機関車のこと(’15/2)


前にも書いたように、私は機関車というものが好きです。しかしながら、その機関車
についてはあまりというかほとんど知らなかった自分がいます。
今回、名鉄が新型電気機関車EL210を購入したという話題は機関車が好きという
私にとって、それが地元の名鉄の話題だということで、嬉しくて、色々とアップされ
ているブログ記事写真やYouTube映像を漁っているところです。

で、それを期にして、これまでのわずかな昔の記憶と近年、ネットで知ったことなど、
つれづれに書いてみたいと思います。以前、断片的に触れたこととダブっているこ
とも多々あろうかと思います。
以下、『蒸気機関車』:SL、『電気機関車』:EL、『ディーゼル機関車』:DLと表記しま
す。

私は60代の輩ですので、私たちにとっての機関車の原点は勿論、SLです。
但し、私の場合、今世紀になってから2回乗車した大井川鉄道を除くと、最後に国
鉄の定期列車でSL牽引客車に乗ったのは、1969年(昭和42年)3月、旅先の長野
駅から北陸本線経由で富山駅までの普通列車でした。そのときは、もう本州でSL
が牽引する客車列車などは無くなったと思い込んでいたので、驚き、あれ嬉やとい
う思いをした記憶が残っています。その当時は、まだ、長野駅〜直江津間の信越
本線は非電化だったのでしょうね。そのまま北陸本線もそうだったかまでは記憶が
不鮮明ですけどね(上野駅〜長野駅間は電車急行「佐渡」に乗りましたから上野
〜長野までは間違いなく電化されていましたが、その先はまだだったのでしょう。
ちなみに、これは、合格祝いで祖父母が金を出して同行してくれた日光⇒長野⇒
高山というルートでの旅行でした)。
残念ながら、長い間、カメラ趣味がなかったため、カメラを所有しておらず、写真記
録がありませんが。

勿論、まだ、貨物列車にはSLが残っていたのは、私の故郷を通る旧・国鉄樽見線
(現・樽見鉄道)にC11が現役でしたので知っていました。私が会社に入社してから
二年目の1972年までこのC11が残っていたことは、廃止の日の写真を弟が送って
きてくれて知りましたが・・・。

でも、ネット調べておいて驚きましたが、その頃はまだ、関西本線名古屋口とか名
古屋臨港線にSLが残っていたんですねぇ。全く知りませんでした(^^;
名古屋から西側の国鉄なんてほとんど縁がありませんでしたからねぇ。中央西線
の方は少なくとも多治見までは既に1967年時点で電化してましたし。まだ、その
頃はEL牽引の普通客車列車があり、多治見までの乗車経験があります。

幼少の頃は、東海道本線でさえ、名古屋駅以西はまだ非電化で、祖母に連れられ
て高山本線で何度か岐阜駅から高山駅まで国鉄に乗りましたが、当時、岐阜駅は
SLばかりいた記憶があります。確か、岐阜駅の一番北側のホームで高山行列車
を待つ間、祖母が一番南側の方にあったSLを指さして、「あれは名古屋行きです
よ」と教えてくれたことを今も覚えています。
その頃は、まだ、岐阜駅の東の方の踏切の東側に転車台があったことも記憶して
います(残念ながら、この転車台についてはネット調べても写真が見つからず、記
事さえほとんど見つけられていませんけどね。昭和20年代の地方都市だったから
なのかも・・・

振り返って考えてみますと、私は「国鉄が好き」だったようです。で、私の中では(と
いうか、昔の地方の人々の意識はそうだったと思うのですが)、「国鉄=汽車」だっ
たわけで、勿論、「汽車=機関車牽引客車列車」ということでした。本来は、「汽車
=SL牽引列車」でしょうけど、機関車がELであろうがDLであろうが、はたまた、電
車・気動車でさえ、「汽車」という呼び方をしていた気がします。ま、長い間、私自身
は「機関車牽引の客車列車」が好きで、電車・気動車は好きではありませんでした
けどね。

