「学問の世界」の事件考(1)


私は60代後半の市井の一人でしかありませんが、もう一つのコーナー「現代科学へのいちゃもん」
で沢山書き連ねているように、還暦直前にふと一つの科学理論に関してネットサーフィンする中で
疑念が湧き、それ以後、英語サイトも多く当たるようになって、日本では全く知られていない(という
かネット上でも見たこともない)情報も多く接し、それまでほとんど考えたこともなかったアカデミア
に対する不信感が増し、ド素人のくせして大変僭越ながら批判的言説を並べてきました。

私が特に主張したいことは、

 「学者と言えど感情を持つ一介の人間にすぎない」(※1)

ということです。
大変失礼なことを言うのですが、確かに頭脳は優秀で専門的知識は豊富ですけど、決して、我々
一般下々を超越した「人間的に優れた」方達でもなんでもないということです。
だからこそ研究不正−捏造・剽窃等−が絶えないのです。

大変失礼ながら、google検索しますと「研究捏造」「研究倫理」という言葉が山のようにヒットします。
決して一部の学者だけの問題ではないという事ですが、脳内思考で「研究倫理」など叫んでもどう
いう体制を作ろうと、(※1)に行きついてしまうのです。
逮捕されれば確実に裁判にかけられ、懲役とか場合によっては死罪ということが法律で決められ
ていて、そんなことは皆知っているのに、犯罪は無くならないのと同じなんです。
そして、この「研究捏造」ですが、見てますとその処理と言うのは極めて「不公正」「不公平」になさ
れて来ていることがネットサーフィンするだけですぐにわかります。ですから、例えば科学の場合、
そういう「研究倫理」なるものによるいわば「科学むらの掟」を作っても、間違いなく、表に出てくる
と「組織防衛的」なスタンスで極めて恣意的に適用されるだけにすぎず、根本的解決などには程
遠いだけだと思うのです。そしてあまりがんじがらめにすると、逆に論文など出せないという逆効
果になる恐れもあるのでしゃないでしょうか?

さて、最近、日本で一大事件となった「STAP細胞事件」については、そういう観点で見るようにな
りましたから、最初から、科学コミィニティ側に対する不信感があって、報道で構築された「小保方
さんの研究捏造」という決めつけの風には流されない私でした。そして、今年になって、私記「あの
日」が出て以来、我々下々には隠されて来た事実(fact)が暴露され、一方で、科学コミュニティ側
のなしたことを知り、私が最初から抱いていた不信感は「当たり」だったと確信しています。

それに関して、あの2014年の狂騒曲時代にアップされたと思ういくつかのネット上の言説が気にな
りました。その一つがこの項を書いた理由です。あの偏向された報道だけで判断されたのだろうと
思うのですが、「東北旧石器ねつ造事件」と類似しているというものがあって気になったわけです。
私は、その事件については恐らく当時は興味の外だったと思うのですが、リアルタイムで知ってい
たわけではなく、このSTAP事件などとは無関係なそれ以前に偶々他のことを調べているときに目
にして、ほんの概略の一部だけは知っていました。それでも、STAP事件については私のスタンス
は「少なくとも彼女のパートは捏造などしていない」というものですから、全然様相・背景が違うもの
であると考えていて、再度、この「東北旧石器ねつ造事件」について検索してみました。

三か所くらいの記事を読みましたが、そこで共通していることは、直接捏造した方(疑念を持った毎
日新聞記者に捏造現場を目撃されてしまったのですから言い訳のしようがありませんでしたね)だ
け断罪した調査委員会結論を批判し、批判されるべきは彼を徴用した特定の「古代史学者」側そ
してそういう結論を出した委員会委員長だというものでした。

前に読んだときに少し誤解してまして、この捏造したF(アマチュアの収集家)を最初に評価してい
た長老の学者さんが諸悪の根源として断罪されていると思い違いしていました(批判記事を見ま
したので)が、そうではなく、その後、Fに群がり重宝し、その発掘したとした旧石器をご自分たちの
学説の証拠にしていた学者さん達が批判されてきたことを知りました。
旧石器捏造・誰も書かなかった真相というところで、奥野正男さんと言う方は

