京極夏彦・京極堂シリーズ考(3)(ネタバレあり)(’18/9)


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 随所で決定的ネタバレがありますので、ご留意くださいm(__)m
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歳の所為なのか記憶力がすごく減退していて・・・

京極夏彦作品の「京極堂シリーズ」−公式的にはそういう名前はなく、読者が名付けてネット上で
展開されているもので、古本屋・京極堂を営む中禅寺秋彦が副業の「憑物落し」で事件を解決と
いうか解消する一連の「ミステリー小説」−に今更嵌ってしまっていて、繰り返し読んでいます。
それは、このシリーズが色々な点で私にとって面白いとともに、皆分厚い長編ゆえ、何度読んでも見
落ししたり、すぐに忘れてしまっているところが多々あるゆえです。

ミステリー=推理小説として、最後に探偵役が謎解きをする前に、読者が犯人と犯行状況を推理で
きるよう材料が全て提供されているのを「フェア」であるとするミステリーファンの方達の定義というか
思いからすれば、この京極堂シリーズはかなり「アンフェア」であり、それを批判的に論ずる方達もい
ることは知っています。しかしながら、私はこのシリーズをそういう一般的な推理小説の定型みたい
なものから論じるのは、大変失礼ながら単に「好み」の問題でしかないと思う訳です。私のようにそ
ういう定型的なことにはまるで拘らない−というか、私自身、そもそも自分の推理力がかなり劣って
いることを自覚していて、最初から推理することを放棄していて、純粋に起きた事件を最後になされ
る「探偵役」の解説とエピローグを楽しみにして読んでいる−ミステリーファンも存在している訳です。

そもそも、私が「名探偵」登場の「探偵小説」から所謂「推理小説」というジャンルに足を延ばし、それ
以後、所謂「推理小説」と呼ばれるものにどっぷり嵌ってしまった理由は振り返ってみると、事件を解
明する人物が、所謂天才的な「名探偵」ではなく、多くは警察の一刑事とか新聞または雑誌記者とか
その他の一般大衆の中の人とかであり、かつ多くは、その人物の社会に於ける人物像が描かれて
いることにあったのではないかと思います。記憶では、最初に読んだ所謂「長編推理小説」(私は短
編はあまり好まない輩です)は、松本清張「砂の器」でした。これを読んだとき、犯人をこつこつと追い
詰めていく40代の警視庁の今西刑事(恐らく巡査部長)に魅せられてしまったのでした。小説では、
随所で彼の家庭生活(よくできた奥様やアパートを経営している実妹などが登場しますし、食事の「お
かず」まで出てきます)が描かれていたのでした。そう、事件を解決するのが超人的・天才的名探偵
ではなく普通の社会生活を送っている(勿論、刑事という特別の職業ゆえの相違はありますが)人物
である−事件とは関係ないところで彼の家庭生活が描かれ、そういう「キャラクタ」人物として登場し
ている−ところに魅せられてしまったのでした。ですから一時、探偵小説には飽き足らず離れていた
こともありましたけど、天才的と言うか秀才的と言うか、それでも「超人的」ではない間違いもする名
探偵登場の推理小説(例えば浅田光彦シリーズ)も読むようにはなりましたが、これは浅田光彦の人
間性、社会に於ける位置づけがしっかりと描かれている−共感しているわけではありませんが−故
です。

したがって、勿論、「事件が起き、謎があり、最後にそれらが解明される」という基本の形を有してい
るミステリーが大好きなのですが、それを二度、三度と繰り返し読むと云う気になるのは、そういう、
事件を追う側の人間のキャラクタに魅せられたもののみなのです<私の場合。ちなみに,犯人への
思いというのは全くありません。前述の「砂の器」はドラマ化されたとき、犯人の和賀英良にスポット
を当てある意味美化してしまっていて、肝心の今西刑事は軽く扱っているかひどいのになると小説
に出てこないような人物(ヒロイン)を登場させて犯人を追わせるというような、全く原作を無視し改竄
したようなものまであり、更にはそういう独りよがりの偏った正義感を強調したようなものをベースに
して原作批判するような本末転倒の意見まで目にして私的には憤懣やり方ない気持ちでした。

このように、私は「事件が起き、謎があり、最後にそれらが解明される」という「ミステリー」の基本の
形を有しながら事件を追う側の登場人物が私的に魅力的であることを好む輩ですから、まさに
その「事件を追う側の登場人物が魅力的である」ゆえにこの京極堂シリーズに嵌ったのでした。何と
そういう人物像は「探偵役」ただ一人でなく、複数登場しているのです。まず、中野の眩暈坂上の古
書肆・京極堂の主で代々の武蔵晴明社宮司、そして副業として拝み屋(憑物落し)をしている
禅寺秋彦
、神田の所有ビル3階で薔薇十字探偵社を営み、「探偵」(世界で唯一の「探偵」であると
自称)の榎木津礼二郎、中野在住の幻想小説作家の関口巽、小金井に住んでいる刑事の木場
修太郎
の4大キャラ。この4人は第一作「姑獲鳥の夏」で最初から知人・友人関係で登場しています。
中禅寺、榎木津、関口は旧制高校時代からの友人−中禅寺と関口は同級生、榎木津は一級先輩。
中禅寺と榎木津が先に知り合いになり、関口と榎木津は中禅寺の紹介で知り合っています。榎木津
と木場は幼友達(会うたびに互いに罵倒しあっていますが)、関口は学徒動員で徴集された戦争時代、
職業軍人(軍曹)だった木場の上官で、戦争で二人だけ生き残った仲です。
中禅寺は、榎木津と木場からは「京極」、関口からは「京極堂」と呼ばれ、木場は、中禅寺と関口から
「旦那」、榎木津からは「木場シュウ」と呼ばれています。そして関口は、中禅寺からは「関口君」、木
場からは「関口」ですが、榎木津からは「関君」「サル」と呼ばれています。年齢的には、

 木場=榎木津>中禅寺=関口

のようです。全員30代ですがネット上には色々な考察がされていますが正確な年齢は不明です。
で、実に作者はうまく構築したなと思うのですが、興味深いのはそれぞれのキャラクタです。
それゆえに、ネット上では魅了されている方々も多いのですが、私はこの「京極堂シリーズ」は、

 ミステリー小説+キャラクタ小説

と位置付けています。


さて、繰り返し読む中で、自分で驚いたと云うか、如何に私はきちんと読んでいなかったかに気が付
きました。否、読んでいたはずなのに多くをすっかり忘れてしまっていたのでした・・・分厚い長編小説
9冊ということもあるのかもしれませんが、それにしてもとがっくりきてしまいました(^^;。京極夏彦・京
極堂シリーズ考・再度
京極夏彦・京極堂シリーズ考(2)はまだまだ読み足らない中でわかったつもり
になって書いてしまったと。それで、京極夏彦・京極堂シリーズ考(3)として追加です。


まず、これらのキャラが事件に関与する時期にあまり留意していませんでしたが、外伝たる「百器徒
然袋-雨
」「百器徒然袋-風」を除き、昭和27年〜28年頃と知りました。
分厚い長編9冊、8件の事件物語ですが、わずか1年強の間の出来事だったということです。意図は
あるのでしょうか?特に理由なし?

