手配されていた平野祐吉とは姿形は違うものの事件に関与する重要容疑者扱いとされてしまいました。
尚、新造は組み付いた木場を振り払って逃げる際、「何をした」という木場に、

 「蜘蛛に聞け

という謎の言葉を残しました。その前に貞輔が取った電話の男も『蜘蛛の使い』と名乗っていたとのことで
木場だけは俄然、『蜘蛛』が気になりました。新造は木場の友人ということで木場は捜査本部から外され
てしまいましたが、捜査本部では、先輩・木場に語った青木の最初の思い込み仮説「新造が一連の目潰し
魔事件の主犯」説が注目されたりしている中で、細かいことが気になる木場は独自調査をし、この事件に
川島喜市という男が関係していることを突き止めました。で、平野は最初の犯行直前に精神科医に診察を
受けていること、それは平野の数少ない友人で印刷会社情業員だった川島喜市の紹介によるものだった
ことが既に調べ上げられていて、木場が長門刑事に連れられて喜市を訪ねに行った時は既に勤務先を辞
めて行方不明でしたが、診断した精神科医とは木場の幼な仲間の降旗弘であることを四谷署の加門刑事
から聞き、そのとき降旗の居所を聞かれたのですけど木場は知りませんでした。降旗とは、逗子の事件
(「狂骨の夢」)で再会し、そのとき降旗は既に精神科医を辞め、教会で居候をしていて事件に関与したの
でしたが、事件後は音信不通でした。ところが木場は、偶々木場の行きつけの池袋の飲み屋・猫目堂の女
主人・お潤さんから降旗が娼婦の徳田里美のひもになっていることを聞き、里美したがって降旗の居場所
を教えて貰い尋ねて行って、降旗から平野は『視線恐怖症』であること、喜市に紹介状を渡したのは織作
家の次女か三女
が降旗の恩師宛に書いたものであること(降旗自身が既に壊れかけていたのですが、恩
師は多忙故、まだ精神科医だった降旗にお鉢が回って来たのでした。この後、降旗は職を辞しています)
などを聞き出したのでした。木場は又、お潤さんを介して里美から志摩子−騎兵隊映画社に怒鳴り込んだ
時の四谷署七条刑事の事情聴取にも、その後渋谷で保護されてきて四谷署に回されて来た時も、頑なに
証言を拒否(取り締まりを受けている娼婦故警察嫌いのため)していた−の居所を聞き出して接触し、彼女
の身の上話と共に、なぜか喜市がしつこく志摩子につき纏っていた−新造の所に怒鳴りこんだのは逆に喜
市の居所を突き止めてのことだった−等を聞き出すことに成功、志摩子に危険が及ぶ恐れがあるとして木
場は捜査本部に志摩子の保護監視を依頼したのでした。


次は伊佐間と今川が偶然の邂逅により織作家にやってきて事件に巻き込まれてしまった話です。
伊佐間は房総半島に気儘な釣り旅行に出かけ、電車の中で千葉県興津町の元・漁師の呉仁吉と知り合い
意気投合して呉の家に泊めて貰い、釣り場を教えて貰って釣りを楽しみ、また、仁吉が海で収集していたが
らくたコレクションを見せて貰って、そのとき、仁吉が、金が必要になりそれ処分すると云うのを聞いて、価
値の有るものがあるかもと鑑定のために友人の今川雅澄を呼ぶことにしたのでした。今川を待つ間、丁度
織作雄之介の葬儀を目にし、その時、仁吉の友人の織作家の使用人の出門耕作が抜け出してきて、伊佐
間は彼らの話−次女・茜の婿養子の是亮は耕作の息子であること、是亮は出来の悪い婿養子で肩身が狭
い思いをしていること、それと茂浦の首吊りの家のことなど−を聞き、最後に 耕作は、未亡人になった織作
真佐子が雄之介の趣味のコレクションである書画骨董品をさっさと処分したがっているとのことで今川が来
たら屋敷に是非鑑定に来て欲しいと依頼して帰って行ったのでした。

で、今川は夕方やってきてすぐに仁吉のがらくたコレクションを鑑定、鑑定できなかったものの唯一気にな
る像がありそれを一万円で購入しました(あとで役に立ちます)。その日は遅かったため今川は仁吉の勧め
で仁吉宅に宿泊。伊佐間は次の朝、今川を連れて織作家に出向いたのですが、これが運の尽きで、事件
に巻き込まれてしまい、今川と共に大団円まで織作家に止まらざるをえませんでした。
伊佐間が釣り旅行に出かけて事件に巻き込まれるのは逗子の事件(「狂骨の夢)に続くことで、今回は肉
体的被害を被りました。今川の方は同様に鑑定の仕事で出かけて酷い目に遭った箱根山の事件(「鉄鼠
の檻
)以来のことです。

今川が鑑定している時、葬儀に欠席していた是亮が戻り、真佐子にいちゃもんをつけ、怒った耕作にも溜
口を利いたため、真佐子からぴしゃりとやられ、しゅんとなって引っ込んだんですが・・・
是亮は今まで入ったことがなかった書斎に這入り、そこで蓑笠を被り女物の着物を着た人物−伊佐間が
仁吉宅で朝目が覚めた時に遠くに目にした人物−に絞殺されてしまいました。その殺人場面を最初に伊
佐間が歩いていた廊下から目撃、一緒にいた皆で急いで書斎に向かったのですが、遠回りでしか行けな
いため時間が掛かり、また書斎のドアには鍵が・・・。是亮は殺され、犯人は逃げてしまいました。そして通
報を受けて国警千葉県本部の津畠刑事磯部刑事がやってきて、その結果、伊佐間と今川は犯人ではな
いことは明白ながらとばっちりで参考人として織作家に足止めされてしまったのでした。
このとき、千葉県では船橋の方で絞殺事件があり、マスコミは「目潰し魔」に対応して「絞殺魔」という呼称
を使いました(後日、船橋の方の犯人は逮捕され別件であることがはっきりしましたが)。尚、耕作は書斎に
鍵が掛かっていては入れなったため、中庭を回って書斎の窓を壊して書斎に入ったのでしたが犯人は中
庭の方から逃げたのは間違いないのに犯人を見ていないと証言したため警察から実行犯ではないもの怪
しいとして容疑者扱いをされてしまいました。


そんな折、織作家になんと木場が加門刑事を伴って訪ねてきました。まず、木場はそこに顔見知りの伊佐
間がいることに驚き、「手前(てめえ)こんなところで何していやがるよ!」と。伊佐間がとばっちりでと答えたの
に対し、

 「とばっちり?けッ、暇持て余すにも程があるぞこのひょっとこ野郎。少しは社会のため
 になることをしろボケ。おい、その横の変な顔は何だ?この家で飼ってる獣か何かか?


と罵倒。で、今川は伊佐間から紹介され、待古庵と聞いた木場は箱根で災難にあった古道具屋として噂は
聞いてると言い、初対面で禽獣扱いの酷い云われようをした今川は動ぜず、そうなのです、今川と云う者な
のですと名乗ったのでした。

伊佐間は木場が管轄外の千葉県にやってきたことから、また暴走かと懸念したのですが、木場は磯部刑
事に目潰し事件の捜査で来たこと、ちゃんと警視庁捜査本部長と千葉県本部の本部長とは話がついてい
て(一応合同捜査本部が出来ているものの、千葉県本部は絞殺魔事件の方に力を注いでいる)、千葉県本
部にも寄って話を聞いてきたことなどを述べて正当な捜査であることを知りました。
木場がやってきた目的は前述の降旗の証言「喜市に推薦状を書いたのは織作の次女か三女」ということ
で川島喜市に関する事情聴取のためでした。先に対面し、磯部らが手こずっていた、女権拡張運動リーダ
で弁の立つ三女・葵とのやりとりは警察権力を控えることで何とかやりすごし、次に次女・茜への事情聴取
−茜の釈明は次のとおりでした。

 ・姉・紫に死んだあとに喜市から手紙が来た
 ・内容は精神科医への推薦状を書いて欲しいというもの
 ・父・雄之介に相談したら、縁のある人だからできるだけの援助をしてやって欲しいと
 ・で、妹の葵に聞いて精神科医を教えて貰い、自分が推薦状を書いた
 ・その後は音信はない


雄之介も紫も既に死んでいることから、つい伊佐間が小声で「死人に口なし」と言って木場から怒鳴られた
のですが、まさにその通りで手掛かりはここでぷっつん。
(ただ、このうち、間違いないことは「妹の葵に聞いて、自分が推薦状を書いた」ことだけあり、他は茜の言
葉だけです−あとで「その後は音信はない」だけは嘘だった自白しています)

木場は紫と喜市の関係が知りたくて事情聴取するのですが不明。ただ、葵は、女権拡張運動のリーダらし
く、

 ・紫は社会にそれ程興味を持たぬ女性で、社会参加による自己表現など考えなかった
 ・紫は家庭的であれとか、高等教育を受ける必要はないと云う、前時代的男性中心社会の女性像
  にぴったりと嵌る人


と厳しい批評をし、つまり紫が知り合う可能性があるのはこの狭い社会の住民だけだと結論付けました。
この際葵は、姉・茜については、意外な一面をばらしています−姉は薬学の学校に通ったりしていて、まだ
外に知人友人も居ります
と。そうよね姉さんと茜の同意を促しています(茜は小さく頷きました)。

そこで木場は、この付近に川島という家はないかと聞いたものの駐在は速攻で「ない」と。で、死に絶えた
家とか引っ越しして行った家はないかと念を押したのに対し、伊佐間が耕作らから聞いていたことを思い出
して「首吊り小屋だ」と漏らし、それを聞いた葵が「茂浦の廃屋のことを仰ってるんですか?」と問い、
伊佐間が「そう。茂浦の−よしえ、ですか」と言ったことから木場は質屋に残した喜市の住所が茂浦で
あることを思い出し俄然興味を。で、葵は、女性が一人で住んでいて、あれは昭和20年のことで8年も前
のことであり無関係でしょうと言ったのに対し木場は無関係とは限らねえと詳しい話を葵に問いただしたの
でした。葵は、あそこは特別−女性の尊厳に関る事件が起きている訳ですから。地域住民としても、婦人
と社会を考える会としても、見逃せませんと述べ、茜に姉さんもご存知でしょうと言って、

 「でもあの人は−慥か石田と云う姓です。川島ではありません

と言ったのに対し木場は、構わねえよ、聞かせろと言って詳しい話を聞き出したのでした。葵ら婦人と社会
を考える会としては、その女性−石田芳江−は村の男達から「夜這い」をされていたこと、余所者で「囲い
者」だったゆえに差別され村で生きていくため拒否出来なかったのだとして問題視して聴き取り調査をやっ
ていたことなどを話したのでした。やりとりを聞いてうんざりしていた加門刑事は木場さんこりゃ無関係で
しょう、もう行きましょうと言ったのに対し、木場は何処へ行くんだ?東京に戻るのかと。で、葵は腹立たし
気に、御用がお済なら失礼させて戴きます、これ以上お話することもございませんし、これで私も姉も多忙
なのです。さあ参りましょう姉さんと言ったのですが、茜が突然、子供がいたと言い出し

 「葵さん、ほら、石田さんに男のお子さんがいらしたでしょう。慥か−

と。興味を抱いた木場が「その子供てぇのは?」と聞いたのに対し、慥か葵と同じ齢と。その年齢について
木場から聞かれ、茜は「享年28歳でした」と。木場は調書にあった喜市は29歳であることを思い出した
のでした。更に追及する木場に伊佐間が助け舟を出し、「引き取られたとか−」。木場に促され耕作から
聞いた話−耕作がその廃屋で燈を見たという−等もしたのでした。話に興味を持った木場(加門はなおも
興味を示さなかったのですが)は耕作が織作家の使用人であると聞き、葵に耕作を呼べと。で、耕作はすぐ
そこに居て、東京から電話だと。加門は電話に出ると言って耕作に案内させて行ってしまいました。その間、
木場は伊佐間から促されて捜査状況を説明(本来はおいおいですけどねぇ)。
話を聞いていた今川が、差し出がましいようですがと、

 「その人達は−それぞれの受け持ち業務を果たしただけではないですか

と。で、木場の「受け持ち業務って何だ?」という質問に対し、例えば、(おびきだして寝かしつける役、着物をは
く奪する役、それから−殺す役−それぞれに役割分担が決まっていて、それぞれは各々の受け持ち分の
こと、それだけしか考えていない
−と。この今川の話を煮詰める中で木場は、

 「銘銘は勝手に脈絡なく動いている。しかし、結果的には一つの知らねェ絵を描かされて
 きたと云うことかい。一連の出来事は全部予定調和なのか!おう骨董屋。お前さん、不
 細工な割に中中いいじゃねえか。その理屈は戴きだぞ


と。これはほぼ当たりでした。
その時、電話を終わった加門が慌てて螺旋階段を降りてきて、高橋志摩子が警備の一瞬の隙をついた川
島新造に車で連れ去られたこと、そしてその車は「千葉(こちら)に向かっている」と。
回廊に耕作が出て来て、続き黒い扉が開き、どやどやと磯部を先頭にした警官達が這入って来た。そして
扉の蔭には喪服の−茜が。伊佐間は、いつから居た。すっと居たのか?と訝しっがったのでした。

もう木場はその小屋には喜市が潜んで居て新造はそこに向かっていると推定し、加門に

 「俺達ゃその−首吊り小屋で待つぞ!

と。いちゃもんをつけて来た磯部には、手前等の手は借りねえよ、勝手に絞殺魔でも探しやがれと吠え、伊
佐間に案内せぇと。理解できない加門に対しては、

 「馬鹿野郎。勘だよ勘。今回の事件はな、嵌らなきゃ何も見えねえが、嵌っちまえば絶対
 になるようになる・・・・・・・んだ。偶然でも何でも−
」「そこは予め用意されてた・・・・・・・・場所だぜ

と。ところが磯部は関係者全員の外出は千葉本部が全面的に禁ずる−などと無法なことを言い出して伊
佐間を連れ出すことに難色を示しました。しかしながら、その時、戻って来ていた碧が学院側から戻るよう
にという指示で出掛けようとしていて、磯部に、それは柴田財閥と千葉県本部との間で認可されたことだと
碧が云ったことから磯部は腰砕けになり、それなら伊佐間らも容疑者でもないから同じだろと云うことにな
りましたけど、実は伊佐間は道案内に自信がない・・・。それを察した茜が耕作に案内させようとしたのです
が、こちらは容疑者だとして磯部は拒否。やむを得ず、行き方を教えて貰い、木場と加門は伊佐間に案内
させて首吊りの家に。今川も自発的についてきたのでした。

木場の見込んだ通り、新造が現れましたが、新造は木場を見て、逃げろと家の中にいると思われる喜市に
声をかけ木場達と対峙。新造の身柄はなんとか確保したのですが、その後大変なことが起きてしまいまし
た。もう帰れと木場から云われていたのになぜかそのまま残っていた伊佐間。何気なく小屋の中を覗いた
途端、手から血が吹き出し後ろに倒れてしまいました。な、なんと、小屋の中には目潰し魔・平野がいた
でした。伊佐間は平野に指を切られたのでした。そして、哀れ、悲惨にも、木場が伊佐間には命を護ってや
りたいと言っていた志摩子が眼を突き抜かれて殺されていたのでした。平野は逃亡、加門が追いかけまし
たが。喜市も逃亡してしまっていました。

木場は新造を取り調べました。その結果は概略以下の通り。

 ・首を吊った女性は石田芳江と言い、喜市は芳江と新造の父との間に生まれた子で本名は石田
  喜市、新造とは異母兄弟。
 ・跡取りの新造が15の頃ぐれて家出してしまい、川島一族は代用として喜市を連れてきて家に。
  ところが新造がふらりと戻ってきてややこしいことに。戦争が始まることで一族は喜市を追放し
  なかったものの喜市は家を出て一人住まい。このことで、新造は、それでも兄さん、兄さんと自
  分を慕ってくれてる喜市に申し訳ないという気持ちでいた。
 ・新造は喜市が新造のところに転がりこんできて毎日何か調べ物をしていることを怪しみ、喜市
  は頑として何をしているのかを語らないため、街のちんぴらが喜市に頼まれた内容を聞き出し、
  代わりにあの連れ込み宿に行ったが八千代は何も語らず。
 ・喜市からやっと聞き出した話では、復員した喜市は茂浦の家に母を訪ねて戻って来たが母はお
  らず誰も事情を説明してくれなかったけれども、新造には名を明かさなっかた人から、母・芳江
  は死んでいること、それは芳江の家に流れて来た三人の娼婦−川野弓栄、金井(現・前島)八千
  代、高橋志摩子−の所為であると。それで三人に辱めを与えようと計画。川野弓栄は既に死亡
  していたので、八千代と志摩子に焦点を当てた。しかし、自分は殺してはいないと。


喜市は平野が目潰し魔とはずっと知らなかったらしく、喜市が殺しをしていたのは最初の信濃町の殺人の
時平野を喜市が逃がしてやったお礼のつもりなのかもと新造に話していたようです。


さて、榎木津が厭厭連れ出されて関与してしまった名門の聖ベルナール女学院での物語です。
前年12月に、舎監の山本順子教諭が目潰し魔に殺害された時点ではまだ明るみには出ていませんでし
たが、暗雲が漂い始めていました。この学院にはそれまで隠されていただけで、2月になり学院内で起き
ていることが次第に暴かれ始めたのでした。

発端は、生徒の一人、渡辺小夜子がこともあろうに担任の本田幸三教諭から親の寄付が減ったことを理
由に目をつけられ、個人指導と称してたびたび呼び出しをくらい、9月にとうとう凌辱されてしまうという酷い
事が発生したことにありました。小夜子は親にも学校にも云えず、友人の呉美由紀(前述の呉仁吉の孫)に
だけは打ち明けていました。そんなある日、小夜子は下級生の坂本百合子がしていた噂話を耳にし、美由
紀にそのことを話しました。それは、美由紀は知らなかった「黒い聖母」の噂; なぜ山本順子舎監が目潰
し魔に殺されたか
」ということで、噂話によれば、学院内に冒涜行為=売春をしているグループがあって、
2組の麻田夕子がその一人であることが山本舎監にばれて夕子は山本舎監から厳しく追及され公表しな
い代わりにと自主退学を迫られて、政治家の娘でもあり進退窮まり山本舎監を呪い殺した−満月の夜、礼
拝堂の裏手にある二枚目の白羊宮の石板の上で儀式をすると・・・・・・願いが叶うということで、夕子はそれを実
行した結果だというもの−だと。本田憎しの小夜子は思い詰めていて、夕子にその呪いの儀式のことを詳
しく聞きたいが夕子になかなか会えないと。美由紀は嘘臭いと言ったのでしたが、友達想いの美由紀は、
その噂話をしていた百合子にまず聞こうと提案、連れ添って聞きに行きました。百合子によれば、学院「
不思議
」のひとつ、十字架の裏の大蜘蛛」が目潰し魔であり、良い悪魔・・・・だと。そして、大蜘蛛は男の
悪魔で、女の人を呪い殺し、相手が男の場合は黒い聖母が殺す
と。美由紀は子供騙しだと思ったのです
が、百合子によればその儀式は大勢でやるもの、それを見た人から聞いただけでこれ以上は知らないと言
い、殺されてしまうので見た人の名前は云えないと。で、美由紀はその儀式をしている人達に接触したいか
ら参加した人の中に知っている人−夕子はなかなか会えないのでそれ以外−ながいなかったかを見たと
いう人に確認して欲しいと。百合子は尋ねてみると言い、その際、「そう、あのおり−」と口走ったのでした。
その時、百合子が小さな悲鳴を上げたため、その視線の先を見て美由紀は見られていることに気づきまし
た−去年の秋口から勤めている賄のおじさん−炊事や雑務をしている厨房棟職員−杉浦隆夫−でした。
−聞いていた訳?(まさしく聞いていたのでした。そしてある人物に御注進をしたのでした)
百合子と別れ、小夜子は「おり」って織姫かな、と言ったのですが、美由紀は、まさか−違うよと。美由紀
にとっては織姫(織作碧)はそういうことから最も遠い存在の人でした。その後二人は儀式の石板の所へ。
小夜子はそこで石板の上に登り、一人で大声で理由を言って本田を殺してくれと叫んだのでした。

翌日の放課後、小夜子は止める−昨日叫んで気が晴れちゃった、と。そして本田に会う−話すことができ
たから、と。その時、本人は否定したものの、どうやら誰かから暴行を受けたらしく目の下に青い痣、頬に
も擦り傷を負った百合子が少し脚を引き摺ってとぼとぼと歩いて来て、百合子は暴行を受けたことは否定し
ましたが友達が見ていたことがばれてしまったと言い、「蜘蛛の僕」の人達−儀式をやった人達−が会い
たい、但し、

 もし本気なら、仲間になってもらわなきゃいけない・・・・・・・・・・・・・・・・、同志になってくれれば必ず−蜘蛛
 は望みを叶えてくれる


との伝言を。その時は小夜子はその気がなくなってしまっていたので、友達想いでしっかり者の美由紀が
一人で会いに行くことに。そして、卑怯にも姿を見せず声だけの蜘蛛の僕と対決。そもそも悪魔だとか呪い
だとかを全く信じていない(クリスチャンでさえない)美由紀の前に証拠だと言って麻田夕子−明らかに集団
暴行を受けていて、制服はあちこちが綻び、胸の白い飾紐(リボン)も緩んで地面を擦り、土に染まっている、顔は
やつれ、三つ編みに結った髪の右側が解け、口の端には血も滲んでいた−が転げ出され、−後はその娘
があなたの相手をする、早早にこの場を立ち去りなさい−との声。美由紀はさからっちゃ駄目と言う夕子を
抱かえるようにして礼拝堂横の石畳のところまで来たら小夜子がいて走り寄って来たのですが、小夜子も
なぜか憔悴していたのでした。夕子は二人に、何を嗅ぎ回っているのか知らないけど−
 「あなた達は触れてはいけない・・・・・・・・ものに触れようとしている

 「皆はあなた達を同志にしようと考えているわ。あなた達は秘密を知りつつある。でも
 秘密を知ってしまったら、その時が最後なのよ


と。夕子が制裁を受けたのは、蜘蛛の僕グループから抜けようとしたためでした。夕子は「信じるのが厭
になった
」からと言い、それは恐くなったからで、結局、噂も立ってしまったし、名前も知られた−自業自得
だった−、しかしもう抜け出せないと。夕子はそれゆえ秘密には触れない方が良いと二人に諭したのです
が、小夜子は先程とはまるで様相が異なっていました。小夜子は、教えて!本当に呪いは有効なの?、と
尋ね、「本当ならそうは行かないよ。私は呪いをかけたいの!」と。小夜子は美由紀と別れて本田に
会いに行ったのですが何かあったようです−。
それでとうとう夕子は、「明日は満月だから、今夜、本当かどうかわかる・・・・・・・・・」と言い出したのでした。
で、また立ち聞きされるのを警戒した美由紀の提案で、詳しく聞くために今夜、個室棟の夕子の部屋に行く
ことに。二人はこっそりと夕子の部屋に行き小夜子の事情を話したのでした。夕子は事情を理解し、やっと
詳しい話をしてくれたのでした。夕子が語ったことは・・・。


 ・私の同志は『蜘蛛の僕』と云うグループを作っている
 ・ある方を中心にして、全部で十四人。それがあなた達の云う呪いの儀式をする
  グループ。そしてそれは売春しているグループと同じもの
 ・儀式と云うのは−黒弥撒 売春は基督への冒涜の意図
 ・「あの方」は、悪魔(バフオメッド)と契約した−言う通りにしただけで地獄の精霊は力を貸してくれた


