インターネットの『功』
よく、「インターネットの功罪」ということが言われています。
しかしながら、私のこのarticleのタイトルは「インターネットの功」であり、『罪』
の文字がありません。これは抜け字ではなく、あえて意図的につけたタイトルです。
よく言われる「インターネットの功罪」というと何を思い浮かばれるでしょうか?
「ハッキング?」「ウィルス?」これは、「インターネット自体の罪」ではなく、「インター
ネットを用いた『犯罪』」でしかありません。
匿名による「名誉棄損?」。確かに不確かな『匿名』という要素がついていますけど、
「名誉棄損」と言うこと自体は、インターネットのなかった時代から存在するもので
す。
「インターネット詐欺?」。「詐欺罪」自体もインターネットのなかった時代から存在
するものであることには違いありません。
要するに、私が何を言いたいかといいますと、「インターネット自体の罪」というの
は実はなくて、意図的なこじつけではないかということです。
なぜなら、一般下々にとって、「インターネット」が発達したことで何か困ったことが
あるのか?ということです。
そもそも、「インターネットの功罪」という用語はどこから出てきたものでしょうか?
誰かが言い出した用語ですが、誰が言い出したのでしょうか?一般下々でないこ
とは明らかです。すなわち、『有識者』と称せられる方達であることは間違いありま
せん。
私は、タイトルに示したように、「インターネットの功」は地球人にとって電気文明の
発明と同じくらい大きいepoch-maikingのものだと思うのです。
「知りたいことがあれば、居ながらにして色々な情報を入手できる」というのは大き
な「インターネットの功」だと思うのです。
「インターネット」が存在しないまたはまだ未発達で誰でも気軽に踏み込めなかっ
た時代、我々下々はどこから情報を得ていたのでしょうか?
マスコミ・メディアや市販本からしか気軽に多くの情報は得られなかったのです。
逆に言えば、我々下々は、そういう限られた情報源の情報だけで判断させられて
きたわけで、要するに、そういう組織及び『有識者』からの一方的情報を受け取る
しかなかったのです。勿論、まだまだそういうのに甘んじておられる方達も沢山い
ますけど、そういう方達は確実に減少していくと思います。
はっきり言えば、これまで情報源を独占し、御自分達の思惑で一方的に流されて
きた情報以外の情報に我々下々は触れることができるようになったわけで、また、
過去には、所謂「声なき声」と言われたような意見も匿名性のおかげで沢山目に
することも発信することもできるようになったわけです。
「言論の自由」と言いながら、実際には、以前は、特定の組織・個人のみがそれを
謳歌できていただけでしたが、インターネットのおかげで、その「言論の自由」が一
般下々にも真の存在となってきたのです。
そうなるとどういうことになるのでしょうか?
かつて、情報発信を独占し、御自分達の思惑で情報を流してきたサイドにとっては
それが困難になってきているわけです。
だからこそ、マスコミ・メディアはインターネットを目の敵にするような本音が出てく
るわけです。但し、『功』部分は否定しようがなく、昔に戻すわけにはいかないため
「インターネットの功罪」という用語を出し、本音のところでは、御自分達の発信する
情報以外を「インターネットを用いた『犯罪』」を過大に誇張し、それを演繹して一緒
くたにして排除しようとしているのではないでしょうか?
新聞・雑誌・出版界及びメディアは今も、御自分達の思惑での情報発信(「報道の
自由」などといかにも「正義」であるかのように云いながら、その実は、自分達の思
惑に都合のよい情報だけを針小棒大時には恣意的利用までして情報発信し、不
都合な思惑にはずれるものは報道しない状況がインターネットのおかげで明るみ
に出てきています)、そして、彼らに都合がよい『有識者』(学者、評論家など)がそ
こで活躍し生活の糧にしてきましたが、そういう体制が崩壊しつつあり、彼らにして
見れば極めて憂う状況であるのは間違いないでしょう。
また、科学の世界は別のコーナー(現代科学へのいちゃもん)で指摘したように、
特に日本では、大変失礼ながら(しかし、ネット上にはそういう指摘が多いのは事
実)科学ジャーナリズムのレベルが低めゆえに、アカデミズム科学主流派が教育・
啓蒙・情報を支配しており、それゆえ、異端の紹介や主流理論に疑念を持つ一般
下々のネットでの言動を苦々しく感じているのは間違いないでしょう。
どこかの学者が、「素人が科学を勝手に語るのはけしからん」というような趣旨の
発言をしていることをネットで目にしました。
インターネットの膨大な情報を取捨選択するのは国民一人一人の責務です。
判断の成功も失敗も判断した人の責任なのです。
それを「上から目線」でとやかく言うのはおかしいわけで、だからこそ上で「意図
的」と批判しているのです。その意図することに賛同してきた方達は積極的に「そ
の通り」とうなずき、それを「権威」の言のようにネット上で伝言しているでしょうけ
どね。そうでない方は惑わされないでよく考えていただきたいものです。
('14/6)
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