 書名 時期備考
 @姑獲鳥の夏:昭和27年7月関口の事件
 A魍魎の匣:昭和27年8〜10月木場の事件
 B狂骨の夢:昭和27年11月
 C鉄鼠の檻:昭和28年1月
 D絡新婦の理:昭和28年2月
 EF塗仏の宴(宴の支度、宴の始末):昭和28年1月、4月〜6月中禅寺の事件
 G陰摩羅鬼の瑕:昭和28年7月関口の後日譚
 H邪魅の雫:昭和28年9月榎木津の事件

勿論、事件自体の発端になるところはそれより以前であり、それは物語の中で明らかにされていま
す。上記4大キャラのいずれかが関与するようになって最終的に警察や関係者に対する中禅寺によ
る憑物落しと事件解決で大団円を迎えるまでの時期(本の中でリアルタイムで進む物語の期間)を示
しました。

もう一つ、これもあまり気にしていませんでしたが気になりだしましたこと−前述の4大キャラがそれ
ぞれの物語においてどの場面で最初に登場しているか、そして、登場の仕方−を調べ直しました。
これもネタバレになってしまいますけど以下に纏めておきます。

姑獲鳥の夏(雑司ケ谷の事件):
 
 中禅寺秋彦関口巽
 section1で、関口が京極堂に

  二十箇月もの間子供を身籠っていることができると思うかい?

 と尋ねに行ったことがこの物語の端緒になっています。

 榎木津礼二郎
 産婦人科医院の話と婿が1年前に失踪している話から中禅寺はそれが雑司ケ谷の久遠寺医院の
 話であること、そして関口は気が付かなかったのですが、失踪した婿というのは中禅寺・関口の1年
 先輩の藤野牧郎であることに気が付いた中禅寺は関口に榎木津の処に行けと。かくして関口は神
 田の薔薇十字探偵社まで出かけ、榎木津登場です。

 木場修太郎
 section4で関口が来ていた京極堂にやってくるところからです。榎木津から頼まれて関口を捜して
 のことでした。

 ☆確かにこの処女作は関口巽の事件とも言うべき物語となっています。しかしながら、関口を主役
 だとか、榎木津は関口の介添え役で登場させたみたいな意見も目にしますけど、シリーズ全体を
 読めばそれは誤解であることわかります。著者自ら、関口は主役ではないが、なくてはならない存
 在のようなことを仰っているようです。勿論私の考察では、京極夏彦・京極堂シリーズ考(2)で述べ
 たように、榎木津もこのシリーズでは必須の存在です。榎木津なくして中禅寺の存在は活きてきま
 せん。
 中禅寺は、三重人格になってしまっていた久遠寺涼子についてそのことを知らないまま素の涼子
 に魅入られてしまい助けようとした関口の必死の依頼で事件解消(関係者の憑物落しと事件解明)
 を行います。
 尚、警視庁管轄の事件であり、結構木場刑事はかっこいいです。また、後日、中禅寺グループとい
 うべき京極堂に集うサブキャラの一人となる青木文造刑事が木場の部下として登場し、木場から
 特攻隊の生き残りだとして紹介されています。

魍魎の匣(武蔵野ばらばら事件):

 木場修太郎
 section1で降車駅の小金井駅ホーム手前で急停車した電車に乗車していたことで登場します。

 関口巽
 section2で、奇譚舎の近代文芸編集部に原稿を届けに行くところから登場します。

 中禅寺秋彦
 section4で関口が、これ以後京極堂に集うサブキャラの一人となったカストリ誌「実録犯罪」編集記
 者の鳥口守彦を連れて京極堂を訪れるところから登場します。

 榎木津礼二郎
 section6で柴田財閥顧問弁護士の増岡則之が榎木津に柚木加菜子の行方捜査依頼に訪れた
 ところからの登場です。

 ☆この第二作は木場修太郎の事件とも言うべき物語であり、映画・魍魎の匣はまるで異なるもの
 で登場の仕方自体違います。木場が組織体系無視の暴走刑事たる姿を現し、彼の勘違いが事件
 を引き起こしたと云えます。乗っていた電車が降車駅の小金井で、ホームから転落した女子中学
 生=柚木加菜子を轢いたこと、そしてやってきた加菜子の姉と称する柚木陽子が木場が片思いし
 ていた元女優の美並絹子であったことから、加菜子の転院先の美馬坂近代医学研究所が管轄外
 の神奈川県であった−その後の事件は国家警察神奈川本部管轄の事件−にも拘わらず、上司に
 連絡もせず嵌ってしまい、挙げ句に、殺人事件が起きて、彼に目くじらをたてていた神奈川本部の
 嫌味な警部・石井莞爾により殺人事件容疑で拘留されてしまって、釈放と同時に一か月の謹慎
 処分を受け、それでもすっかり勘違いしていた木場は謹慎開けにまたまた大暴走し、あわや刑事
 ⇒殺人犯人となる所でした。
 尚、警視庁刑事であることを自覚していて、上からは評価されている青木刑事は、「姑獲鳥の夏」
 では完全に上司の木場の命令で動く一刑事でしたが、この物語ではその上司が勝手に単独で暴
 走してしまったため、警視庁刑事として独自に動かざるを得ず、「姑獲鳥の夏」で中禅寺の力量に
 接していたことから、京極堂に集うサブキャラ化の第一歩となっています。

狂骨の夢(黄金髑髏事件):

 中禅寺秋彦関口巽
 section4で、中禅寺が久保竣公(魍魎の匣の殺人犯人の一人)の神前葬式を執り行い、関口と中禅
 寺の妹で奇譚月報の編集記者である中禅寺敦子が出席した。

 木場修太郎
 section5で登場。魍魎の匣での暴走からあわや懲戒免職寸前であったものの復帰。その代わりに
 相棒兼監視役として定められた長門五十次・老刑事に連れられて大森に聞き込みにいくところか
 らの登場です。

 榎木津礼二郎
 section5で登場。前述の神前葬式に出席していた幻想作家の宇田川崇から依頼されて関口と敦
 子が薔薇十字探偵社を訪れているところに業務を終え長門と別れた木場が榎木津と酒でも飲もう
 かと帰りに寄ったところで登場しています。

 ☆この第三作目は、前作・魍魎の匣の大団円の後に、既に中禅寺の友人になっていて山陰釣り旅
 行の帰りだとして京極堂でくつろぐ面々の前に初登場したサブキャラの一人、町田の旅荘「いさま
 屋」付属のつりぼりを営み、海軍時代の榎木津の部下である伊佐間一成がsection2で佐田朱美
 との絡みで登場しています。
 国家警察神奈川本部管轄、警視庁協力の事件。石井警部再登場。

