廃線駅2題[名鉄三河線山線](’13/4)
ネット見てましたら、名鉄・三河線の俗に山線と言われている廃止された猿投〜
西中金間の廃線跡を辿る記事や廃線前の映像などがあり興味が湧きました。
もっともよくある廃線跡をたどるというのは私にはちょっと無理なので、そうで
はなく、駅がいくつか保存?されていていくつかは道路のそばにあるらしいとい
うのに興味が湧いたと言う訳です。それなら車で行けるぞって・・・
そして、電子国土の地形図を見ましたら、ところどころそれらしい跡が地図から
伺えましたので余計に興味が湧いてきて、終点の駅(西中金駅)と一つ手前の
駅(広瀬駅)の駅跡を見に行ってきました。
付近の地図は下図のようになっています。
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廃線部付近地図
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ここは豊田市。実は上の地図の国道153号線は以前からたまに車で走った道な
のです。愛知県の紅葉の名所・香嵐渓(以前は足助町、平成の大合併で豊田市
に併合)に行く道ですからね。しかしながら、今から思うと残念無念ですが、当時
は鉄道趣味が薄れてしまっていて、「鉄道が道沿いにあるなぁ」くらいにしか思わ
ず一度も駅に寄ることもなかったんです(^_^;)。そんな程度ですから、ここが名鉄
三河線の一部だったなんて知る由もありませんでした(というか、すっかりボケて
しまっていてある別の線と混同していたようで、更に更に思い違いしていて足助
町まで線路があるなんて見てもいないのに思いこんでいました。車両を見た記憶
がないためかもしれませんけどね)。
まずは猿投グリーンロードを通り(この有料道路は2か所料金所があり、全線を
通過すると300円+100円=400円必要、ETC対応)、力石ICで左折して国道153
号に入りました。今日は途中のお寺で行事があったようで人々がたむろし、交通
整理がなされていました。
駅の位置がよくわからなかったので、左側を見ながらゆっくり走ると、左手にある
民家の裏側、山との間に鉄路の盛り土部が見えてきました。もうそろそろだろう
と考えながら通りすぎないように慎重に走りましたら駅舎が見えてきました。
前に狭いながらも駐車スペースがありましたので、駅舎を過ぎた先のところに車
を停めました。
目の前に線路端、そして右手にホームがあり、ホームの端脇からホームに登れる
数段の階段がありましたのでそこからホームへ。まるで軽便鉄道のような弱弱し
い感じの線路が1本ホーム横に残されていました。どんな形でもこれはまさしく、
私が好きな線路なんですね(^◇^)。かつては猿投駅から気動車(レールバス)
がここまで運行されていたというのが信じられないような感じが線路を見てして
しまいました(^_^;)。
写真見て気が付きましたが、神社のすぐ東側が駅だったんですね。地形図に神社
のマークがありましたので地図上での場所が特定できました。
さて、次は広瀬駅跡を目指しました。ここからUターンし、力石IC入口を過ぎ国道153
号を進みますとやがて、勘八峡勘八という信号があり、ここで右折して県道355号に
入りました。地図の上で途中に狭い所があるのでこういう道は苦手なんですが・・・
猿投グリーンロードをくぐるまでは一応、片側1車線だったんですが、その先でやっぱ
り地形図通り、狭くなり、ぎりぎり2台すれちがいができる道になりました。
ま、地図の上ではそれもあまり長い距離ではかったのですが、それでも対向車が数
台あり嫌でした(^_^;)。
やがて、左手前方にホームが見えてきました。広瀬駅跡到着です。
ここは廃線後にボランティアの団体の方々の手で復活され保護・維持されているそう
です。ホームの駅名板や駅舎の駅名などが復活されていました。こういうのはいいで
すねぇ。私の好きな線路もちゃんと残っていました(^◇^)。
上り方向を眺めた三枚目の写真の右側の木立の向こうは矢作川です。
これらの駅周囲は共に小さな集落(豊田市中金町、西広瀬町という地名)で間には
山があり広瀬トンネルと力石トンネルという二つのトンネルがあったそうですからこ
こはまさに「山線」という名にふさわしい路線だったんですね。もし現存していたら、
今の私は確実に乗りに来たでしょう。現存当時は知らなかった(^_^;)
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