子供の頃の遊びの思い出('16/10)
たまたま、「はやり(流行)」で検索して昔の遊び道具「ホッピング」というのを思い出しました。
検索してみたら、今でもリバイバルしたのか販売しているようですね。これは、
のようなもので、上に両手でつかむハンドルがあり、支柱の下部に両側に出た足乗せ部があり、その
下にバネがついているだけのシンプルなものですが、私が小学生の頃はやりまして、親が買ってきて
くれて家の庭でよく遊びました。運動神経が鈍く不器用な私でもこれは乗れました。
で、その連想で、小学生時代(昭和20年代〜30年代前半)の遊びの記憶を辿ってみました。具体的
なところが大半記憶の彼方でしたが、ネット検索するといくつも出てきます。名前を失念したのもある
のですが、ブログコメにあったのと名前が違っていた気がするのもあります。
我が家の庭(うちの田舎では『かど』と称していました−「庭」は木とか石とかがおかれている場所のこ
とを言いました。私の実家では、子供の頃は母屋のそば南西部に黒い板塀囲みでそれがあって、
『つぼのうち』と呼んでいました−)で同級生などとよくやったのは、一般には『めんこ』と称せられてい
る遊び−私の田舎では『ぱんぱん』と称していましたが−でした。ちなみにネット検索したら、「ぱんぱ
ん」という名称はうちの田舎だけではなかったようです。
丸いもの(『まるはん』と呼んでいたような)や四角いやつ(呼称忘れてしまいました(^^;)、その四角いの
の分厚いやつ(確か『あつはん』と呼称していた記憶があります)、丸い大きいやつ(『おおばん』と称し
ていました)などがあり、表には当時の漫画雑誌のヒーローの漫画絵が描かれていました。
駄菓子屋で自分で購入したりしましたが、祖母のお友達のおばさんの子供さん達(一番下の子が私よ
り1〜2級上)から菓子箱一杯貰ったこともありました。
一人遊びまたは6歳下の弟巻き込んでの二人遊びは「忍者ごっこ」。私は当時のテレビ時代劇「変幻
三日月丸」というのが好きで、あやかってのものでしたけど、たわいのないもので、田舎ですから家の
そばに田畑があり、そこで、背中に刀に見立てた竹の棒を背中にさして、背の高い草を敵に見立てて、
切って遊ぶというものでした。その「変幻三日月丸」ですけど、当時は「忍術」実際は「妖術」ですが、
両足中央を外に曲げた形で「えいっ」と飛び上がると消えて、その後は雲に乗って飛んでいるというも
のでしたので、幼い弟相手にその飛ぶ真似をして「兄ちゃん、今消えたんだぞ」などどやっていた記憶
があります(♪あ〜ぁ、へんげん、三日月丸は快男児)。
学校の昼休み、放課後の遊びは、もう具体的な中身は失念してしまったのですが、「肉弾」とか、これ
は名前を失念してしまったのですけど(軍艦?)、帽子(cap)のひさしの前、横、後ろで役割分担しての
鬼ごっこみたいなものでした(足の遅い私はこの遊びの方はあまり仲間に入れてもらえなかったような)。
学校ではないのですが、近所の家の庭で、年齢問わず集まった子供たちでよくやったのは『缶蹴り』で
した。これもちゃんとネット検索したら普通に全国的に行われていた遊びだったようです。
そういえば、「三角ベース」という遊びも。ボールはドッジボールを使い足で蹴りました。
教室の中での遊びですけど、女の子たちは「あやとり」というのをよくやってました。毛糸を使って。
私もやった覚えがありますが(^^;
新聞の連載漫画の中にあってその名を知った「ベーコマ」。そういう名前の遊びは記憶なし。あのよう
に白い紐を撒いて回すのはありましたが、うちの田舎では「ごま」と称していましたし、もう少し大きい
ものだった記憶があります。取り合いというのはなかったような・・・ま、不器用な私は全然回せなくて
悲しい思いをした覚えがあります(^^;
他にもいろいろとやった覚えもありますが、もうほとんど記憶の彼方。やった気になっているだけのもの
もある気がしますので、このへんでやめておきます。
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