京極夏彦・京極堂シリーズ考(2)(ネタバレあり)(’18/9)


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 随所でネタバレがありますので、ご留意くださいm(__)m
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京極夏彦氏自身は否定されているとのことですが、間違いなく、京極堂=中禅寺秋彦
著者の分身でしょうから、京極夏彦・京極堂シリーズ考・再度でも引用したように「邪魅の雫」の中で
関口に対して中禅寺が述べた

 読んだ読者は必ず感想を持つ。その感想の価値は皆等しく尊いものである
 書評家だから読むのが巧みだとか、評論家だから読み方が間違っていない
 とか、そんなことは絶対にない。


というのは著者・京極夏彦氏のスタンスだと思いますので、安心して勝手な私自身の感想・推察をも
う少し書き足しておこうと思います。
前回、京極堂シリーズ「塗仏の宴」の記事を書いたとき、繰り返しその小説を読んだ余韻に浸ってい
たのでその勢いついでです(^^;


これは単なる私の独断的な思いでしかありませんが、京極堂シリーズの集大成は、街古庵を除くほ
ぼオールスター登場の「宴の支度」「宴の始末」の二巻構成の「塗仏の宴」で、次の「陰摩羅鬼
の瑕
」は「塗仏の宴」で完全に毀れてしまった関口巽のフォローアップを兼ねた余韻でのもので
はないかと思います。そして、京極夏彦・京極堂シリーズ考・再度でも書きましたが、シリアスな意味
姑獲鳥の夏」は関口巽の事件魍魎の匣」は木場修太郎の事件、そして「塗仏の
宴」は京極堂=中禅寺秋彦の事件
であり、変人揃いの4大キャラの残り、最も変人奇人
ぶりを発している榎木津礼二郎のために創られたのが後の「邪魅の雫ではないかと思い
ます。尚、榎木津が取り仕切る主役になるのは外伝的な、中短編集「百器徒然袋−雨」と「百器
徒然袋−風
」です。


「塗仏の宴」で榎木津から下僕三人衆扱いされているサブキャラの一人、カストリ誌「実録犯罪」編
集記者の鳥口守彦は、関口が実録犯罪に楚木逸己名で書いている繋がりで、二作目の「魍
魎の匣」に初登場し、「魍魎の匣」、「鉄鼠の檻」、「塗仏の宴」で活躍し、榎木津からは「鳥ちゃん」
と呼称されています。その情報収集力はなかなかのものです。兄・中禅寺秋彦より先に関口から紹
介された雑誌「奇譚月報」編集記者の中禅寺敦子に憧れを抱いている一人です。「鉄鼠の檻」
では大けがをしてしまいました。

下僕三人衆二人目、警視庁刑事の青木文造は、一作目の「姑獲鳥の夏」から木場の部下とし
て登場していますが、「塗仏の宴」で京極堂・榎木津グループ入りしていて、鳥口同様、中禅寺敦子
に憧れを抱いています。木場とは違い、警察組織の一員であることを弁えていますが、塗仏の宴で
は催眠術をかけられたことによる不可抗力での不本意な無断欠勤をしてしまい、事件後査問にかけ
られ減俸の上一時的に所轄(小松川署)に回された上に駐在所勤務になりますが、上司からは将来
性が期待されていて、「邪魅の雫」ではすぐに小松川署の刑事課に格上げされ活躍します。頭が大
きめでこけしに似ていることから榎木津から「こけし」と言われたりしています。特攻隊生き残り。

もう一人の下僕三人衆は、益田龍一。最初、「鉄鼠の檻」では国警神奈川県本部の山下警
部補
(エリート刑事でしたが、箱根山僧侶連続殺人事件=「鉄鼠の檻」では迷走してしまって所轄
刑事の信頼も失ってしまったのですけど、その事件で達観して、警察側の統率者として再登場の大
磯の事件=「邪魅の雫」では人柄が変わっていて益田を驚かせます)の部下の刑事として登場、事
件後、「暴力を振るうのも振るわれるのも嫌い」なため退職し、薔薇十字探偵社に押しかけ、そのま
ま探偵見習(探偵助手)としていついて、下僕の一人にされています(笑)。榎木津からは「マスヤマ」
としか呼んで貰えず、更には、「馬鹿おろか」「かまおろか」などと罵倒語で呼ばれることが多いです。
通常調査では元・刑事の経験を活かしています。「邪魅の雫」では初めて1回限りですが榎木津から
「益田」と呼ばれて驚いています。ケケケと笑ったりしますし、卑怯を信条にしているなんて言ったり
します。

外では活躍しないので、別にしましたが、もう一人、益田と共に榎木津の部下−益田と同様自ら榎木
津の完全下僕になっている
−のは、榎木津の秘書兼お茶汲みの和寅=安和寅吉です。