美由紀は「あの方」とは誰かと尋ねましたが、夕子は名前は出せないと・・・
夕子が恐くなったのは、先に売春の手引きをしていて拙い存在になった川野弓栄が呪い殺されたとされて
いて、今度は自分が行った呪いの儀式で山本潤子が殺害されたゆえでしたが、夕子は山本舎監に売春の
ことがばれ、グループの噂も立ってしまったことにより、最早グループから抜け出せないばかりか、制裁と
してもう一つの呪いの儀式をやらせられていたのでした。今夜本当かどうかわかると言ったのはその結果
のことでした。その相手がグループを強請って来たという理由でした。
(実は被害者は蜘蛛の僕のことなど何も知らない無関係な人間。したがって、これは蜘蛛による恐るべき姦
計だったのでした)
で、夕子は小夜子に覚悟はあるかと−夕子は止めようとしていたのでした−。しかし、美由紀が驚いたよう
に、小夜子は本田を殺せるなら入ると。夕子は更に黒弥撒では生まれた子は焼き殺されるという話までし
たのですが本田憎しで一途になっている小夜子を思い留めさせられませんでした。まるで信じていない美
由紀は夕子の気持ちを理解した上で、偶然だとして呪い殺しを全否定したのですが・・・。それでは済みま
せんでした。止めようとする夕子と小夜子の間で口喧嘩が・・・と、その時、三人の所に、個室棟寮長の織
作碧が「言い争う声が聞こえたので」とやってきました。その時、夕子は開いた扉の方を向いて、眼をこれ
以上開けないと云う程見開き、凍りついてしまった
のでした。
(もうこれで「おり」=「あの方」=織姫=織作碧であることは決まりですよね。まだ美由紀と小夜子は気
が付いていなかったようですが)。
そして、碧はドアの所に新聞が挟まれていたと差し出したのでした。衝撃的でした。そこには

 『目潰し魔暗躍す、第四の犠牲者』『亡くなった前島八千代さん

との記事が。夕子と蜘蛛の僕がなした呪いの儀式の対象者は前島八千代だったのでした。
これに大きく反応したのは小夜子でした。小夜子は妊娠したと思い、それで美由紀と別れてから本田に会
いに行ったのですが、本田はけんもほろろで、小夜子は本田から、誰の子だ、堕せ、俺の子ではない、お
前のような淫売は退学にしてやるとまで言われたのでした。(実は、小夜子は知りませんでしたが、本田は
子が出来ない体質だったのでした−ですから、小夜子が妊娠したと思ったのは実は思い違いだったのでし
たが)。小夜子が再び本田憎しで一途になったのはそういう理由だったのでした。しかしながら、夕子のした
話とこの結果から、悪魔は呪いを実行するのは本当だと思い恐くなったのか、呪いの儀式ではなく前日自
分で勝手にやった呪いにより本田が死ぬと思って小夜子は半狂乱になり、夕子と美由紀に悪態を突き、部
屋から飛び出して行ってしまいました。
美由紀は夕子には、大丈夫、これはまやかし・・・・よ!と言って後を追いました。階段の踊り場で碧に出会い、
今渡辺さんが−と言う碧(美由紀は未だ碧が夕子の言う「あの人」であることに気が付いていない)に、あの
娘は神経が参っている、一緒に探して貰えないかと言い、無性に腹を立てながら階段を駆け下りました。
校舎に辿り着くも人影は見当たらない−その時、信じられないものを見てしまいました。黒き木立の間隙を
縫い漂い濃い舞い飛ぶ一枚の布地。で、振り向いたその顔は・・・真っ黒。目だけ白い−黒い聖母?
美由紀は固まってしまって・・・。織姫からどうしたのですと声を掛けられてやっと金縛りから解放されたの
でした。そこに夕子が追い付いてきて、中よ、今二階の窓を誰かが(よぎ)った、と言って校舎の中に。美由紀も
後を追いました。夕子は、上に向かってる、飛び降りるつもりよ、と。そして屋上へ。そこには本田の死体が
転がっていた
のでした。それを見て、厭、私はもう厭と言って小夜子は、屋上から飛び降りてしまったのでし
たが・・・。

ここまでが、生徒の美由紀、小夜子、夕子、碧が関わったプロローグです。以後は学院側が知り、警察が学
院に入って来てからのことです。

織作是亮理事長の不手際に業を煮やした前理事長で現・柴田財閥後継者のの若き代表の柴田勇治が海
堂や弁護士を引き連れて学院にやってきました。また、殺人事件が起きた事から国警千葉の警察官もやっ
てきました。
美由紀は、取り調べた警察官から美由紀の証言を否定する驚くべき話を聞きました。

 ・小夜子はところどころけがはしているものの生きている
  −刑事によればもし飛び降りたなら誰かが下で受け止めない限りありえないと−
 ・転落死したのは夕子である。


と。更には、小夜子が警察に語ったという驚くべき嘘の供述飛び出した夕子を追いかけているうちに夕
子が上から落下してきて自分に当たった
と−を聞き、美由紀は途端に激しい眩暈に襲われ、再び混乱し
てしまいました。小夜子はなぜこんな友人・美由紀を裏切るような嘘をついてのでしょうか?
そのうえ、碧も美由紀の証言を否定するような曖昧でごまかしの嘘の証言をしていたのでした。それゆえ
美由紀の証言は、警察にも学院側にも信用されませんでした。

そんな可哀想な美由紀を更なる仕打ちが襲いました。
愚かにも立場が悪くなっていた是亮は生徒売春の話を聞きつけ美由紀がその一員だと誤解、警官が引き
揚げた後、美由紀を理事長室に呼びつけて脅迫したのでした−自分は川野弓栄のパトロンだと言って−
美由紀は是亮から、飾紐(リボン)を掴み何度も揺すり、淫売は誰と誰だ、俺は本田のようには殺されないぞと迫り
ました。そこに前理事長の柴田勇治が現れいきなり是亮を殴り飛ばし怒鳴りつけました。これに対し真相
を知っているんだという是亮に勇治はそれを聞こうと言い、一緒に来ていた海堂に、美由紀を部屋に送る
ように命じたのでした。外に山本舎監亡き後にその職に就いた老舎監の先生がいて、美由紀は抱きつい
て泣いたのでした。老舎監に連れて行かれたのは自分の一般棟の部屋ではなく個室棟の部屋でした。そ
して老舎監から隣室は小夜子だと教えられたのでした。

小夜子は美由紀に謝りました。小夜子は本田のことを警察には黙っていたのでしたが、小夜子は死んだと
思っていた美由紀は警察に話したと。ただ、錯乱していた美由紀の証言は警察には殆ど信じて貰えず、小
夜子の証言と併せて、警察は死んだ夕子が本田の相手だと誤解したらしい・・・
小夜子は、もう大丈夫よ 私には呪いも魔術も必要ない・・・・・・・・・・わ、夕子さんのことだけははっきりさせにゃきゃね、
蜘蛛の僕のことは心配しなくてもいいから。私が美由紀を護ってあげる
よ−警察にも教師にも絶対云っちゃ
駄目と。小夜子は、このことは後で明らかにします。哀れ、小夜子の誤解による自信でしたが。

美由紀はまたも是亮に理事長室に呼びつけられました。是亮は俺は嵌められたと言い、まだ美由紀が蜘
蛛の僕の一員だと誤解していて本田を殺したのは誰だ、売春を束ねているのは誰だと。そして言いたくな
いのなら売春で貯め込んだ金を出せと強請ったのでした。夕子のことを言えない美由紀は、それで祖父仁
吉に手紙を書いたのでした−仁吉が拾い集めたコレクションを金に換えようとしたのはそのためでした。

是亮はその後、雄之介の葬儀の前に再び美由紀と小夜子の前に現れ、弓栄から引き継いだ淫売の元締
めが誰かわかったと。売春グループメンバーを吐けと迫る是亮に、小夜子は美由紀に覆いかぶさって、三
日待ってと。で、三日は待てないと言う是亮に、小夜子は、二日後に云う通りにする・・・・・・・・・・・と答えたのでした。

その後、祖父・仁吉がお金を届けに来ました−「達者でな美由紀。外ァ春だぞ」と言って去りました。

美由紀は我に返りました。本田幸三が殺されてから九日目にして、美由紀は漸く機能し始めたのでした。

嵌められた。嵌められて溜るか−。まず、織作碧が明らかに偽証している・・・・・・・・・・・・・・ことに気がつきました。
作碧は一部始終を見ている筈・・・・・・・・・・なのに、小夜子の自殺未遂はなかったこと・・・・・・にされ、夕子だけが自殺したと
断定されて・・・・・しまった

そしてようやく美由紀が出した結論は・・・織作碧こそ・・・・・蜘蛛の僕の頭目なのだ・・・・・・・・・・

美由紀は数日前に乗り込んだ会議室に引き摺られるように連れていかれました。正面に柴田。左右に学
長と教務部長、事務長がいて、背を向けている男が一人−探偵=榎木津でした。榎木津はやる気はない
何をしに来たのかわからないと言い、

 「このご婦人の尋ね人の話とごちゃごちゃになって、さっぱり解らないんだ。その首
 絞め野郎とか云う男を退治すればいいのですか?それとも君の彼女を殺した・・・・・・・・目突
 き野郎を捕まえるのかな?


と。このご婦人というのは、夫・隆夫の行方調査を榎木津に依頼に来た杉浦美江−益田は榎木津から採
用テストとしてそれを、調査に出向かずに2〜3日で処理せよと命令され困惑していたのですが、榎木津が
出かけてしまった後に榎木津に探偵の依頼にやってきた増岡弁護士と共に京極堂を訪れ、京極堂の話を
聞いた増岡が出した資料から、隆夫が聖ベルナール学院に臨時雇いされていることが一発で判明し、そ
れでやってきたのでした−。「君の彼女を殺した」のくだりは、君=柴田勇治、彼女=山本順子です。榎木
津は柴田の記憶を探ったのでしょう。

榎木津は美由紀の記憶を見ていました。そして、「その真っ黒けの炭団(たどん)みたいな変態が犯人ね」と。
榎木津の特異体質を知らない海堂が美由紀の証言を子供の他愛のない迷信だと言ったのに対し、榎木津
はこの娘は子供じゃないと言い、美由紀に、

 「それはね、多分鍋の底の煤か何かを塗ったのだね。墨汁じゃ(はじ)いてしまうのでそう
 は巧く塗れない。泥棒みたいなものだ。


と述べ、「僕の下僕」(同行させていた探偵助手の益田、榎木津は「ますやま」と呼んだ)に詳しいことを話し
なさいと。また、名前を覚えようとしない榎木津は杉浦美江のことを「桑畑さん」と呼び(榎木津のことを知ら
ない美江はその都度訂正したのですが名前などどうでもいいと思っている榎木津にはムダなんですね.。益
田でさえもずっと「ますやま」ですから(笑))、美江の配偶者とか云う炊事場の男はまだ戻って来ないか?と。
中禅寺(榎木津は「京極」と呼称していますが)からぜひ会えと言われていたのでした。更に榎木津は美江に、
配偶者は女装の趣味はないかと尋ねたのでした−美由紀の記憶を見てのことです−。但しそれは美江は
知らない筈−そんなことは隆夫は美江の前ではおくびにも出していませんでしたから-。
そして、一同に、

 「炊事場の男が犯人だと思うから気をつけるのだ。戻って来たら捕まえる。解ったな。
 じゃあ


と言って散歩に行ってしまいました。榎木津は説明などしませんから一同ぽか〜ん状態。

とにかく益田は美由紀の話を聞きました。さすが元・刑事。警察も学院側も美由紀の話をまともに聞こうと
しなかったのですが美由紀の話の中に大変重要な内容・・・・・・・が含まれていると言い、国警千葉の警察官が美由
紀の証言を一切取り合ってくれなかったと聞き、自分達の管轄内の事件じゃないか。責任問題だよなあ、と。
これに海堂が噛みつきました。明瞭に云えという海堂に、「目潰し魔」だと。学院側も海堂も呪いなど子供騙
しだと言うのに対し、益田は自分が元・国警神奈川県本部の刑事だったことを明かし、呪いが効いたなんて
云ってない、関連性の問題だと説明したのですが、海堂は最後には「我々には目潰し魔なんてどうでもいい」
などと口走ったものですからとうとう勇治の雷が落ちました−山本順子を殺害した犯人だ、どうでもいいと云
うことがあるか、少し黙って居ろと。
学院側は不祥事が学外に出るのを畏れ保身しか考えておらず、美由紀の話を信じたくない、そして碧の証
言を絶対視している、海堂は柴田グループに傷がつくことを恐れている・・・よくある酷い話ですよね。
柴田は海堂が驚いたように、こうなったら警察に言うべきだと言い出しました(柴田が海堂を怒鳴りつけた
のもここまで言い出したのも彼の個人的理由があったのでした)が、益田は警察に言うべきだが先にもっと
内部調査をすべきだと。まず碧の話を聞くべきだと−学長は碧は関係ないだろう、嘘を言う娘ではないだろ
うなどと言ったものですから、美由紀は私は嘘を言っていないと反発。また、小夜子が偽証していたことに
ついては教務部長が言わずもがなことを漏らし、学長は本田の小夜子に対する行為には証拠がないなど
と言い出したものだから、美江が反発−自分達が小夜子に聞き、事実なら、婦人と社会を考える会(織作
葵が主宰、実家に戻っていた美江は加入していたのでした)ではこの学院を告発すると言い出してもめ議
論が本筋からはずれかけたので益田はその件は日と場所を改めてやってくれと美江をとめたのでした。
とにかく美由紀の話を子供の妄言扱いし、事なかれ主義で不祥事を否定したいだけの物分かりの悪い学
院側連中にいい加減頭に来た益田は、

 「いい加減にして欲しいのはこちらの方です。何度云えば解るんですか!黒い聖母
 なんていても居なくてもいいんですよ。学長さん。そんなお化けは居なくても、殺人
 者は歴然として居るんですよ!殺人は起きてるんだから。このお嬢さんは最初から
 そう云うことを云っているんです。ちゃんと聞いてくださいよ。そうだね、呉さん。


美由紀だけは、解ってるじゃないか。この人、と思ったのでした。

呼び出されて学院に戻って来ていた碧は、美由紀の証言を否定するような偽証をしたのは驚きで記憶が
曖昧になってというようなことで逃げ、小夜子に聞こうという話に、小夜子は海堂と出て行ったと−これもす
ぐに嘘だとばれましたが。
益田は、事務長に、炊事場の−杉浦はいつ戻るかと聞き、正午までには戻ることになっていたがと事務長。
(隆夫は買い出しに行くという口実で出かけ、実は隆夫は蜘蛛の僕の首魁・碧の忠実な下僕になっていて、
実家に戻っていた碧に是亮が冒涜の秘密を知ったことを告げ指令を受けるべく織作家まで行って、碧の手
引きで是亮を殺害していたのでした)

小夜子を探しに行った美由紀は小夜子が殺されているのを目にしてしまいました。そのとき、着物の男と
海堂がもつれ合うようにして林の中から落ちてきました。着物の男は海堂を絞め殺そうと。そこに、散歩に
出かけていた榎木津が現れ、男を蹴り飛ばし取り押さえました。男は臨時雇いの賄の男−杉浦隆夫−で
した。そして隆夫は美由紀が見てしまったように小夜子を先に絞殺してしまっていました。
(事実は以下でした−碧から、裏切り者の夕子を転落させると聞いていた隆夫は、崇拝している少女・碧を
殺人犯にしないようにすべく、本田を殺害後、夕子を受け止めようと下で待っていたところ、先に小夜子が
転落してきて思わず受け止め、後から転落して来た夕子はそのまま転落死。小夜子は隆夫が自分の味方
だと思い込み、強迫して来た是亮の処置を頼んだのでした。しかし隆夫は小夜子がもう本田に凌辱されて
いて汚れていることから崇拝するような少女ではないと・・・)
偽証していた碧は見間違いだったと言い訳したのですが、榎木津は誤魔化せません。

 「あんた、知っていてなぜすぐに知らせなかった

何のことですと惚けようとする碧には、「ここに死骸があることだ」と言い、

 「−あんたも−駒か

と。そして、気が付いて前述の(※1)(※2)のようなことを益田に言い、益田は中禅寺の所へ出向いたいので
した。

学院側は警察がすぐに来なかったことをいいことにして、杉浦隆夫に勝手に尋問を。警察が大挙して押し
かけてきましたが、学院側は隆夫を拷問室に監禁し、美由紀を警察との接触を禁止し教員棟へ。そして、
榎木津を足止め。学院側は学内の不祥事が外部に漏れるのを畏れ、徹底的に警察の介入を拒もうと云う
法治国家にあるまじき暴挙に出たのでした−隆夫が語ったことは美由紀の推理を悉く証言するものだから
でした。

やっと益田の話を聞くことにした中禅寺は、すぐに構図を見破りました。
中禅寺は、美由紀に振られた役は君や僕に振られた役と同じであると指摘し、更に、学院側の勝手な取り
調べに対してなした杉浦の供述は穴だらけであるとして、

 「これはそもそも杉浦が小夜子のために本田を殺したその現場で、発作的に夕子も
 殺された、と云う事件ではなくて、夕子を殺して小夜子を取り込むために蜘蛛の僕
 の仕掛けた罠が、小夜子の突発的な自殺に因って壊れてしまった−そういう事件な
 のじゃないか?元元、自殺に見せかけられるべきは夕子だけの予定だった−とか


と言い、蜘蛛の僕は怖るるに足りないよ益田君、と言ったのでした。

美由紀は老舎監から学長がお呼びだと言われて行くと、そこに初対面の碧の母親・真佐子が。真佐子は
学長の取り繕いなど無視して、美由紀に碧に遠慮せず率直に話すように促したのでした。真佐子は美由
紀を驚かせ、学長らを慌てふためかせるような思いも寄らないことを言ったのでした・・・

 「仮令子供でも、罪は罪、情の通じる範囲を超えた所業は罰せられて然るべきです。
 伝統ある当学院の名誉を傷つけるような行いを本当に碧が為したのであれば、そ
 れは断罪せねばなりますまい。あなたにご迷惑をお掛けしたのですね?


と。驚き契機を失って逡巡している美由紀をくさした学長には、あなたは見る目がない、それで善く学長が
勤まりますね、と批判、そして、

 「あの娘は−人を善く惑わす娘です。あなたがたはそれすら見抜けないで、今まで
 教職に就いていたのですか。碧を入学させる際にもきちんと申し上げた筈です。
 織作家の者だからと云って一切特別視はせぬよう。


とまで。促されて話をした、美由紀が証拠はないと言ったことに付け込んで尚も碧が主催している蜘蛛の
僕の冒涜行為を信じたくない学長が美由紀攻撃をしたのですが、真佐子は、この期に及んで慌忙(あたふた)と見苦し
い、碧を呼べば判ること、と言って柴田に碧を呼ぶようにと。躊躇する柴田には、織作の不祥事は織作でけ
じめをつけさせて戴きます、凡ては本人に質せば済むことと言い、美由紀には色色と−御免なさいね、と。
美由紀は−葵が−最後の後ろ盾を失った。家に見限られては最早拠り所はない、と思ったのでし
た。(この時はそれぞれ以外誰も知らなかった親子の冷え切っていた対立があったのでした。中禅寺の憑
物落しで明らかにされた真佐子の秘密の思いと、碧の、蜘蛛=真犯人により誑かされていた出生に関する
嘘を信じさせた態度をして来た母親への感情で)
その後、柴田は美由紀をねぎらい、理事長室に入れたのでした。

理事長室にはなんと榎木津が知られないまま寝ていたのでした。「碧が−犯人でなかったら−」と呟いたの
に対し、突然、「それはないよ−」という榎木津の声がして美由紀は大変吃驚したのでした。榎木津は、あ
の屍体の女の子の友達なんだな、まあ可哀想だが悔んでも屍体は生き返らない、もっと前向きに生きなさ
い、うん?中中前向きか、と言い、

 「いいかね。この世界はなるようになる・・・・・・・ように出来ているのだ。だから君が責任を
 感じることはない。そしてなるようになるんだから、どうなるかなんて実はお見通し
 だ。しかしなるようにならない・・・・・・・・・ようにするためには、何だか知らないがあの男が必
 要だ。詳しくは本人に尋くがいい!


と美由紀には訳わからないことを宣ったのでした。「あの男」とは勿論、中禅寺。

探偵がまた寝てしまったあと、柴田が碧を連れて来ました。碧は母親の前で全否定したのですが、真佐子
夫人は美由紀を信じ碧を信じない−柴田は、二人で話し合って擦り合わせてくれと虫のいい依頼を残して
去り、碧は本領発揮し、美由紀怖気づいて・・・。
悪魔など信じないと言った筈だという美由紀に碧は、証拠を見せた筈と。偶然だと言い、杉浦隆夫の仕業
だったと言う美由紀に、碧は、あの男の格好には・・・・・・・・驚いた、私もまさか殺すとは思ってもいませんでした・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 と。
隆夫のことを役立たずの地蟲だと言い、美由紀たちを驚かすために試しに使ったら−死人の着物を下賜し
たらそれを纏って本当の悪魔になってしまった−、だからあれは悪魔のしたこと・・・・・・・、悪魔は私の味方、私は思
うままに悪魔を使えるの。望むことは何でも使い魔が叶えてくれる、死ねと念じただけで、川野弓栄も山本
順子も誰も彼も皆死んだわ、と。更に、杉浦は絶対に自白しない・・・・・・・・、警察も私を捕まえることは出来ない、そし
て人を救う超越者なんて居ないのよ、と。
その時、寝ていた榎木津が、目を覚まし、煩いぞ、君が信ずるべき超越者はここにいるじゃないか、と。そし


 「君が魔法使いなら、驢馬とか鳥に化けてみろ。君がどれだけ凄いか知らないが、
 僕に勝つには後四百年くらいの魔法の修業が必要だぞ!僕は悪魔なんか怖くな
 いからな−
」「−なんだ悪魔じゃないな」「悪魔じゃないぞ。君は−可哀想に

−同情している−と。


そこに、山狩りをした結果、この学院付近に平野が逃げ込んでいるとして平野を追って来た木場が登場。
その隙に碧は逃げ出してしまいました。美由紀の前での木場修と榎木津の出会いは例によって罵倒し合
い(笑)

木場「手前(てめえ)!礼二郎、この薄ら馬鹿が、こんなところまで来て何を巫山戯ていやがる!

榎木津「お、お前は箱男!お前何だってこんな時に扉を開けるんだ。逃がしたじゃないか

木場「逃がした?ありゃ織作の娘だろうが。手前もあれが犯人だと云うのか?おい

二人は遣り合っていましたが、木場は、千葉本部は織作の娘を疑ってるぜ、逃がしゃしねえよ、と。
木場は、千葉の警察の話は要領を得ねえと批判し、美由紀から詳しく話を聞き出したのでした。そこに加
門が現れ、木場に、絞殺魔と目潰し魔は一連の事件だと千葉本部は主張し始めた、こっちの捜査内容とま
るで違うと言って新造の供述を疑う加門に、俺が調べたから嘘でないと言い、また、加門は、もし二件が繋
がった事件であるなら、それなら絞殺魔は合同捜査本部扱いにするべきだし、千葉東京合同で取り調べる
のが筋だと千葉側に対する怒りで捲し立てたが、木場は取り合わず、千葉に任せておけよ。あの小娘と絞
殺魔は、真犯人なら捕まるし捕まりゃ吐くよ。東京はそれから動いたって遅かねえだろ、と。

と、その時、警官隊が慌てふためいて走りだしたのを見て、木場が磯部を捉えて事情を聞いたところ、隆夫
が鍵の掛かった監禁室から逃走したと。ゆっくりと立ち上がった榎木津は美由紀に、行こう−そうだな、この
学校で一番自殺に適した場所・・・・・・・・・・だ、そこに居る−と。
学院側と警察が揉めているのを横目に見て榎木津は、

 「−人間がなってないと、事件が起きてもろくな役目が割り振られないのだ。端役の
 奴等はつまらないからああして怒っているんだ!怒る前にやることはあるし、やる
 ことをやれば怒る暇はない!


