残念な鉄道事情
ふと思いついて、YouTubeでJRの廃線跡を検索しましたら北海道の20年も前に廃線に
なった鉄路のまだ現役時代の前方車窓録画がアップされていました。8ミリ映画でなく
ビデオ録画でしたので驚きましたが。
前の方で書いたことの繰り返しかもしれませんが・・・(^_^;)
さて、私の幼少のころはまだJRの前身の国鉄はSL全盛で、祖母に飛騨高山の知人宅
によく連れて行ってもらったときSL客車列車による片道半日の旅だった記憶がありま
す。で、私はこれが楽しくて仕方がなく、窓開けて顔出して見たりしてトンネル手前で
よく目にSLの煙の煤を入れて痛い思いをしたりしました。
当時は岐阜駅で眺めて名古屋方面の東海道線もSLだった記憶があります。岐阜駅には
SLの転車台もあり、祖母に知人宅につれて行ってもらう時にそこをいつも通ったため
よく眺めていました。
一度は冬に高山にその高山線で行った記憶があり、高山駅にヘッドマークつけたSLが
いたのをはっきり記憶しています。もう五十年以上も前のことですから、名前までは忘
れましたが(^_^;)
当時、絵本で雪かきのための車両としてラッセル車とロータリー車というのがあること
は知っていて、高山駅でラッセル車(当時は無論これもSLです)は目にしましたが、
ロータリー車はなかったのでがっかりした記憶があります。ラッセル車よりロータリー
車の方が断然面白く迫力がありそうでしたから。
いずれにしろ、活動などしてはいませんが、そういうわけで子供のころから鉄道に興味
があり、そして原点は客車列車でした。
大学入学前に祖父と祖母と三人で日光〜長野〜飛騨とぐるっと鉄道で回る三泊四日の
旅を合格祝いとして私がかなりを計画し、連れて行ってもらいましたが、そのとき、長野
から富山まで乗った客車列車がもうかなりが廃止になっていたために、思いもしなかっ
たSL牽引で驚くやら嬉しいやらで少しはしゃいでしまった覚えがあります。
当時はまだ客車急行や鈍行もあり、わざわざ客車急行を選んで一人旅したりしたもの
です。
当時あった中央西線の夜行客車急行「木曽」号に座って乗りたいがために何時間も前
から改札前に並んだ記憶もあります。すぐ後ろの人に荷物見ていてと頼まれ、お礼に
とワンカップ大関をもらって飲んだのはこのときでした(^−^)。
あこがれだけで結局乗れずじまいでしたが、愛称名付き、寝台車付きの長距離客車鈍
行列車が北海道、紀勢本線、そして九州にあったくらいでした。
確か「からまつ」とか「はやたま」とか「ながさき」というような愛称だった覚えがあります。
時刻表も愛読書だったんですよ(^_^;)
そういうのも含めかなり以前に客車鈍行列車は全て廃止され、そして最近ではかっての
私のあこがれたブルートレイン寝台特急さえもどんどん廃止の憂き目を見ているようで
客車列車大好き人間の私には残念極まりないです。海外ではまだまだ多くあるのに・・
発射時のがしゃんという衝撃、そしてテールランプ。客車列車こそ「旅」っていうのに
ぴったりの風情があると思いましたのにねぇ。時代の波かもしれませんけど。
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