尚、榎木津の海軍時代の部下の一人、青山の骨董品店・街古庵を営む今川雅澄は「絡新婦の
理」で、もう一人、町田の旅荘「いさま屋」付属の釣り堀経営の伊佐間一成は「狂骨の夢」で初
登場します。二人は京極堂にも行っていて榎木津からは下僕扱いですが、他の作品ではそれほど
登場しません。伊佐間は、他には塗仏の宴のちょい役と「百器徒然袋−雨」の「山颪」、今川は同じ
く「瓶長」くらいでしょうか。二人とも榎木津からは伊佐間は「爺くさい」、そして今川は「気持ちの悪い
顔」と罵倒されています。


この京極堂シリーズはそれ以前の作品で生き残った主要事件関係者が後の作品で重要な役どころ
としてきちんと広げた風呂敷が畳み込まれているのも一つの特徴でしょう。

         事件関係者として登場した前の作品       後の作品
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 久遠寺嘉親 姑獲鳥の夏(久遠寺医院長)  鉄鼠の檻 定宿の客
 菅野博行  姑獲鳥の夏(久遠寺医院元医師)   鉄鼠の檻 明慧寺の和尚 殺人被害者
 内藤赳夫 姑獲鳥の夏(久遠寺医院医師見習い)  塗仏の宴 殺人犯人
 一柳朱美 狂骨の夢 佐田朱美、偽証罪  塗仏の宴 村上兵吉を助けた
 織作茜  絡新婦の理(織作家次女、絡新婦)  塗仏の宴 殺人被害者


さて、この「京極堂シリーズ」において、他の推理小説と同じような位置づけで最後に関係者一堂に
対して事件を解き明かす役目を担っているのは記憶力抜群で豊富な知識を有し、情報の適格な分
析力を有している京極堂=中禅寺秋彦ですが、彼は拝み屋という副業を持っているように、能弁に
語る「言葉の力」(「塗仏の宴」に於いては自ら「言葉は意識の上にも下にも届く」と言明してい
ます。また、同じく塗仏の宴」の中で、堂島のゲームの駒にされた佐伯家一族のうちのいち早く自分
らが置かれてきた位置に疑念を抱いた張果=佐伯玄蔵は、「言葉は賢者が天地を動かすために
用いる手段だ。分別なくして使えるものではない
」と述べています)を十二分に弁えていて、事件に
関しては、確実な情報で確実なものと分析できない限り−それでもどうしても語らざるを得ない状況
にならない限り−頑なに口を閉ざしてしまうのですが、事件自体が特異−普通に考えると誤って解
釈されてしまいがち−のものゆえ、表に出て来る情報だけでは完全確実なものにはならない、その
ために、対面した相手の過去に目にしていた「真の記憶」がイメージ像として見えてしまうと云う特異
体質を有する榎木津礼二郎という人物を登場させたものと思われます。そして、それを活かすため
に、中禅寺にはない属性を榎木津に与えたものと考えます。榎木津に語らせている「探偵」という属
性もまだにぴったりの位置づけでしょう。ですから、この二人は、口では互いに「馬鹿本屋」「馬鹿探
偵」と相手のいないところではけなし合っていますが、実際は二人とも相手の力を認め合っています。
その意味で、「事件の解明・解消」と言う点から、全部の物語に登場しているこの二人は間違いなく
主役級二大キャラ
と言えましょう−それは小説内の登場するページ数で語る話とは違うと思います。


ところで、私が最も気になっているキャラ(ファンではありません(笑))は、関口巽と雪絵夫人であり、
本稿はそこに焦点を当てるべく補足的に追加したものです。

どこかで目にしたのですが、作者が、関口巽は主役にはなれないが物語には必要不可欠な人物み
たいなこと−表現は少し違うとは思いますが−を語っているというのを目にしました。ただ本を読め
ばすぐにわかりますが、ネット上ではそういう風に語る方がおられますけど、決して関口巽はシャー
ロックホームズのワトソンの位置づけではありません!
確かに、関口は一人称「私」として語り部に
なることも多いですが、いつもではありません(「塗仏の宴 宴の始末」における「私」は一貫して堂島
静軒でしたし、「百器徒然袋−雨」「百器徒然袋−風」での語り部である一人称「僕」は関口ではなく、
臨時で下僕になってしまう本島俊夫−「風」の中で「本島」という姓が与えられ、最後の最後に
やっとフルネームが明かされた−です。「雨」の中の「山颪」では関口君が登場しますけどそれでも
一人称語り部は「僕」なのです)。また、その言動はまるでワトソンとは程遠い・・・。そもそも他のミス
テリーの登場人物に例えることはできない独特な登場人物だと言えましょう。それでいてその存在
は、主人公ではないものの、このシリーズには欠かせない重要な人物だと思うのです。

勿論、ミステリーの基本である事件解決という面では、「陰摩羅鬼の瑕」の中で榎木津から、

 「この男は猿くらいの程度ですからお構いなく
 「高名だとしたら他人より劣っていることで知られているのでしょう。この従者は
 凡百(あらゆる)ものに仕える下僕の王のような男ですから、取り敢えず誰の命令でも聞き
 ますが、ただ何の役にも立たない。役立たず選手権があれば間違いなく優勝
 です