と。美由紀は校舎の中に着物−死人の衣−纏った隆夫を発見。校舎の中に、と叫んで。榎木津は追いか
けた。柴田がやってきて、津畠さん、早く警官を!あの娘が、碧君が危ない・・・・・・!、と。そして美由紀には、「
浦は碧君を人質にとっているんだ!呉君、君は一緒じゃなかったのか!
」と。美由紀はすぐに気
がつきました−狂言だ、起死回生の狂言、と。愚かにも柴田は杉浦と碧は無関係だったと口走って−
しかし、美由紀は本当のことを言えなかったが、碧が己を被害者に仕立てて、杉浦に自殺させる・・・・・つもりであ
と見抜き、屋上です!と。柴田がそしてその後を美由紀が警官を擦り抜けて階段を駆け上がると、屋上
に至る階段の下に大勢の人集(ひとだか)りが。そして、階段の最上段 屋上に出る前に織作碧を抱かえた−杉浦隆
夫が居た・・・。碧は眼を見開き、唇をわななかせ、凍りついた恐怖の表情を浮かべ、一方杉浦は、虚ろな
表情
−狂言には見えない、しかし美由紀は茶番、でもあの指は本気かと惑っていたのでした。
(実は碧は完全に思い違いをしていたのです。碧は美由紀の見抜いた通りの狂言を実行しようとしていた
のですが、着物を纏った杉浦は最早、碧の僕ではありませんでした)


さあ、いよいよ中禅寺の出番です。前述のように益田の依頼を頑なに断っていましたが、そこに今川が現
れました。今川は伊佐間の心情を見るに見かねてやってきたのでした。今川の依頼は、呉仁吉から1万円
で購入した謎の像の鑑定と、もう一つは依頼料を支払う拝み屋の仕事でした。

 「織作家の呪いを解いて・・・・・・・・・・戴きたいのです

で、中禅寺は金はだれが払うのか、玉串料は高いし云い値だぞと言ったのに対し、今川は自分が払うと−
真佐子から鑑定引き取りを依頼されていた織作家の書画骨董品を売却すれば相当の額になるからと。
これで中禅寺は

 「呪いを解くことは家族を繋ぎ止めることと同義にならないよ。解っているね

と念を押し、今川の了解を取ってから、

 「よし引き受けた

と。思わず喜ぶ益田に対しては、君や榎木津の依頼を受けた訳じゃないよと釘を刺し、

 「益田君。大体君は頼み方を間違えている。僕は商売でやっている。只働きは厭だ。
 それに僕は真理を探究する求道者でも事件を解決する探偵でもない。犯罪を糾弾
 する立場にもない。僕の仕事は−
」「−憑物落しだ」(※7)

と言い放ったのでした。『拝み屋』は中禅寺の副業−関口によれば本職の古書肆より儲かっているのでは
ないかという−なんですね。益田は最初に、榎木津が中禅寺には貸しがあるからと云ったと述べたのです
が、中禅寺からは直ちに、そんなものはないと全否定されてしまっていたのでした。
中禅寺は更に、

 「こうなったら仕方がない。望んで蜘蛛の罠に嵌ってやるんだよ。そして小蜘蛛に絡
 んだ糸を切る。ややこしい妄執の虜になった蜘蛛の手先から、悪いモノを落とす。
 但し−今川君

 「云っておくが僕に出来ることは精精その程度だ。憑物が落ちた途端に更に不幸な
 展開となる可能性はあるし、その確率は高い。それでもいいか


と念を押し、今川はやむを得ませんと。実際にはやはりそうなったのですが・・・
青木刑事には一層の警察努力を依頼するとともに、敦子には、中禅寺の武器として曾祖父の代までの織
作家の出来るだけ細かい情報収集を依頼したのでした。


かくして中禅寺はまず、今川・青木を携えて前述の大騒ぎになっている聖ベルナール学院に乗り込みまし
た。
美由紀が感じたように−騒騒(ざわざわ)と階下から漣のような喧噪が忍び寄り、それはやがてはばたばたと云う雑音
に変わった。時間が一度に流れた。美由紀は幾度か瞬きをして振り返る。人垣が割れた−銀縁眼鏡の派
手な顔をした背広姿の男−増岡弁護士−、そしてその後ろには童顔の若い男−青木刑事−と、不気味な
顔をした和服の男−今川−が並び、二人を分けるようにして漆黒の闇を纏った−死神−中禅寺−が登場

美由紀は、これが−探偵の呼んだ男だと。隆夫は一瞬呆けたような表情になり、身構え、津畠も警官達も
一斉に奇異の眼を向け、増岡から耳打ちされた柴田は眼を剥いたのでした。準備する中禅寺に木場は、
随分と−気を持たせるじゃねえか」と。中禅寺は先頭に。美由紀には、碧が予想外の 敵の出現に驚
き動揺しているのが見てとれました。中禅寺は隆夫に、

 「厭なものに取り憑かれている。しかし杉浦さん、あなたまで死ぬことはない。そんな
 醜い姿で死ぬのは、不本意でしょう。あなたの憑物を−
」「−落としてあげましょう

と。そして誰だあんたはという隆夫に、死人の使いですよ。亡者が彼岸で困っています。襦袢姿では寒くっ
ていけない−その友禅を返してやってください。前島八千代さんに、と。驚く木場。そして中禅寺は、

 「警官隊の諸君、彼は人質を殺さない。だから少し下がっていてくれませんか

と言って階段を上りました。杉浦が、殺すぞ、と言い、それに対して碧が、た−助けて、と言ったのに対し、
中禅寺はそのつもりですよと言い、

 「悪い遊びですね−大人を(からか)っちゃいけないな。杉浦さん、その娘はあなたの
 探している人とはまるで違う。あなたの求めている人は、あなたも知る通り、既
 にこの世のものではない


中禅寺は碧の茶番劇も隆夫の心の闇も完全に見抜いていました。「あなたのもとめている人」とは柚木加
菜子のことでした。驚く隆夫に中禅寺は更に、

 「いいですか、人は殺せば死ぬんです・・・・・・・・・・。だから−
 「その娘を殺すのは止せ

と。杉浦の指先から力が抜けて。そして中禅寺は碧に、

 「碧さん。君の魔術はまた失敗してしまった。その杉浦さんは、今の今まで−本当に
 君を殺そうと思っていたんですよ−
」「本田幸三や渡辺小夜子を殺したようにね

と。そして語りました−隆夫が碧の柔順な下僕でいるのは、その着物を着ていない時・・・・・・だけであること、隆夫
は現在その着物を纏って初めて杉浦隆夫として機能している・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のであって、碧の魔術で殺人を働いたので
はなく、自身の意思で殺した
と−。葵はとうとう仮面を脱ぎました。杉浦に−「嘘吐き!役立たず!」死ね、
死んでしまえと言って着物を剥ぎ取ろうとし、杉浦が反転したため、着物を掴んだまま振り飛ばされて・・・。
私は駄目な人間、人間の屑だ云々と言った杉浦に、「だったら−死になさい!」と言い放った碧の腕を捉え
て引き寄せた中禅寺は碧の頬を強く殴りました。おお!?ですね(後の「塗仏の宴」の物語のでも中禅寺の
藍童子へと同じく一発が出て榎木津にどよめかせました)。中禅寺は、「いい加減にしろ。君は後回しだ!」
と木場に声をかけ、碧は木場に取り押さえられたのですが、隆夫は一瞬早く扉を開け放ち屋上に逃れまし
た・・・が、そこにはなんと榎木津が先回りしていました。隆夫は榎木津により背後から右腕を後ろに捻り上
げられ、肩を押さえつけられていたのでした。榎木津がいつまで力仕事をさせていると警察に怒鳴り、津端
の指示で隆夫はやっと警察に・・・鞭を打たれたのでした。もう柴田も学院側も碧の本質を目にしてしまって精
神的に崩壊状態になりました。いつの時代でもどこの社会でも、信奉していることが間違っていたというこ
とは自ら目の当たりにしないと判らないもので、その時は精神的に崩壊状態になってしまうんですよね。否
定しまくっていた美由紀の証言通りだったのです。情けないですなぁ。

そんな一騒動が終わったところにのこのこと現れた国警千葉県本部の荒波警部を名乗る中年の男(語り部
・美由紀の表現)、協力ありがとう、その娘を渡して貰おう、絞殺魔と碧がどのような関係なのかは明らかだ
と。その言い草に木場が噛みついて、

 「善く解らねえな。あんたが裁量でこの事件が捌けるのかい。悪いが俺にゃあそう
 は思えねえ。俺も事件に咬んでるしな。


と。中禅寺は無言、真佐子はその横顔を見つめていました。ま、それでも木場は抵抗せずに碧を引き渡し
たのですが、碧は隆夫から奪った着物を抱きかかえ抵抗を。で、真佐子が、「潔くなさい!」と恫喝したのに
対し、碧は、「こんなことして、ただで済むと思うのですか」と未だ虚勢を張りました。中禅寺は酷く悲しそう
に「解らないようだな−」と呟き拝み屋だと言いながら荒野の前に。中禅寺等のことを知らない荒野が警察
の常套語である民間人がどうのこうのと言ったのに対し、嫌われましたねといい、

 「警察の捜査を妨害するつもりはありません。ただその−
 「杉浦さんと、この碧君は、このままでは当分自供しません。僕の仕事が終わって
 いない。僕はこの二人のどちらかだけでも・・・・・・・・救わなければならない。僕に−時間をくだ
 さい


理解出来ない荒野に、

 「警察の言葉で云いましょう、僕は事件に関るある事実を知っている。それを皆さん
 にお知らせします。その場を作って戴けませんか


そして、

 「但し条件がある。ここに居る関係者を全員集めてその場で情報を公開します

と。解っている木場はにやりと。木場は榎木津から中禅寺の出馬について聞いていましたので、加門の主
張をさらりとかわし、また前述のように荒波に対して反抗するような言葉を吐いたのでした。そもそも、柴田
財閥の名のもとに無法な学院側の抵抗を抑えられずにいた国警千葉県本部だけでは処理できるはずもな
かった特異な事件だったのですから。木場自身、四谷の現場に来た津畠の言動以来、千葉の警察に対し
て腹に一物を抱いていましたしね。何を偉そうなこといってやがるってなものだったのでしょう。後で何も本
質を理解していない荒波に対して強烈な一発をかますことになりました。
中禅寺は基本警察を立てますから、この主張によりなんとか中禅寺の「憑物落し」は受け入れられることに
なりました。柴田が強く同意を示したこともあったのかも。場所は大聖堂。集められたのは(美由紀の言葉);
 杉浦隆夫。織作碧。荒野警部と津畠、磯部の部下二人。柴田理事長代行。学長と事務長、教務部長。
 木場刑事ともう一人の東京の刑事。不思議な顔の男と童顔の男。銀縁眼鏡の気障な男。探偵と拝み屋。
 碧の母と美由紀

憑物落しの場である大聖堂まで来る間に学院内を眺めて中禅寺はすぐに、この学院の建物が基督教系の
ものではなく、猶太教を模したものであることを見抜きました。あちこちにある誰も読めなかった文字は飾り
ではなく、一緒に歩いていた美由紀には、「死にたくない」とか「もっと金が欲しい」とか書いてあると。
七不思議でなく六不思議だと言い、−聖堂の十字架、寮棟の階段、教員棟の洋琴、これを結ぶとほぼ正確
に正三角形が構成される、−それから礼拝堂の告解室と個室棟の御不浄、それに図書室の絵を結んでも
同じく正三角形が構成される−「この六つの点は巨大な六芒星を作っている」ダビデの星。

呼ぶ声がし、中禅寺は美由紀に、「君の事件を終わらせよう。君は一日も早くこんな蜘蛛の糸からは逃れ
るべきだ」と。中禅寺は荒野が云いかけるのを遮って

 「ここに集まっている皆さんは、この学院で起こった連続殺人事件と、千葉と東京で
 起きている連続目潰し殺人事件と云う二つの事件に関る方方です。この二つの事
 件は複層的に列を為し或は点を接ぎ、ある時は影となりまた前に出て、眩まし合
 い、照らし合って関わっている


 「−勿論この二つは俯瞰するなら同じ事件です。しかし人の視線に下げて見る限り
 は、個個の事件でしかない。だからあなた達の見聞きしたものは凡て真実(ほんとう)です
 而してその真実は互いに相殺し合っている。まずそこを念頭において戴きたい


 「−なぜならその構造を把握し切れない者にとっては、これから僕のお話しすること
 は単に関係のない話にしか思えない筈だからです。目潰し魔を追いかけている捜
 査員にとって、例えばこの杉浦さんの話は無関係もいいところだ。この人は目潰し
 魔とは関係ない。しかしこの人を外すと目潰し魔事件には穴が開くのです


と言い、更に

 「僕は無関係なことも必要のないことも云いませんが、少しばかり理解力の劣る方
 には退屈な昔話或は無関係な蘊蓄にしか聞こえない。その場合は己む得ませんが−


と先制攻撃をしました−美由紀は、学院の連中や一部の刑事達は見栄や自尊心は人一倍強うのだろうか
ら、解ろうと必死になる筈だし、知ったか振りもするだろうし、静かになるだろうと納得しました。
そもそも中禅寺の憑物落しは、一旦ともすると不思議に見える事件をばらばらにしてしまって現実的な世
界に再構築するものであり、その際、一見無関係な話を持ち出したりしますから、狭い経験と知識だけで
物事を考えようとする多くの人間−特に警察官や利害関係者−は理解できないまま反論攻撃したりします
から、予めそういうのを牽制した訳です−ムダな時間を減らし早く終わらせるために。

まず学院で起きている事件を整理てみましょうと始め、この学院には悪魔を崇拝する少女達が居た、彼女
達は黒弥撒と称してふしだらな儀式を行っていた、−儀式の一部である性行為−これが少女売春。その
儀式を続けて行く上で、支障になり得る対象が発生、その対象が次次目潰し魔によって殺害されて行き、
そしてそれはある時点で、スライドする形で絞殺魔に引き継がれた−これがこの事件のひとつの形だ
と。
これに柴田が反論−隆夫の事件は、小夜子の証言は−私怨を晴らすべく悪魔崇拝者に接触することを避
けるため行った、と。で、中禅寺は、そこが−問題なのです、思うにそれはどちらも正解です。渡辺さんと蜘
蛛の僕の利害関係は一致したと見るべき
でしょう、と言い、

 「杉浦さんが殺人に至るまでの経緯は、多分本筋に全く関係ない・・・・・・

と。柴田が本筋とは何かと尋ねたのに対し、ここに本人がいるから聞けばいいと、隆夫に尋問を始めまし
た。いよいよ隆夫の憑物落しの開始です。
その問答は一見事件とは関係のない隆夫の過去の出来事をしゃべらせ追及。小学校の教師だった隆夫は
コミュニケーション不全を理由に子供達を遠ざけた−恐怖と云う感情は対象と接触することで生まれる不快
忌避したいと云う感情、不快を与える対象を大人にまで広げた、として中禅寺はその理由を問う。
で、すぐ自分を卑下して逃げようとする隆夫に中禅寺は「あなたはいつから・・・・大人になったのです?」と。戸
惑う隆夫に、「あなたは、まず基準を見失った−」。隆夫はしばし沈黙の後認めました。しかし、自分と世界
を分かつ境界と云うのはどこにあるのですか?と聞き、中禅寺がそんなことも解らないのですかと言ったの
に対し、隆夫はまたも自分を卑下して人間の屑だと言うので中禅寺は呆れて話を次に。
−屑のあなたを捨てて美江さんが去り、あなたはひとりになった。そして杉浦さん、あなたはあの娘−柚木
加菜子と出会ったのですね?と。木場の事件でもあった話ですから木場が速攻反応。それに対して中禅寺


 「ああそうだ。あの事件がなければ・・・・・・・・・この事件もなかったんだよ木場修

と。何の事件かと聞いた荒波には、武蔵野連続バラバラ殺人事件ですよ。柴田さんは善くご存知でしょう、
と(柴田財閥創始者の生前の意向に関る京極堂シリーズ第二弾「魍魎の匣」です。増岡弁護士が初登場
互いに初対面の木場とやり合いました)。中禅寺は、杉浦家は柚木家の隣であると−美江も認めました。
緘口令が魅かれていて千葉県本部は何も知らんと吠える荒波に中禅寺は、事件の概要を知る必要はあり
ません(それこそこの事件とは直接関係ない話ですから)、去年の夏にそうした事件があり、その事件にここ
に居る人間の何割か(中禅寺、榎木津、木場刑事、青木刑事、益田、柴田)が関わっていたと、それだけ知
っていればいいこと、そして隆夫は表立って事件に関った訳ではなく、隣の家を覗き見ただけ、と述べました。
隆夫は「あの人は属性が曖昧だった・・・・・・・・」と重要なことを語りました。そこで中禅寺は、「あなたは偶偶、加菜子
さんが頸を絞められているところを目撃してしまった−のですね?」と驚くべきことを。これには杉浦は驚き、
何故あなたはそんなことを知っている・・・・・・・・・・・・・・・・・!」と。図星だったんですね。杉浦は初めて泣く以外の表情を見せ、
中禅寺は初めてにやりと。−杉浦隆夫に感情が戻って来た−憑物落しがやっと効き始めたのか。
隆夫は加菜子は死んだと思っていたらそうではなかった−それは彼女に愛憎半ばの感情を抱く家人の戯
れに過ぎなかった。追い詰められていた隆夫は、加菜子にひとつの結論を見出した。彼女の存在は隆夫
を救った・・・。隆夫は柴田に「女学生に命を救われた」と語っていたが、それは、加菜子が、大人に成り切
れぬ子供、子供とは呼べぬ程に女−そして、徹底して境界的(マージナル)な存在であるが故の境界の無効化を予感さ
せ、更に彼女は、越えられぬ一線−生と死の境界、を越えた−殺されても尚彼女は生きていた・・・・・・・・・・・・・・
。そして、
中禅寺は隆夫に、

 「あなたは境界を見失ったと云うより、境界線上に立っていたのです

と。しかしながら、隆夫の精神は一時期快方に向かったものの、救世主たる隣家の娘を失って再び均衡を
崩し、小金井の家を出奔した、と。そして、中禅寺は次々にその後の隆夫の行動を暴き立てました。
浅草の秘密倶楽部で川野弓栄と出会い、川野を通じて蜘蛛の僕の許に遣わされた、そして川野弓栄の所
業に腹を立てたと。これに対し、隆夫は、あの人・・・(柚木加菜子のこと)と同年代の女性は、神聖なものだった、
それが売春など−と。で、中禅寺は一説によれば、弓栄は加虐趣味者(サディスト)、あなたは被虐趣味者(マゾヒスト)。この学院に
来てより完璧な飼い主に遭遇したと−悪魔崇拝主義者となれば加虐も筋金入り−、しかし、柚木加菜子−
あなたの聖少女は、少なくともそんな娘・・・・じゃない、崇拝する偶像の堕落を感じなかったか、名前をまだ言え
ないか、と。隆夫はまだ言うのを拒否。で、中禅寺は、蜘蛛の僕と云う組織の犬になった訳ではない、その
中心人物専用の犬になったのではないか、その人物はひとりだけ売春行為をしてなかった
かと核心をつく
追及を。そして、隆夫は、男も女も嫌い、唯一存在を許容するのは男でも女でもない、少女だけだった−
だから隆夫にとってその少女を凌辱した本田は死して余りある対象、で、痛めつけろ・・・・・という命令で殺したと
断言。なぜだ言えるかという荒波には、あの屋上の茶番劇は小夜子とそこに居る美由紀を脅し、麻田夕子
を殺害するために仕組まれたものだ、本田は餌、殺すことはない、気絶させるか目隠しでもして縛り上げて
おけばそれでいい、無駄な殺人が如何に危険か、それくらい中学生でも知っている、裏後工作の用意は
あった−隆夫はこの中禅寺の説明に頷いたのでした。中禅寺は更に、隆夫は小夜子と美由紀の話を立ち
聞きしご主人様に注進した−小夜子さんのためと断言するのは如何なものか、と追及。これを聞いて美由
紀は、隆夫は最初から最後まで小夜子の味方だったことはただの一度もなかった、小夜子が勘違いした
だけ−これでは小夜子は浮かばれぬと。
尚も中禅寺の追及はやみません−あなたはあなたの飼い主が殺人者にならぬよう・・・・・・・・・・・・・・・・・に、突き落とされた夕
子さんを受け止めようとして待ち受けていた、そこに偶々小夜子が落ちて来て受け止め、夕子はそのまま
転落死−またも、美由紀は、小夜子は勘違いした,愚かだと−
更には是亮殺害の話−隆夫は是亮の後を追いかけたのではなく、当時学院にいなかったご主人に直接
指令を受けにいったのではないか−美由紀は、小夜子なんか全然関係なかったのだと無性に腹がたって
きたのでした。そして、中禅寺は、指令を受けた隆夫にとって、小夜子は、既に純潔ではなくなっていた ・・・・・・・・・・・、崇
拝する少女でじゃなくただの女だった、だから−隆夫は認めました。小夜子は神聖な少女じゃなく汚らしい
女だったから殺したと−美由紀の感情が爆発しました・・・馬鹿!隆夫をぶち、座り込んでおいおいと泣いた
のでした。感激屋の私、ここを読むたびに貰泣き(^^;あまりに理不尽で・・・
中禅寺は断を下しました−隆夫は女性を蔑視している、そして、自分の意志で殺した−と。隆夫はそれを
認めたのですが、まだ、自分は劣っているからとして、碧のことを自白しようとしない。で、いい加減にしなさ
いと中禅寺、更に隆夫の本質をついて、隆夫が自分を卑下する本当の理由は−隆夫が女は男より一段卑
しきものだと云う差別的且つ前近代的な認識を強く持っているからに外ならない、加えて、自分の中に押え・・
難い女性性を認め・・・・・・・・、自分は女のような性質を持っている、即ち自分は卑しい−と云う馬鹿な図式に縛られ
て苦しんでいる、本来被虐趣味者などではない、と。そこで扉が開け放たれ榎木津登場です

 「お前は女装の変態だ・・・・・・・・・」「世間では変態と云う。しかしだからと云って恥じることはない!

と。これを受けて中禅寺は、あなたの本性はこの男が今云い中てた通りだ、あなた謹厳実直な人だ、と言
い、隆夫が雄々しくあれ逞しくあれと云う戦前の教育を真に受けて、そのまま何も疑わず生きて来て、だ
から自分の中に多く存在する女性性を黙殺したがそれでもそれは消えなかった。女になりたくてもなれぬ
ため卑しく己を貶めることをしてそれに代えた、と言い、

 「あなたは本当の自分を隠蔽することに長年執心して来た。女性性を覆い隠し、世間
 にそれを気づかせぬために、多くの方法を修得した。態度、習慣、嗜好、そして言葉。
 あなたは真実のあなたを糊塗するために多くの言葉を費やさねばならなかった。だから
 こそあなたは、言葉が通じない恐怖感を、誰よりも強く感じた。言葉と云う衣を剥がし
 てしまえば、あなたは恥ずべき男−劣等者でしかなかった−


と。そしてとどめです。

 「−あなたは隣家の少女に深く嫉妬した。だからあなたは、着物を纏って聖少女を殺す・・・・・・・・
 聖母・・−冥界の女になりたかった。あなたは女になって、少女の頸を絞めたかったんだ!
 違いますか


隆夫は認め感情を昂らせました−化粧して着飾って麗しく嫋やかにしていることが女性的でないのなら、そ
うしたいと云う欲求を持った男の私は如何なるのか、と。で、中禅寺は、

 「男女の別と云うのは最早単なる性差ではありません。我々が男らしい女らしいと
 口にする時、そこにはもう性差を越えた価値判断が発生している

 「人間は誰しも男性性と女性性の両方を持ち合わせているのです。これは均衡(バランス)
 問題で、そのどちらの度合いが強いか、どちらが顕在化しているか、そこで個人差
 が出るに過ぎない。女性性の強い男性が劣っている訳でもないし、男だから男らし
 くて当然だと云う決まりもない。それはある特定された場所と時間−文化の中で意
 味を持つだけです


と言い、多分に作者の思想であろうと思いますが、

 「この世に劣った人間などいないし異常の基準などと云うものもない。犯罪者を異常
 者と決めつけ理解の範疇から外してしまうような社会学者こそ糾弾されるべきです。
 法を犯せば罰せられるが、法は社会を支える外的な規範であって、個人の内面に立
 ち入って尊厳を奪い去り、糾弾するものであってはならない


中禅寺の一貫した思想です。で、

 「だから−」「−あなたは殺人と云う許し難き大罪を犯した。それは糺され罰せられる
 べき行為だが、人間として劣っているなどと云う考えだけは捨てるべきです。あなた
 は虫でも犬でもない!