鉄鼠の檻(箱根山僧侶連続殺人事件):

 中禅寺秋彦関口巽
 section2での登場。中禅寺が横須賀の古書店・倫敦島の代わりに古書調査を依頼され、千鶴子夫
 人を連れて行くことになり、旅費只の箱根旅行として関口夫妻を誘ったのでした。

 榎木津礼二郎
 section3の後の「*」で登場。久遠寺嘉親(姑獲鳥の夏の久遠寺医院長)からの依頼でやってきた。

 ☆この第四作目はsection1でいきなりサブキャラの一人、青山で古物商「街古庵」を営み、伊佐間
 と同様、海軍時代榎木津の部下であって、伊佐間と親しい今川雅澄が初登場します。
 木場は未登場です。
 国家警察神奈川本部管轄、エリート警察官でしたが、この事件で迷走し部下と所轄の信頼を一挙
 に失ってしまった山下徳一郎警部補、山下の部下であり、次作で京極堂に集うサブキャラの一人
 となる益田龍一刑事、そして山下のバックアップとして石井警部が登場します。
 中禅寺敦子、鳥口守彦が登場。
 尚、「姑獲鳥の夏」で女系家族であった久遠寺医院が死に絶えて壊滅し、唯一生き残った婿で医院
 長だった久遠寺嘉親が食客として箱根の高級旅館「仙石楼」滞在で登場、今川と知り合いになり、
 一緒に事件に巻き込まれます。また、行方不明になっていた久遠寺医院元小児科医師・管野博行
 が暴れるようになって牢に入れられていた坊主となって登場し、やがて殺害されています。

絡新婦の理

 木場修太郎
 section1で登場。四谷暗坂の前島八千代殺人事件現場臨場。長門刑事、青木刑事、木下圀治
 事と。

 榎木津礼二郎
 section4で登場。前・国家警察神奈川本部刑事の益田が刑事を辞職し、探偵に雇って欲しいと薔
 薇十字探偵社の榎木津を訪れたところから登場。

 中禅寺秋彦
 榎木津に依頼しようとやってきた柴田財閥顧問弁護士の増岡が居留守を使われ、益田も一緒に京
 極堂を訪れて登場。

 関口巽
 大団円の後、最後に京極堂を訪れて事件について聞くところで登場。事件後、中禅寺が織作家を
 訪問するのに無理を行って同行し織作家唯一の生き残りの織作茜に会った。事件自体には全く関
 与せず。

 ☆この第五作は、東京、千葉県で起きた事件。多くの人間が殺され、織作家は次女・茜のみ生き残
 る。事件は絡新婦(織作家次女の織作茜でした)が張り巡らした蜘蛛の糸の上で発生したもの。
 東京警視庁と国家警察千葉県本部との合同捜査。伊佐間、今川そろい踏み。
 事件関係者の杉浦隆夫は小金井在住時代、柚木加菜子(魍魎の匣)の隣家で加菜子に一種の憧れ
 を抱いていた。織作茜は久遠寺涼子(「姑獲鳥の夏」で登場、最後に自殺している)の知人、また、精
 神科医としての最後の仕事が本事件で目潰し魔として殺人事件を起こしていた平野祐吉の精神鑑
 定であった降旗弘(「狂骨の夢」で登場、木場・榎木津の幼馴染)を降旗の師を通して知っていた。

塗仏の宴 宴の支度、宴の始末

 関口巽
 「ぬっぺらぼう」の章で登場。鳥口の上司の妹尾友典編集長が関口宅を訪問し、「へびと村」を捜して欲
 しいと依頼。やがて訪れる受難など知らないまま、それを受けてそもそもの依頼人の光保公平
 話を聞きに行き、韮山に一人で調査に出掛けたのでした(中禅寺に相談しようとしたのですが不在
 でできずじまいで出かけてしまったのでした)

 中禅寺秋彦
 「ひょうすべ」の章で登場。昭和28年1月3日、関口夫妻が京極堂に新年の挨拶に出掛けたとき、
 丁度、川崎の古本屋仲間の宮村香奈男が来ていて、ひょうすべと加藤麻美子女史の話になった。
 この件は4月に中禅寺により解決されるのですが、中禅寺がまだ気が付かないままそれをしたこ
 とが戦争中から準備され戦後本格的に推進されていた悍ましきゲームの主催者の郷土史家・堂島
 静軒
(元大佐)を刺激し、それがそのゲームの外での殺人事件と関口誤認逮捕に繋がり、中禅寺に
 そのゲームのことを思い出させ、頑なに何も語らず一連の騒動に関与することを拒否させたのでし
 た。

 榎木津礼二郎
 「わいら」の章で登場。韓流気道会に睨まれ(実際には中禅寺秋彦の妹であったため)けがを負わ
 された中禅寺敦子が巷で有名になっていた占い師・華仙姑処女を伴って薔薇十字探偵社を訪れた
 ことから登場。喧嘩に滅茶苦茶強い榎木津は、このシリーズでは最大の大暴れをしました。

 木場修太郎
 「しょうけら」の章で登場。池袋の行けつけの酒場「猫目堂」でお潤から話を聞いてやってと頼まれ
 て三木春子と知り合い、上司に連絡もなしに宗教団体「成仙道」に偽装入信し、行方不明となってし
 まっていたのでした。この物語の中では述べられていませんが、この件で、木場は減俸・降格の上、
 所轄に左遷されてしまいました。

 ☆宴の支度で云わば、風呂敷を広げに広げ、宴の始末で畳んでいる一つの物語故まとめました。
 この作品は、中禅寺の事件と言うべき物語です。
 今川を除く前述の全キャラ登場です。関口が罠に嵌められ、下田署に云わば誤認逮捕され、人権
 を無視した暴行暴言取り調べにより自らモノローグで語っているように毀れてしまいました。
 関口誤認逮捕となった殺人事件から後の大騒動まで国家警察静岡県本部管轄事件ですが、実質
 的には関口を逮捕した下田署の事件。老刑事の有馬汎警部補とゲームの被害者の一人・村上寛
 u style="background-color:#ffff00;">一刑事が登場しています。
 殺人の被害者は、織作茜(「絡新婦の理」の最後の生き残り−絡新婦であった−)、真犯人は、内
 藤赳夫(「姑獲鳥の夏」で中禅寺が憑物落しをせず呪いをかけた人物)でした。

陰摩羅鬼の瑕

 榎木津礼二郎関口巽
 由良昴允・元伯爵は結婚を控えていたのですが、の新婦はすでにこれまで3人が新婚初夜に殺害
 されていたことから、国家警察長野県本部の他に再発を心配した叔父・由良胤篤が名門出身で巷
 では誤って名探偵扱いされている榎木津礼二郎に調査依頼したことで榎木津が長野県にやってき
 たが熱病にかかって一時失明してしまったことから、介助人として仕事の手が離せない益田から頼
 まれて病み上がりの関口がでかけたのでした。