と面前で酷い云われようをしているのに反論できないように、ほとんど役に立っていない(唯一「邪魅
の雫」だけは例外)むしろ足を引っ張るだけ
という存在であることを関口は自覚しています。

関口巽はもう「ダメ人間」の代表格のように徹底的にネガティブな属性を与えられています。しかしな
がら、それは変人で巨人の中禅寺・榎木津という二大キャラに対抗する存在として強調されている
のではないか−実際には後述の決定的性格を除き、多かれ少なかれ、我々一般下々の持つ性格
とそれ程異なるものではなく、読者にとっては、二大キャラの存在故に殊更そういう卑小的な人間に
見えてしまうだけではないかなとその時々の関口の独白などを見ていて思ったりしています。

「山颪」の中で僕」に対して、関口に中禅寺と榎木津について

 「あいつらと一緒に居ると、普通にしている者の方が愚かしく感じられるのです。
 普通程馬鹿に見えて来るんです−
」(※1)

と語らせています。実際に関口と出会う前の「僕」は、榎木津や二人の自ら下僕に成り下がっている
益田・和寅
から聞いて

 どうも天に見放されたような運のない男がひとりいるらしい。大将である榎木津は元
 より、手下小者に到るまで、探偵一味で彼のことを褒める者は一人もいない。そうな
 りたくないものだと、僕なんか常々思う


 世界中の不幸を一身に背負ってしまった男−榎木津に連なる者共に悉く誹られ愚弄
 され続けている下僕中の下僕、不運の小説家関口巽−
(※2)

という関口観を抱いていましたので、中禅寺に対して反論もしない卑屈な態度から、単なる云い訳
みたいに捉えたのですが、既に「僕」自身が特別な存在の京極堂・榎木津グループから関口と同じ
人種とみなされていることにさえ気が付いてないだけなんですね。「僕」は自ら巻き込まれて、訳判
らないまま榎木津・中禅寺から臨時の下僕として使われていますのにね。
確かに関口巽は作品人名辞典には中禅寺秋彦に冷遇され木場修太郎に罵倒され、榎木津礼二郎
には下僕扱いされているとあり、そう感じられている読者も多いことと思います。
しかるに、京極堂に於ける関口の言動を見ていますと、我々読者はどうしても能弁家の中禅寺の視
点に立ってしまって関口を愚かな人間だと見がちですが、中禅寺がその都度嫌味を言いながらも、
関口の問いかけに対し、蘊蓄語りを深化させています−このことは、中禅寺と言う一般人とはかけ
離れた巨人的人物の難しい語りを我々一般大衆にもう少し解り易くかみ砕かせていることになる−
と思うのです。要するに関口は、中禅寺・榎木津側からの視点で「馬鹿者」の代表扱いをされている
のですけど、それは実は中禅寺との議論において、関口に「普通」の一般下々を代表させている訳
です。あまりにも存在感が大きい変人の二大キャラと一般大衆との間の段差を埋めるための存在。
これが関口の一つの位置づけではないかと思います。で、関口が噛みつき中禅寺が見下すように
嫌味を言いながら中禅寺の語りに補填させているのは、一重に中禅寺、関口は旧制高校時代から
の15年以上の親交ゆえ互いに遠慮がないということもあるでしょう。そして、関口は自ら、「塗仏の
宴」の中のモノローグで語っているように、

 そもそも対人恐怖症のきらいがある私は、日常生活の中でさえ人前でうまく
 喋れない(たち)なのである。強く問われれば問われる程動揺して結果口籠る。
 
(※3)

そして、更には

 私の場合、記憶と云う奴は遍く曖昧模糊としたものなのだ

とも言っているように、物忘れが酷い−旧制高校時代に榎木津から「健忘さん」と言われたと述べた
りしています−ことを自覚している人ですから、「記憶力に優れ、かつ能弁家」の中禅寺は所詮たち
うちできない−中禅寺はたとえ詭弁屁理屈の類でも相手に何も言えなくしてしまう「言葉の力」を有
していますから−わけです。ですから、中禅寺は関口と初体面の人との間を紹介するとき、いつも
「友人ではない。知人だ」と言って関口をして腹の中で、こけにしていると怒らせてはいますが、能弁
家で詭弁屁理屈でも押し切ってしまう中禅寺には反論してもムダだとわかっているので諦めて言わ
れるままにしているわけですが、それがまた、他者から見ると「自ら認めている」と捉えられてしまう
ので損な性分ですね。
一方榎木津は旧制高校時代「帝王」と称せられた先輩であり、とても太刀打ちできるような存在では
なく、いつも下僕扱いを拒否しながらも結局、拒否し続けられない存在なんです。
それは関口のみならず中禅寺さえそうなんですね。「百器徒然袋−雨」「百器徒然袋−風」では嫌々
ながらも榎木津の取り仕切りでただ働きさせられています。陰では、「邪魅の雫」の中で益田に