と。これでとうとう隆夫は落ちました。で、中禅寺の再度の問い、「あなたに殺人を示唆した悪魔崇拝者
は誰ですか
」にあっさり、「織作−碧さんです」と答えました。
美由紀は、碧本人の前で、織作碧の名を杉浦隆夫が自ら公にすること−それ自体に意味があったのだろ
う、杉浦隆夫に憑いた厭なものと云うのは落ちたのだろうと思ったのでした。
美由紀と言う子は、まだ中学生なのに、愚かな大人どもとは違い、変な思い込みに固執せず、素直で感受
性が強く、鋭く賢いところのある子ですね。初対面ながら榎木津と中禅寺へ強い理解力が感じられました。

この隆夫の「憑物落し」では、思わぬ副産物が。なんと妻・美江の憑物まで落ちたのでした。
 「離婚するのは−やめました
 「私は、私が糾弾している男の視線でこの人を見ていたに過ぎない。恥ずかしいです。
 私は女性の地位向上を叫びつつ自分の中の女性性を自ら蔑んでいたようです。女性
 性に正当な評価を与えることをせず結果的に男性性を礼賛していたのかもしれない。


と。そして、美由紀も自分自身杉浦に対する憎悪の気持ちが消えていることに気づいたのでした。

もう一つ中禅寺は重要なことを言いました。

 「木場修に限らず、今ここに集まった皆さんは−僕と榎木津を除いて−それぞれ杉浦
 さんに負けず劣らず劇的な物語を持っている筈だ。しかしそれら個人の物語は杉浦
 さんのそれを含めて事件の全体には−何ら関係ない


中禅寺と榎木津、そして事前に中禅寺から散々聞かされていた益田、青木以外にとってはまるで謎掛けで
すね。中禅寺は「真犯人」の存在を仄めかしました。隆夫が思い止まろうと別の手が打たれただけ・・・

 「なぜなら杉浦さんの行動は凡て真犯人の手のうちにあったからです

 「いいですか、今回の事件は関係者の人物像や人生観や価値観を掘り下げれば掘り
 下げる程判らなくなる。この事件の設計者にとっては登場人物の人間性なんて不確定
 要素のひとつでしかない。そんな不確かな、意識した時だけ立ち現れる幻のようなもの
 は邪魔だけなのです。だからこの事件はそう云う話ではない。犯罪を小説に擬えるなら、
 人間を描くことなどまるで必要がない作品を−真犯人は紡いでいるのです


中禅寺はしっかり情報を仕入れていたのでした。家から出奔した後、僅かな期間、工場で働いていた−隆
夫は、一週間ほど印刷工場で、と。その印刷工場は、信濃町の−酒井印刷所だと。これには加門が反応し
ました。話した青年の名は−川島−喜市、と。加門は混乱して、そんなご都合主義なと言ったのですが、中
禅寺はご都合主義でも偶然でもないと−ここに既に真犯人・蜘蛛の介入があったのでした−。中禅寺の、
職場に斡旋したのは誰かの問いに,隆夫は「解らない」と。加門と木場の追及に、
「それが−お隣を訪ねて来られた方・・・・・・・・・・・、が」
と。増岡弁護士は、酒井印刷所と云う会社は、その、柴田弁護団が武蔵野連続殺人及び柴田耀弘遺産相
続に関する報告書を印刷させたところ
だ、あの印刷所の経営者は織作是亮氏の大学の同窓生だ、と。これ
を聞いて中禅寺は、

 「あなたはその時点で既に今回の事件の演者として役が振られていたようですね。
 あなたは真犯人によって選ばれていたのです


 「あなたがどう動くか、これは勿論あなた自身の判断に委ねられていた訳ですが、
 去年の夏以降、あなたの選択肢を限りなく狭めた・・・・・・・・・・・・・・・第三者が存在することは間違い
 ないことのようですね


中禅寺のことをよく知らない−これまでの事件で中禅寺は表向きは隠され榎木津が解決したことになって
いる−、理解力も劣る感がする柴田があれこれ質問するのですが、中禅寺は、

 「真犯人は、種を撒き、畑を耕し、水を遣りはするものの、何が成るか、誰が刈り取る
 かまでは関知しない−それが敵の遣り方なのです。踊り子は興行主を知らずに舞い、
 役者は演目を知らないで演ずる。小説の登場人物の殆どはその小説の題名を知り
 得ない−僕等は踊り子であり役者であり、登場人物なのです


と。美由紀は榎木津が言っていた言葉−登場人物に作者は指弾できない!−を思い出したのでした。

そして中禅寺は矛先を碧に向けました−解りましたか。織作碧さん、君も踊らされているだけだ、君は自分
の意志で行動していない、君は何者かに、奉仕をさせられている
−と。
しかし碧はずっと大人を誑かし続けて来て、自分に過剰な自信を持っている難物です。そんな簡単には落
ちません。中禅寺の言った所業をあっさり認めたのですが・・・未だ信じられない柴田の取り繕い−はずみ
で罪を犯してしまうことは誰にだって−を嘲笑い、柴田に対して、それ程までに馬鹿・・なのですか、子供でも
考えつく言葉、歯の浮くような台詞には一片の真理もありませんわ!、と。
中禅寺も榎木津も動かず無言。散々碧に云いたい放題言わせたのでした。そして、着物を剥ぎ取ったため、
杉浦が今までのように忠実な下僕だと思い、服従させようとした碧に対して隆夫は冷めた目を。そして、
中寺は冷たく「杉浦さんはもう君の命令を聞かない」と。
賢い美由紀はすぐに悟りました−この展開もまた−拝み屋の作戦だった、聞き手不在の独白は碧自身を
追い込んだだけだった
−、と。中禅寺は碧にまたも、

 「君に魔力などない。そもそも黒魔術などこの日本では使えない。作法と云うもの
 は、時間と場所の両方に強く左右されるものだ。万能の理を持つのは神であり悪
 魔ではないだから君も振り当てられた役割を(こな)しているに過ぎない。君は位相(ポジション)
 多少異なっているだけで杉浦さんと何等変わりのない、ただの駒だ−


と。抵抗する碧は、自分は悪魔だから落とせないと言ったのに対して、そういう方面の知識は驚く程豊富な
中禅寺は軽くいなし、複製に改竄を重ねて劣化した情報を熱心に修得しても無駄だ、と。また、基督教は一
神教であり神と拮抗する力を持つ者の存在を認めない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、従って悪魔も神が造ったもの・・・・・・・でなくてはならない、
悪魔も神が造ったのであるから強大な悪の根源もまた神だ、と云うことになってしまう−そうした二律背反
する葛藤を基督教は抱えてしまった−、そして基督教は同じような構造を持つ葛藤をもうひとつ抱えていた
−女性原理の問題。また、白魔術と黒魔術に言及し、白魔術とは要するに原理原則が詳らかになっている
魔術で、黒魔術とはその原理原則が暗箱(ブラックボックスrt>)に入っている魔術のことだとも。更には、黒弥撒などは古代
の悪魔、古の呪術と結びついているようでいて、結局弥撒のパロディでしかないとまで言ったのでした。
押されっぱなしの碧は、黒弥撒は、そんな軽軽しいものでは−、と弱弱しく反論したのですが、中禅寺は、
そう思うのは現代人である我我が我我なりの邪悪を以てそれを再解釈するからで、遍くそんなものは幻想
に過ぎない、とばっさり。そして、邪悪の神秘が発現したって、それはこの時代、この場所では駄目なのだ、
悪魔を崇拝する悪魔崇拝主義者は、基督教が構築した世界観が通用する時間と場所以外では何の効力
も発揮しない−「ここは基督教の聖堂ではない」と。
驚く学長や柴田らに、中禅寺は、

 「ここは猶太教の−しかも古い猶太教の寺院です。いや、正確には古い形の猶太教
の寺院を想像して造られた建物です

 「だから似てはいますが、勿論基督教ではない。更に云うなら、シオニズムとも正統
 猶太教とも無縁の、隠れ猶太教徒の造った建物でしょうね


そして碧に、ここには基督はいない・・・・・・・・・・、と。信じられないという碧に中禅寺はそうだから仕方がない、と。
クリスチャンでない美由紀は話を聞いて、今まで言われてきたことが馬鹿馬鹿しくなったのでした。

中禅寺は柴田に、ここの真ん中の泉は、元元天然のものですね?、と確認。ここの学院の七不思議の六
つの点は、泉を囲む巨大な六芒星を描いている、これはそもそも泉を封印するための大袈裟な呪術では
ないかと。そして、益田と今川を呼び、益田に運ばせた黒い聖母と今川が呉仁吉から購入した像を持って
こさせました。そして、ここに来てわかったと−今川が持参して来た白い像は妹神の木花佐久夜畏売(こはなさくやひめ)、黒い
像は姉神の石長比売(いわながひめ)
だと。そして、

 「この学院が基督教の精神に則った建築物なでではなく、某か、先行する信仰や風習
 を封印するために、猶太教の秘儀や占術に基づいて建てられたものであることは、ほ
 ぼ間違いないことだろうね。尤も−かなり我流なんだが−


壊れてしまった学長が最後の抵抗とばかり、真佐子に、学院敬虔な基督教徒の織作伊兵衛氏が創設した
ものですよねと念を押しましたが真佐子は、父は−敬虔な信仰者ではあったようですが、私を含めて家族
の誰もが、父が何を信仰しているのか善く存じませんでした、と突き放したのでした。
尚も抵抗する碧に中禅寺は、君に黒魔術を伝授したのはいったい誰だ!、そして、君の読んだ魔術書は
図書館にあるはずがないものであり、開かずの告解室にあったのではないか、と。図星を突かれた碧は、
どうしてそれを、と。中禅寺は、ここ−聖堂の十字架の裏には見られたくないもの・・・・・・・・・があったようだから告解
室も同様だろうと。そして、そんなことも知らなくて慌てふためく学長には、思い切り−飾り扉を開けて・・・
十戒が記された扉の中にはTNH(タナハ)の巻物が納められているのが常套と言い、ほら、これが『律法(トーラー)』これが
諸書(ケトウビム)』これが−、と。更に、告解室は多分、学院創立者−伊兵衛氏の隠し部屋、そして碧に、カバラ関係
の書物や魔術の本はそこにあった、そうだね?と−碧は認めましたが、告解室の鍵・・・・・は−誰に貰った?に
ついても答えませんでした。
碧はやっと、自分は道化者だったと認めましたが、それでも尚、呪いが効いたことに拘っていました。
で、中禅寺はこれについても明快な答えを−なぜ、山本純子が蜘蛛の僕の秘密を知ったのか、なぜ麻田
夕子だけばれたのか、どうして山本舎監は即座に売春と結び付けたのか−山本舎監はね、間違いなく本
田教諭の代役(フォローキャラクタ)なんだよ、情報提供者がいたのだ、と。
碧は、自分が真犯人に操られていた、ということがどうしても信じられず。で、中禅寺は、

 「真犯人は君に鍵を渡した人だ

碧は、嘘、−嘘嘘−違う!それじゃあ私は−、−私は−何のために?と。碧はこれまでの突っ張りはどこ
へやら混乱の極みで・・・中禅寺は、もういい、といい、更に、君は麻田夕子さんを突き落としていないのだ
ろう?、君は最初から突き落とすつもりではいたのだろうね。でも実行は出来なかった、夕子さんは迫って
来る君の姿を見て畏れ(おのの)き−恐怖のあまり誤って転落してしまった、と−碧は、それが事実であることを
実質的に認めましたが、それを自分の魔力によるものだと信じていただけでした。碧は中禅寺がどうしてそ
れをわかったのかを訝りましたが、中禅寺は榎木津の言葉を借りて、

 「僕達に隠し事は出来ない。中学生が魔術を使おうなど−四百年早い−そうだったね?

と榎木津に。で、榎木津は「そのとおりだッ」と。そして、

 「実に酷い話だ。追い詰められて魔術を教えられ、実践を強いる環境が与えられ、実践
 したらその通りのことが起きる−信用しない方がおかしい。しかもことは殺人だ。悪戯で
 は済まない。呪った通りに人が死ねば誰だって信じ込む


と言い、再び、−告解室の鍵を渡したのは誰だ、その人が、と言ったのですが、碧は、嘘。嘘。それだけは
信じない
、と。で、中禅寺は、君から全部落として・・・・・・しまうのは−少少酷な気がする、と言い、

 「さあ。罪を−償いなさい。殺していなくても君は−善くないことを沢山した

と。だが、中禅寺も甘かった。なぜ碧が「それだけは信じない」と言い、鍵を渡した「真犯人」の名を明かす
ことがなかったかまで気が回らなかったのでしょうか。恐るべし真犯人−碧と母・真佐子の感情的行き違い
を巧く利用し、碧に絶望的になる嘘を植込み、自分は善意の人を装ったのでしょうね。どうやら中禅寺は気
が付いていたようですが、プライバシーはできるだけ拡散させずに解決に導きたいという思いがあったため
かもしれません。
碧は、警官の間をふらふらと後ろに蹣跚(よろけ)、扉に当たって、そのままずるずると落ちるように蹲踞(しゃが)み込み、死
人の衣の端を握り締め暫く下を向いていたが、やがて涙声で、

 「−宜しいですわ。私の負けです。罪も償いますし−本当のことをお話しします

と毅然として驚くことを言ったのでした。

 「私は−この日が来るのを−待っていたのです。いいえ、きっとこの日が来ることを
 念じていたのです。そのために・・・・・あんなことをしたのかもしれません。


碧は母・真佐子と織作家に対する恨み感情を爆発させたのでした。一方、それに対して母・真佐子は、母
親の情が感じられないような冷淡な言葉を。

 「思い上がりはお止しなさい。代代築き上げて来た織作の名は、あなたひとりがそれ
 ばかりの罪を犯したくらいで揺るぐ程脆弱なものではありません。あなたは結局殺
 人も売春もしていないではありませんか。もうそんな遊びはお止しなさい。素直に罪
 を認め、法に則って裁きを受けるのです!


中禅寺が止めたのですが、時遅し。碧は自暴自棄の暴走を・・・隠し持っていた故・川野弓栄のむちを振り
回し警官隊に傷を負わせ、美由紀を巻添いにしようとしたりして・・・中禅寺は、「僕にどうしても全部落とせ
と云うのかッ!」と。中禅寺は知っていたのです。君は勘違いしている−、君がそこまで織作家を呪うのは、
君が自分の出生に就いて、ある疑惑を抱いている所為ではないのか?ならばそれは勘違いだ、と。
何のことかわからない母・真佐子に碧はとうとう真犯人から信じ込まされていた嘘の話を皆の前で・・・
自分は織作雄之介と長女・紫の間に生まれた子だと。碧は、父母が隠していたために、紫が先天的な心臓
疾患を持って生きて後10年と言われていたことを知らず、一方で母・真佐子がずっと自分に対して冷たかっ
たと感じていた故に真犯人による作り話を信じてしまっていたのです。信じない碧に中禅寺は、血液型が合・・・・・
わない・・・、君は雄之介さんと真佐子さんとの間に生まれた子だと。
まだ信じたくない碧に対し、中禅寺は重ねて、

 「君にその嘘を吹き込んだ人は−君に告解室の鍵を渡した人と同一人物じゃない
 のか。ならばそれは、その時点で君は−

 「騙されていたんだ。そいつが−真犯人だ

と。あと一歩でしたが、愚かにもここで勝手に警察が動いてしまいました。
碧は−騙されて人を見失った。惑わされて神を喪失した。そして、今、虚飾の上に精一杯虚勢を張って
築き上げた現実を、世界を失った
−。碧は大勢の警官に取り囲まれて半狂乱になってむちを振り回した。
木場は「娘を脅してどうしようってんだコラッ!止めねえかッ」と怒鳴るも、警察は愚かにも脅しの発砲まで。
碧は全速で走り、探偵も追いつけぬまま、礼拝堂に這入り、榎木津が「へんてこな部屋」と言った開かずの
告解室に逃げ込んでしまって・・・。榎木津は、

 「この馬鹿刑事ども!あの男に任せておけばいいものを!時期を計れぬ馬鹿は事件に
 参加する資格がない!


と怒鳴り、木場は榎木津にどけと言って扉に体当たりを。そのとき、更に愚かにも、女子中学生相手に、こ
こを開けろ、速やかに投降しろ、などと叫んだ荒波の頬に木場の怒りの一発が。

馬鹿野郎!言葉を選べッ!手前(てめえ)はカスか!

中禅寺が、榎木津が、木場が怒るのも無理はない・・・本当に、荒波警部を筆頭に、千葉の警察はあまりに
も愚かなことを積み重ねてきて、最後まで愚かでした。
扉が開きました−と、ああ、哀れ・・・
 水鳥の模様の背中が見えた。それは一度ぐらりと揺れて、−棒が倒れるように美由紀の方に向い、仰向
 けに倒れた。左の瞳には。黒い鑿が−深深と突き立っていた
な、なんと告解室には、目潰し魔・平野祐吉が潜んでいたのでした。母・茜は思わず娘の上に覆いかぶさっ
て。木場を擦り抜けた平野は凶器の鑿を引き抜こうと碧の死体に−間違いなく真佐子に−近づこうとしまし
たが榎木津と木場の活躍で阻止しやっと警官隊に取り押さえられたのでした。木場は平野を三発ぶん殴り、
中禅寺は怒りでこぶしを握り絞めたのですが結局殴ることはなく、

 「貴様なんか−誰も見てやしないよ

そして、碧の−碧の屍体を抱き起こし、丁寧に死人の衣を剥ぎ取り、その衣を持って幽鬼のように立ち上がり、
悪鬼の如き形相で再び男の前に立つと、死人の衣を男の目前に翳して

 「どうだ!誰か視ているかッ!

と。平野が、「視るな−俺を−視るな」と言ったのに対し、

 「そう云う仕掛けかッ・・・・・・・・・

と言って、衣を頭から男に被せ、

貴様を視ていたのはこれだ!貴様など落としてやるものかっさあ、さっさ
とこの男をどこかへ連れて行け!


平野は、視るな、視るなと暴れ着物を剥ぎ取りましたが警官隊に押さえつけられました。
俺の所為だと謝る木場に、中禅寺は、あんたの所為じゃない、と言い、

 「平野はずっとここを根城にしていたんだ・・・・・・・・・・・・。それをもっと早く気がついていれば−しか
 も、これは偶然じゃない。着物に仕掛けがあった・・・・・・・・・・。これはいずれ訪れるべく用意され
 た罠だ


 「結局僕等はまたも蜘蛛の仕組んだ通りに動いてしまったんだよ。あの着物は本来
 杉浦さんなんかじゃなくて碧君に着せるために贈られたものだったんだ。つまりこの
 幕はこの惨劇を引き起こさねば終わらぬ仕掛けの幕だったんだ。これこそ−碧君の
 殺害こそ−この学院で繰り広げられて来た大袈裟な茶番劇の幕引きの合図−とい
 うことだ


そして、「平野を操る次の犯人・・・・は判った」といい、木場が、誰だ、と聞いたのに対し、

 「織作家の−化粧をしていない女・・・・・・・・・だ−

と。中禅寺は既に、平野の事実は、降旗の診断のただの「視線恐怖症」ではないことを見抜いていて、今
回の平野の態度を見てそれを完全に確信してこう言ったのでした。平野が榎木津・木場の前で、死んだ碧
に母親の情で覆い被さった真佐子を襲うとしたのもそういう理由だったのでした。


さて、次は、6人もの女性を殺害した目潰し魔・平野を匿っていたという罪を犯した「織作家の化粧をしてい
ない女」への対処です。これがやはり真犯人の意図を防止できないまま悲劇の大団円となってしまったの
ですが。

織作家で待つ伊佐間に碧の死が伝えられ、伊佐間はまず、

 −そんなの死に方があるか

現場には榎木津や木場や今川や、そして中禅寺も居たと云う。それだけ居てなぜ惨劇が防げなかったのか
と無念の気持ちになったのですが、

 −違うんだ。寧ろ彼等が居たからこそ碧は今日死ななければならなかったのではないか

とも思うのでした。伊佐間は次のように考えたのでした。

 この家には呪いがかかっていると云う。伊佐間には善く解らないが、家にかかった呪いとは、個人の自由
 意志とは無関係に、知らぬうちに頭に載っている漬物石のようなものではあるまいか 幾ら重くとも載って
 いることを知らぬから人はそれに対して無抵抗で無批判である。そして重みに堪え兼ねて徐々に歪んで
 いく。徐徐に歪んでしまった構造物は、いずれ弱い部分から破綻する。そうして出来た傷は仮令瑣末なも
 のであっても補えはしない。構造物が構造を保たんとせんがために生ずる亀裂は、補おうとすればする程、
 他の部分に要らぬ力をかける。やがて構造自体が崩壊するのは目に見えている。早いか、遅いかそれし
 か差はない。だから今日に惨劇は、放っておけば近い将来、必ず訪れるものであったろう。しかしそれが
 今日だった訳は

  −石が取れたのだ

 中禅寺が呪いを解いたのだろう

伊佐間の回想は続いた。是亮殺害の日・・・。伊佐間は図らずも織作家の家庭崩壊を目にしてしましました。
それは家の名を重要視する母・真佐子、三女・葵と肉親の情を解く次女・茜の対立でした。
是亮殺害に関する警察側の推定と柴田勇治から伝えられた聖ベルナール学院での一連の事件でも警察
側は碧に重大な嫌疑を掛けていることを聞いた真佐子と葵はこれに驚き、茜によれば二人は四女・碧を切
り捨てようとしていると。真佐子は、あれはそうした娘です−と云い切り、葵は、、迅速且つ適切な事後処理
が必要ですわ−と。
茜は伊佐間に、真佐子と葵は雄之介死去の膨大な後処理に追われていたため、茜が学院に行こうと申し
出たが、二人から、学院に行って何が出来ると云うものでもない−だから行くことはない−行って事態の収
拾がつくなら別だが−と強く云われてしまったと泣くのでした。で、伊佐間は、この泣いて謝るばかりの人が
乗り込んでも、何が変わる訳でもない。でも・・・それでも普通は行かせるだろうと。
で、−堪らなく遣り切れぬ−辛い気持ちになり今川に中禅寺の出馬をお願いに行って貰ったのだがと。

碧死すの報を聞いて、葵は絶句、茜は錯乱、耕作は放心、セツは頭を抱えて一切の仕事を放棄。

織作家の門の扉が開き木場が現れ、柴田忠治に支えられながら真佐子が帰って来ました。
で、「お母様」と声掛けた茜に真佐子は

 「死にました−ア−あの娘は死んでしまった。葵は?葵をすぐに−

と。現れた葵は冷酷にも、

 「−早急に手を打つ必要がありますわね。あの学院は速やかに閉鎖するべきです。
  然るべき筋には連絡してありますから、後は対外的にどのような態度を執ることが
  好ましいか−今後の方針を検討しなければなりません。柴田代表もいらして戴い
  たようでうから早急に−


と宣ったのでした。柴田が後から説明したように、葵は、既に故・雄之介の後継者として織作紡織機社長・
柴田財閥重役に就くことが決まっていたのでした。これにまたも茜が反発−家族の情を説くのでしたが−、
葵は、織作柴田が社会的影響力を持っていて、分刻みで社会的信用が失われていると言い、妹の死を事
務的に処理しないで、と反発する茜に、最後通牒のように、姉さんは駄目な女よ、駄目なら駄目で隅の方
でひとりで泣いていらっしゃい!とまで吐き捨てたのでした。さすがに柴田は葵を諫めて置いて、葵に導か
れて無言の真佐子と館の中に消えていきました。善後策を練るためです。後には反発して泣くばかりで蚊
帳の外におかれた茜と、黙って聞いていた木場、伊佐間と一緒に来た青木、加門そして益田が残されまし
た。木場は伊佐間に

 「京極から伝言だ。奴は後一時間もしたら来るぜ

といい、茜には、

 「おい、あんた。妹さんはな、警察が殺しちまったようなもんだ。俺が謝ってあんたの気
 持ちがどうなるもんでもねえんだろうがな。すまなかった


と。また、加門刑事には、

 「おい、おっさん。いつまでぼうっとしてやがる。さっさと行って平野を締め上げろ!あの
 野郎に全部吐かせろ。おっさんは五月から掛かりっ切りだったんだろ。あんたが取り調
 べねえでどうするよ


と。木場さんあんただってという加門に、「俺はいいんだよ。そもそも俺は外されてたんだ。」といい、
青木にも行くようにと。で、志摩子をむざむざ殺されてしまった木場の気持ちを慮って自分が残るから先輩
が行くようにという青木に対し、木場は、

 「馬鹿野郎。知った口利くんじゃねえ。手前みたいな青二才に何が解る!いいか、警察
 は捕まえて送検すればそれでお終いだ。悔しいからって警察がいちいち犯人に泣き言
 や小言タレてどうするよ。辛かろうが悲しかろうが、それで終わりだ。そのくらいの覚悟
 がなくて公僕が勤まるか!平野は捕まったんだ。俺はあんな奴にもう興味はねえ


 「蜘蛛に会いてえだけだ

と。結局、加門だけ行かせて木場と青木は益田と共に残ることに・・・。

伊佐間は3人を自分が使っている客間に案内しました。益田が愚かな自説を披露し、青木は不賛同、木場
は納得したようなしないような顔を。伊佐間は部屋を離れて茶でも頼もうとセツの部屋に寄ったところ、セツ
は荷物を纏め、「辞めるわ」と。そして、伊佐間の後ろに木場を認め、木場に、前回木場が来て川島の話を
した後、茜が気にしてしまって紫の遺品をもう一度調べてくれと云う訳と話を切り出しました。そして紫の部
屋の机の引き出しにあったと織作雄之介の覚書が入っている封筒を差し出したのでした。そこには石田芳
江の死に就いて若干の情報
が載っていたのでした。何がという伊佐間に木場は

 「おう。石田芳江の自殺の原因は自分にあるんじゃねえか−と雄之介は述懐している。
 三人の娼婦の話なんかこれっぽっちも書かれていない。ありゃ全部与太なんだ。
 喜市の方もありもしねえ過去をでっち上げられて、蜘蛛に踊らされてやがったんだ!