そんなこんなで、確かに幼少の頃はそれしか無かったため、原点はSLですけど、
実は私はELも好きでした。
私の確実な記憶の中では、EL牽引客車列車乗車記憶の最初のものは、高校2年
の時の修学旅行の帰りに旧・小郡駅(現・新山口駅)から乗車した、急行西海号で
した。あのこげ茶色のEF58でした。実は、それまでの私の中でのELは小学生の
頃、絵本などで目にしていたデッキ付箱型のものでしたから、そのデッキがついて
いないという変な理由からEF58には不満があった覚えがあります。
恐らく、既に、その後、デッキ付電気機関車は古いものという思いが出ていたよう
で、その後、夜行汽車一人旅を何回か経験した中で、新宿から中央東線・塩尻乗り
換え中央西線という一周をしたとき、新宿駅で、デッキ付ELを目撃(更には、急行
上高地号の客車列車が留置されていたこと)が私には衝撃的で今も記憶に残って
います。いずれにしろ、私がその後も乗車経験があるEL牽引客車列車は全て、
EF58ばかりだったようです。東海道線では、貨物列車牽引では2両固定連結の
黒いEH10をよく目にしましたが・・・。

ところで、ELですが、私の中で長い間、国鉄;「箱型EL」、私鉄;「凸型EL」というイ
メージがありました。多分に、名鉄瀬戸線大曽根駅で「凸型EL」を目にしていたか
らかもしれません。そして、私の中では長い間、「凸型機関車」=ダサイという勝手
な思いがありました。そして、「凸型機関車」=短距離または構内用というような勝
手な区分さえしていたのでした。

それゆえ、その「凸型機関車」であるDLのDD51は好きではありませんでした。
とういうか、長く、DL=「凸型機関車」などと思い込んでいたわけです。多分に、
旧・樽見線で現・住友大阪セメント(川崎セメント⇒磐城セメント⇒住友セメント)
岐阜工場(現・本巣市)の引き込み線の牽引が「凸型DL」だったからそういう風に
決めつけていた気もしています。

しかるに、1972頃、約半年間、兵庫県に住んでいたことがあり、そのとき、国鉄福知
山線(現・JR西日本の「宝塚線」、当時はまだ非電化)に箱型DLを目撃し、かつ
それが牽引する客車列車があることを知って、わざわざ大阪〜福知山〜京都〜と
いう一筆書き乗車をした記憶があります。ですから、なんで、DLの大半が凸型なの
か不思議な気がしていました。その当時、鉄道本では、四国や紀勢本線も箱型DL
が使われていた写真が掲載されていたんですけどね。そして、海外でも箱型で凸型
ではないことを本で見ていましたし・・・

そういう偏見というかDD51嫌い(形がダサイと思ったという理由だけで)だった私
でしたけど、ここ数年前からそういう偏見が私の中から消えました。というか、機関
車なら何でもいいという風にすっかり心変わりしてしまいました(^^;。それと共に、
これまた、好きでなかった電車・気動車まで、線路を走るものなら何でもよいという
風に変わってしまいました(笑)。

ま、ここ2〜3年、インターネット検索している中で、知らなかった色々な鉄道に関す
る知見を得ました。鉄道好きのくせに、長い間、何も調べず、何もしてこなかったこ
とを見事に証明してしまいました(^^;。機関車に関することだけでも、思いつくまま
順不同で書きますと・・・