 木場修太郎
 国家警察長野県本部の粗忽者の刑事・大鷹篤志が伊庭と木場を間違えて、麻布署に左遷されて
 いた木場の所に電話をしたことから、元・警視庁刑事の伊庭銀四郎宅を訪れて登場しています。
 木場の出番はこのときと、事件解決後、話を聞きに伊庭邸を訪問し、思わぬ関口との邂逅をした時
 のみです。

 中禅寺秋彦
 伊庭が警視庁刑事時代、山形県での事件捜査で知り合っていた(今昔続百鬼−小庫裏婆−、ちな
 みに中禅寺はこの事件で多々良勝五郎とも知り合いになった)中禅寺の話が木場から出て、住所
 を聞いたこともあり(酔っ払って覚えがなかったが木場がメモを残していったのでした)、事件解決依
 頼をしたことで登場し、引き受けたのでした。

 ☆本物語は、塗仏の宴で毀れてしまった関口巽の後日譚でもあります。長野県白樺湖畔の由良昴
 允・元伯爵邸で起きた新婦連続殺人事件に関る物語で、昔の事件の捜査関係者の唯一の生き残り
 で元々国家警察長野県本部刑事で、後から警視庁刑事になり引退した伊庭銀四郎が登場していま
 す。
 生まれつき体が弱く、外出を一切しなかった由良昴允・元伯爵は凡てを父親が残した膨大な蔵書
 から学び、その結果、死の概念を大きく誤解していたことがこの殺人事件の原因でした。立派な人
 物ゆえ、残念な話で、最後に自分の誤りを理解し素直に警察の取り調べを受けたのでした。
 この物語で事件に関与した前述のキャラは中禅寺、榎木津、関口の3人だけでシリーズ最少です。

邪魅の雫

 中禅寺秋彦関口巽
 榎木津の従兄の今出川欣一の依頼(榎木津の三人の縁談が、最初は相手側が乗り気だったのに
 見合いをしない前に全て相手側からお断りになり、しかも縁談相手の一人は妹が殺害されたこと
 から陰謀が疑われる、調べろ)で警察を退職し、榎木津の探偵助手になっていた益田が京極堂に
 相談に来て、榎木津の恋人関係について聞いたのでした。関口は先に来ていたのでした。

 木場修太郎
 塗仏の宴では、木場とは別行動だったのですが、事件に巻き込まれてしまった青木も連座して処
 分を受け、一時的に所轄(小松川署)に左遷され更に派出所巡査になっていたのですが、最初の事
 件報告を受け、見に行ったことと小松川署刑事課署員の追っていた目撃された赤木大介捜査を本
 庁が却下したことに義憤を感じ、麻布署に左遷されている木場のところに相談に来て登場ですが
 木場の出番は青木への助言をしたこの時のみです。

 榎木津礼二郎
 赤木大介の部屋から「しずく」を盗み出し、その効用を既に知っていた沢藤酒店店員・江藤徹が赤
 木大介を殺害し、悠々と高揚した気持ちで帰る道すがら、大磯に実家の車で来ていた榎木津が出
 会い、記憶を見て一喝したのが最初の登場場面です。榎木津は、一連の事件に神崎宏美が関与
 していることを感づき、一人で神崎宏美を捜しに来ていたのでした。

 ☆現時点最終作になっているこの物語は、榎木津礼二郎の存在に係わるものです。
 旧制高校時代、全てに優れ帝王として一目置かれ、眉目秀麗故女性を引き付けたものの性格的
 に皆三日として続かなかった中で唯一長続きしたが、帝大法学部に進学していた榎木津の海軍徴
 集により連絡が途絶えてしまった恋人・神崎宏美(父母が死に孤児になったが、母方の祖父の元・
 岩崎製薬社長の岩崎宗佑の遺産を引き現在、神崎グループ総帥になっている)の榎木津礼二郎へ
 の想いに関連し、引き継いだ負の遺産である暗号名「しずく」を世にだしてしまったことが一連の連
 鎖殺人事件を起こしてしまったのでした。
 第一の事件が警視庁管内江戸川縁事件で警視庁管轄、残りは国家警察神奈川県本部管轄事件
 であり、両者の合同捜査事件となっています。神奈川県本部からは益田が驚いたように人間が丸
 くなった山下警部補(鉄鼠の檻)が出てきています。石井警部は小さな警察の警察署長になってい
 て尋常小学校同級生の西田新造の話を聞くと云うちょい役で登場しています。
 捜査本部上層部は「連殺人事件」と誤認して迷走していたのですが、実質的には「連殺人事
 件」とも言うべきものでした。だから「邪魅」。
 エピローグで榎木津の神崎宏美との最終的な哀しい別れがあります。

 「もう遅い

 「僕は君が嫌いだ

 私は罰せられた


ところで、上記ではさらっと、「姑獲鳥の夏」を関口巽の事件とも言うべき物語と書きましたが、多分
にそれゆえ、この第一作はあまり読み返す気がなくて、放置していたことを白状しておきます(^^;
すなわち、最初読んだとき、あまりにも関口巽という登場人物が愚か者そのものに感じ、その言動に
いらいらしてしまった−そういう印象が大きく私の中に残っていたからでした。はっきり言うと、「絶対
にお付き合いしたくない人物だなぁ」という嫌悪感さえ抱いてしまったからで、そういう関口が探偵の
役どころでもなく掻きまわすだけなのに、まるで主役みたいにふんだんに登場しているのがある意味
目ざわりで気にくわなかったのだろうと思います。この「姑獲鳥の夏」はシリーズ唯一、一貫して物語
の語り部、すなわち「私」は関口なんですが、最後まで一つ「妄想」を語り続けていて読者を誑かせて
いるという酷い語り部です。

しかしながら、他のも読み返した中で、関口については前回、京極夏彦・京極堂シリーズ考(2)に於
いて書き連ねたのですが、そこにはこの「姑獲鳥の夏」における関口像が欠けていることに気が付き、
やっと「姑獲鳥の夏」を読み返す気になったのでした。で、やっぱり、関口の言動が鼻についたので
すが、それゆえ、読み飛ばしたのか忘れてしまっただけなのか、私自身思い間違いをしていたところ
があることに気が付きました。実はこの(3)は、主としてそれがあったので追加的にしたためた訳です。
ですから、以下は、特にこの「姑獲鳥の夏」における関口に焦点を絞って論じたいと思います。