 「榎木津の後始末は御免だよ」「榎木津の代わりに依頼人の助けになってくれと
 云うのも御免だ、榎木津と遊んでやってくれとか榎木津に説教してくれとか榎木
 津に鉄髄を下してくれとか、そう云うのも一切御免だ。榎木津絡みの話は凡て
 遠慮する。この家に於いて、榎木津に関することで発言を許されるのは、榎木
 津に対する愚痴を聞いてくれと云う頼みと、榎木津の悪口大会に参加してくれ
 と云う誘いだけだぞ益田君


と悪口を言っているくらいです。ただ、榎木津は中禅寺の力量を評価しているゆえに下僕扱いしてい
ないだけなんです。

前述の(※3)に関連して、「陰摩羅鬼の瑕」で由良昴允・元侯爵の関口に対する印象が次のよ
うに述べられています。

 おどおど・・・・しているのだ。

 好意的に見るならば、内気、或いは奥床しく遠慮がちな人物−ととれないことは
 ない。しかし、関口巽の執るような大層煮え切らぬ態度は、人に依っては大いに
 不愉快なものとして映ることだろう。


これは、結局のところ、「気の弱さ(精神的に弱い)」という属性からのものでしょう。関口
はこの性格ゆえに、「判断が必要な時、なかなか決めることが出来ない」という行動と、「頼まれると
心の中では断りたい、厭だ」と思っていても断り切れずに引き受けてしまう−関口が事件に巻き込ま
れてしまう要因の一つは実はここにあると思います。ま、「気が弱い」というのは私もそうですので、
関口の心情はわからないことはありません。傍若無人の榎木津とは違い、意外に世間体というか社
会における人間関係を考えてしまっていたりします。で、「物語」ですから、結局、嫌々ながらも引き
受けてしまったことが傍から見て彼の不幸に繋がってしまっているわけです。
考えてみれば、関口の性格と能力を無視して、「断り切れない」という関口の弱さに付け込んで面倒
事を彼に押し付けた方の責任であり、或る意味、関口は彼らの被害者なんですね。例えば、最悪の
目にあってしまった「塗仏の宴」はカストリ誌「実録犯罪」の妹尾友典編集長であり、「陰摩羅鬼
の瑕」では、けしからんことに精神的病み上がりの関口に榎木津の御守を押し付けた益田だったり
します。ただ、関口が事件に巻き込まれると、被疑者扱いされたりするのが彼の不運で、これについ
ては、「邪魅の雫」の中で、国警神奈川県本部の山下徳一郎から、

 「駆け落ち相手が目の前で殺害されちゃったら、どうします?
 「きっと貴方なら逃げる。でもね、だから疑われるんですよ関口さんは。疾しい
 ところもないのに痛くもない肚を探られる。要らぬ嫌疑を掛けられたくないが故
 に軽挙を重ね、余計に嫌疑を掛けられてしまうタイプです貴方は


と言われて下を向いて頭を掻いたように、そういう自覚はあるようですが、これは結局は「気の弱さ」
から来ていることだと思います。でもそういう人物はミステリー小説にはよく出て来る話で関口に限っ
たものではありませんね。ただ、最悪の目にあった「塗仏の宴」はそういうシチュエーションではなく、
関口が中禅寺に癒された人間というだけで、催眠術による罠に嵌められたのでしたから、関口は
被害者なんですね。

榎木津は、あの傍若無人で我関せずという人物として、中禅寺曰く、そういう「榎木津礼二郎」という
「仮面」をかぶって生きているのです。ですから、榎木津の傍若無人ぶり、敵対する者と下僕扱いし
たものに対する暴言は彼の真骨頂でしょう。
そんな榎木津ですから、後輩でおどおどしていて前述のように「役立たず」と見下している関口には
「猿」と言って下僕扱いしていますが、そもそも榎木津にとっては、敵対する者と中禅寺秋彦、千寿
子、敦子そして関口の妻の雪絵以外は下僕扱いなんです。益田などそんな関口を軽く見て、ため口
・軽口を叩いたりしますけど、自分は「自ら進んで榎木津の下僕になった」人間でしかありません。
関口は益田より年長ですし、そんな益田に対して、うんざりしながら

  「全く君は、もっと真面目な男だと思っていたが、見損なったよ。段々雇い主に
 似てきているようだ。しかも悪いところばかり


と言っています。で、これは中禅寺からも言われていて、中禅寺は榎木津という男をよく知っていま
すので、榎木津に係わると馬鹿になるぞと警告をしたりしています。

まだ関口には会っていないとき、薔薇十字探偵社を訪れた「僕」にたまたま居合わせた今川が

 「関口さんは、この人に苛められるためだけに親交を結んでいるような、奇特なご仁
 なのです


と言ったのに対し、「僕」は自分がそうでないことを信じ、且つそうならないように決心したのですが、
榎木津は変な顔をして何を失礼なことを云っているのだこの馬ネズミと今川を罵倒したとあります(笑)
(今川は「関口さん」と呼んでますから、関口より年下なんですね。そういえば、伊佐間は榎木津同様
「関君」と呼んでいますから関口より年上なんでしょうね。)
榎木津は関口と長い付き合いでない輩が関口の悪口を云うと怒ります。榎木津にとって、関口の悪
口を言っていいのは、自分と中禅寺そして木場だけのようです。中禅寺と榎木津、榎木津と木場は
互いに相手の悪口を言い合う中でもあるのです。中禅寺・榎木津視点で見てはいけません。