1、JR東海は機関車は最早、1台も所有しておらず、運転士も養成していない
 こと
2、樽見鉄道の臨時客車列車が廃止されてしまったこと(薄墨号の存在は知っ
 ていたのですが)
3、大手私鉄は全て貨物輸送を廃止してしまっていること
4、関東・関西の他の大手私鉄は全てEL廃止していること
5、名鉄は大手私鉄で唯一、ELを現役で複数台所有使用していること
 それもこれまで7台も所有・現役使用していたこと、それも70〜80
 年も実用しているということ
6、名鉄にも、デッキ付箱型EL(デキ400)が2台もあること
7、JR貨物には、通称「金太郎」という固定二両連結のEH200というのがあ
 るが、その昔、EH10が関ヶ原越えのために走っていた東海地区には来
 ていないこと(通称「桃太郎」は走っていますが)
8、稲沢の愛知機関区がDD51とEF54のメッカであること
9、そのDD51は、主として、四日市貨物のためであり、重連さえあること
10、稲沢駅から上り線に少しだけ貨物専用線路があること
11、この地方では、以前はあった貨物列車が高山本線のJR東海管轄部とか
 飯田線にはもう入っていないこと
12、四日市には臨港線が健在であること、開閉橋があること
13、名古屋近辺には、名古屋臨海鉄道と衣浦臨海鉄道の二つの臨海鉄道が
 まだ健在であること
14、西濃鉄道〜JR東海道線〜名古屋臨海鉄道経由で「赤ホキ」という、今や、
 JR貨物の大半を占めるコキ以外の全国的にも珍しい貨物列車が毎日、
 2〜3往復も走っていること
15、ローカル線であるJR武豊線に、三岐鉄道西藤原駅との間で往復する通
 称「白ホキ」と呼ばれている貨物列車が走っていること
16、名古屋に未成線の南部貨物線が廃墟で残っていること
17、名鉄や地下鉄の電車等は、名古屋臨海鉄道・名鉄築港線経由で甲種輸
 送されること(臨海鉄道に東築線というのがあり、名鉄築港線と平面交差し
 ていて、名電築港駅という旧・貨物駅から三段スイッチバックで築港線に渡
 される、これが現在の貴重な唯一の搬入ルートであること
18、日本車両がJR東海の子会社になったこと
19、木曽森林鉄道王滝線が私が学生の頃、まだ存続していたこと
20、あおなみ線が名古屋西臨港線を利用したものであり、途中に名古屋貨物
 ターミナル駅(高架駅)があること
21、名古屋東臨港線がJR東海の資材置き場があるために未だ存続していて
 たまにDL単機またはチキをつないで走っているらしいこと
22、本線用なのに、DD51が凸型形状にされたのは、メンテナンスの容易性
 からであること、前と後ろに二基ディーゼルエンジンが搭載されていること、
 運転席は両方向きになっていること
23、あの、いかにも「高性能EL」という精悍な顔を持つEF66の0番台がJR
 貨物吹田機関区にあって、時々、こちら愛知機関区で借用?運行されてき
 た(まだされている?)ということ

・・・などなど。

それにしても、名鉄の新型ELである120、既に本線で試運転しているそうで
YouTubeに映像がありました。いいですねぇ(^◇^)。是非、この目で見たいです。
なんか、縁の下の存在だけで使用するのはもったいないですねぇ。
YouTubeで聞くホーンは大曽根駅に入線してくる4000系(鉄チャンが銀電と称して
きている名鉄では最新の通勤電車)のものと似てました。台車も4000系系列のも
のだそうですし。製造は日車でなく東芝府中だそうです(だから、EH200を小型化
したような姿・形でしょう)が。
名鉄はまだ正式に導入したことと運用方法等については発表していないそうです
が、噂によればなんとミュージックホーンも搭載しているらしいです(噂ですから本
当かどうか不明ですけどね)。これまで通り、単に、バラスト散布ホキ牽引とかチキ
(レール運搬)牽引とか甲種輸送、構内運用くらいの使用でしょうか?
近年の瀬戸線を見ていますと納得したりしているのですが、意外に名鉄は鉄道
ファンサービスをしたりしていますので、何か、そういう面でも使用するかもしれま
せんね。新型ですし、私的には「かっこいい」ですから、そうでないと勿体無い気が
します。ただ、客車を所有していませんけどねぇ・・・

ま、地元の私鉄がこういうことをしてくれていることは機関車好きの私には嬉しいこ
とです。地元のJR東海が機関車をJR各社の中で唯一全廃してしまっていて、そう
いうのに全く興味を示していないようですから。

ま、機関車の話題ではないですけど、JR武豊線電化はJRグループ一斉に全国ダ
イヤ改定の3/16より前の3/1からとなることが発表されたこと、そして、なんと、こ
れまで聞いて来た国鉄時代の気動車キハ40系ばかりか、JR発足すぐに投入され
た軽気動車キハ11も、紀勢本線・参宮線方面で使用されているサイズが大きく、
トイレ付で一番新しい300番台を除き、大半を廃車にするとか。少なくとも、太多線
からはこの3月改正で全廃するそうですね。ネットでは系列の東海事業線から借用
の形になっているキハ11の200番台2両がどうなるかの予想が沢山されています
ねぇ。この借用代と線路使用料が相殺されているとかで・・・
そもそも、キハ11は高山本線では、白川口までしか入っていない(動力不足?トイ
レなしのため?)そうですが、1エンジンの新型キハ25は既にJR東海管轄の最北
端駅である猪谷駅まで入っているそうですから、300番台以外でしばらく残るという
6両は岐阜〜白川口間で用いられるのかもしれませんね。そうか伊勢方面に持っ
ていくのかな?でも、トイレないそうですからどうなんでしょうか?
ちなみに、私はこのキハ11は太多線で乗車経験があります。