と。まだ、自分の体験からの生身の蜘蛛の存在を否定する自説に拘る益田とそれを否定し、やはり自分の
体験からこの事件の背後には必ず邪悪な、生身の人間が居ると主張して対立する若い二人に対し木場は、

 「世の中ってのはごちゃごちゃしていてよ、何だか善く解らねえようでいて、実は馬鹿み
 てえな単純な理屈で成り立っていたりするものよ。だがな、理屈は単純だが、理屈に嵌
 るものごとが明瞭)はっきり)しねえから答えが幾つかあるんだ。真実はひとつ−と思い込むのは
 思い上がりよ。お前等の体験したこたゃ、幾通りもある答えのうちの、たったひとつに
 過ぎねえじゃねえか。俺みてえに経験則でしか物事を量れねえ馬鹿じゃねんだったら、
 余計な予断は持つな。俺は体験したことしか信じねえが、場合によっちゃ体験したこと
 も信じねえぞ。予断は指針にはなるが結論にはならねえ


と諫めるのでした。伊佐間はこれを聞いて、そうした現実も中禅寺の云う通り、不思議なものでは決してな
い。起きてしまった以上は実は単純且つ明瞭な理に則っている筈なのだと思うのでした。
木場修の良い面を描いていましたので殊更発言を示しておきました。

伊佐間は益田から、あれは茜さんですねと言われ見ると門の辺りで茜と耕作が何か深刻そうに話をしてい
て、やがて耕作は何か狼狽えるような素振りで茜から離れ、どこかへ駆けて行った
のでした。何の話をして
いたのでしょうか?
このとき益田が是亮は父親耕作と全く似てないなという感想を・・・実はそれもそのはずでしたが。

で、ついに「来た」。門の前 黒い影が四つ。陰陽師。探偵。骨董屋。そして。茜が伊佐間さんと呼び泣きそ
うな顔で振り向きました。今川の案内で中禅寺と榎木津がとうとうやってきたのでした。木場らは出迎えに。
おい、どうするという木場に中禅寺は「落とす」と。そして「落とすとどうする」と畳みかける木場に対して中
禅寺は、

 「解らないな。結局−流儀が違う
 「絡新婦は−落とすものではない。退治するのは僕じゃない。だから用心することだ

と。

茜が何か吹っ切るように玄関の扉を開け、伊佐間がホールの扉を開けました。そこには善後策を話し合っ
ていた葵、真佐子、柴田がいました。葵が立ち、挑戦的に

 「−貴方が−中禅寺さんですか。本日のことは母と柴田氏から聞いております。聞け
 ば貴方は拝み屋だとか。却説(さて)この家で−何をなさるおつもりですの


と言ったのに対し、中禅寺は

 「仰る通り僕は拝み屋。ですからこれより少少厄払いを致します。善からぬものは集い
 を為して災厄を及ぼす。蓑より火の出づるは陰中の陽気。否哉、否哉。人を呪わば穴
 二つ掘れ−僕はむざむざ御息女を穴に落としてしまった。だからこちらの−

 「御厄を祓いましょう−厄落とし

と。葵は面白ですわと言い、まず自己紹介し、姉の茜、そしてご存知ですねと母の真佐子の紹介をし、柴
田が同席してもいいかと。これに対し中禅寺は勿論と言い、五百子刀自(とじ)について確認したのですが高齢
ですのでとのことで中禅寺は同意。で中禅寺は全員の入室を促しました。

こうして織作家に於ける中禅寺の「憑物落し」はホールにおいて、織作真佐子、茜、葵、柴田と中禅寺、榎
木津、木場、青木、伊佐間、今川の11人で執り行われました(但し、今川は実際には耕作に殴られてホー
ルの外の廊下で気絶していたのでしたが−関口が今川から聞いた話)。

中禅寺が榎木津、益田を紹介、刑事が居るようですがという葵に答えて、木場が青木を紹介、木場は、

 「ただな、俺もこいつも今は刑事じゃねえ。関わった者として結末を知る権利はあるだ
 ろうぜ


と、警察官としてこの場にいるのではないことを強調しました。葵が「結末?」と聞いたのに対し中禅寺は

 「出来ることなら−もう終わりにしましょう。死人の数が多過ぎる。ただ、僕は真犯人
 の大計が阻止出来るとも思ってはいない


と。で、「真犯人?」と訝しがる葵に対し、中禅寺は

 「事件の首謀者ですよ−

 「−僕は寧ろ−ここにその真犯人の計画の完遂を早めるために来たようなものだと、
 認識しています


と。中禅寺は既に葵も真犯人・蜘蛛の駒にされてしまっていたことを見抜いていたのでした。
ただ、そもそも中禅寺が見抜いて青木・益田らに口にしていたように「蜘蛛は罠に掛かったものを巧妙な情
報操作で操り、自発的に犯罪に駆り立てて、自滅に追い込むだけ」であり具体的にどういう展開が起きるの
かまでは予知できませんでした。しかしながら、真犯人は中禅寺・榎木津が事件に関与して来ること、そし
て事件の裏に真犯人がいることを見出すことまで想定して−それは、中禅寺は見抜いていましたが−最後
には自分が逃げられるような対策まで仕込んでいたのでした。

さて、葵は初対面の中禅寺については何も知らないようです。中禅寺は葵の論文を読んだ旨話し、大層感
心していると持ち上げてから突然

 「だからあなたを救いたい

と言ったのでした。唐突にこんなことを言われ訳わからない葵に更に、

 「あなたは−化粧をしませんね

とかましました。そこで突如榎木津が具体的に、

 「あなたは何故−あいつを匿った?

 「あの娘はそいつに殺されたんだ

と。無防備な葵の隠し事は榎木津には通用しません。「あいつ」とは目潰し魔・平野のこと。中禅寺は止め
ることなく更に

 「葵さん。あなたがどうお考えになっているのか僕には解りませんが、いずれ平野は吐
 く。そうすればあなたは確実に失脚します。あなたは事実上の織作家当主となり、柴田
 グループの重職にも就いたのでしょう。自首するならまだ救いはある−


とずばり切り込みました。葵は中禅寺の力も榎木津の特異体質も知りません。ですから葵は当然とぼけま
したが、母・真佐子が怒りだしました。

で、中禅寺は臆することもなく、一旦葵の話を保留にして、真佐子の父、葵と茜の祖父である伊兵衛の話
から入りました。いつものように一見無関係のようなところから話を始めて最後には憑物落しをする中禅寺
の手法です。伊兵衛が旧称・羽田伊兵衛であること、羽田氏は秦氏の傍系であり、秦氏は猶太説があるこ
とそして既に真佐子と柴田は聖ベルナール女学院で中禅寺から聞いていたが、聖ベルナール女学院は猶
太教寺院を模したものであることを語り、問題にしなければならないこととして、伊兵衛は自分がダビデ王
の末裔であると信じ込み、財力にものを云わせて、己が祖先と信じる猶太の民が編み出した様様な呪術魔
法を学び、この千葉県の片田舎に巨大な封印の魔法をかけたということだと述べ、

 「伊兵衛さんは世帯主義・・・・のイデオロギーを貫かんために旧弊的な母系の因習を封印・・・・・・・・・・・・
 したのですよ


と。葵は織作家の秘密を知らず、中禅寺が何を言っているのかまるで理解できず、「母系−?どう云う意味
ですか?」と問い、女権拡大運動のリーダだけあって、中禅寺の言葉に逐次反論をするのですが、伊佐間
が感じたように、否定されれば強く反発するが、肯定されると弱いのだろう−中禅寺の語り口はそういう手
法をとっており次第に葵は中禅寺に圧されて行きました。そして中禅寺は真佐子の顔を直視して、

 「例えば東北から新潟、茨城、千葉などの地域では長く姉家督と云う方式が採用され
 ていました。これは長女が家督を継ぐ。婚姻の形態としては明瞭な婿入り婚です。長
 子の一子相続とはまるで違う。ただ相続の形態としては長女の婿が相続人となる訳
 ですから養子による長子相続とも云えますが、その実、長女は婚姻前からカトクと呼
 ばれる。長女は明確に戸主であると云う自覚を持っている。これは、父系社会の中
 で生き残った母系の仕組みです−


真佐子が織作家がそうだったというのかと言ったのに対して中禅寺は、

 「今は知りません。しかし本来は筋金入りの女系一族だったと、僕は考えていますが

とずばり指摘したのでした。真佐子は次第に激高し、そうだったとして、それが何だと云うのです!と反発し
たのですが、中禅寺は

 「女系を以て家督を継ぐ旧家は多い。別に恥じることはないのです

 「この織作家は、天富命が阿波から遠征して来る遥か前より、ここが安房と呼ばれる
 ずっと以前から−この地に根を下ろしていた一族なのではありませんか。
 大山津見神(おおやまつみのかみ)の長女、石長比売命(いわながひめのみこと)を祖神と奉る、正史に登場
 せぬ名門−


と。そんなことは聞いたことがない、そんな御伽噺が何か関係あるのかという葵に中禅寺は関係あるので
すといい、石長比売命の話をし、

 長女は永遠に家から出ない・・・・・・・・・・・・

と述べ、女系社会の特徴は、

 ・子供が共同体の共有物となり得るものだったこと
 ・親子関係と云うのは常に母子関係でしかなく、父親の役割を果たすのは共同体の
  男達凡て。父親は誰でもいい
 ・同母妹との婚姻は認められなかったが、異母妹ならば認められた−母が同じなら
  兄弟だが、父が同じでも母が違えば兄弟とは見做されなかった
 ・血縁は母子関係のみに収斂され、家長権は年長の女子が握ることになる


であり、これは今の倫理に照らすなら・・・・・・・・・・、あまり道徳的ではない状況を容認してしまう制度であるが、これは
ひとりの女性が複数の男性と性的関係を結び、それぞれに子を()しても、 一向に構わないと云う仕組
であり、家父長制の場合と違い、それは相続や家の存続を脅かすものとはなり得ない訳です。すなわち、
父系家族の場合は、男が妾に長子を生まされば家は分裂の危機に晒されるので一夫一婦制を導入しなけ
れば立ち行かず、正妻と妾には格差を設け、嫡子の正当性を誇示する必要が出て来るが、母系の場合は
全部自分で産んだ子であり凡ての子供は必ず同等に家長の血を引いている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
訳です。で、子供の父親を誰
にするかは善い種を探すと云うレヴェルの問題にすぎないと。

葵は思わず、「そんな−淫らなこと−」と口走りましたが中禅寺はすかさず

 「淫らではない。それを淫らと思うなら、あなたはその時点で男性原理に支配されて
 いる!


と指摘したのでした。女権拡張運動のリーダである葵は、「夜這い」を男根主義社会の産物として猛批判の
対象とし、それで喜市の母の死を、そういう村の男達の男根主義の犠牲者として批判展開していたのです
が、中禅寺は、そもそも民俗学的で、夜這いなどを退けることも、征服者の視点で被征服者を見ている、西
欧近代主義を上位とする差別視点で本邦の文化を見下している、男性原理の視点で女性原理を読み替え
ていることに外ならないとし、夜這いを卑しい因習だ、淫蕩な旧弊だなどと切り捨てる者は、猿にも劣る無
知蒙昧の独りよがりの大馬鹿者でしかないと批判、ただし、

 「仮令女系の社会であっても、あなたの云う男根主義は発生し得るし、発生しているで
 しょう。共同体と一体化することにのみ存在価値を見出す母親達は、一様に共同体の
 犠牲者となる危険性を孕んでいる。また共同体自体が男根主義的体質を帯び始めた
 時、女性自体が代行的に男根主義的支配の肩代わりをさせられると云う状況も容易
 に想像できる。事実、夜這いは変質してしまった。夜這いと云う呪術は現代ではほぼ
 無効化している。しかしその効力には性差も個人差もある。未だその呪術が効いてい
 る者も居るんです。彼女達を一刀両断に切り捨てることは果たしてあなたの本意なの
 かと、僕は云っている


と述べ、女性には拒否権があったこと、拒否されたにもかかわらず挑んだなら村の掟で強姦罪になったこと
なども触れたのでした。葵はそこまで考えたりしたことはなかったのです。中禅寺は、

 「葵さん。あなたは間違ってはいない。ただ非連続事象を連続した事象と混同している
 のです


と言い、

 「男性原理が基本となる社会に於いては仮令女性がどのような志や理を持っていようと
 も、そうした行為は売春とされる可能性を孕んでいう。しかしこの世の中この国は、ずっ
 と男性原理で支配され続けて来た訳ではないのです。別の理に支配されている文化−
 呪いにかかった者も未だに居る・・・・・ということです。男の言葉男の理屈では、そうした屈辱
 は癒せないのです


と。真佐子は蒼白になっていました。中禅寺は、だから真佐子恥じることはないと言ったのだと。
しかしながら、葵はまだ中禅寺がなぜそんな話をするのか理解できていませんでした。
で、中禅寺は真佐子に向かって更に真佐子が隠して来たことを鋭く指摘しました。

 ・織作家はこの地に深深と根を下ろし、年に一度貴い客人を迎え入れ一夜の婿とする
  −そうした女系一族だった

 ・それは神代の話だが、この家は現在に至るまでここにこうして残っている。ならば、
  そうした習慣は形を変え、形骸化したとしても近世まで残っていた筈

 ・貴種を宿し、土地を動かずに永久に繁栄を続ける母系の一族−それが織作家だった

 ・学院の建っている土地は織作家の聖域、神を迎え入れる斎機殿だった。織作家は神
  を迎え入れる家。織作家の娘達は代代−神の嫁だったが、神代の時代が過ぎれば、
  訪れるのは神ではなくただの男。時が経ち、本来の神の座に男が坐ってしまった


と。そしてその上で、

 「先程云った通り、織作家のしきたりはあくまで母系側の理に則って見なければ破綻す
 る。通う方−男の理に基づいて据える限り、この斎場は単なる淫売小屋・・・・・・・に過ぎなくなる
 そうした男の視線に晒されることに因って織作家が太古より作り上げて来た繁栄の(システム)
 は、簡単に無効化されてしまう。神の嫁たる巫女は神性を剥奪されて−

 「−単なる娼婦になってしまった・・・・・・・・・・

と言い、

 「そうした、男の視線が齎す屈辱に根差した、男性原理至上社会の台頭に対する抵抗の
 呪詛こそが−天女の呪い・・・・・の正体です


だと断言したのでした。「天女の呪い」というのは世間の織作家に対してなされてきた噂話でした。
真佐子は酷く狼狽し、当家を愚弄するような罵言を吐くことは承知しませんと憤激したのですが、中禅寺は

 「罵言ではない。背徳(うしろめ)く思っていらっしゃるのは奥様−あなたの方だ!

 「元元恥ずべきことではないと申し上げた筈だ。それなのに恥辱を感じる。恥じねば
 ならぬと云う思いがある。あなたにそうした背徳の感情を植え付けたのが、父の−
 伊兵衛さんだ


と。尚も真佐子は抵抗したのですが、葵も柴田も次第に中禅寺の舌鋒に呑まれて行き、中禅寺はここぞと
ばかり

 「葵さん、少なくともあなたは知るべきでしょう。そして奥様、あなたは話すべきです

と真佐子を追い込みました。で、とうとう真佐子は観念し「墓場に持って行こう」と思っていた辛い真実を語
り始めたのでした。まずは、

 「善くお聞き茜。葵。この織作家は−今この方が仰った通り、気高き淫売婦の家系

と言って・・・。真佐子の語ったことは次のようなものでした。

   学院のある森は古くから織作家の土地。幼い頃の記憶では、池を囲んで何やら
  古い建物が何棟か。神社のような、神殿のような−そう、機織りの機械、地機(いざりばた)
  置いてあり、あの鬼魅の悪い、真っ黒の神の像も祀られ、小さかった真佐子は祖
  母[五百子刀自]に連れられてそこに行き、泊まったこともある。母もまた、幾度
  かそこに行っていた。

 「父−伊兵衛はそれを止めさせるためにあそこを潰した−

 「母はそこで殿方を迎え入れて・・・・・・・・いた
 「祖母−五百子は、執拗に、母貞子に男をあてがったのです。私はひとり娘でしたか
 ら、他にも子を生するようにと申す気持ちもあったのでしょうが、それよりも祖父−嘉
 右衛門に対する復讐こそが祖母の本意だったのだと私は思う

 「家系を乗っ取られた・・・・・・・・・意趣返しです

 ・祖母は外様の幕臣の子だった嘉右衛門と云う人を婿に取るのが本当は厭だった。
  祖母には想い人が居たようだった

 ・嘉右衛門という人は、事業家として天賦の才を持っていた。傾きかけていた織作の
  家を立て直し、のみならず莫大な財を成した。

 ・嘉右衛門はどこかの機械工場の女工に子供を産ませた。その頃祖母もまた子を生
  していた。それは祖父の子ではなかった・・・・・・・・・・・・・

 ・嘉右衛門は先に生まれた妾腹の娘・貞子を無理やり実子としてしまい、戸籍上の
  長女とした−当家のしきたりでは、家督は必ず長女が継ぐ−


 「祖母はその段階で家作の座を追われたと−考えたようです。この織作家は明治に
 なって初めて家父長を迎えたのです


で、真佐子は、久代と云う名の刀自が産んだ子のその後は知らないと言いましたが、中禅寺が補足。
記録によれば、久代は養女に出されたこと、伊兵衛が養子に来るまでは織作家にいたと。

 ・真佐子と4人の娘は刀自の血をひいていない、嘉右衛門と名も知れぬ女工の末裔
  嘉右衛門はそうやって織作の血を乗っ取った
 ・己が戸主になるだけでは気が済まず、子子孫孫に至るまで己の血を引く者が戸主
  にならねば気が済まなかった。
 ・祖母は抵抗し母−貞子に、織作の女としての躾をした−次次と男をあてがった


 「男を人と思うな。男は道具だ。子供を生すために必要なだけで後は働かせれば善いの
 だ−祖母はそう教えたのだと、父[伊兵衛]が亡くなった時に−私は母から直接、この耳
 で聞きました。それでも母は結局私以外の子を孕めなかった


と。それは、伊兵衛にとっては淫蕩な男狂いにしか見えず、祖父嘉右衛門と同じことを繰り返した・・・

中禅寺はここまでで結構ですとそれ以上真佐子がばらすのを一旦は止めたのですが・・・

ここまで示された明治時代からの織作家家系図は以下です。


中禅寺の補足で葵は、

 「理解しました。恥じることはない。単にパラダイムが違ったのだと、そう云うことですね

と。中禅寺は更に続けました。

 「異なる理がひとつの平面に重なる時、そこには斑紋(モレア)が生じます。

で、伊兵衛は、嘉右衛門の伝記「嘉翁傳」の中でも堅物と評されていて、織作家のやり方は耐えられず、
彼の目には織作の理は非常に悪魔的(デーモニッシュ)に映った筈と。そして、

 「伊兵衛さんはこう考えた。魔術には魔術を・・・・・・・−しかし伊兵衛さんは術を間違えたの
 です。基督教なら兎も角、猶太教では女系の呪術を封じることはできなかったよう
 ですね


その理由について中禅寺は蘊蓄を披露したのでした。

その後中禅寺は突然話題を川島喜市のことに転換、木場に話をさせました。木場は併せて目潰し魔の動
向についても語りました。中禅寺はそれに対して、川島喜市の執った行動の原因は母・石田芳江の自殺に
あったと。そして葵が考えていた考え方に対し、喜市は芳江は自殺ではなく三人の娼婦と云う、やけに芝
居かかった連中が登場して、芳江さんを売春に導いて殺したと−。そこで木場です。セツから手に入れた
雄之介の覚書の中味を披露しました。それによれば石田芳江が首縊ったのは己の所為と。一方三人の娼
婦については木場が目潰し魔に殺された高橋志摩子から聞いた話として、空き家になっていたから使わせ
てもらっただけ−3人がやってきたのは芳江の自殺の後であり、芳江の自殺は無関係−と。真佐子は雄之
介の話は事実だろうと証言しました。中禅寺は真佐子から雄之介がいつも金を持ち歩いていたことを確認
した上で、

 「芳江さんが死んだのは矢張り雄之介さんの所為でしょう。無理矢理金を渡したから・・・・・・・・・・・
  彼女は首を吊った・・・・・・・・のです


と結論付けました(これは読者にとっては正解であることが、小説内に挿入された男女−名前は示されてい
ませんが明らかに雄之介と芳江−の会話から事実であることがわかります)。

葵はまだ状況を理解せず、父親の行為はそれだけのことであり、芳江を殺したのは共同体・文化・国家だ
という持論で切って捨てようとしたため、中禅寺は、まだ−解りませんかと。そして

 「夜這いは民俗学者の云う婚姻を前提とした儀式風習でもなければ、社会学者の云う
 共同体内の複数男性による女性の強制的共有でもない。慥かにパラダイムが変われ
 ば事象も読み替えられる。異なる事象が同じものとして読み解ける場合もある。だが
 今ある文化が過去の文化の残存だと考えるのは間違いだ。夜這いの風習が連続的
 に変質して現在の売春に繋がっている訳ではない。夜這いと売春は非連続的に並立
 する事象です。