今回読み返して、私がこの処女作の「姑獲鳥の夏」における関口に関して一番鼻についたところを
改めて確認しました。それは、

 関口が、中禅寺や榎木津から不思議がられたほど久遠寺涼子に特別の
 思い入れをしていたこと


でした。関口は、薔薇十字探偵社で偶然、久遠寺涼子に出会い、榎木津から探偵助手の関として話
を聞けと言われ、相手をしていたとき、榎木津が涼子に対して発した言葉に怒りを示し、それ以来、
何かすっかり魂が抜かれてしまったような感があり、それもれっきとした雪絵さんという奥様がいる関
口ですし、自らちょろっと触れていますが、どうも恋心というようなものではなくて、何か必死になって
後ろ盾になってやらねば、庇ってやらねばというような柄でもない変な使命感が関口の心を占めてし
まったというか・・・私自身が、家族でもない他人のために何かわき目も降らずそういう必死になると
いう思考が良く理解できなくて共感できない輩であり、ましてや、関口はダメ人間みたいな人物です
から余計にいらついたというのが実際のところだろうと思ってはいます。読み返してみてやっぱり一
番鼻につきました。中禅寺や関口の発言の中に涼子について不利な点を見つけるとすぐに激高して
彼らを呆れさせていました。前述で述べたように、「絶対にお付き合いしたくない人物だなぁ」と思った
のはこういう彼の言動にあったのでした。
前にも引用したことがありますが、京極夏彦作品人名辞典・関口巽という所に、

 中禅寺秋彦に冷遇され木場修太郎に罵倒され、榎木津礼二郎には下僕
 扱いされる。


とあり、何か可哀想な人物のように書かれていますけど、彼らがそう扱うのはある意味当然であり、
むしろ、関口を見捨てておけないという彼らの優しさが友人知人関係を保っているだけと思います。
そして、彼らのお蔭で関口はなんとか社会で暮らしておられるのではないでしょうか?ある意味、厄
介な人物ではあります。他人の目から見れば「世界の不幸を一手にしょっているような目にあうので
すが、そういう普通なら厭う「非日常」を「日常」ではないということで厭っていないようなことを他の作
品の中で述べているので、一般常識的には「こりゃだめだ」という印象であり、私には理解できない、
同情などできない、共感できない−特にこの第一作ではあまりにもうざったい、私の「嫌いな」−人物
像であり、それが特にこの第一作に凝縮されていたため読み返すのを敬遠していたのでしたが、読
み直してよかったです。

今回読み直して改めて知ったことの一つは、榎木津の「相手の意識していない記憶を画像と
して自分の目の中に再現してしまう
」という、中禅寺曰く「厄介な」特異体質について、関口は
長い付き合いなのに全く知らず、この物語に於いて、初めて中禅寺から、妹・中禅寺敦子ともども聞
いたということでした。中禅寺は旧制高校時代既に初めて榎木津に出会った際にこの特異体質に気
が付きそれ以来友人関係になった(関口と榎木津は互いに中禅寺の紹介−躁の榎木津には鬱の関
口が合うというようなこと−で知り合いになっている)のですけど、それまで中禅寺は関口には語らな
かったということです。どうやら関口はそれまで、榎木津のよくあたる山勘だと思っていたようです。勿
論、二人にはとても信じられないことでしたけど、榎木津が突拍子もないことを口走るのは、実は、そ
ういう対面相手の記憶を見てそれをそのまま表現しているわけで、そしてそれは結果的に当たってい
る訳です。
これについて信じるか信じないかは君達の自由だとして、中禅寺は彼なりの気に入っているという仮
説として次のようなことを関口達に開帳しています。

 時間はただただ無条件に、刻々と過ぎ行くだけに思える。しかし、そうだと
 するとその時間の経過は物質の<時間的質量>といえないだろうか。なら
 ばそれこそ<記憶の原形>ではないか。裏返せば、宇宙に存在する凡て
 の物質には<物質的記憶>があると仮定できる、ということにならないか


 記憶が脳という蔵に収まっているのではなく、物質自体の属性だとする・・・・と、
 僕等の記憶が空気や地面やいろいろな物質を通して漏れているという想像
 もまた難くない


 我々の脳はその漏れた記憶を受信すると意識上に再構成してしまうのだ

と。ここで関口が疑問を口にしたため、特に中禅寺が強調しているのは、

 僕が漏れるといっているのは記憶であって意識ではない。他人の脳と他人
 の心で構成された他人の意識が何で第三者に解るものか


ということであり読心術を否定しています。

で、通常の人の場合、目から直接入る「実像」の方が強いのでそれが見えないが、極端に視力が弱
い人の場合はどうかということで、榎木津は子供の頃から視力が弱くまれに見えたらしいが、戦争中
焼夷弾を浴びて視力が低下(特に左目はほとんど見えない筈)し、そういう能力が強化されたらしいと。
と。関口は、そういわれてもこれは中禅寺の手の込んだ詭弁だと思いたい、一般大衆を代表してい
て、理系である関口には信じたくないという思いが強いのですけど、そうやって「信じたくないこと」に
いくら目を瞑っていても、彼のその特異体質により発したことにはいつも間違いはなく中禅寺の憑物
落しを伴う事件解明においても有益になっているわけです。事実、最初に榎木津が涼子に対して発
した言葉はいくら関口が激高しようと結果的に正しかったのでした。
そもそも、対人恐怖症のきらいがあり、日常生活の中でも人前でうまく喋られない(たち)であ
り、記憶などと云うのは遍く曖昧模糊としていることを自覚している関口と、記憶力抜群で
知識が豊富で理解力にも優れ論理的でかつ能弁家である(「言葉」の力をよく弁えている)中禅寺とで
は関口は勝てる筈がなく、恐らく詭弁屁理屈的なものでも関口が押し切られてしまってきたのでしょう
ね。だから関口は時々「ペテン」ではないかと反論したりするわけですが・・・勿論、関口自身は中禅
寺がいい加減のことを言うことなどないということを知っているのですけどねぇ。

ま、これらは、ミステリーに榎木津の一般的ではない特異体質を盛り込むことへの批判をあらかじめ
封じ込めるためのものだろうとは思いますが。で、私は、榎木津のことを持ち出して「フェアでない」と
批判するという姿勢には反対です。「小説ですから面白ければいい」のです。SFだって「科学ポク見
せているだけでフィクションには違いない」のですから。

で、これは私の勝手な推測ですが、著者は、言葉の力を弁えていて、自分が発する言葉が誰かを不
幸にすることを恐れて憑物落しによる事件解消に乗り出すのをいつも渋る−「塗仏の宴」の中で、榎
木津からの「狡い」という批判に対して、「狡くないとこの位置は辛い」と居直っていますが−中禅寺
という風に設定しているため、いざやるときは完璧を求める必要性から、この「記憶が見えてしまう」
という補完的能力を思いつき、それを有する人物として榎木津を設定したのではないかと。で、上記
仮説は後づもで考案してつけたのではないかと、そう思う訳です。

