名鉄と廃線
下の概略地図をご覧ください。
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(注:地図の縮尺はN.T.S.です) |
これはもう50年以上昔、私の小学校時代の頃の岐阜市近辺の鉄道路線図です。
このうち、黒と青の細線で描いた路線は全てもうきれいさっぱり消滅してしまいました。
岐阜県出身(ただし、上記廃止路線の沿線住民ではありませんが)で「鉄道好き」の私に
とってはとても残念で寂しい限りです(:_;)。
実はこれらは全て名鉄路線で、他の名鉄線とは独立した全く岐阜県内で完結している路
線でした。したがって、名鉄が所持していた路線のうち上記地図に示した岐阜近辺の多く
の路線がごっそりと無くなったわけです。それについては後ほど触れるとして、まずはこれ
らの路線について記憶とネットで調べたことなど簡単に紹介しておきます。
尚、上の地図で「新岐阜」とあるのは、今は「名鉄岐阜駅」と名前を変えてしまった名鉄名
古屋本線と各務原線の始発ターミナル駅の以前の名称です(以前は名鉄名古屋駅も新名
古屋駅と称していました)。恐らく、今でも岐阜の方々の間では「新岐阜駅」の名で通ってい
いるのではないかと思います。
このうち黒線で描いている路線は「路面電車」形電車路線であり、EJR岐阜駅〜徹明町
〜千手堂(せんじゅどう)〜忠節の忠節線とC徹明町〜長良北町間の長良線は全部
が完全に岐阜市内の市街地道路に敷かれた文字通りの「市内電車」でした。
忠節線の終点の忠節と長良線の長良北町は共に長良川を渡った北岸近くにあり、長良線
は長良橋、忠節線は忠節橋という共に道路橋で長良川を渡っていました。
学生の頃、岐阜に行く特に長良線の方をよく利用したものです。
当時はワンマンカーではなく、ちゃんと車掌さんが乗っていてひもを引くと「ちんちん」と鳴り
ました。市内電車を昔はよく「ちんちん電車」と称していましたが、この音がその由来でしょ
うね。
長良線の方は既に20世紀の終わりごろ、岐阜未来博の頃に廃止されてしまったそうです。
実はこの線の電車は忠節線より小さく古いものが使われていました。鵜飼で有名で河畔に
ホテルがいくつかある長良橋を渡る線であり、また、岐阜城が頂上にあってロープウェイが
今でも麓から運行している金華山の西側山麓の岐阜公園とか初詣などでは賑わう伊奈波
神社などが沿線にあるにも係わらずで不思議に思っていましたが、その運行電車と先にこ
の線が廃線化したのは理由があって、一重に途中の道の狭さとその道路の形(下図参照)
が要因だったのでしょうね。それでも、私が時々利用したひと昔前はそこそこ乗客も多かっ
たような記憶がありますが、廃止されたということは年々減少していったのでしょうね。
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かつて市内電車長良線が走っていた長良橋近くの道路 |
一方の忠節線が21世紀初頭まで残っていたのは忠節駅で郊外線のD揖斐線と接続してい
たためと思われます。この揖斐線は市内線の忠節線と一緒に2005年に廃止されてしまい
ました。
この揖斐線は途中に「尻毛(しっけ)」「又丸(またまる)」というユーモラスな名前の駅があり、
ちょっと全国的にその筋では有名でしたね。
この線には急行もあり、それは私の記憶(記憶違いかもしれません)では昔の美濃町線で使
用されていた前後が丸い形をしていて前後入口そばの楕円窓が特徴的だった高床の大型路
面電車形のものを白色と名鉄カラーの赤色のツートンカラーに塗り替え、座席をクロスシート
に改造したものだった(名鉄にはこだわりがあったのか以前は郊外線に派ロングシート車両
を避けていたようです)という記憶があります(ネットには写真等多くがあります。)
そしてこの急行電車は忠節で市内線に乗り入れて新岐阜駅まで市内を走っていました。
どういういきさつだったのか記憶がありませんが、この揖斐線はその急行に一度だけ乗車し