と言い、葵が知らないこと−夜這いは女から仕掛ける場合も多く、勿論拒否もできるし、相手を取り換える
ことだって可能だった
−、更には、複数を相手にして尚、それは恋愛の形を取っていて、これは強制的な管
理制度ではなく恋愛の範疇として見るべき
−と語ったのでした。葵は驚きの余り、「そんな−み」と云いかけ、
すかさず

 「淫らな−と思うなら、あなたはあなたの批判する族と変わりがないと、先程も云った筈
 です。あなたはザビエルの手紙を西洋男根主義的植民地主義と切って捨てたのですよ


ザビエルの手紙とは、日本におけるそういう風習に驚き、本国に送ったものでした。

たじたじになった葵に、中禅寺は

 ・石田芳江さんは共同体の疎外者ではなく、経済的に逼迫していた訳でもなかった。
 ・彼女は能動的に夜這いを受け入れることで小さな社会の中に自己実現をしていた


 「それでなくては十年も同じ土地には住めません。だからそれを淫乱だと貶めるのは無知
 なんです。売春だと辱めるのは蒙昧なんです。しかし、戦争を経てその神性を破壊する
 者が現れた。それが−織作雄之介さんだ


 雄之介は金を払うことで芳江さんの神性−尊厳を剥奪し、夜這いを売春に転訛してしまった
 彼女の人間的尊厳は金銭と引き替えに搾取され、共同体内部では十年の歳月−
 存在価値は無化されて、彼女は自殺した。


 「それが−真相でしょうね

と。葵は頭を垂れるばかりでした。

これに大きく反応したのは、なんと茜の方でした。「それじゃあ−私のしたことは」と言いぐらりと体が傾きま
した。素早く榎木津が背後から肩を捕まえて、茜の記憶を覗き込み、

 「−嘘か?それとも−間違いか?
 「君の本意はどこにある。僕はそういう駆け引きは苦手だ。正直に−云いなさい
 「その男に会っているね。酷く親切にしている
 「蜘蛛と名乗ったな

と。これに対して茜は素直に、

 「はい。喜市さんに−会っています

 「私は三度−喜市さんに会っています

と。これには木場が噛みつきました。茜は木場には医者の紹介状を書いた後、音信普通だと述べていたの
でした。そして、それは嘘ですと。驚く葵には、私だって嘘くらい吐くのです・・・・・・・・・・・・・と。更に、

 「凡て−お話します。今のお話が本当なら、私はとんでもないことをしてしまったよう
 です。何故なら、喜市さんに三人の娼婦の犯罪と云う造りごと・・・・を吹き込んだのは−
 私だからです


で、怒る木場に対しては、

 「私も信じていた・・・・・・・のです。嘘だったなんて−今の今まで考えもしませんでした

と。そして、半月後に喜市から茜宛に手紙が来て、そこには、

 ・抜き差しならぬ事情が出来て芝浦の小屋に戻ったこと
 ・もし許されるなら、伺いたいことがあるので会ってくれないか


とあり、茜はその時初めて喜市が芳江の息子であることを知ったと。そして父は是亮のことで多忙であり悩
んだ末会いに行ったと。で、そこで茜は妹から芳江のことを聞いていたこともあって喜市に話したと。喜市
が話を聞いて傷ついていたので、少しでも多くの情報を提供しようと考え妹の調査報告書などを写したりし
ていたとき、三人の娼婦の噂話−木場が誰から聞いたかと尋ねたが茜は言葉を濁しました−を耳にし調
べ、その一人が、葵が抗議活動している相手の川野弓栄であることを知り、東京に戻った喜市に連絡。そ
の後弓栄の死を知り、喜市が殺したのかと恐れおののいていた時、11月末に喜市から連絡が入り、もう
一度会ったと。で、弓栄殺しのことを言ったところ、喜市は自分はやっていないと(先に木場から喜市が平
野のことを何か言っていたか尋ねたのには言っていなかった、茜が行ったときは平野はいなかったと答え
ています)。そして茜は喜市から協力依頼−残る二人の娼婦の情報を収集する手伝い−を受けたと。それ
に対して中禅寺から、

 「茜さん。川崎弓栄の居所はあなたが教えた。金井八千代の住所と高橋志摩子の
 住所は喜市さんが自分で調べだしたのですか?


と聞かれて、茜は「はい」と。更に中禅寺から、

 「あなたが三人の娼婦の噂をその、ある人・・・から聞いたのは去年の七月より前ですか、
 後ですか


と聞かれ、茜は「後です」と答えたのでした。
で、茜は三度会ったと言っていたので木場が三度目はいつだ?と聞いたのに対し、茜は、

 「父の密葬の日の−夜です

と。伊佐間は驚きました。密葬が行われたのは、木場が訪れた五日前のこと−茜は僅か五日前に会って
いる人物のことを知らぬと木場に偽証した
ことになるのですが、伊佐間にとってはその時茜がとても嘘をつ
いているようには見えなかったからでした。
茜はその時、喜市はとても怯えていた−探り当てた相手がまた死んでいた、犯人は知り合いである−と。
それで茜は、もう復讐は止めてどこかに逃げるようにと言ったのに対し、喜市は、最後のひとりの居所も調
べ上げてしまったから、自分が逃げてもきっと彼女は殺されると−言ったと。で茜が、兎に角もう止めて警
察に行くようにといったのに対し喜市はその友達−平野−は実にいい人だと言っていたと。そして、茜は

 「−刑事さんが喜市さんのことを聞きにいらした時は生きた心地がしませんでした。
 妹が証言するだろうから、紹介状のことは隠せないと思った。芳江さんの話になっ
 て、いっそ凡てをお話しよとも思いましたが−結局臆病な私は−云えなかった


と言い、木場が尤も気にしていた点について、

 「何であんた−蜘蛛を名乗った

と聞いたのに対して茜は、

 「き、喜市さんは、織作と云う名は覚えていなかったけれど、この、この館を−私の
 ことを蜘蛛館のお嬢さんと−そう−


と。木場は中禅寺から「喜市は蜘蛛に直接会っている」と聞いていたため混乱。で、中禅寺は木場の混
乱を無視して冷静に茜に、

 「あなたは−武蔵野連続殺人事件の報告書を読んでいませんか?

と。否定する茜に更に、榎木津のことを以前から知っていたのではないかと聞き、茜はこれも否定。で、中
禅寺が、杉浦美江さんにあの男を紹介したのはあなたなのかと−思ったのですが−と言ったのに対し葵が、
それは私の知人で、元進駐軍の通事をしていた人であり、進駐軍の女性解放施策に誘発されて婦人運動
の理解者で−彼女に離婚を勧める際に−と。で、中禅寺が、その通事は、この茜さんを通じてあなたのとこ
ろに来た人ではないのですかと問いただしたのに対して葵は、機関紙に載った私の論文を読んでコンタクト
を取って来たと−言っていたと。
これを聞いた中禅寺は凶悪な顔になり茜に、

 「ならば茜さん。あなたにその三人の娼婦の話を伝えた者こそ、碧さんに告解室の
 鍵を渡した人物だ。妹の仇でも−名は云えないのですか


と追及したのですが茜は答えず。で、中禅寺は、

 「いいでしょう。兎に角、川島喜市は十割方真犯人の思惑通りに踊らされていた、と
 云うことになる。三人の娼婦が無実なら、なぜ彼女達が事件の表面に引っ張り出さ
 れたのか。茜さんが情報を与え喜市が居場所を探り出して、彼女達は三人とも殺害
 されてしまった。平野祐吉の手で−


と言い、更に、葵に対して、

 「−葵さん。あなたはそろそろ知っていることを話すべきだ。奥様も、茜さんも辛い告白
 をした。平野は他にも山本教諭を、そして碧君を殺している

 「−あなたは平野は口を割らぬと踏んでいる。しかし平野は多分−あなたが考えている
 ような人間ではないです。最初に忠告した通りだ


とここで最初に榎木津と中禅寺が言ったことでの葵に白状させる時が来たとばかり追及を。
尚も、何のことか知りませんと惚けようとする葵に、嘘だと言い、

 「どう考えたって−あなたもまた操られているんです。そのことを自覚してください

と言ってから、平野がどういう人生を送って来たかの話をしたのでした。平野は宮という女性と結婚。3年後
に徴兵され、その時の体験で、平野は殺人者が子を為す−と云う矛盾に悩み性的不能者に。一方、宮の
元に平野の誤った戦死広報が届き、云い寄って来た男−平野に宮を紹介した人形師。中禅寺は楠本君枝
(「魍魎の匣」で登場)を介してその人形師に直接確認−と関係を。そこになんと、平野は生きて復員して
来たのでした。しかし宮は男と手が切れず・・・。で、平野は妻に間男がいることに気が付いたけれども責め
なかった。でもそれは性的不能になったゆえではなかったのでした。宮はその間男の相手に好意を持ち・・
会う時だけはきちんと化粧をして待っていた・・・・・・・・・・。その−密通の場面を−妻の白い脚を平野は偶偶覗き見てし
まい、平野はある悦境に至り−その窃視は習慣化して、結局夫に覗かれていたことを知った宮は己の不
貞を恥じて昭和二十三年の夏、自害。降旗は木場に、平野の視線恐怖症の原因というのはその窃視嗜好
にあり、妻の死と云う衝撃が倫理規制となってその覗きたいと云う欲動が強く押さえ込まれたのだと説明し
たのでしたが。で葵にはそういう分析には不服でしょうを言い、葵は持論を述べたのに便乗して、中禅寺は

 「男がそうした政治的に不平等な性差別意識を無批判に抱いていることは事実なので
 しょうから−平野とて例外ではない。そしてあなたは多分、平野の犯罪は、そうした支
 配欲の歪曲した発露であると捉えた。違いますか?


と言ったのに対し葵はその通りですと。で、中禅寺は、「それはとても好意的な見方だと僕は思うが
と。で、急に激高して思わず「何故私がそんな異常犯罪者に−」と口走った葵に、中禅寺は「異常と云
うのは差別用語です
」とぴしゃり。

葵は得意の論調が次々に否定無しで弱点をつかれながら躱されて相当追い詰められていますが、ここで
中禅寺は更に手の内を明かし続けました。中禅寺は降旗に直接連絡を取り、平野が診察を受けに来た時
病院で何か変わったことはなかったかと尋ね、その結果、平野を診る前に、精神病棟から患者がひとり抜
け出して騒ぎになった−男は自分が楊貴妃だと信じ込んでいる中年の男性で、シーツを纏い顔に紅白粉を
塗りたくって
個室を抜け出し、診察室の机と窓の間に隠れていた−男はすぐに捕まったが、その後にその
診察室に平野が来て降旗の診察が始まり、診療中に平野は窓に眼がある・・・・・・自分を視ている・・・・・・・と騒ぎ出した
と。で、当時降旗は既に精神状態が良くなかったこともありこの言葉で自ら動揺してしまい、結局、平野は
然して得るところもなく・・・・・・・・・・・帰宅し翌朝第一の凶行に及んでしまったのでした。そして中禅寺は、平野の視線
恐怖症の真実を語りました。

 ・最初の被害者(矢野妙子)は、小町娘と渾名される程の器量良しで外出の際も身嗜みはきちんと、必ず
  薄化粧をしていた
 ・川野弓栄は水商売の女であり、いつもきっちり顔を造っていた
 ・山本純子は眼鏡をかけ、紅も指さない人だったが、その日に限って眼鏡を外し、化粧までしていた
 ・前島八千代は娼婦に化けるため厚化粧をしていた

 「平野祐吉は白粉アレルギー・・・・・・・なんです

 「平野は−化粧している女を殺すんです

 「彼は白粉の匂いを嗅ぐと、皮膚に軽い痛痒姦を伴う湿疹が出来るのです。それが・・・
 視線の正体なんだ・・・・・・・・


 「平野は、嗅覚を肌で感じていた・・・・・・・・・・のです。.......
 皮膚の知覚過敏を視線と錯覚し、その先に視ている者を夢想して−彼は不安を獲得した


前述の降旗のところで平野が見た視線というのは、逃げた患者のつけていた白粉が残留していて、
 こんなところでも視線を感じる・・・・・・・・・・・・・・
と信じてしまったもの−平野の視線恐怖症の正体でした。
中禅寺はとうとう葵を追い込みました。

 「さあ。平野はあの告解室に居たんです。導いたのは間違いなく織作家の関係者だ。
 しかも男ではないあの学院のことを知っている者は−卒業生か在学生、つまり女性
 だろう。そしてその女は化粧をしていない。もし化粧をしていたら、その女は殺され
 ている。今日の−碧君のようにね


碧はたっぷりと白粉の匂いが沁み着いていた八千代の衣装を纏って平野のいる告解室に入ったから殺さ
れたと。そして、中禅寺は

 「川島喜市の持っていたきものがなぜ碧君の手に渡ったのか、それがどうしても判ら
 ない。それは判らないが、平野を匿ったのは誰かは判る。この家で化粧をしないのは
 碧君以外ではあなただけなんです葵さん。あなた以外に平野と直に接して危険のな
 い人間はここには居ない。さあ、話してください!あなたは何故彼と知り合い、何故
 匿ったのです!


と。更に、葵の思い違いをはっきりさせるべく

 「平野の殺人は凡て痙攣的な衝動殺人なのです。彼は権力構造に楯突く逸脱者(アウトサイダー) でも
 なければ、あなたの掲げる高邁な思想の善き理解者でもない。降旗さんが分析したよ
 うな男根的(フアロセントリック)心的外傷(トラウマ)の影響下にもない代わり、あなたの思っているように性差(ジェンダー)
 越境した者でもないんです。彼は小心者の、可哀想な、ただの普通の男なんです


と言い、

 「あなたは平野と云う病んだ男に対してそうした幻想を抱いたのではありませんか?

 「彼は自分と、対象物を相互にモノ化することで発情する、男性的と云うならこの上なく
 男性的な、コード化された性幻想を持っていたようだ。あなたはそれを読み違えたので
 はないですか


と。榎木津がすかさず、あの男はあんたの脚がお気に入りだ、覗いた時に視た奥さんの脚が忘れられな
かっただろうな−と。で、とうとう葵は、「そんな−あの人は私の話を真面目に聞いて」と口走ってしま
いました。完落ちです。そして中禅寺の指摘通り平野に対して幻想を抱いてしまったのでした。で中禅寺は
最後のとどめばかり

 「あなたはその正論の陰に自分を殺してしまっていませんか。理論と現実の乖離に苦悩
 していたのは−
」「あなた自身だったのでしょう

と。で、とうとう葵はやっとこさ認めました。

 「仰る通り平野をあの部屋に匿ったのは私です

最初に死んだのが、攻撃していた川野弓栄だったこともあって葵の心の中に差別意識が芽生えた−自分
は男根主義的な階層差別意識を持っている−。娼婦を見提げている。死んで当然とは思わないけど、矢
張り仕方がないと思ってしまった。

 「殺人を肯定しないまでも、否定しなかった私は当然−平野の共犯でしょう

と。では木場が質したように、葵はどこで平野と知り合ったか・・・
葵の告白に寄れば、葵は茜の行動に不審を抱き、紫を殺したのは茜ではないかと邪推。茜が是亮と結婚し
て以来態度がおかしいと感じ、是亮が茜を利用して織作家の財産を奪取しようとしているのではないかと。
葵は紫がそもそも難病を抱えた虚弱体質で、死因に不審なところはないことを知らず、その急死は自分の
抱いた疑惑を大きくした。そして茜の行動はこれ見よがしな不審なものだった−普段の茜の行動からは考
えられない言動そしてあの日茂浦に行った−。茜は葵に、石田の家への行き方を聞き、または資料を見せ
ろとまで云ってきたので何故かと聞いたが茜が答えなかったので葵は自ら小屋に行ったところ平野がそこ
にいて、話を聞いたと・・・。その時葵は前述の中禅寺の言及のように完全に平野を誤解してしまったのでし
た。「あんたらしくねえ」という木場に葵は、

 「そう−思われるでしょうね。それこそが−私の劣等感(コムプレックス)だったのです

そして、9月の終わりごろに聖ベルナール学院の告解室に匿ったのでした。
平野はそこで碧の主催する黒弥撒の儀式を聞いてしまい、十月の十五夜の夜、平野は抜け出してきて葵
にその話を。生徒達が呪い殺そうとしていたのはなんと告発運動をしている川野弓栄だった・・・
葵は自分の立場を考え、平野に真相を調べてくれと依頼したところ、平野は弓栄を殺して帰って来た・・・・・・・・・・・・と。
山本順子教諭のときは平野から話を聞いた葵は目の前が暗くなり、平野には何も頼まなかったものの困
窮している葵を見て平野が勝手に殺してしまったと。前島八千代については、平野は葵に秘密を知った
ものとして葵のために殺した、その時は何か碧から場所、時間を書面で指示があったと言っていたと・・・。
これには中禅寺が

 「おかしいですね。碧君は川島喜市の計画を知っている訳がないんです。本当に日時
 と場所を報せて来たのならば−それは平野に宛てた真犯人の指示書と云うことになる。
 また、前島八千代さんだって碧君の秘密を知る訳もないんだ。平野、碧君、双方に書簡
 が届き、互いに誘導されている


と。そして茜に、喜市が立てた前島八千代を陥れる計画についていつ知ったかについて質し、茜は先月の
半ばで、明後日、前島と云う人に恥をかかせてやると−その頃は電話でやりとりしていたと。
で、木場はその電話を聞かれていたのじゃないかと言うのに対し、茜は、

 「そんな−聞いていたとしたら
 「それは曾祖母・・・くらいです

と。

どうでしょうか。もうここまっでくれば、これまでの中禅寺の語りを思い出すなら、大抵のミステリーファンなら
完全に真犯人は誰かわかりますよねぇ。真犯人は巧妙に次次に手を打っていますね。
しかしながら、中禅寺は間違いなくもう完全に特定していると思いますけど、他の連中は榎木津も木場さえ
も気が付いていないようです。

ここで、伊佐間がもう完全に毀れていると感じた柴田が切れました。事情を知らない木場が諫めましたが、
柴田曰く、山本純子は柴田と婚約していたと。そして、あの日、正式に承諾をえるため柴田財閥の面々に紹
介しようとしていたと・・・だから山本潤子は眼鏡を外し、化粧をしていた訳です。
中禅寺は、柴田にその日程はいつ決まっていたかと質し、柴田はもう二月前から日取りだけ決まっていたと。
で。中禅寺は更に、その席に雄之介氏が出席予定はと質し、柴田は、勿論です。耀弘亡き後、小父様は親
代わりでしたから−と。で、中禅寺は

 「ならば−その時期に麻田夕子さんの情報が流出した理由は−そうなら−巧緻だ。
 無駄がなさ過ぎる。柴田さん、あなたが憎むべきは−葵さんより平野より−矢張り
 蜘蛛なんだ!


もう壊れてしまった柴田には中禅寺の言葉は耳にはいらない・・・目の前にいる葵に憎しで・・・葵に対して
腕を振り上げたのですが、榎木津がそれを止め、

 「あんたも解らない男だな。この人はあんたが怒っているのと同じ理由で奴を庇った
 んだよ。そのくらい聞いていれば解るだろう。この鈍亀め!


と。で、葵が語りました。

 「−それを恋愛感情と呼ぶのかどうか、私には解らない。理屈が−通らないから判断
 できないのです。先程木場刑事は、私の述懐を聞いて私らしくないと仰った。それは
 正にそうなのです。誰もが私をそう云う眼で見る。お母様。あなたは私のことをいつも
 誇らしく語りましたね。明晰な、非の打ちどころのない娘に持ち上げた。そして、あの
 父ですら私を畏れた。あなた方は褒めるにしろ嫌うにしろ、いずれ他人の接し方で私
 達姉妹を育てた。紫姉さんは父に柔順になることで、茜姉さんは自己犠牲を徹底す
 ることで、碧は現実から眼を背けることで自己を保って来た。私の場合は、こう 云う
 人間になるしか、生きる道がなかったんです。理性的になることに徹底するなら、体制
 に与することは難しくなる。私はこの家の中でさえ-異質な疎外者でした


私の言葉は正論だけれど、先程指摘されたように言葉はそれ自体が男性原理に支配
されている。私は自分の中の差別性を隠蔽し、虚構の女性をを特権化しようとしている
だけだった


ここで中禅寺は、「葵さん。もういい。事件とは関係ない。あなたはもう−落ちている」とこれ以上葵
が語るのを終わらせようとしたのですが葵は、

 「いいのです。中禅寺さん。私が自分自身を解体することで、柴田さんの気持ちが、そ
 して姉さんの気持ちが癒せるものであれば−それはするべきでしょう。自分自身を解
 体することなく、体制オデオロギーと闘争しようなどとすることは、矢張り欺瞞に過ぎな
 いでしょう


中禅寺は身を引き、葵は語りを続けた。

 「私は−そうした人間です。そして、先程も云いましたが、その理こそが私の劣等感でも
 あった。その劣等感を克服するため、私は一層にそうした理に従って生きねばならな
 かった。私はそうした二律背反的な生き方をするしかなかったのです。


そして、あの人は矢張り男の眼で、モノとして私を−視ていたのですね−という葵に中禅寺は、

 「あなたは、平野の()み疲れた視線を−本質のみを観る公正な視線、或は境界的な
 越境者の視線と勘違いしたのですね


というのに完全に憑物が落ちた葵は素直に頷き、私に女も男も求めないあの人に−恋愛感情を抱いた。
のですね。それは−狂おしく恋してしまったのです−と葵。室内にいた殆ど全員が唖然とした・・・
で葵は、中禅寺さんも知らないでしょうと言って、母親さえも知らなった(私は、そんなことあるのかと思った
のですが)重大な秘密を打ち明けました。葵は、半陰陽・・・であり、医学的には−男性だと。そして、

 「私は先程あなたと話していて思い至ったのです。これは恥じることなどないのだと。それ
 を恥じること、隠蔽して来たことこそ、私の抱かえる差別的なるものの病根です。中禅寺
 さん、あなたの言葉で云えば−憑物が落ちた


一同は沈黙したのでした。

中禅寺が口火を切って葵に、平野が犯行後に川野弓栄の鞭、山本順子の眼鏡、前島八千代の着物を持
ち帰って来たかと質問、葵は否定しました。
続いて木場が、どうして平野を告解室に移したのか、鍵はどうしたのかと質問、葵は、

 「丁度その頃−九月になったばかりの頃に、私はあの部屋の鍵を貰ったのです。その
 時は恰好の隠れ家だと思いました


と答え、誰から鍵を貰ったに就いては、曾祖母(五百子刀自)から貰ったと。茜が呼びに来たので行くと曾祖
母は伊兵衛の形見だと言ってその鍵を渡したと。ただ、そのとき葵に渡す理由として刀自が言ったことは、

 「お前はあそこに通っているのだろう・・・・・・・・・

と。思わず木場は「ぼ−惚けてるのか−」と言い、葵は頷いたのでした。そして葵は、三人の娼婦の話をし
たのも刀自ではないかと茜に。茜は頷いたのでした。ああ。

これを聞いた真佐子が暴走してしまいました。大声で笑い、

 「それで解りました。凡て解りました!あの女が惚ける?とんでもない惚けてなどいま
 せんわ!