中禅寺はいつも一見無関係なようなことから語り始めることが多々あり、上記の前段には、

 現在の物理学上不可能な事例・・・そういう事例があることは認めよう。しかし
 それを霊魂肯定派の連中は何というだろう。喜んで奇跡だ、不思議だ、という
 だろう。何の説明にもなっちゃいない。奇跡を奇跡と認めることは逆説的
 に奇跡は普通は起こらないもの・・・・・・・・・・なのだという世界観を認めていることになって  
 しまうじゃないか。だから胡散臭い。
 一方否定派の連中は自分達の知っている蟻の背中みたいな小さな常識に反
 するものだから頭からそれを無視したりする。何かの間違いだ、と考える。
 愚かじゃないか。奇跡だの怪異だのというのは、たまたま現在の常識に合致
 しなかったり、今の科学知識の及ぶ範囲でなかったりするだけで、そもそも
 起こるはずのないことは起こらない、というのが僕の持論だ。起こってしまった
 以上、もはや起こり得ないこととは呼べない


と書いています。自分の常識の範疇から外れることに対して、特別視したりあるいは頭から否定した
りする姿勢への牽制だろうと思います。理系であることを誇りみたいにしている関口なんか、頭から
否定派の一人であり、中禅寺に反論できないとすぐ「不思議だ」と言ってしまう人ですから。

ちなみに、最初に涼子が薔薇十字探偵社に来た時、榎木津の発した言葉に関口は激高したのです
が、これはまだ上記の中禅寺の話を聞く前のことでした。一方で、関口が榎木津、敦子と共に久遠寺
医院を訪れたときは半信半疑ながらも中禅寺により榎木津の特異体質のことを聞いた後。で、涼子
・梗子姉妹と関口だけが藤野牧朗(藤牧)の死体が「見えなかった」のでしたが、榎木津が見たのを関
口は榎木津の特異体質によるものと逆に勘違いしてしまったのでした。
これについては中禅寺は、

 我々が今見て、聞いて、体感しているこの現実は現実そのものではない。脳が
 その裁量によって選択した情報の再構成だ。従って部分的に構成されなかった
 要素がある場合、当人には全然知覚できない。記憶は持っていても、意識の舞
 台に上がって来ないのだから


と説明し、既に前に中禅寺から聞かされていて理解した関口はこれを受けて

 僕等が見聞きしているのは凡て仮想現実なのだね。それが真に現実かどうかは
 本人には区別がつかないのだったね・・・・・・・


と言い、自分に死体が見えなかったのは、<死骸がない>という仮想現実を生きていたんだと。
ま、思うに久遠寺姉妹はわからんでもないですが、他人の関口までそうだったというのはいかにもと
という気がしてちょっと説得性に欠ける気がしますけど・・・。精神状態が病的に不安定で脆いゆえだ
としておきましょうか。その相関性の現実性は私にはわかりませんが(^^;。


もう一つ私に誤解がありました。関口が藤牧のことや恋文を渡したことなどをすっかり忘れていたの
は関口の酷い「健忘症」ゆえだと思いこんでいたのですが違っていました。中禅寺曰く、<心因性健
忘症>だったと。すなわち、関口は自ら中禅寺に、トラウマを覆い隠すために記憶を隠蔽していた
言ったのでした。

これがなぜ記憶を封印してしまうようなトラウマになるのか、これも理解に苦しむところが無きにしも
非ずですが、元々「鬱」だった関口ゆえのことだと考えるしかありません。
藤野牧朗(仇名;藤牧)の存在だけは、先に関口が妊娠20か月の話と共に婿が失踪していることを
中禅寺に語ったとき、中禅寺は怒って、その婿・久遠寺牧朗は友人の藤牧であるとし、

 「君は本当に何も気がつかずにその話をしたり、聞いたりしていたのか?だと
 したら君は君の脳を一切信じないようにした方がいいぞ。君の脳は物事をまっ
 たく記憶してくれないらしい


と言ったことでドイツに留学したところまでは思い出していたのですけどね。
そのトラウマになったできごとは、関口が榎木津、敦子と久遠寺医院に出向いた際、少女時代のそ
ろっておさげ髪をしていた姉・涼子と妹・梗子が一緒に写っている写真を見て思い出したのでした。
で、その出来事とは・・・
旧制高校で1年先輩の友人仲間の医学者志望だった藤野牧朗(通称;藤牧)が仲間で昭和十四年に
鬼子母神の縁日に出掛けた際、14〜5歳の少女に恋をしてしまったことがそもそもの始まりでした。
藤牧は皆から冷やかされたのですが、思いが募り、彼女のことを考えると夜も眠れず勉学すら手に
つかず、食事も喉を通らない状態に。そこで中禅寺に相談したところ恋文を書くよう勧められ、話を
真面目に聞いてくれる人間と考えた関口にその恋文を届けてくれるよう依頼、関口は引き受け、久
遠寺医院に出掛けたのでしたが。
関口は現地で道に迷い、近くにいた老人と中年の男性にこのあたりの大きな病院に行きたい
と尋ねたことがその発端になったのでした。彼らからこのあたりにそんなものはないと言われた
挙げ句、黙ってしまっていたら

 −こいつはたぶん、巣鴨の癲狂院からでも逃げて来た狂い・・だよ。
 −この辺で大きな病院といえあばあそこさ。
 −そうか、おうちに帰りたいか


とひどいことを言われてしまった(元々「鬱」である関口故にそう取られてしまったのでしょう)のでした。
関口はこの酷い一言「狂い・・だよ」を否定せんがため、ただそれだけのために走り、気が付くと久遠
寺医院の小道にいたのでした。で、既に黄昏時でとうに診療時間は過ぎており、受付に人はいませ
んでしたが、お下げの少女が現れたのでした。ああ、なんという間の悪さ、なんという皮肉・・・。当然
ながら関口は知りませんでしたが、この時関口の前に現れた少女は、失踪してしまった困った性癖
を持つ小児科医・菅野博行によって「うろ」が現れた状態(記憶を無くしてしまう)で菅野が歴史が古い
久遠寺医院にあった古文書により医院の庭の朝顔から造り出した催淫剤・ダチュラ投与をされ続け、
やがて、そのうろ状態のときは淫らな別人格になってしまう、実はその別人格になっていた久遠寺
涼子だったのでした。どうやらそれは遅れていた初潮を迎えることにより再発していたようです。間
が悪いことに、このとき、久遠寺院長夫妻(院長の久遠寺嘉親と妻で事務長の久遠寺菊乃)と妹・久
遠寺梗子の三人は箱根に静養旅行に出かけていて不在でした。体の弱い涼子だけはいつも留守
番だったのでした。
関口は藤牧から、必ず「くおんじきょうこ」本人に渡してくれと言われていたので、

 宛名の、ご本人にしかお渡しできません、私はそう約束して来たのです−(●1)

と言って下を向いたまま封筒の表書きをその少女に見せたところ、彼女は

 −その宛名の本人は私です

と。で、なぜだか関口はすぐに渡さず下を向いたまま同じ姿勢でいたのですが、彼女は

 −私宛のお手紙ですね。受け取らせてもらいます。

と言い、更に、

 ひょっとして、それは恋文ではありませんの?