ただ、関口にはもう一つ厄介な属性が与えられています。それは「精神的にもろくすぐ精
神状態が不安定になりやすい
」というものです。中禅寺の指摘にあるように、「容易
に、蠱惑的な境界の向こう側に行ってしまいやすい
」そんな人物です。
旧制高校時代、中禅寺と親交を結ぶ前には病気としての「鬱病」にかかっていた−中禅寺によって
癒されてなんとか人間として社会生活を送れるようになったのですけど、脆い基盤の上での平衡状
態ですので、容易に崩れやすい
。どうも彼の「精神的弱さ」が異常に昂じた形という気もします。私は
「精神的に弱い」ことを自覚している輩ですけど、ありがたいことにそういう風にはならずに済んでき
ました。

図らずも「百器徒然袋−雨」の中の「山颪」の中で、関口は初対面の「僕」に

 どんな目にあったとしてもそれ程現実感がないんですよ

 生きていると実感できるのは、寧ろ苦しんだり悔んだりしている時で−。
 何も考えなければ生きていても死んでいてもそんなに変わりはないと思うし-。
 だから、何かに巻き込まれたりして右往左往しているときが一番安心だと、そう思う
 こともあります。自分の意思とは無関係に行動することになりますし−。要するに
 任を取りたくないと云うことなんでしょうね−。
(※4)

と自嘲気味に述べているように、これは決して「僕」が考えたように、関口の世間一般から見ての罵
詈雑言への云い訳ではなく、彼自身が自覚していてそれを治そうなどとは思っていないことのようで
すから、彼にとっては、「僕」が益田らから聞いて思ったような「天に見放されたような運のない男」と
か「世界中の不幸を一身に背負ってしまった男」というのは所詮、傍目からの他者目線でしかないよ
うです。

したがって、「中禅寺秋彦に冷遇され木場修太郎に罵倒され、榎木津礼二郎には下僕扱いされてい
る」というのはあくまで長年の付き合いで関口のことを見抜いている三人の言動としての表層的なこ
とでしかなく、これをもって関口を「可哀想な人物」だと同情するのは中っていませんしいらぬお節介
でしかないと思っています。むしろ逆に、中禅寺・榎木津・木場という特異な三人との親交の中でなん
とか人間としての社会生活をぎりぎり送って来れている人物なんですね。


実は私はそういう達観に至ったのは、取り分け、「塗仏の宴 宴の支度」「陰摩羅鬼の瑕」そして「山
颪」の中の(※4)を読んでからのことです。「塗仏の宴 宴の支度」を読んでいた時はわかりませんで
した。あのモノローグ群が理解できなかったのでした(^^;とりわけ、

 もう壊滅的に私は壊れていた(※5)

というその状態が理解できなかったのでした。

「塗仏の宴」では、関口は傍から見ると最悪の不幸に見舞われました。戦時中、秘匿されていた陸
軍科学研究所12研を牛耳っていた堂島・元大佐が戦時中から密かに準備し戦後本格的に密かに
進めていた非人間的ゲームにそのときはそれとも知らず中禅寺が支障となる関与をしてしまったた
め「中禅寺が癒した」仲間として、中禅寺にそれ以上の関与をさせないのと中禅寺に対する嫌がら
せで行われたゲームの外の企みの罠に見事に嵌められ、「絡新婦の理」事件の織作家のたった一
人の生き残り(実は絡新婦であったことは中禅寺に見抜かれたのですが本人には告げながら見逃
してやった)織作茜の殺人事件の犯人として下田署に逮捕され、連日「人権を無視した」取り調べ−
殴る蹴るの暴行と暴言−を受け、その結果「壊滅的に毀れてしまった」というものでした。
中禅寺は戦時中徴集されて12研に配属され、「世界で最も嫌いな男」ゆえに戦後は袂を分かちまし
たけど、12研当時は堂島大佐の懐刀と言われ、そのとき堂島からそのゲームのことを示唆されて
いてそれを思い出し、そしてなぜ織作茜殺人が行われたか、なぜ関口が罠に嵌められたかに気が
付いて中禅寺は自分が動かなければやがて関口は起訴されずに釈放されるだろうと仲間と関口夫
人の雪絵さんに告げ、

 「−今はただ、それまでの間に警察の人権を無視した尋問によって−彼が
 壊れてしまわないことを祈るだけです。もう遅いかもしれないが。


と言っていますが、恐れていた通りとなったということです。ただ、中禅寺が言った「壊れる」というの
は関口のモノローグにあるものと同じでしょうか?榎木津は、既に壊れているからと言いましたが、
こちらは間違っていたと言うことですね。
善く解らなかったのですが、前述の「何も考えなければ生きていても死んでいてもそんなに変わりは
ないと思う」が一つのヒントになりました。「宴の支度」の中のモノローグで、

