碓氷峠のせいだったんですねぇ(2)(’12/2)
碓氷峠越えの大変貴重な鉄道歴史映像がYouTubeにありました。
ここです⇒・・・すぐ消されてしまうかもしれませんけどね。
碓氷峠・ここに鉄路あり 難所に挑む列車たち1
など
横川〜軽井沢間は水平距離9.2kmに対して高低差が553mもあり旧・国鉄最勾配の峠
越えだったそうです。しかもトンネルが多く、早くに電化されたようですね。
上記映像には昭和38年まで使われていたアプト式電気機関車ED42の走行映像も
あります。なんと三重連で使われていたようです。
で、驚きましたが、この機関車、主電動機は各ボギー式台車の中央に置かれそれぞれ
二組の動輪に連結棒(カップリングロット)で動力伝達する方式だったんですね。まるで
SLの動輪みたいで驚きました。
ところで、最初、逆に誤解していたんですが、粘着運転でのEF63の牽引ですが、軽井
沢方面(下り線)の登り道では逆向き運転で後部から押し上げて行く形、横川方面(上
り線)は先頭でブレーキングしながら押し下げていく形の運転だったんですね。すなわ
ち、この2台連結の『峠のシェルパ』EF63(ろくさん)はいつも横川側に接続されていた
ということだったんですね。上り線、下り線というのと坂道の登り・下りを混同してました(^_^;)
横川からの前面展望映像がありますが、軽井沢駅直前ですごい勾配を登りきるような風
に見えています。実は、EF63の繋がれている位置を逆に考えていたため、この映像を
見た時「えっ?」と思ってしまいました(^_^;)。電気機関車で前面車窓など見えないはずな
のにと・・・
尚、ここに映像がありました⇒
横川→軽井沢前面展望
横川駅構内には懐かしきブドー色のEF63も見えてますね。
廃線になったため、もう電子国土の地形図には当然、ここの鉄道線は消されていますが、
わずかにトンネル跡だけまだトンネル記号が残っているので概略の路線位置を偲ぶこと
ができます。全く不案内でしたけど、碓氷峠自体は軽井沢駅に近いんですねぇ。
ま、それでも線路は若干、北方方向に迂回した形で碓氷峠まで登っていたんですねぇ。
碓氷峠への谷部がそのようなルートにあるからそれに沿うように作られたようです。
電子国土の地形図は横川駅付近には丁度その線路の片方を潰して遊歩道にしたためか、
破線が横川駅を出てすぐの所で右手の山麓にそって北西方向にカーブしそのまま北西
方向に進み、上信越自動車道の下を丸山信号場があったと思われる丸山の地名がある
ところを過ぎて地図上では左手にある霧積川を渡るとすぐに左にカーブして描か
れています。どうやらこの左にカーブしたものは旧線跡の方のようです。遊歩道はここか
らこの旧線跡をたどるらしく、ネット上には旧線側の有名なレンガ造りのめがね橋の写真
が沢山あります。ねがね橋はこの地形図にもその名前が記載されています。
ただ、アプト式をやめて粘着方式にした際に新線が一方北側に作られたようで、地形図
に残るトンネルだけの表記をたどる側が新線だったようです。
旧線時代に駅があった熊野平信号場というのもこの熊野平という地名が地形図にありま
すから場所を明確にうかがい知ることができました。
いずれにしろ、碓氷川の上流で東西方向にある中尾川の谷には平地はないのでトンネル
のオンパレードだったんですねぇ。
ちなみに前述の『霧積川』の『霧積』って、あの森村誠一の『人間の証明』に出てくる例の
「キリズミ」だったんですねぇ。
横川駅そばには鉄道文化むらというのがあるんですねぇ。いいなぁ。遠いのですぐには
行けませんけど、一度行ってみたいです。鉄道って実に素晴らしいですなぁ。
そういいながら、まだ、市内(名古屋)の港区金城埠頭に昨年春に開設されたJR東海
リニア鉄道館さえも行ってません(^_^;)
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