そういえば、名鉄ってトイレ付が少ないですよね?あのパノラマカーも確かトイレつ
いていなかった気がします。近鉄など急行でもついていますし、JRなら飯田線でも
昔からついてましたから・・・それもかつては名鉄が好きではなかった理由の一つな
んですけどね。今でも、特急電車では先頭二両の座席指定車両部分に一つだけつ
いているだけですからねぇ。
昔は名鉄本線・岐阜〜豊橋間は岐阜〜名古屋間30分、名古屋〜豊橋間60分と宣
伝してましたけど、ビールなんて飲んだ日にゃ、とても名鉄で岐阜〜豊橋間乗り続
けられませんでしたよねぇ。文句出なかったのかなぁ・・・。それとも私が知らなかっ
ただけでついていたのかなぁ・・・かつて、5年くらい、通勤で毎日、パノラマカーに
乗っていたんですけどねぇ(高速とか自腹切って座席指定特急として)。
(それで、名鉄名古屋駅と犬山線その後、本線での満員電車に不満があったこと
も私が長いこと、どちらかというと名鉄嫌いだった理由ですけどね。その頃はまだ
JRは国鉄で、こちらではとても通勤に使える代物ではなりませんでしたから、名鉄
は独占状態での殿様商売だったのではないかなと思います)

そうそう、なぜか、関西本線・紀勢本線・参宮線を走っている快速みえがまた、以前
のように2両編成に戻ってしまうらしいですね。キハ40廃車に伴いキハ75が不足
するからでしょうか?私は関西本線が名古屋からなのに、単線である上に、快速で
もたった2両編成ってなんなの?と思ってしまっていますから、使用していないのに、
ちょっと違和感と不満があります。昔の客車時代の写真を見ますと両数が多かった
のにと・・・ま、あれは本数の少なさとの相殺だった気もしますけどね。

関西本線と言えば、機関車の話題に戻るのですけど、昔は、東京から急行大和伊
勢という夜行列車があったのを覚えていたのですが、ネット上に編成やダイヤ記事
がありました。記憶の中にも、その一部が和歌山線経由で和歌山まで行っていると
いうのを時刻表で見ていたことがありましたが、確かにそうだったようです。
和歌山線というのは以前はスイッチバックがあったんですねぇ。そして今や、電化
路線なんですねぇ。で、関西本線自体は、名古屋〜亀山のJR東海区間と大阪難
波(旧・湊町)〜柘植のJR西日本間は電化されていますが、亀山〜柘植間、加太
越えと言われた難所がある部分は電化を進めてきたJR西日本管轄なのに未だ
非電化だそうですね。一度、この路線に乗ってみたいと計画だけしているのですが
腰が重くてなかなか(^^;
亀山駅がJR東海管轄のためか、SLを所有しているJR西日本もここだけは未だ
SL臨時列車運転をしていませんねぇ。あおなみ線にSLを一回走らせた河村名古
屋市長が活性化の意図からか、思い付きで関西本線にSLをと言っているようで、
その気が全くないJR東海や財政面から市役所職員を困惑させているようですけど、
関西本線でSLというなら、このJR西日本管轄の加太越え区間でないと絵にならな
いと思いますね。

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(追記2/17)
名鉄に導入された新型電気機関車、正式に名鉄と東芝から発表されましたね。
東芝としては私鉄向けは70年ぶりの受注だったそうです。
で、噂のミュージックホーン、間違いなく搭載されてますね。中日電子ニュース
のYoutube映像や、メーテレのニュースに掲載されてました。
名鉄スカーレット色+側面ステンレス帯のデザインはgoodです。

ただ、残念ながら、ころで6両残っていた戦前からのデキは順次廃止だそうです。
二両でやりくりできるのかな?というか、やっぱ、夜に運用されるチキ運用とか、
バラスト散布くらいの運用だけではもったいないですね。

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