 酷く殴られて、目が眩んだ。
 ふ−と、意識が飛んでどうでもよくなる。
 考えないということは何て楽なことだろう
 私と云うものは考えるから在るのか。私が考えなければ私は()いと云うのか。
 ならば考えている私と云うのは何処にあるのか。その私こそが−。
  私から逃げて行ったのだろう。


このとき、関口にとっては「我思う。ゆえに我あり」ではなくなってしまっていたということでしょうか。
前述の(※5)の後に、

 今や、私と云う一人称を使えるだけの私は、私の中に残っていない

ということに繋がっています。また、モノローグにはこんな表現もありました。

 混乱と云うより混濁した意識は、幾ら理性の光を当てようと試みても結局はどろどろ
 になって汚物のように沈殿するだけだった。一方意思はと云えば、そんなものは最
 初から腐敗しきっていて刺激する度に腐敗を放ち、じゅうじゅうと腐汁を撒き散らし
 ながら萎んでいくだけだ。

  私は墜ちていく。何処までも堕ちていくだけだ。
  墜落する快感など突き落とす奴等には解るまい。


で、関口にとっては、暴力刑事の暴行による躰の痛みだけが「生きて
いる」唯一の証拠みたいになっていたのでした・・・

 痛ェと感じるうちは大丈夫だ−
 躰が生きたがってえう証拠よ−
 −木場。
 ふたりきりで敗走した後−
 前線で聞いた、戦友の言葉だ。


結局、人間が自分は私と云う人間的存在であると自覚している「考える」という行為をやめてしまっ
という意味に於いて「壊滅的に毀れてしまった」状態と表現したのかなと理解しました。

さて、「塗仏の宴」では関口の後日譚が書かれていませんでしたが、次の「陰摩羅鬼の瑕」の中で
独白の形で述べられています。

どうやら旧制高校時代に罹り、中禅寺との交際の中で次第に癒されてきたはずの「病気」としての
鬱病」−所詮体質のようなものだろうと高を括り、己の患部を覆い隠すように仮面を被って、どう
にか生きて来ただけ
と独白−であることを一年前の「姑獲鳥の夏」事件でその仮面が割れて認識し
たようで、それ以来、

 乱れ崩れた私の精神の均衡は、伊豆の事件(「塗仏の宴」)で完全に失われ、私は−。
 一度崩壊(こわれ)たんだ。


と。精神状態がばらばらになってしまったということでしょうか。

 子細あって旅先で拘束され、そこで毀れてしまった私は、見知らぬ街の見知らぬ
 病院の見知らぬ病室に搬送され、そこで矢張り見知らぬ医者に訳の判らぬ治療
 を施された。否、治療自体は正当なものだった、慥かに私はそこで人として息を
 吹き返し、人としてのかたちを整えることが出来たのだから。
(※6)

と云いながら、

 しかし、それは、それはそれだけのことである。
 −元に戻ったところで。
 私の疾が癒えた訳ではないのだ。
 何も、何一つ変わりはない


と言っているのは、「鬱病」が癒えたわけではないということですね。だからこそ、(※6)から医者が、
もう大丈夫でしょうと言ったのに対し、関口は心の中で何が大丈夫なものか。私は元々病んでいた
のだ
と反発、

 病床の私は、寧ろ人と成ったことを悔やみ、私を人に戻した見知らぬ医者を怨み、
 やがて人として外に放逐されることを畏れた程である


と独白しています。それにしてもそのとき、事件前とは違う酷い「鬱病」状態になっ
ていたようで、

 その時私は鎧でも着けていないと怖くて立っていられない状態だったのだ。
 世間と云うものはこれ程までに寒寒しいものだったのかと、私は改めてそう
 感じた


そして、足許さえ覚束なかった、更には、

 私の横にはぴたりと寄り添うように妻が付き添っていてくれたけれども...

 その時の妻の記憶がない。

 私と妻との距離は手が届かぬ程に隔たっていたのだ
(※7)

と。

これらは病気としての「鬱病」の症状なんでしょうか。病院の治療によって、「考える」という行為が復
活し、自分は私と云う人間的存在であるという意識が戻って来た途端、癒されていたはずの「鬱病」
が再発してしまったということでしょう。元々ぎりぎりの精神の平衡状態の中でなんとか人間として
社会生活を送っていたのですから、一旦毀れてしまった−精神がばらばらになってしまった−ゆえ、
そう簡単には復活できなかったのでしょう。

ですから、そのままだったら、もう関口は退場となったはずですが、それ以後(「陰摩羅鬼の瑕」「邪魅
の雫」など)も登場するようになったのは、前の「ぎりぎりの精神の平衡状態の中でなんとか人間とし
て社会生活を送っている」状態にまでは回復できたゆえでしょう。「陰摩羅鬼の瑕」では病み上がりで
はありましたから益田の頼み−依頼を受けて出かけた榎木津が旅先で発熱し、一時的に盲目になっ
たため補助して欲しいというもの。病み上がりの関口に頼むこと自体けしからん話ですけどね−を引
き受けてしまったことで、心の葛藤があり再発の恐れもありましたけど「邪魅の雫」ではすっかり元の
状態にまで回復しています。