 「旧石器捏造事件とは、Fが考古学者をだました事件ではなく、考古学者が
 Fを利用して国民をだました事件である。」


(注:原文は名前が入っていますが、頭文字Fだけにさせてもらいました)
とまで断罪されています。

「旧石器ねつ造事件」考というところでは、

 「見えないものが見えた」「見えるものが見えなかった」

というその言葉自体は科学にも通じる批判がなされています。前者は、「見たいものが見えた」とい
うのに通じていますし、多分に後者は「不都合なものは無視」したのだろうと思います。
後者は、既にねつ造が明るみになる前の1999年に訪日して現物を見た中国の学者が指摘してい
たそうで、発覚後、他の学者達がすぐに気が付いたようですが、「石器に黒色土と鉄分の付着のあ
るものが多い」ということだったそうです。黒色土は田畑の耕作土等といった近年の表土に由来す
るものであり、鉄分は農作業等の際に鉄製道具(鋤鍬や耕運機、移植ゴテ等々)が擦った部分に
付く、あるいは近年の草木の根が絡んだ部分に付くものだそうで、そんな古い時代にはありえない
ものだそうです。

この事件、米国の有名な生命科学の教授の研究室で起きた、マークスペクターという大学院生の
実験捏造事件と全く同じ様相のものだと思います。これは、その教授の仮説の証明を世界から集
まっている所属の優秀なポスドク達が誰もできないのを、この地方大学出身の大学院生が次々に
実験に成功し、教授から寵愛を受け、Phr.Dc取得直前に、偶然、彼の実験場所を彼の帰った後の
夜に見た他の同僚が捏造していること(リンPが析出されるという仮説に対して初めからPを混入さ
せていたというようなものだったと思います)を発見したもので、スペクターは逃亡してしまいました。
実験ノートもきちんとつけ、きちんと実験に取り組んでいたため教授はすっかり騙されていたようで
すが。同じく学者にとっては都合のよい"God Hand"だったわけです。

神の手には罪はなかったというところでは、更に詳しく批評されています。
もう一つ、「かじり」という問題があったそうです。それが多くみられたそうです。で、主犯だと批判
を浴びたOという方は、かつて「かじりはきちんと見分けられる」と嘯いておられたようですから、
「見えるものが見えなかった」(ひょっとしたら「不都合」ゆえに無視したのかも)という事でしょうか。

もう一つ、再検証で判明したこと、それは、

 調査方法が、考古学における「発掘方法の常識」から大きく逸脱していた

ということだったそうです。国学院大学の小林達雄教授と言う方が

 「石器など貴重なものが地面から顔を出したときは、何枚も、何枚も写真
 を撮りながら掘り進むものです。ところが取り上げてから置いた写真しか
 ないのです。それはとってもおかしなことです。(中略)
 彼らはいいかげんな発掘をしています。」


されたそうです。
ちなみに、Oと言う方が特に批判を浴びたのは、この捏造石器をご自分の仮説の証拠として論を
なし、それで出世されたゆえです。
ま、批判に対する返事が書かれていましたけど、私にはすごく鉄面皮な方だなぁという印象しかあ
りません。

ま、実は、以上の事への批判をそのまま受け継ぐ意図でこの項をしたためたのではなく、なぜこん
なことが長年見過ごされて来たのかの方を重要視しているからです。私はそれこそが日本アカデミ
アが有している根本的な体質ではないかと考えているからです。

 考古学の発掘には決められたマナーがある。
 調査が信頼できるという前提で遺跡や石器を評価する。それが考古学界
 におけるマナーなのだ。遺跡の発掘が終わって報告書が出るまでは、部
 外者が彼らの研究を批判することも、口を挟むことも許されない。