と言い出しました。そして、折角中禅寺が止めていたのに、更なる秘密を暴露してしまったのでした。
 ・私は淫蕩な織作の女。それを恥じよと父に教わった。
 ・しかし、母も祖母も許してはくれず−葵、茜、お前たちの父親は全部違う男
 ・父の伊兵衛は嘉右衛門が連れて来た男
 ・伊兵衛は、あんな馬鹿な建物で織作の因習が封印出来るなどとは思っていなかった。
  あれは飾り。刀自殿に対する宛てつけ。それだけ
 ・伊兵衛は己の血統を後に繋ぐことだけに執着した亡者
 ・雄之介は伊兵衛が女工に生ませた子−真佐子と雄之介は異母兄弟。夫婦の契りは
  禁じられていた
 ・四女・碧はその禁を破って雄之介が真佐子を強姦して産ませた子−だから真佐子
  は不憫な子・碧をまともに見れなかった
 ・長女・紫は、雄之介が外の女に産ませた子
 ・是亮は、雄之介が耕作の女房を雄之介が手込めにして造った子

  −是亮が耕作と似ていないのは当然でした。是亮は耕作の子ではなく雄之介の子でしたから。
   だから悍ましいことですが、雄之介は是亮を茜の婿養子にしたのだったんですね
  雄之介と茜は従妹婚。だから真佐子は茜に是亮との契りを禁じた

 「伊兵衛の思いは成就した。この家に居るもので伊兵衛の血を引かぬ者は五百子
 刀自ただひとり。誰がどなたの子を生かそうとそれは凡て伊兵衛の血筋!


で、一連の事件は−伊兵衛の血統を絶やさんと云う、あの女の企み、だと。これには中禅寺が反論したの
ですが、坐っていても人は動かせる、と言い、碧は伊兵衛が殺したようなもの、その結果、あの学院の欺
瞞は露わになって、終に閉鎖−刀自は笑っておりますわ!、茜も葵も、そして私も−知らぬうちに一致団
結してあの娘を殺すのに手を貸した、と。そして、「云いなりになるのはもう御免です!私は−碧の仇を−」
木場と青木が真佐子を止め、中禅寺が、

 「奥様!五百子刀自は犯人じゃない−」(※8)

と諫めたのですが、すぐその後にとんでもない事態が起きてしまいました。

もう一人、真犯人に誑かされてしまった男が・・・耕作が大変だと部屋に駆け込んできて−葵に近づき、あ
んたが犯人か、榎木津が、逃げろ拙い、と言ったが一瞬早く、「ならばおのれは−冥府に戻れッ!
と言い、太い腕を葵の頸に巻き付け、葵は耕作を支点にして回転運動。止めようとした榎木津も中禅寺も
撥ね飛ばされた−回転が止まった時、葵は死んでいた。榎木津が立ち上がり耕作が身構えたすきに、真佐
子は耕作が腰に差していた鎌を奪い、耕作の頸に突き立てたのでした。「−私の産んだ子は私の子だ
そして、茜−お前だけでも−と言い、自分の頸に鎌を突き立てたのでした。
わずか数分の間の惨劇−こうして蜘蛛の大計は成就した
中禅寺は、

 「−これが−最後の仕掛け−なのか

と言って、幽鬼のように立ち上がった、額から二筋流血していた。榎木津がその横に立った、口の端が切
れていた。木場は、両手を床に突いたまま固まり、柴田は放心。青木は昏倒。益田は頭を打ったらしく立
ち上がれず。茜は母の骸の前に座り込んでいる−この世の光景ではなかった

そこに、しゃがれた声が。

 「凡て−終わったようじゃの
 「これで−織作の家は織作の元に帰った
 「身窄(みすぼ)らしい女工の血はこれで断たれたわい

車椅子に乗った刀自が勝ち誇ったように登場です。
柴田勇治には、勇治は織作の血を引いている−勇治の祖母・長子は養女に出した刀自の娘だと。
おばあ様と車椅子に擦り寄った茜には、女中の分際で馴れ馴れしい口を利くな、と。


結局、中禅寺は真の真犯人を告発しませんでした。
そう、真犯人は茜だったのでした。恐るべし、茜。中禅寺が言わない限り、残った自分に疑いが来な
いように最後のフィナーレを用意していたのでした。そして、中禅寺は告発しないだろうと確信していたので
した。



この後、高齢の刀自は老衰ということで亡くなり、織作家に残ったのは次女・茜ただ一人となりました。
そして、未亡人の茜は、柴田財閥からの申し入れで柴田勇治との婚約が決まり、ここに、石長比売命を祖
神とする非常に古い母性家族の旧家・織作家は完全に消滅することになりそうです。

作家の関口巽は、この事件には全く関与しませんでしたが、その分、興味を抱き、木場、榎木津、伊佐間な
どから断片的情報を聞き、自分なりに纏めてはみたものの、どうもあやふやで像が明瞭とせず、陰惨な事
件を興味本位で嗅ぎ回すのは憚れたのだけれども止まらず、今川、青木、益田にまで話を聞いたのでした。
漸く全貌を把握したのは4月。桜の頃であった。

結局関口は得心がいかず京極堂に出掛けたのでした。京極堂には、今回は敦子の依頼で雑誌の調査を
した以外、直接事件には関与していない鳥口守彦が来ていた。
関口は皆の話を聞いて、蜘蛛を刀自だと思い込んでいた。その意味で、真犯人・蜘蛛は成功したのでした。
誰一人茜を疑わなかったのでしょうか?中禅寺は関口の追及に煩そうに、

 「あの老婦人はね、矢張り老人性痴呆症だったんだよ。だからそんな計画は立てられ
 ないよ
」(※9)

と。中禅寺は、驚いて真意を質そうとする関口を手で押さえて、僕はこれからその織作家に行かなくちゃな
らない、と言うので、で、何で行くんだ、という関口に、

 「仕事だよ。あの屋敷は取り壊すのだそうだ。書画骨董は今川君が処分したが、書斎
 には山程書籍があってね。その本の始末を頼まれた


と。で、関口は、厚かましくも「僕も連れて行け」と−中禅寺からは、

 「何だって君のような愚鈍な従者を同行さえなきゃいけないんだ。僕は榎木津のような
 悪趣味の男と違って、奴隷を傍に置くのは嫌いだ


とくさされ、遠いし、泊まりになるし、交通費もかかるよ、と言われたのですが、邪魔はしないよと言って強引
について行ったのでした。おかげで関口は謂わばおいしいところどりが出来ましたね−事件に関与した連
中には知らされていなかった真実を知る所となった訳です。

中禅寺は織作家での憑物落しの場では結局明かさなかったのですが、早くから真犯人・蜘蛛は茜であるこ
とを確信していました。したがって、この織作家への旅は茜との対決のためでもあったようです。
ここでふと気が付いたのですが、あの織作家の中禅寺による憑物落しの場で、真佐子は娘の茜と葵に初
めて織作家の血は刀自で終わって断絶してしまっていることを語ったのですが、家政婦セツは知っていて
伊佐間らに辞める時にそのことを漏らしています。したがって、茜は知っていた可能性は大というか知って
いたのでしょうね。それだけでなく、織作家がどういう家族なのかも長女・紫の寿命が長くないことも。茜が
こういうことを企てた根本のところはそういう事情ゆえのことだったのだろうと思います。中禅寺が見抜いて
いたように長期間をかけて準備をしてきた−他の家族や事件関係者の茜像もその一環でそう見せていた
のは間違いないでしょう。結果、中禅寺以外誰一人疑わなかったわけですから。関口は、当事者ではあり
ませんでしたから、話を聞いた人々の印象しかなかったわけです。

茜との対決の前、電車を待つ間、電車の中、そして織作家で茜が茶の準備でその場にいなくて二人きりの
時に中禅寺は関口にそれを示唆することをいくつも語っています。多分に、当事者であった榎木津、木場
青木ならすぐに理解したと思いますが、当事者でもなかった関口は鈍感ゆえ、それらを聞いてもわかって
いなかったようですが−ですから、読者向け解説なのかもしれませんね。ここで初めて明らかにされたこ
とが大半ですから。

まず電車を待つ間で中禅寺が語ったこと。(※9)の補填的説明でした。

 「反復再生、反復入力を繰り返せば記憶は鮮明になって行く。入力源を隠蔽すれば
 それはその人の記憶となる−斯様に簡単に−
」(※10)

中禅寺は関口に、君がぼけていると仮定してとして質疑応答をしましたから、この言葉で関口は、

 「い−おこ刀自?

と。
次は電車の中で中禅寺が語ったこと。中禅寺は真犯人・蜘蛛=茜についてのいくつかの示唆をしています。

  ・関口の物語と言うべき久遠寺涼子−「姑獲鳥の夏」で登場、舞台となった久遠寺医院の娘−を榎木
   津の探偵事務所をに紹介したのは中禅寺・関口の旧制高校時代の同級生の大河内
   (ちなみに、杉浦美江を榎木津の探偵事務所に紹介したのも大河内)
  ・大河内の伯父は、涼子が少しの間通っていた薬学の学校の講師だったゆえ知り合いだった
  ・そして「織作茜さんは涼子さんの同窓だよ」(※11)
   −ただ、涼子も茜も薬学の学校は少し通っただけで卒業はしていない
  ・茜は敗戦間際の一時期、家出に近い形で東京に出て、働き乍ら学校に通っていたらしい
   −中禅寺曰く、何かに対する抵抗(レジスタンス)

そして、中禅寺は茜について、最初に織作家にやってきた伊佐間、今川始め織作家での中禅寺の憑物落
しに立ち会い数分間の惨劇を目の前で見てしまった面々ばかりか、多分に母・真佐子、妹・葵も気が付い
ていなかったのではないかと思われることを・・・関口は聞いていた話と違う印象で驚いたのですが。

 「とても謙虚な人だよ。しかも妹に負けず劣らず聡明で、社会に対する主義主張も確乎(しっか)
 り持っている
」(※12)

と。そして、

 「茜さんは薬剤の仕事には就かなかったんだ。結局彼女の社会参加は去年の夏から秋
 にかけて、夫の秘書をしただけに止まっている


その会社は、与えられた服飾会社を倒産させてしまった無能の是亮の左遷先の小さい工場で小金井にあ
、丁度その時期は、増岡弁護士が耀弘氏の相続問題で小金井に通い詰めていた頃で、増岡は何度も顔
を出し、茜は茶出しとか掃除とか秘書の仕事じゃないなということを健気にやっていたという−当時、織作
家の次女がなんでそんな小さな工場で秘書などをと物議をを醸したらしいが、茜は無視−。
で、中禅寺は、「転んでも只は起きない」と関口が理解できない謎掛けを。
−成程。それで茜は「魍魎の匣」の事件を知り、杉浦隆夫のことを知り、また、耀弘氏の相続問題での書
類印刷が小金井の、夫・是亮の大学時代の友人の印刷工場でなされたことから多分にそこにいた川島喜
市とも知り合ったのでしょうね。「喜市が長女・紫に手紙を出した」という茜の証言は死人に口なしのでっち
上げだったのは明白ですね。喜市の手紙は恐らく最初から茜宛だったんでしょうね。したがって同じく死人
に口なしで雄之介についての証言も事実の一部を改竄したものでしょう。隆夫をその印刷工場に斡旋した
のも間違いなく茜でしょう。

次に中禅寺は、

 「五百子刀自の世話も凡て茜さんが献身的にやってたらしい

と。これは、(※10)と結び付けて考えれば、(※10)を五百子刀自に対してなしたのは茜しかいないことはす
ぐにわかるはずですが・・・鈍感な関口はぴんと来なかったようです。

二人は電車を降り、織作家に歩いて向かいました。中禅寺は途中で、呉仁吉の家はこの近くだが、息子と
暮らすことに決めたらしいからもういないだろうなと。そして孫の呉美由紀については茜の口利きと勇治の
尽力で東京の学校に編入が決まったと。また、関口が尋ねた今川が仁吉から1万円で買った神像は茜が
二万円で買ったと。今川についての話題になり、中禅寺は、今川は殴られて気絶していて憑物落しについ
てほとんど聞けなかったことを残念がっていたという関口の話に対して、中禅寺は

 「今川君は耕作さんに後頭部を殴られたようだ。襲われたのは葵さんが心情を吐露
 する、大分前


とまた謎掛けを。ぴんと来ない関口に、

 「耕作さんは葵さんが平野を背後で操る者−真犯人だと思い込み、凶行に及んだ訳
 だが−


と。それでもまだぴんと来ない関口に更に、

 「何故耕作さんは葵さんが自白するより以前に、彼女が平野の背後にいる人間だと
 考えたんだ?


要するに、葵が告白するよりずっと前に耕作は葵殺害を決めてまず今川を昏倒させた訳で、誰かが先に
教えなければ有り得ないこと。で、関口は散々中禅寺から刀自について聞いていたのにまだわかっておら
ず愚かにも話したのは刀自かなどと考えたのでした。
−益田が気が付き伊佐間が見た、門のところで茜と耕作が深刻そうに話をしていたシーン。この時、耕作
は茜から既に吹き込まれ葵殺害を決意したのでしょうね。恐らく伊佐間らも気にしないで忘れていて、そん
な話は関口にはしていないでしょうし。

次に中禅寺は茂浦というのは向こうの方でねと切り出して、首吊り小屋についての話を。茜が、そこへ木場
らが行ったとき、なぜ、本当のことを言わないで道順を教える気になったのか?と。まだ喜市が小屋に居た
なら、自分の嘘が露見すると云うのにと。関口は、嘘の吐き通せる人でないからどこかで露見を望んでいた
のだろう、と好意的な解釈をしたのに対し中禅寺は、

 「平野も喜市と入れ違いに小屋に入っているだろう?本来二人が遭遇していた可能性
 もある訳だ。実際善く出来ているよ


と。
−これについては書かれていませんから、作者が他で言っていることから推察すると作者自身も考えてい
ないのでしょう。茜と葵は全くつるんでおらず、平野祐吉と直接接触が会ったのは葵だけ、川島喜市と接触
があったのは茜だけの筈なんですね。茜は高橋志摩子のことを既に喜市から聞いていますし、多分に喜
市は義兄・新造と志摩子のことも−新造が志摩子を喜市と話し合わせるつもりであることも茜に話したで
しょうね。一方で茜は平野の前には顔を一切出していない筈です。ですから、問題はどうやって学院の告
解室にいた平野を丁度そのタイミングで首吊り小屋に連れ出したかでしょう−あ、そうか、学院内の騒動で
平野は警察が学院に来る前にやばいと考えて首吊り小屋に避難して来ていたのではないか?−。
その時喜市がまだいたかどうかは不明。志摩子の惨劇の時にいて目撃したかどうかも不明です。私はそ
の時喜市は既にいなかったのではないかと思います。新造から小屋に居る喜市に連絡をする術はないは
ずですから、新造は単に喜市がいるだろうと思って志摩子を連れ出して首吊り小屋に行ったのだろうと思
うのです。勿論新造は平野がいるとは知らなかったでしょうし、喜市だって平野と一緒にいるなら新造にそ
のことを言った筈ですから。名前を伏せた男(喜市)と女(茜)の会話は八千代殺しの後、志摩子殺しの前の
もので、茜がびびっている喜市に逃げるように言っていますから、志摩子殺しのときはもう逃げてしまって
いた可能性はあるのではないかと思いますね。逃げる平野は木場と加門に目撃されていますが、喜市は
目撃されていない感じでしたし−やってきた新造が小屋の外から逃げろと言っただけにすぎません。

二人は、蜘蛛の巣館に。今やたった一人の住人、茜が出迎えました。ここでの語り部・関口から見た茜;
 半月型の大きな眼。桜色の小振りな唇・和やかな顔だ。艶やかな黒髪を結い上げていて、形の良い
 富士額が聡明さを象徴している。衣服や周囲の花を映して、織作茜は桜色だった
中禅寺は勿論、ただ仕事で来た訳ではありません。真犯人・蜘蛛との対決に来たのでした。
すぐに一つの狂言芝居を打ちました。案内する茜を追い越して先に書斎のノブに手を出して−鍵のトリック。
開いている筈のドアのノブを回して開かない、鍵がかかっているといい、茜から鍵を借りて開かない、鍵が
壊れているのかと。関口が代わりにノブを回したらやはり鍵がかかっている−関口が慎重に鍵を入れて回
したところで開錠したのでした。
茜がお茶の準備で場所を離れた後、まず、中禅寺の狂言芝居と気が付かず壊れているかもと鍵穴を覗い
た関口は中禅寺から

 「馬鹿だね君も。ああ、君と出会ってから何度馬鹿と云ったかなあ。一生分の馬鹿を
 使い果したらその後は君を何と評価すればいいんだ


−何かの拍子で掛かる鍵などない、鍵は僕がかけたんだ、と。−何のための狂言芝居?当然関口には解
りません。これは間違いなく是亮殺害の時、書斎に鍵が掛かっていたという話から、茜の前でそれを再現
してみせたのでしょうね。茜に対するジャブとして。

次に、関口に机の引き出しに印鑑の類が入っていないかを確認させ、6個あったという関口に紙に空捺し
させました−何とか「織、作勇」読める一番マシなのを見つけさせて、中禅寺は

 「ああ、この判子だ一月経ってもまだ捺せる

と。関口はちんぷんかんぷん。
−中禅寺は、茜から云われてセツが机の引き出しから雄之介の覚書を見つけたと言うことに既に疑念を抱
き、その雄之介の捺印のある覚書は茜の偽造だと考えていてこれで確証を得たのでしょう。

中禅寺は二人だけの間、後二つを話題にして語りました、
まず、榎木津の、あの眼・・・を躱そうとしたらどうするかという話題を。
中禅寺が例を出して示したものは−過去の情景に別の意味付けをしてしまうことで事実を隠蔽改
竄してしまう
−事件当事者でない関口はなぜ中禅寺がこんな話題を持ち出したかわかっていません。
これは、喜市に事実を改竄して、喜市の母親の死に三人の娼婦が関係していると吹き込んでいた茜が、そ
の話は嘘であることがばれたために榎木津が自分の記憶を覗き込むことを予測して、先に声を出し、榎木
津に積極的に記憶を覗き込ませ、それを喜市に言ったのは自分であることを積極的に認め、ある人からそ
れを聞いていて信じていたというこれまた別の嘘にすりかえて榎木津の疑惑を躱したというものです。その
ある人とは、憑物が落ちましたが、鍵の件もあって誤解した葵により指摘されそれに頷く形で他人になすり
つけたのです。そう、刀自に。

もう一つは本田幸三の話題です。中禅寺によれば、本田は前は官庁に勤めていて女性関連不祥事で16
年前に官庁を辞めさせられ、聖ベルナール女学院の教師になった、教師になってから生徒に手を出し、そ
の一人に責任を取った・・・・・・形−それが今の妻で資産家の娘、10年連れ添ってまだ28歳、妻には頭が上がら
ない−本田は結婚後は更生していたのだろうが荒んでしまっていた、彼の前に売春グループがあることと、
それに合わせて売春しているという嘘情報が示唆された生徒が投げ出されて・・・「偶然ではなかった」
−中禅寺は、

 「非決定性と自由は同義ではないよ。それに、仮令決定論を退けたところで自由意志
 とは斬様に覚束ないものだ。ラプラスの悪魔は居なくても、蜘蛛一匹でここまで揺らぐ
 のさ


と。そして、中禅寺曰く、本田の妻は茜と同級生
茜と本田は知り合いだった−本田と渡辺小夜子の関係も蜘蛛・茜の仕組んだものだったということ
でしょう。

お茶を持って茜が現れました。聞いていたかもしれませんね。
中禅寺は、関口の味音痴を話題にしました。どうやら意図的にしたようです。関口が反発して紅茶の銘柄を
嗅ぎ分けるのが得意なんだと言ったのですが、桜の香りでそれができませんでした。で、中禅寺は「嗅覚」
にうまく話題を持って行くためだったようです。茜に、

 「あ、そうそう、嗅覚で思い出しましたが−

と話を振り、

 「−あなたが師事した大河内教授、あの方も専門は嗅覚だったそうですね?

と。私は僅かな間しか通ってませんでしたからと逃げる茜に、

 「いや、短い間だったにも拘わらず、教授はあなたのことを善く覚えていらした。白状
 すれば僕は先週教授にお会いしたんです。あなたは実に優秀な学生さんだったそう
 ですね


と次第に核心に迫る話を。尚も「謙遜」で逃げる茜に更に、

 「大河内教授は当時、香料の刺激が人体に与える影響に就いて研究をなされていた。
 あなたは乞われて実験の手伝いに行かれたそうじゃありませんか。その時大河内康
 治−これは僕の旧制高校の同窓なんだが−彼と知り合ったのでしょう?


と踏み込み、それなら平野容疑者の病のことなどもすぐにご理解戴けたでしょうね、と。そして、

 「皆あなたのように聡明だと話が早いのだが、警察の連中などは未だに中中解らない
 ようで困ってしまいます。平野は獄中で非常に柔順に振る舞い、素直に自供もしてい
 るらしいが、どうも殺人のくだりになると理解されないらしい。


茜は酷く悲しそうな顔で、

 「白粉の毒はきつうございますから−

と。この話題はこれで終わり、中禅寺はいくつかの話題を。

 ・茜が「近代婦人」を読んでいることの確認
 ・屋敷を壊すことの確認
 ・お墓をどうするかの確認

そしてさりげなく、墓参りさせていただくとして、庭に面した窓の横の、小振りの本棚の前に立ち、ここは内
側からは開かないのですか−と。茜は「開きにくいだけです」と答えて。驚いた関口が「何だ!そこは出入り
口か」と聞いたのに対し中禅寺は、

 「そうだ。この建物では凡ての部屋に必ず二つ以上扉があるのだよ。

隆夫の自供では、この出入り口は碧に聞いた、逃げようとしたら中中開かないので窓を破って逃げた、と。

この後、中禅寺は茜に、

 「少し遅くなりましたが−茜さん、この度はおめでとうございます−

と。柴田勇治との婚約がまとまったのでした。そして中禅寺は、

 「あなたは漸く石長比売から木花佐久夜畏売へと、その姿を転じた訳ですね

−核心を突く突っ込みですね。茜はさらりとかわしましたが。
石長比売=母系家族の「戸主」、長女・紫が病弱で命が長くなかったため、婿養子(是亮)を取らせた次女・
茜がその代役にさせられそうになっていたわけでしょう。前述の何かに対する抵抗(レジスタンス)はこれではなかったで
しょうか?

中禅寺は、茜の父親について尋ねました。

 「麻田代議士も、渡辺氏も−あなたのお父様ではなかった。本当のお父様に就いて−
 あなたは五百子刀自からお聞きになったのでしょう?


