失笑
近年のもろもろ見ていると失笑することが多いです・・・・
何と言っても、
『自業自得』
これは、決して、所謂『結果論』ではありません。
先まで読まず、目先だけ見て浮かれていると、必然的にそうなるわというだけのことで
す。物事は諸事情で変わり、不確かな理論通りには参らないのは当然で、何事も思い
通りに完璧で推移するなどということはまずありません。しかしながら、きちんと先まで
読んでいれば、当然ながらリスク対策もしているはずですから、外れた時のダメージも
小さくできるはずで、最悪な事態にまでなることもないはずですが・・・
現実には最悪の事態を招いていることが多々あるということは、人間自体の業なのか
もしれません。
ただ、一番大切なことは、そういう事態に陥ってしまったとき、それは100%、『自己責
任』であることをまず認識できるかどうかだと思います。『捲土重来』というのはそれ
がまずできる人にしかありえません。
ところが、多くの人は、そういう『自己責任』感が薄く、そういう事態になったことを他の
せいにして逃げておいて、『捲土重来』などと虫のよいことを考えたりします。
大変失礼ながら、私に言わせてもらえば、「馬鹿か」の一言です。
こんなことは私のような一介の市民でも長く生きていればわかることです。
ま、人間だれしも自分がかわいいですから、愚かな『責任転嫁』『責任逃れ』で『自己
崩壊』に陥ってしまうことから逃げようという心の働きがあるのかもしれませんが、そ
れに他者を巻き込むことだけは願い下げたい。
どんなに逃げようと、
自業自得 因果応報 覆水盆に返らず
という古来、先人が作った言葉通りにしかならないのです。
そして、多くの人は、自分のことではありませんから、「ざまぁ」と嘲笑です。
それを涙目でいくら悔しがっても後の祭りです。『自業自得』なんです。
喚けばわめくほど嘲笑の輪が広がって余計にみじめになるだけです。
人間の作ってきた社会は、「多数派の主観」に基づく世界です。そして、人間は神様
ではありません。だからこそ、英語の"True"は「主観的なもの」を意味しているのです。
単なる「綺麗ごと」を「真実」だと思うのはその人の「独善」でしかないのです。
('15/5)
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