彼がなんとか癒されて人間社会に戻ることができたのは横溝正史先生との偶然の邂逅があったた
でした。
東京に戻ってきて1週間程たったとき(昭和28年7月の後半)−肉体の傷(下田署の暴力刑事による
ものでしょう)は癒えていて、残っている問題は精神の瑕でしたが−取り敢えず社会復帰をしなけれ
ばと出版社(奇譚舎)に出向いたのですが、わずか中野の自宅から神田の奇譚舎まで1時間の距離
が彼には精神的苦行になり、とうとう建物が見えたときに目眩を起こして道路にへたり込んでしまっ
たのでした。そこに現れて話しかけて来たのが横溝氏でした(最後の方でたまたま来た小泉女史が
その名を呼んだので知ったのでしたが。一方横溝氏は関口の名前を知っていて、その上で話しかけ
てきたのでした)

関口は自分は心の病気−鬱病−だと告げたのでした。そして横溝氏と話をするうちに、関口の中の
不安が鳴りを潜めたのでした−それまで、妻と主治医以外の人間とは全く口が利けないような状態
だったのだ
と。

横溝正史氏との邂逅の中でも彼のそれまでの精神状態が語られています。
鬱状態だったときはまるで考えていなかった生活状況について、入退院を繰り返していて支出ばか
りでそのままでは生活が破綻してしまうが雪絵夫人が働いていてなんとかやっている中で、鬱のう
ちはそれが気にならなかったけれども、

 半端に回復して来ると、今度は一気に焦燥感が募り始める。煩悶が発現する

と。そして、

 私は鬱から逃れたところで、所詮自律的に社会復帰することが難しい質の人間である
 何かを遣り遂げようと思うなら、誰かに尻を叩いてもらうよりないのである


とも。それで、奇譚舎に向かったのでした。

横溝氏から、「あなたは実際に体験されているそうですね」と言われたことに対し、

 現実は常に作りごとめいた様を装うし、虚構は常に真実らしさを纏うものである
 それに、私はそれらの区別が最初からない。


  匣の中味が知りたがったり、
  夢を無限に繋げてみたり、
  檻から出ようとしたり、
  理に搦め捕られたり、
  将また、宴に酔い痴れたり。

  (順に、「魍魎の匣」「姑獲鳥の夏」「鉄鼠の檻」「絡新婦の理」、「塗仏の宴」)

 私の関わった事件はどれも、夏に萌え立つ陽炎のようなものだ。
 だから私にとって事件を装飾する言葉は、欲だとか情だとか怨みだとか、そうした
 善く聞く謳い文句より、寧ろ夏なのだ。その方が遥かにそれらしい気がする


と答えています−論理的ではないですけどねと自ら云い訳しながら。でも、これは関口巽が「幻想小
説作家」であることを考えればそれほどおかしくない思いだろうと考えます−。

もう一つ、死生観が語られています。それは、この「陰摩羅鬼の瑕」の中で結局関口が邂逅すること
になった事件の主役・由良昴允・元伯爵に関して横溝氏が、

 彼には死の概念が欠落しているのじゃないだろうか

と言った時、関口は、

 私はずっと、死と向き合って生きて来た人間なのだ。死に哀しみ、死を恐れ、死を
 厭い、死に憧れ−そして死を願う病こそ鬱病なのである。
 私から死の概念を引っこ抜いたら、私は消えて罔くなってしまうだろう。


と。

「陰摩羅鬼の瑕」をよく読み返して気づいたのですけど、そもそも益田の依頼を呑んで結局、由良家
に榎木津の「お供」の形でやってっきたのは、関口自身の想い−横溝正史氏との邂逅の中で由良
昴允の話が出たことと、(※4)に関連するこの物語の中での関口の独白

 私の中心に在る鬱は、どんな状況でも現状から逃げようとするのだ。不安の渦中
 に於いては安定を求め、安定の中に於いては不安を希求するのである


というもの−からのようです。そして、事件に巻き込まれてしまうことに関しては

 何もかも勝手な理由で偶発的に起きたてんでバラバラの事象に過ぎない。私は
 偶々それらの事象に跨るように関わってしまったと云うだけである。
 人は往々にして偶然の集積に都合の良い因果の姿を垣間見るが、そんなものは
 如何なる場合も幻想だ。


とも独白しています。関口巽という人物は、こういう人なのです。ですから、前述のように、関口巽へ
同情などというのは表層だけ見ていることになり、私はファンではありません!と書いた訳です。


で、読者が一番気に懸けるべきかなと思うのは、そういう難しい性格の男の巽と結婚してしまった妻
・雪絵さんではないでしょうか?
関口巽が下田署に逮捕され、静岡県警が雪絵に事情聴取した後、増岡弁護士が雪絵を伴って京極
堂を訪れたとき、雪絵は取り乱したりせず気丈にも、