と。で、関口は思わず顔を上げたとき、少女は笑っていた。そして手紙を関口から取り上げたので
した。そして、−差出人はあなたなの?と。関口は一言も発しないで下を向き、そのとき見えた白
い脛に一筋、真っ赤な血が流れているのを目にし、思わず少女の顔を見ると、少女は妖しく笑った
のでした。で、関口は

 狂っている−。
 狂っているのは私ではない。ここにいるのは可憐な少女なんかじゃない


と。そして、少女は、何を驚いているの?学生さんと言い、なんと近づいて来て関口の耳元で、

 −あそびましょう。

と囁き、関口の耳を噛んだのでした。

で、

 私は一目散に駆け出した

 耳鳴りがする。顔が火照る。これはいったい何なのだ。私は狂っていない。
 狂っているのは私以外の凡てだ。狂っているのはあの少女だ。


と思いながら・・・
関口はどうやらこのことがあったため、先に偶然道を訊いた男の発した、一言[狂い・・だよ]を
封じておくために、あのとき・・・・
の記憶を一切闇に封印していたのだ。
私は鬱病の殻を破ったのではない。その上に正常という殻を無理やり被っていたのだ

と独白していますけれどもよくわかりません。それに、なぜ、関口は(●1)と言った後、ほとんど下ば
かり向いて無言だったのでしょうか?そこが関口の関口たる所以なのでしょうか?
尚、関口は中禅寺から論理的な説明を受けるまで、その少女は「久遠寺梗子」だと思い込んでいま
した。勿論、「久遠寺涼子」が多重人格だなどとは知りませんでしたから、当然、関口にとって、あの
ときの少女と彼が入れ込んでしまった久遠寺涼子は名前も違うし同一視など出来なかったゆえです。
関口は中禅寺と一緒に病床にある「久遠寺梗子」とは話もしたことがありませんでしたから。

いずれにしろ、この記述は明らかに、関口が最後までたびたび独白で語っている

 私が凌辱した少女は涼子だったのだ。

とか

 私はあのとき・・・・この少女を犯したのだ・・・・・・・・・・

と明らかに矛盾しており、読者を誑かしているという点で関口の語りは信用できないということです。
で、手掛かりはないかと色々と探してみました。まず、こんな記述がありました。

 「....私も、妹も、この久遠寺の家は、やはり呪われているのです。
 そうとでも考えないと・・・・・・・私は

 涼子はそう言って泣いた。
 ・・・・・・・・・・
 「関口様
 涼子はそういって手前に倒れ込んだ。
 私は彼女を抱き留めた。涼子は私の胸に顔を当てて、更に泣いた。
 私は、以前やはりこうしてこの女を抱いたことがある。
 それは妄想。しかし遥か前世の記憶のように朧気ではあるが、実に
 エロティックで蠱惑的な妄想だ


また、まだ関口が恋文を渡したのは涼子の別人格−恋文の宛先を見て「久遠寺京子」になった−で
あったことを中禅寺に論理的に解明されてしまう前の段階でこんな独白をしています。

 私の耳元で、私の耳を、淫らに、
 いや、違う。淫らだったのは少女ではなく、私だ
 私はあのとき・・・・、あの少女を、
 久遠寺梗子を、
 この胸に残る感覚は前世の記憶なんかじゃない
 私は先輩の想いの人を........
 ああ!
 だから私は走っていたのだ。
 娼婦でもない小娘が、そんな淫らな意味であそびましょう、などというものか

 私は全力で逃げて来たのだ。
 私は狂っていたのか。私は狂ってなどいない。いるもんか!私は逃げる。


更に、中禅寺によって事件が解明され、既に事態を察知して逃げ出した涼子が関口の後ろにいて
関口に、

 「私は、あの夜あなたが来てくれる・・・・・・・・・・・・と思った。あなたは、私をあのいやらしい
 菅野から救いに来てくれたんだと思っていた


と言われ、まだ、

 あのとき・・・・の少女だ。  私はあのとき・・・・この少女を犯したのだ・・・・・・・・・・

と思いながら、

 なのに、救いに来てくれたって?

と心が混乱しています。ですから、私は、関口は少女を凌辱などしていない、それは、関口の仮想
現実、幻想でしかない
と考えます。もし関口が凌辱などしていたら、菅野と同じであり、救いに来て
くれたなどと言う発言と大いに矛盾しますので。「全力で逃げた」というのは、ですから、私は「私は
狂っていない。」「狂っているのはあの少女だ。」とそのまま結びつき、単に少女の言動に恐さを感じ
て多分に「わぁ〜、助けてくれ〜」っていう感じでしたとするのが関口ゆえに自然だと思います。

間違いなく藤牧の恋文を受け取ったのは、社会的には「久遠寺涼子」という名前の女性であり、藤牧
に返信を書いたのも彼女です。で、不思議なのは、それ以後逢瀬を重ね、妊娠してしまった女性を
ずっと恋した「久遠寺梗子」だと思い込んでいたことでした。多分に、久遠寺涼子の実像と違い過ぎ
ていたからではないかと思います。彼が養子として久遠寺梗子の夫として久遠寺家に来てから死亡
するまで「久遠寺涼子」には淫らで凶暴な「久遠寺京子」という別人格が現れなかったからではない
かと思います。藤牧は婿入りしたとき自分の思い違いになぜ気が付かなかったんでしょうかねぇ・・・

結局のところ、藤牧の思い違い(子を子と思い違いしたこと、逢瀬を重ね妊娠させた相手を久遠
寺梗子だと最後まで思い違いしていたこと−多分に言葉で発するならともに「きょうこ」だったからで
しょう)−が既に崩壊の芽があった久遠寺の崩壊を早め、会わせて精神状態が不安定で脆い関口を
その後鬱病に追いやったのです。

今、「その後鬱病に追いやった」と書きましたが、ここも私はこれまで思い違いしていた二つ目のもの
でした。関口が中禅寺や榎木津と交流を始めたときは、関口は「気鬱」ではありましたが、病気として
の「鬱病」ではなかった、「鬱病」という病気になったのは実にこの出来事が原因だったということで
す。
これこそ、関口の酷い「健忘症」が為せる業だったのですが、関口は全力で駆け出した後のことを完
全に忘れていて、自分では思い出せず、中禅寺がそれを関口に語っているのです。

 「だいたいあのとき周りの人間がどれだけ大変だったか君は知っているのか?