た記憶が残っています。
揖斐線の途中の大野駅からは谷汲という観光の門前町までB谷汲線という揖斐線より更に
ローカルな線がありましたが、こちらは揖斐線より先に20世紀中に廃線化されました。
途中のタブレット交換駅などは「鉄道ファン」の方には人気があったようで、YouTubeにはその
駅風景などの映像があります。途中、根尾川の西岸、道路に沿って西の山麓を巻いて走って
いるのを目にした記憶があります。私はそういう線路のシチュエーションが好きなんですよ。
「鉄道ジオラマ」の世界のようで・・・
ちなみに終点だった揖斐川町には町の中心に駅があった岐阜からの名鉄鉄路は消滅しまし
たが、大垣からは近鉄時代からあって今は養老鉄道揖斐線となった電車がまだ走っているよ
うです。この揖斐駅は、過去のものとなってしまった名鉄本揖斐駅とは離れていて揖斐川の南
側に駅があるようです。
さて、上記地図で一番先に廃止されたのは@高富線です。長良北町から旧・高富町−現在は
山県郡の町村が平成の大合併で市になった山県(やまがた)市−まで走っていた路線です。
これは小学生の頃は地図で存在を知っていたのですが乗車経験は勿論、見たこともありませ
んでした。ネットによれば乗客が多すぎて対応できずに廃線化⇒バス化したようです。
次に廃線化したのはA鏡島(かがしま)線です。これは当時は岐阜市郊外(現在は岐阜市内)
の西鏡島まで路面電車が走っていたものです。岐阜市民病院前の道を走っていて、小学生の
頃一時期、日曜日毎に所用でこの岐阜市民病院前の電停まで乗車していた記憶があります。
ちなみに車両ですが、調べたところでは私の記憶が間違っていたようです(^_^;)。
最後に紹介するのは、全国の「鉄道ファン」に間では有名だったF美濃町線です。
かつてほんの一部しか乗車経験のなく知識も乏しい私が紹介するよりネット見れば山のように
関連記事がありますが(^_^;)。文字通り、市内道路中央を走っている区間あり、専用区間あり、
郊外では道路の片隅に鉄路がある区間ありと面白い路線であったのは間違いないでしょう。
私の知っている元々の路線は徹明町からの路線でいたが、あとから新岐阜駅からの路線が
追加され、晩年、徹明町からのものは支線に格下げされたようです。
私の記憶に残っているのは徹明町からの路線です。徹明町というのは岐阜市の繁華街・柳ケ
瀬近くにありその交差点では南北に長良線、西から千手堂を経てこの交差点まで来ていた鏡
島千、千手堂交差点で北から東方向に直角に曲がり、この徹明町交差点で南の新岐阜方面
に直角に曲がる忠節とそしてこの徹明町交差点から東の方に行く美濃町線が集中していた所
でそれゆえ、岐阜に行くとこれらの路線の電車達が眺められ記憶の中に残っているのです。
市内線の忠節線、終点の忠節駅で接続していた揖斐線、そしてこの美濃町線は21世紀の初
めにもまだ健在でしたが、2005年頃に一挙に一緒に廃止されてしまい、とうとう岐阜近辺の
600V名鉄独立線は全廃になってしまったといわけです。
ところで、特に注目を浴び、多くの「鉄ちゃん」ばかりでなく各界から厳しい視線を浴びていたの
は市内線の廃止でしょう。欧州などでLTが見直されて市内の重要交通機関になっていることな
どが環境問題から注目を浴びていることがそういう批判を強めている要因なんでしょうが・・・
特に路線の所有者だった名鉄はみそもくそも一緒にしての誹謗中傷まで受けていますけど、
よく考えてみれば、名鉄は私鉄すなわち「民間企業」なわけで、民間企業というのは赤字が続け
存続が困難になるわけです。ですから、いくら「公共」云々と言っても、赤字で社会奉仕を継続す
るなどということは不可能なわけです。かつては黒字路線での儲けで赤字路線の赤字を補填す
ることで沿線住民の便を図ってきたわけですが、近年、近鉄ともども経営状態が悪化しているこ
とからそれがどんどん困難になってきているわけで、誹謗中傷するより、むしろ、よく存続努力を
長い間してきてくれたと敬意を払うべきではないでしょうか?
