やっとふにおちたことがあります


60年以上生きてきたなかで、一つ、昔から不思議でならないことがありました。
最近、色々とインターネットを当たった中で、やっと、ふにおちました。

と同時に、私が全然知らなかった驚くべき史実を色々と目にしました。
私にとってはある意味、とても衝撃的でした。
勿論、私が知ったことは、必ずしもみな『事実(fact)』ではないかもしれない。色々な考
察もあるとは思います。でも、資料もあるわけで、私的には(私の『心』が命ずるところ
では)それが論理的に「ふにおちている」わけです。

その意味で、インターネットの発達は本当にありがたいことです。
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ネットサーフィンしていましたら、「ふにおちました」という言葉に、そういう言い方は
なく間違っているというレスがついていました。しかしながら、調べて見ましたら、そう
いういちゃもんの方が誤りで、ちゃんと「ふにおちる」という語彙は古くから存在してい
ることがわかり、安心してそのままタイトルにしました。

意図的に歪められたものは、どこかに瑕疵が残るものです。論理的に考察を勧めた
時、「おや?」と思ったら調べて見ると知らなかった驚くべきことが見出されることを近
年、科学史を調べる中で気が付きました。そして、従前のものを正当化して、頭から
そういうものを全否定している意見は、私には逆に説得性がありません。なぜなら、
私が瑕疵ではないかと疑念を抱いた点は悉くスルーされてますから。

                                ('15/4)

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