と書かれていました。そういうマナーゆえに、「信頼していた」から、再調査の結果においてはじめ
て、そういう「信頼性」が裏切られたといいたいわけです。しかしながら、これについては前に反対
意見を出した学者が、国立の博物館館長から名指し批判され反対意見を封じこめたということも
あったそうです。「邪馬台国九州説」の安本氏が、角張淳一氏の論文「旧石器捏造事件の構造」
から引用されているものの一部を孫引用しますと、

 「真実」であるという世論が形成された状況下で、あれらの石器がインチキ
 であると反論することは、通常の神経では、とてもできない。
 考古学界と世論から袋だたきにあうことは必至である。


そして、この事件で、最悪だったのは

 このような「不正行為」が判明したにもかかわらず、考古学会は神の手・F
 だけを悪者にして、あとはお咎めなしで納めた


これこそ、STAP細胞事件の終結でやられたことそのものですよね。私は小保方さんは、小保方
パートでは不正などしていないと確信していますが、全部を捏造とし、小保方さん一人を捏造犯だ
と(こちらは確たる証拠などなしで)決めつけ、もう一人の研究者はおとがめなしでしたよね。
処理の仕方が全く同じです。

ある縄文学者さんは、その調査委員会の委員長を「ねつ造事件の当事者の一人」だと断罪されて
います。要するに当事者の一人を、調査委員会の委員長などにしたのが間違っていたという反省
批判があったようですね。彼は独断専行で、Fと接触し、告白書を手に入れたようですが、どうやら
大変なことが書かれていたらしく、隠していたようです。後から宮城県教育委員会から公開された
そうですが、黒塗りが目立ち、また、一部が欠けていたそうです。もう亡くなられているようですが、
どうやら最後まで握りつぶして公開しなかったみたいですね。そうやって前述のような報告でごま
かしをしたようです。
で、問題は、なぜそんな方を委員長に選んだかです。これが、日本アカデミアの最大の問題点だと
思うのです。大変失礼ながら「たこつぼ」ではないかと。
徒弟制度で上下関係が厳しい考古学の世界では、権威者に対するこのようなゴマスリもやむを得
ないと暴露されている方もおられます。

 「そんな例はいくらでもありますよ。先生がこう解釈した・・・といったら、
 生前にたてつくのは難しいのです。いうことを聞かない人は飛ばされます。
 見解の相違を押し殺して、先生のいう通りにするというのは普通ですね」

 (東大准教授談)
ちなみに、この典型は例の「邪馬台国論争」ですよね?

どうですか?どこがSTAP細胞事件と類似しているのですか?似ても似つかない事件ですね。
唯一類似しているのは、前述のように「調査委員会」なるものの結論の出し方でしょ?

実は、前にこの旧石器ねつ造事件について検索してた時、ある個人の方がこの件について会議
室を設けられ、そこで色々な方が論議をされていたのを見ました。そこに、科学系の学者が一人
参加されていました。その言説見てましたら、いかにも科学系ではそんなことは起きないようなこ
とを主張して考古学界批判をされていました。私は既に科学界自体に大きな不信感を海外サイト
を眺めてきた中で抱いていましたので、すごく不快感を覚えました。で、この方は大学のPCから
そこに書きこみをされていて、それを批判した方に対し、学生も含め大学から供与されているもの
であり、批判されるいわれはないと反論されていましたが、私はこの方のこの反論に怒りの念さえ
わきました。それはこんなご自分の専門と異なるところで使うために供与されているわけではない
のにと。国立大学ですよ(ー_ー)!!。税金ですよ。
ま、それはそれとして、科学界だって同じだそうです。生物学者で青山学院大学教授で科学ライタ
でもある福岡伸一さんのベストセラー「生物と無生物のあいだ」と言う本にそのことが書かれてい
るそうですし、ネットサーフィンしていれば、山のようにそれを証明するような言説が出てきます。
えらそうに科学界とは違うかのようなことを言って批判するのは極めて僭越ではないでしょうか?

そういえば、この方、STAP細胞事件のさなか、メディアに登場して、「たとえSTAP細胞があって
も」と言いながら、科学の本質より「体裁」を重要視するような発言を繰り返された教授と同じ分野
の方なんですね。
                            ('16/8)

戻る