しかしながら、その多くははっきり言って言わば「よそもの」の戯言なのかもしれません。
調べてみると、廃線化を加速させたのは、当の市民と市行政側の思惑だったことが伺われます。
「赤字ということ」は基本的には「客が乗らない」というのが要因でしょう。そして、ここでは単に
「乗る人が少ない」だけでなく、「車運行の邪魔」というような邪魔者扱いを市側も市民もしていた
ようです。
「廃線」というのはロハでできるものではなく鉄道会社側自身、多くの痛みが付きまといます。
線路・橋などの撤去工事費が必須となり、それらは一切利益に繋がらない後ろ向きの支出です。
また、そこで働いていた乗務員・駅員さんの処置も必要になります。その上、各方面から叩かれ
てしまうわけで、誰も本当は「廃線」という選択など取りたくないわけです。
名鉄では他にも赤字線がいくつもあり、地元と廃止論議している線もあるようですが、名鉄側が
「一社での経営努力だけではもうなんともならない。地元の協力があるなら存続も考えたい」と主
張しているようですが、地元は結構、私に言わせてもらえば名鉄だけに負担を強い続けるような
「むしのいい」ことを言っている感がしています。そのために倒産なんてことになったら元も子もな
いわけで、例え、買収とか支援があってもその時こそそういう路線は有無を言わさず真っ先にばっ
さり切られてしまうのは必定なんですが・・・存続させたいのなら全面協力して痛みを分かち合う
以外に手は無いと思いますね。ましてや地元の多くが「邪魔だからいらん」という意思が強いなら
最早存続できるような状況にはならなくなるのは非常に残念ですけど当然でしょう。
真偽のほどはわかりませんが、ネットによれば、岐阜市が財政協力して存続させることに反対運
動まであったそうです。
そういう事情を知った方々は今度は、「車社会」と「市民の思考」に批判の目を向けますが、「車
がむしろ使い物にならない」「車などなくても十分な交通手段が充実している」ことで大量交通機
関としての鉄道の恩恵を十分受けている地に住む「地方の現実」を考えようともしない所詮、「よ
そもの」の戯言にすぎないのではないかと言いたいのです。そういう方々は一度地方の田舎に住
んでみて欲しいのです。
例えば岐阜市の場合、岐阜市自体は岐阜県の県庁所在地で40万都市ですが、市域には所謂
郊外的な地域が多く含まれ、したがって、周辺自治体は平成の大合併で「市」という名前にこそな
りましたけど、農村地帯なんですね。車は一家に1台どころが成人一人1台でないと都市部の方々
のような生活が望めないのです。そして「鶏が先か卵が先か」ですけど、車があれば時間考えなく
てドア・ツウ・ドア移動も可能ですからどうしてもそちらを使用しよということになってしまうわけです。
そういう流れから岐阜市の場合は周辺に大駐車場を持つショッピングセンタがいくつもありますか
ら、市内への車流通を制限してもそれはむしろ市内を余計に寂れさせるだけで大量交通機関の
大幅利用促進策にはならないわけで、欧州などの例を強調してもあまり意味はないのです。
ただし、実は私にとっての驚きは東海地方で、唯一、中小私鉄の豊橋鉄道が運営している愛知県
豊橋市にまだ市内電車が健在であることです。同じ車社会の愛知県における存在です。
確かに豊橋鉄道はこれ以外は渥美線しかないのですが、それゆえ、鉄道路線での経営に直結して
いるはずですね。市の規模は岐阜市より人工的に劣っているにも係わらずです。
多分に、会社自体も相当な経営努力をしているでしょうし、市側の協力もあるのではないかと思い
ます。名鉄が運営していた岐阜市市電の場合、名鉄からの再三の安全地帯設置申し入れを岐阜
市側が拒否していたそうで、そういう乗降客の安全対策がなされておらず余計に乗客が増えない
要因の一つでもあったと思いますが、豊橋市は以前からきちんと停留所の安全地帯が確保されて
いるのです。
ま、いずれにしろ、それぞれの地の住民・行政側が自分で下している判断ですから、利用者では
ない「よその地」の人間がとやかく言っても「犬の遠吠え」でしかないでしょう。
勿論、日本の鉄道のあった原風景が消えて行くのは寂しい限りではありますが・・・
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