茜は、五百子当時は自分を女中だと思っているからと否定しましたが・・・
−ここに「麻田」「渡辺」という名が出てきています。麻田夕子と渡辺小夜子が狙われたのはこのためだっ
たのでしょう。偶然ではないのです。

本田について聞こうとしましたが、茜は聞きたくない名前だと言ったので中禅寺は矛を納めました。代わり
に高橋志摩子の名前を出しました。三人の娼婦とされた女性のうち、川野弓栄は実は違っていたのでした。
それは、中禅寺は既に茜だったことを見抜いています。

 「志摩子さんと云う女性は、実に律儀な女性だったようです。最後の最後まであなた・・・
 と八千代さんの名前・・・・・・・・・を、誰にも、決して云わなかったそうだ


と。これには茜は惚けることなく、

 「−あの人は−潔い人だった

と。中禅寺の、信じていなかったのですか、との問いに、茜は「信じません」と。

とうとう茜は、実質的に自分が蜘蛛=真犯人であったことを認めた瞬間でした。
関口は、まるで二人から何百里も何千里も離れて、取り残されてしまったかのように心細くなる、と。




中禅寺は更に、「喜市はどこにいるのですか」と尋ね、茜は

 「さあ−ただ、もう私の前に現れることはないでしょう。あの方も(とて)も思い遣り深い−
 方でした


とだけ答えました。で、中禅寺は満を持して茜に宣告しました。

 「あなたが−蜘蛛だったのですね」(※13)


小説はこれで(完)となっていますが、(※13)はこの小説の先頭にも出てきます。氏名未詳(中禅寺を「男」、
茜を「女」として)で続きが先頭のプロローグ部分に書かれています。著者・京極夏彦氏はこの部分を強調
されたかったのでしょうか?。関口は完全に聞いているだけの役どころですが、中禅寺と茜以外で真相を
知ったのは、事件には関与しなかった関口只一人です。
ちなみに、この小説の途中で、四つの男と女の会話が挿入されています。
順に、織作葵と平野祐吉、織作碧と杉浦隆夫、織作雄之介と石田芳江、織作茜と川島(石田)喜市です。

中禅寺は、

 「八方に張り巡らされた蜘蛛の巣の、その中心に陣取っていたのは実はあなただった。
 捕らわれた蝶はその綻び傷んだ翅の下に、実は毒毒しくも鮮やかな八本の長い長い
 脚を隠し持っていた訳だ−


と。で、実質的に蜘蛛・真犯人であることを認めた茜は、事件はもう解決して・・・・・・・・・います、と言ったのですが
中禅寺は、事件は解決しても、あなたの仕掛け・・・は終わっていない、と。中禅寺はしっかり見抜い
ています。

 「あなたの周囲からあなたを束縛するものは凡て排除された。しかしあなたは、これか
 ら再び束縛されようとしている。つまりあなたの計画は終了していない・・・・・・・のでしょう。


「これから再び束縛されようとしている」というのは柴田勇治との結婚のことですね。

 「あなたは、この次にあなたを束縛する者を排除する・・・・・・・・・・・・・・・・・・ことで、名実共に、この国の中心
 に納まることが出来る訳だ。


−即ち中禅寺は、次は結婚後、柴田財閥の若き長、柴田勇治を排除するつもりでしょう、と言っている訳で
す。そして「その先も−あるのですか」と。
これに対して茜は、あの憑物落しをしようとしているのか、と聞きましたが、中禅寺は頼まれもしないのにや
らない、あなたからは落とすものがない、と答えましたけれども、既に中禅寺は妖怪・絡新婦の本体は蜘蛛
の巣でありますように「落とせるものではない」と益田らに言明しているくらいですが、茜はそれを知りませ
ん−勝ち誇ったように、「自身の手で憑物を落としたのです。貴方がするように・・・・・・・・」と宣ったのでした。
そして、

 「どこにも−どこにも居場所がない−だから己の場所を獲得しようと
 −そう思ったのです


と動機を語りました。

 中禅寺「どうせ獲るなら一番善い場所を−ですか
 茜  「人ならば誰でもそう思う。当り前ですわ

中禅寺は、このまま胡乱なる時の彼方に葬り去ってしまうには余りに見事な仕掛け、だと言って更に追及
しました。一年前、二箇月前、一週間前に毒物を使用しましたね、遣り過ぎだ、と。
これは、一年前=姉・紫、二箇月前=父・雄之介、一週間前=曾祖母・五百子刀自のことです。病死/老衰
死扱いで誰一人疑わなかったのでした。

中禅寺は、

 「幾ら居場所を獲得するためとは云え、あなたはいったいあなたの後ろに幾つ(むくろ)を転
 がせば気が済むのです


と。これに対し、中禅寺の本質的な所を知らないで表面的に誤解し、また、中禅寺がすっかり茜の心内を
見透かしているのに気が付かないまま、居直りの反撃に出たのですが・・・
中禅寺に勝てる筈はありません。中禅寺はまず、

 「あなたは僕を誤解しているようだ。その読み方・・・・・では、あなたに僕の本意など解る訳
 はない
」(※14)

と。茜は中禅寺を「人道的だ、だから私に手出しは出来ない」と−茜はそういう理由で中禅寺は自分を見逃
すだろうと高を括っていた、案の定、皆の前では見逃した、とそう考えていたのでしょう−。
中禅寺はそんなことはないと笑い、先程、一つ嘘をついた、−川島喜市は−僕が確保している」と。当
然ながら、茜は喜市には悉く善意の第三者として接してきたため、それだけでは怖いものなしで「それがど
うしたと云うのでしょう」と。そこで中禅寺は、「僕はあなたがしたのと同じように否、更に直接的に彼を操作
できる立場にあるのですよ。」と。しかし、茜は中禅寺はそういうことをしない人と高を括っていますからまる
でまるで驚かない・・・

 「あなたの弱点は−その不本意な人間性(ヒューマニズム)にある
 「近代性(モダニズム)−と云い換えても宜しいですわ。貴方の詭弁−あなたの紡ぐ呪文は実に
 有効です。しかし、貴方は意図的にそれを綻ばせることがある

 「(いにしえ)の闇を語り闇を造り闇を落とす者が何故、正しくあれ、健全であれ、近代人
 たれと、斯様に微温(なまぬる)い台詞(せりふ)を呪文に織り交ぜるのです。貴方はそうし
 て世の中と折り合いをつけようとしているのではないですか。それなれば、大いな
 る欺瞞ではありませんか

これに対して、先に久遠寺涼子の例を出した茜に対して(※14)というジャブを打っていた−茜はそれを理解
しないままこう語ったようですが−中禅寺はびくともせず、

 「それは少しばかり違っています。僕は祓うのは(まじな)うのを仕事にしている訳ですか
 らね。仮令(たとえ)不本意であろうとも、己の主義主張に反していても、将また矛盾があろ
 うとも、一切関係ない。その場その時一番相手に利く呪文を(となえ)ているだけです。
 近代反近代人道非人道の区別など−僕には最初(はな)からない
」(※15)

そうなんですね。中禅寺は人道的観点で乗り出したことは一度もないのですよね。副業の「拝み屋」という
仕事で乗り出しているだけなんですね。今回も今川が費用を支払うからということで乗り出しただけなので
す。人道的な立場からの益田の説得にはまるで応じませんでしたね。益田に対して(※7)と言っています。
しかし、残された記録だけ見るとそこが誤解されてしまうのですね。中禅寺はよくある所謂、「名探偵」とは
様相が異なるのです。茜が気に懸けた久遠寺涼子の事件は、中禅寺が未だ払ってくれていないとどこかの
小説の中でぼやいているように関口が依頼人ということになっています。茜はまずそれを誤解しているので
す。ですから、(※15)を「詭弁です。」と云う訳です。そして、

 「貴方はそうして越境者の振りをするけど、それは戸惑いではございませんか。

と言い、久遠寺涼子のことを念頭に置いて、

 「貴方の迷いは人を破滅させる。貴方とて−人を殺している。

と。で、中禅寺は全く動じず、

 「残念ですがそれも外れています−
 「僕は近代と前近代と云った範疇で歴史を捉えることはしません。僕にとっては近代
 だろうが古代だろうが過去は過去。行末を除き、現代(いま)を含む来方(こしかた)の凡ては同列です。
 そして近代主義だろうが反近代主義だろうが、凡ての言説は呪文以上のものにはな
 り得ない。僕の言葉が人道的に聞こえるならば、それは聞く者がそうした毒に侵され
 ているからです。僕はそんな主義主張は持っていない。僕の言葉に綻びがあったと
 いうのなら、それもまた計算のうちなのです


中禅寺は日頃関口に、「言葉は(しゅ)」と説いています。「言葉の力」を十分理解した上で、「言葉」を使
うことで「憑物落し」をすることを「副業」としている
訳ですね。
茜は激高して、久遠寺涼子を死に追いやったことは不本意ではなかったかと反論しましたが、中禅寺は、

 「慥かに不本意です。遣り切れない。しかしそれは決まっていたこと・・・・・・・・だ。僕が関わるこ
 とで確実に破滅が訪れる−それは予め解っていたことです。だからこそ僕は−己の
 行為を無効化する事故(アクシデント)を常に夢想する。しかしそんなことは−起こらない

と。これに対して「決まっていたこと」というのが理解できない茜は、

 「貴方は傍観者を決め込んでいるけれども、観測行為そのものが不確定性を内包し
 ていることは御承知でしょう。それならば−予測など


と反論したのですが、そういう反論を見越している中禅寺は、

 「慥かに、観測者が無自覚である場合は不確定性の理から逃れられるものではあり
 ません。だが観測者がそうした限界を十分認識している限り、己の視点を常に括弧
 にいれて臨む限りはそのうちではない。僕は事件の傍観者たることを自覚している。
 つまり観察行為の限界を()っている。だから僕は言葉を使う。言葉で己の境界を区
 切っている。僕は僕が観察することまでを事件の総体として捉え言説に置き換えて
 いる。僕は既存の境界を逸脱しようと思ってはいない。脱領域化を意図している訳で
 もない


といい、「あなたはそれに無自覚だけだったようだ−」と。そして、

 「−これで漸く解りました。あなたはあなたが発動した計画がどのような理に則って
 動くのか、全く理解していなかったのですね−


茜は虚をつかれ、瞬時虚勢を張ることを忘れたようでした。中禅寺はそんな茜に更に、

 「−だからあなたは止められなかった・・・・・・・・んだ

と言い、決定的な指摘をしたのでした。

 「あなたは無秩序に行動する因子(ファクタ)達に意図的な刺激を与えて、事件を産出する
 網状組織(ネットワーク)再産出してしまう事件・・・・・・・・・・が成立する環境を造り上げた。個個の因子やそ
 の行動は計画自体には多くの作用を及ぼしたが計画の作動−事件自体は個個の
 因果的作用には反応せず、ただ事件自体を反復的に産出し続けた。あなたは無自
 覚のうちに、作動すること自体が体系(システム)を規定する計画を立案発動させ
 ていたのです−


と。「作動すること自体が体系を規定する」については、聖ベルナール女学院に乗り込んで一連の騒動に
巻き込まれた榎木津も(※2)で「経過自体が事件を生成して行くような陰険な事例」だと益田に述べていま
した。中禅寺はそれを「茜が無自覚のうちに立案発動させた」と指摘したのでした。
その上で、

 「無自覚な観察者は事態を誤認するだけだ。観察者は当事者の捉えた現実を客観
 的に知り、軌道修正出来る立場にはもう居らず、知り得る情報が多ければ多い程、
 観察はただ事実を隠蔽するだけの行為に堕す。作動してしまった計画はただ延々
 と事件の反復再生産を繰り返す。だから−そして、あなたの望みは叶った。

 「しかしあなたは反面、多くのものを失った・・・・・・・・・

茜はまだ虚勢を張って、「失ったのではなく、落としたのです、祓ったのです」と言ったのですが、もう負けで
す。

 「では何故に乱れるのです−
 「あなたは−本当に悲しんでいた訳だ。肉親を、友人を殺し、見ず知らずの者を巻き
 込み乍ら−


そして、中禅寺はこれを云いたくて対決に望んだのではないかと思うのですが、

 「そんなにまでして手に入れた場所に−それでもあなたは甘んじて行くのですか。
 そしてまだこの先も、それを続けて行くおつもりなのですか。正直云って、僕はあ
 なたが悲しもうと苦しもうと、どうでもいいのです。あなたは強い。そして聡明だ。
 寧ろ喝采を送りたい程です。ただ−その仕掛け(システム)の中にあなたという個は居ないん
 だ。だからこのままでは−あなたは潰れる


結局、茜は中禅寺に打ち勝つ事は出来ませんでした。これ以上の計画を断念したようです。

 「ご忠告に−従いましょう
 「−私は今回のお話を−辞退いたします

これは次の作品「塗仏の宴」で明らかにされています。茜は柴田勇治との縁談を断りました!

ただ、中禅寺は、

 「ただ−このままここで石長比売(いわながひめ)となり、生涯墓を守って生きるなど、あなたには
 似合いませんよ


と言ったため、茜は「そんな優しいことを仰るから−」貴方は誤解される−と。


繰り返しになりますが、実は大変聡明な茜は、中禅寺と榎木津が網に掛かって乗り出してくることを予測し
それへの対処まで考えた上で計画立案したのですが、中禅寺という人間の本質まで見抜けず、最後に敗
北したのでした。

勿論、茜のなしたことは、法的には犯罪として罰することはできない・・・中禅寺はそれを最初から分かって
いたため、最後の五百子刀自の言動で皆の「真犯人は誰なのか」という思いをそこで終わらせ、尚且つ密
かに更なる犯罪の発生の阻止を目指したということでしょうね。強引についてきた関口だけは真相を知りま
したが。最後の五百子刀自の言動は中禅寺も予測していなかったことでしょう。あれがなければ、あの場で
これをやったのかもしれません。

茜の最後の言葉は、

 「私はもう一生泣きませぬ。泣いては己が立ち行かぬ。こうなった以上はもう一度己
 の居場所を探します。負けません。負けてなるのもですか。貴方より誰よりも、強く
 生きて見せましょう。石長比売の(すえ)として、私は悲しくとも辛くとも笑っていなければ
 ならぬでしょう。それが−

 「それが−絡新婦の理ですもの

ここで気になる言葉がありました。「石長比売の裔として」です。これは「織作家の娘」という立場でのことな
のか?−私は違うのではないかという勝手な推理をしています。
それは、小説では、結局、「茜の父親」が明らかにされなかった故です。茜は知っていたのではないかと。
多分に、五百子刀自以前まで遡れば、旧家・織作家の血筋を引く男ではなかったかと。

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(追記)
書き忘れていたことがありましたので追記しておきます。

葵が言っていたように、茜の「自己犠牲」での母親・真佐子がやらない家庭内のことをやっていたのは茜の
「野望」に丁度うまくマッチしていたんですね。

茜は毎月、聖ベルナール学院に碧に届け物をするために行っていました。目潰し魔=平野祐吉の犯行後、
蜘蛛の僕が呪いの儀式をする石板に置かれた川野弓栄の鞭、山本順子の眼鏡、前島八千代の着物はそ
の際茜が置いたものですね。
雄之介のことでも真佐子が言っているように、茜の方が色々と聞いているみたいです−茜は否定しましたが、
彼女の証言は嘘で塗り固められている−証言に置いて死人に口なしで事実を都合よく改竄してきましたから。
刀自は老人痴呆症、その世話を献身的にしたのは茜。葵に渡した告解室の鍵の件も刀自が茜を女中扱いし
たのも皆茜の働きかけによるものでしょうね。
わざわざ、石田芳江に子供がいたと言ったのも、どうせ榎木津に見破られることを判っていて先に出したの
でしょうね。凡て計算づくだったわけです。志摩子殺しの阻止のためという推理をされている方がおられま
したが、茜は中禅寺には「信じていません」と言っていますから違うだろうと思う訳です。

私にとってこの「絡新婦の理」は京極シリーズで最も面白かったベスト1の作品です。

尚、著者は残酷ですよね。16名の人間の死の裏にいた真犯人=蜘蛛の茜の最後の決意「もう一度己の居場
所を探します」は成就できませんでしたね。他の作品のネタバレですけど、「塗仏の宴 宴の支度」の物語−こ
の「絡新婦の理」のすぐ後の出来事−で哀れ命を落としてしまいました。ここに、石長比売を創祖神とする旧家
織作家は完全消滅してしまいます。


ネットサーフィンしていますと、この作品は全てを明らかにしていないため、色々な考察がアップされています。
「居場所を探すためという動機がよくわからない」とか「茜の父親は誰だろう」とか。
大変失礼ながら、しっかり考えていらしゃるのも読ませて戴いたのですが、何か深読みではないの−結論が顕
かに時代考証で誤っていましたしね−と思うものもありました。
「居場所云々」については、その前に中禅寺が、「あらゆる制度の呪縛から解き放たれ、己の場所を獲得する
ため」とありますから、これでいいのではないかと思います。茜は本来、「次女」なんですね。ところが母性家族
で本来、束縛されるのは「長女」なのにその長女は病弱でその役目が果たせない・・・で、自分は婿養子を取ら
された。このシチュエーションから明らかじゃないでしょうか?真佐子は娘達に歴史の古い母性家族の織作家
のしきたりについて隠していたのですけど、聡明な茜は知っていたのでしょうね。そもそも茜に是亮と性生活を
禁じたのは母の真佐子だと真佐子が自分で言っています。茜にはどういう理由でそれを告げたのでしょうか?
茜の意志でのことではない訳です。それ以上の深読みは無用ではないかと思いますがねぇ。
若い時に一時薬学の勉強をしていたくらいですから、茜は葵が語った長女・紫像とは違う独立心の旺盛な女性
ゆえ、次女なのに織作家のしきたりに従う皮肉な運命に束縛されかけていて、それはそういう自分の居場所で
はないという、そういうことではないかと思います。中禅寺が言った

 「あなたは漸く石長比売から木花佐久夜畏売へと、その姿を転じた訳ですね

がそれを物語っていませんか?

茜の聡明さは、次作である「塗仏の宴 宴の支度」で羽田の秘書の津村のことを十分調べていたことでもわか
ります。また、妹・葵の茜に関する発言の中に、茜が一時薬学を学んでいたというのをばらすシーンがありまし
たから、家出してのことではなく、次女という本来は織作家のしきたりに従わなくていい筈だったポジションゆえ
の独立心からのことだったと思います。なぜ仕事にR.A.Aを選んだかはわかりません。若気の至りだったか適
当な就職先がなかったからかも。学費かと思ったのですが、あの三人の娼婦のひとり−茜でしょう−は元学生
とありましたので違う気がします(それともR.A.Aが解散になったため学費が続かずやめたために、「元学生」と
いう表現なのかな?)。お国のためにと積極的参加したのは八千代ですよね。

Q&Aで一番多かったのは、「茜の父親は誰だろう」というものでした。小説の中では唯一明かされませんでした
から。しかしながら、小説の中に出て来る人間を当て嵌めるのは無理があると思います。それは会話を慎重に
読むとある程度はわかります。呉仁吉という意見を目にしましたが、違うでしょうね。呉仁吉の役どころは呉美由
紀の祖父、織作家の使用人・出門耕作の友人、そして伊佐間と電車の中での邂逅で伊佐間が今川と共に織作
家事件に巻き込まれるというストーリを繋げるために登場させたという訳でしょう。美由紀はあくまで蜘蛛のター
ゲットではなく、中禅寺が言っているように、中禅寺等と同じポジションとして蜘蛛の巣に触れて巻き込まれただ
けでしょう。
麻田夕子と渡辺小夜子がターゲットになったのは、両方の父親が真佐子の相手になったことから、その時は茜
にとってまだ自分の父親候補だったわけで、彼等を破滅させようという意図からでしょう。しかし違っていた−中
禅寺の「麻田代議士も、渡辺氏も−あなたのお父様ではなかった。」について否定していませんから後で茜にわ
かったのだろうと思います。

私は、最後の目の前での惨劇−葵を殺した耕作が真佐子に殺害され自殺するというのは中禅寺は勿論茜さえも
予測していなかったと思います。この時点で茜がなしたのは、耕作に嘘を吹き込み葵を亡きものにしようというこ
とだったと思います。耕作はターゲットではなかったと。是亮の実父ではなかったですしね。真佐子の排除は他の
種を蒔いていたのかもしれません。

ま、語っても語り尽くせないところがある小説ですね。

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(再追記)
「絡新婦の理」だけでは正直茜と言う女性の全てが理解できなかったのですが、次作の「塗仏の宴 宴の支度」の
「おとろし」の章を再度じっくりと読んでみました。これもネタバレですm(__)m

この章は、茜が28年間住んだ蜘蛛の巣館を含む織作家の土地を売る段になって云い値で買うと接触して来た祖
父・伊兵衛の異母弟である羽田製鉄顧問の羽田隆三の何回目かの訪問を受け、茜の今後に対する彼の申し出を
受けることになり、結局それが伊豆での彼女の悲劇に繋がったお話です。

茜はたった一人、旧家織作家に残されました−自分の居場所を求めるため望み企てたことでした−が、只一人の
男との対話−中禅寺秋彦との対決の中で次の行動を断念−結局、一番良い場所を取るための手段であった柴田
勇治との婚約を断ったこと−、恐らくそれゆえに何か憑物が落ちてしまったのか、女権拡張運動リーダだった妹と
その会合で聞いたことへの思いをはせ、改めて考える茜。

 −個人とはなんだろう

と妹が死んでから善く思うと。

 主張すべき自己とは、尊重されるべき個性とは何のだ。そもそも人格とはなんだろう。
 よく考えてみれば、個人主義などもう古い思想でしかないのかもしれなかった。
 それでも茜は、それが近代的な在り方だと疑いもしなかった。だから今までもずっと個を貫い
 て来たつもりでいた。凡ては妄想に過ぎなかったのかと、今は思う。


 人は生まれ乍らに、女なら女と云う器に盛られている−その器に囚われるが故に自由なる精神活動が行われな
 いのは理不尽である−と、そうした主張は解らないでもない。しかし女と云うものは所詮子供を産むための器その・・
 もの・・に過ぎないのだと、今の茜は思う。

 器それ自体が己なのだと、器自身は思いたくないと云う、ただそれだけである。

そして得た結論として、

 人の身体は統御不能である。意志は自然の統治下にある。それならば先ず己の躰を知ること
 が、個を見極めわめると云うことになるのだろう。
 −このからだ・・・が私だ
 自分探しなど糞食らえである。
 精神と肉体は不可分なものだ。肉体的経験を積み重ねることが即ち生きることである。非経験
 的観念を、先天的な真理と見做すことは幸福の獲得には繋がらない。肥大した観念は身体を
 苛めるだけなのだ。観念的な”個”という幻想をただ追いかけて、結果−茜は襤褸襤褸(ぼろぼろ)になって
 しまった
 考えずとも幸せはここにあり、
 −このからだこそが私の居場所だ


と。妹が逝って、母が逝って、家族が誰一人いなくなって、茜はそうしたことに漸く気が付いた・・・

私はこの中の「襤褸襤褸になってしまった」というのが何を指してのことか特定できていません。躰のことか精神的な
ことか−「肥大した観念は身体を苛めるだけ」と云うのと結び付けるとR.A.A.に参加したことでしょうか?

茜は、

 妹と話してみたかった。もう叶わないけれど。茜は生前の妹とまともに議論したことなど、一度たりともなかった。
 妹だけではない。茜はだれとも言葉を闘わせずに生きて来たのだ。
  ただ、一人の男を除いて−
 後悔はしない。そう決めたのだ

と述懐しています。本当は茜と云う女性は、
中禅寺曰く、

 「妹に負けず劣らず聡明で、社会に対する主義主張も確乎り持っている

羽田隆三曰く、

 「誰の血ィ引いたか知らんが、あんたには才がある

 「儂の眼鏡に適う女はそうおらん。楚楚とした中に毒がある

と口で謙遜していても実態は見破られているんですよね。そうでなければ、あのような企てなどできるはずはありま
せん。

いずれにしろ、上記は織作家でただ一人になって考えた独白であり、茜がこれまで家族や他人に見せて来た姿という
のは、長女・葵のような従順さでもなく、また、諦めて甘んじてのものではなく、来るべき時への備えとしての計算ずく
でのカモフラージュであったことは間違いないでしょう。

後、誤解されているのではという意見を目にしたのですが、羽田隆三との会話の中で、羽田が、あんたに責められたら
な、三千人分の精気使い果してしまうわ、と言ったのに対して、

 「お試しになられますか−

と言ったのは、自分の躰に秘密があるからでなく、老人が鬱陶しくて、

 −一度−云ってみたかった

言葉で犯そうとするなら言葉で返すだけであると独白していますから、そういうことだけでしょう。
羽田は、あくまでも謙虚さを装ってきた茜から思いもしない返しをされてあたふたしただけでしょう。

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(再々追記)
もう一つ書き忘れがありました。
中禅寺が茜との直接対決の中で

 「川島喜一は−僕が確保している

と言っているのは、中禅寺のはったりだとする意見を目にしましたが、私は違うと思います。
中禅寺は喜市の義兄の川島新造とは知り合いですね。私は新造が密かに喜市を匿っていると思います。
新造は大した罪を犯していませんから軽い刑で終わっているのではないかと思います。中禅寺は殺人実行犯以外は
警察に犯罪者として告発してきていませんよね。中禅寺は新造との信頼関係でこっそり喜市と会っているものと考え
られます。

 「事実、彼はあなたを摘発するどころか−寧ろ感謝さえしている

と言っていますから,これはもうはったりではなく実際に会ったときの喜市の話からのものでしょう。
新造が「塗仏の宴 宴の始末」で中禅寺が戸人村(へびとむら(における憑物落しに向かう際、ボディーガード的役目をしたのは、
義弟・喜市を見逃してやった中禅寺に対するお礼もあってのことではないかと思います。

                             ('18/11)

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