 「君はあの日、夜中の十一時ぐらいにまるで何かにとりつかれでもしたような顔
 でふらっと寮に戻ると、それから半月の間、部屋に閉じ籠ったまま誰とも口を利
 かなかったんだぜ。飯も食わないから、僕と榎木津が心配して毎日食い物を差
 し入れてやったんだ。代返もしてやったじゃないか。よもや忘れたといわせない


と。これに対して、関口の返答は、

 「いや、忘れてた

でした。本当に忘れてた。と独白しています。
そして、そのとき、藤牧がしきりに面会しようとしたのを関口が拒み続けたため、藤牧から中禅寺は、

 「ありがとう、君のお蔭で願いが叶った、そう伝えてくれ

という伝言を賜り、関口に伝えたのですが関口はそれも忘れてしまっていたのでした。更に中禅寺は、

 君の鬱病が直るには一年かそこらかかったんだな

と。


いずれにしろ、エピローグにおける関口の言動を見て、改めて、厄介な男、出来る限りお付き合いな
どしたくない男だと思いました。それは次の中禅寺との会話での関口への不快感ゆえです。事件の
後四日間も家に帰らず京極堂に居候を決め込むという迷惑をかけていながら

中禅寺:「じゃあ君は死人相手にあんなに真摯になり、揚げ句の果てにあんな
     大立ち回りを演じて、その上未だにそうして死人の思い出に浸ってい
     るというわけか


関口 :「何とでもいいたまえ
関口 :「何にせよ事件は終わってしまったんだ。あの事件はぼくにとっては非
     日常の舞台劇だ。幕がひけたら拍手しておしまいさ。僕は諾諾として
     日常の世界に帰るだけだ。だからもういいじゃないか


散々中禅寺に迷惑かけた挙げ句の果てがこんな言葉です。で、多分あきれ果ててでしょうが、中禅
寺が、

 「君にとって、じゃぁこの一週間は虚構の舞台劇に等しかったというのかね?
 事件中の君は出演者で、今の君は観客なのか?


と言ったのに対し、関口は

 「その通りさ。今やまるで別人のような気さえする。いや、むしろ今回の事件が
 起きていた間だけずっと夢見ていたような、そんな気分だ


などとほざいたため、中禅寺は片眉を吊り上げ(怒りでしょうね)、

 「夢じゃないよ。現実だ。久遠寺涼子は死んでしまったのだ
 「あの人はただの生身の人間だったのだ。妖怪変化でもなければ幽霊でもない。
 夢の中の住人でもない


で関口は、

 「それ以上言わないでくれ

目眩がしたと・・・
以下省略しますけど、この後の会話からどうも関口は中禅寺の優しさに甘えすぎている気がしてなり
ません。この関口の発言、榎木津や木場が聞いたら間違いなくもっと怒るでしょうなぁ。
久遠寺涼子に異様に入れ込み、例えば榎木津の言動に激高し、敦子に「もう榎木津とは絶交だ」な
どと口走ったり−ま、直接本人には云えない、もし言ったら榎木津は馬鹿にした顔して「上等じゃん」
なんて対応をしただけでしょうが。圧倒的な力差のある中で「付き合ってもらっている」だけの関口に
はできるはずがないのです−、中禅寺の憑物落しによる事件解明の最中に、単にそれ以上聞き
たくなかった
という自分の感情だけで

 「待て高極堂!そんな、当て推量で勝手なことをいうな。もし違っていたら、
 それは菅野氏だけじゃなく、涼子さんの名誉も著しく傷つける中傷だ!


と騒いで、木場から

 「落ち着け関口。話はまだ途中だ

と諭され、中禅寺からは酷く哀れむような視線を投げかけられたりしています。だから第三者である
読者から見てもこの時の関口はやだくれたガキが大人にはむかっているだけにしか見えない訳です。
そういう輩が、事件が終わったら上記の通り。普通はだれでもあきれ果ててしまう、そして離れてしま
うと思いますね。中禅寺は心優しく寛容的なだけであり、やはり、それをいいことに甘えているのです。
そして最後の最後まで中禅寺に対する甘え心を・・・
京都の祇園祭のお手伝いで京都の実家に行っていた中禅寺千鶴子夫人が途中、関口雪絵夫人を
連れて帰って来ると聞いて、まだ日常に戻りたくない−雪絵夫人にまだ会いたくない−と、来る前に
逃げようとしたとき、中禅寺が止めてくれるなんて本の僅かの期待を抱いたなどと虫のいいことを考
えたりしています−当然、中禅寺からはどうぞお好きなようにという態度を示されてそんな虫のよい
期待は見事に裏切られましたけどね(大笑)。
今回は、前回と打って変わって関口罵倒大会でした(笑)。「姑獲鳥の夏」読めばそういう気になりま
すって。関口のうざったらしさの集大成みたいな作品ですから。また、「塗仏の宴」での関口に対する
同情心は次の「陰摩羅鬼の瑕」を読むと完全に裏切られます。
関口の「日常においては非日常を求める」心での「非日常」というのは、「塗仏の宴」で被ったような
被害をも含んでいるようであり、或る意味、関口は言葉が悪いですけど酷い「M」なんですね。
ですから前述の、「中禅寺秋彦に冷遇され木場修太郎に罵倒され、榎木津礼二郎には下僕扱いさ
れる」というのはそういう関口を中禅寺、榎木津、木場は見抜いていてのことでしょう。


実は読み返した結果、内藤の発言に対して榎木津が最後には殴ろうと考えたほど本気で怒り、まだ
内藤の人生を知る前の木場からも

 「俺は正直言って貴様の顔などみたくねえぇだ。一連の証言の裏が取れたら、
 どこなりともとっとと消えて欲しい心境だ


と言われてしまっているのですが、内藤はそもそも久遠寺医院の被害者であり、発言をよく読むと、
決して人非人の大悪党的でもありません。環境故に悪人的にみられてしまいますが、悪人ぶった発
言をしているだけで、実際には弱い普通の人間であることがわかりました。ですから、塗仏の宴での
最後の潔い態度がやっと納得できた私でした。


その意味で関口ファンの方には申し訳ありませんが、この処女作では関口のうざったらしさだけを改
めて感じ、やっぱり嫌いな輩だと感じた私です。内藤については名門出の榎木津には理解できなかっ
ただけであり、前述の木場の発言も内藤の人生を聞く前の話だったわけです。
また、木場のかっこよさがよく表れていました。暴走刑事にして、警視庁から追放になったのは残念
です。そして、榎木津は改めて「榎木津礼二郎」というキャラクタの仮面をつけて生きているんだと別
の作品の中で中禅寺が言っていることもよくわかりました。珍しく関口を「関」という旧制高校時代か
らの仇名で呼ばないで「関口」と2回も言っています(これで涼子に「関」ではなく「関口」が実名である
ことを知られたのでしたが)。

九作品−八個の物語−を読み返して、やはりこの処女作「姑獲鳥の夏」の印象が強く、私の中での
好き嫌い感情は、

 中禅寺=榎木津>木場>>>関口

です!!そして、ますます関口夫人の雪絵さんが「よく我慢しているなぁ」と哀れに感じてしまっていま
す。ま、中禅寺・榎木津というある意味普通の人間を超越した二大キャラを登場させたゆえに、とても
知性的には旧制一高出身者とは思えない徹底的にネガティブ属性キャラの関口を登場させたのかも
しれませんが、関口が中禅寺と榎木津から「おまえこそ変人だ」と反撃されている理由は、「姑獲鳥の
夏」を読み返してよくわかりました。

                                     ('18/9)

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