 「無罪でも有罪でも−夫婦であることには変わりはありません。罪を犯したから
 離縁するとか、犯してないから離縁しないとか−そんな馬鹿な話はありません
 でしょう。そんな理由で添っている訳ではないですから−命さえ−取られなけ
 れば


 「−あの人がどう思っているのか、何を考えているのか、今の私には−解り
 ませんから−


 待っているよりありません

と言い、榎木津から、

 「まあ−愛想つかすなら今のうちだが−そうでないならまたあれの面倒を見る
 羽目になるから雪ちゃんも覚悟するように。


と言われ、ええと答えています。

で、結果的には前述通り。釈放され知らない病院で治療を受け、人間としての私を取り戻したとき、
鬱状態になってしまっていたためか、私と妻との距離は手が届かぬ程に隔たっていた・・・そりゃな
いぜ関口君!

「山颪」の中で、結局「僕」は巻き込まれて関口家を訪れることになったのですが、「僕」の雪絵に対
して抱いた感想は、

 要領の悪い亭主とは異なり、大層落ち着いて見えた。でも、ほんの少しだけ
 寂しげな(ひと)だと思った


でした。

昭和27年「姑獲鳥の夏」の物語の前の関口に関するサイドストーリ「百鬼夜行−陰」の最後の「川
赤子」で関口は、

 −ああ、生きているのは面倒臭い。

 死にたいと思う訳ではない。

 死ぬなんてとんでもない。
 死ぬには労力が要る。
 そんな能動的な行為が今の私に出来る訳もない。否、そうした劇的変化を、
 今の私は全く受け付けないだろう。

 私は、何か忘れていることすら・・・・・・・・・忘れて、それで諾諾と暮らしているのではないか。  
 そう考えると、少しだけ怖くなった。


敦子が来て海の話になったら目眩で倒れて鬱になって三日間も寝込み、やってきた鳥口が、

 「それより先生、いけませんよ。生意気なこと云うようですが
 「奥さん泣かすようなことしたンじゃないんですか?奥さん、ありゃ相当に疲れて
 ます


更には、夫妻に子供がいないため、雪絵夫人が、

 「−仔犬でも飼いたいですね

と一言言ったのに対して関口は自分への当てつけかと怒り出す始末でした。

関口よ、あんたそりゃ駄目だぜと言いたいのは、「陰摩羅鬼の瑕」の中で、40過ぎて独身の由良公
滋に言った

 私にとって妻は掛け替えのない存在である。でも、私と妻との距離は遠い。他の誰
 よりも遠い気がする。日常が平和であればあるだけ、距離は遠のく。

 そして非日常の中では。
 愛憎の値は等価になってしまう。破壊衝動や嫌悪感や劣等感や、死んでしまえ殺し
 てしまえ、死にたい生きていたくないと願う私のような人間の中に於て、他人に情
 を注ぐと云うことはその相手を憎むことと変わりのないことだ。
  だから私は妻を心底慈しむことが出来ぬ

 私にとって妻は大事な人だけれども、妻にとって私は大事な人であってはならない・・・・・・・・
 のだ。妻を想えば想う程、私は嫌われなくてはなるまい・・・・・・・・・・・と思ってしまうのである


です。当然ながら、年上の独身男の公滋から

 そんな夫婦などあるか

と揶揄されたのでした。売れない作家の関口の稼ぎだけでは食って行けず、雪絵夫人は外に働き
に出ているのです!そんなんだから、中禅寺も榎木津も木場も気にかけているのでしょう。中禅寺
は、「宴の始末」の中で、まだ自分が立ち上がると関口が出て来れなくなるかもしれないと思いつ
つ、ついに立ち上がったとき、雪絵夫人と友達である自分の妻・千鶴子夫人にしばらく一緒に京都
の千鶴子夫人の実家に行ってくれるよう頼み、榎木津は前述のように「愛想つかすなら今のうちだ
が」と言い、木場は「陰摩羅鬼の瑕」で長野県本部から頼まれて事件捜査に協力した伊庭銀四
・元警視庁刑事の元を事件後訪れていた時、偶々やってきた関口に対して、

 出歩いて大丈夫か
 「だって病み上がりなんだろうが。それにお前さんは事件に関る度に落ち込んで、
 地獄の窯の蓋ァ開けたみてェなことになんだろうがよ。あまり女房に心配かける
 と俺が締めるぞ


と。

とにかく、「魍魎の匣」の中で独身で恋人さえいない木場が不思議がっているように

 戦友の関口巽は鬱病で対人恐怖症の風采の上がらぬ小説家である。しかし
 鬱病の、対人恐怖症の彼ですら恋愛をして、結婚もした。
 色男でもなければ金持ちでもない冴えない連中がどうやって配偶者となるべ
 き女性達と出逢ったのか。どのようにして過ごしたのか。木場にはそれが解
 らない。


ですね。

                                      ('18/9)

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