イタリア地震裁判、日本メディアの許せぬ虚偽報道(’12/10)
昨年、東日本大震災もあって、話題になり、私も前の方の項で触れ、時々ネット
を眺めたりしたのですが全く情報が出てこなかったイタリア地震裁判
ここにきて一審の判決が下されたようで、求刑より重い実刑判決
だそうです。
思った通り、世界の学界が猛反発しているようですが、私は前にも書きました
ようにこれは当然の判決だと思います。昨年ネットで調べていて、
なぜ、住民が告発し、イタリア検察が受理して告訴に踏み切ったのかをきちん
と知って理解していたからです。
ところがどうやらメディアは、昨年、ネットでどう見てもアカデミズム界の弟子達
の言としか思えないことから前の方で大批判しましたまるで事実を無視し世
論をアカデミズムに都合のよいようにミスリードしようとする言葉⇒
『地震予知失敗が罪に問われた』
というタイトルを出したそうです。メディアは本当に実際のことを調査してこうい
うセンセーショナルなタイトル付けたのでしょうか?もし、知っていてこうしたな
ら極めてけしからん理解力ゼロの大馬鹿者でしょう(-_-メ)。
そうか、一緒に日本地震学会長のコメントを載せているくらいだから、調べも
せず彼らの自分に都合のよいように言った言葉をそのままタイトルにした可
能性も十分考えられます。
いずれにしろ、このタイトルはためにする虚偽報道なのです!!
ネット見ていると事情がわからないまま明らかにメディア報道をうのみにして
ミスリードされている方々も散見されるのです。すなわち、事情を知らない人
それを信じて「そんな馬鹿な」という思いに誘導されてしまうでしょう。
これこそ、メディアが常道にしている許せない「誘導」「洗脳」です(-_-メ)。
イタリアの検察は
「地震予知の失敗が告訴理由ではない。」
と明言しているのです。
そうではなくて、
「(群発地震が起きているさなか、)
科学的根拠もない
のに安全宣言して「自宅にても安心だ」とまで広報させてそれに何ら危険
リスクの補填説明をしなかったため、安全宣言の6日後に起きた大きな
地震で、安心していた住民に死傷者を出させたことの学者の責任の重さ」
を告訴理由にしていたわけです。
学者達は「安心だ」というのは国の機関が言っただけと言い訳したそうですが、
「学者達はそれに対して何ら意見・訂正などしていないではないか」というのが
検察側の反論だったそうです。おもしろいのは前述で大きく赤字で示した言葉
は地震学者の反論を完全に逆手にとったものということです。
前にも指摘しましたが、
「予知できないというのならどうして安全宣言ができ
たのだ。予知できないのなら安全だなんて断言もで
きないはずだろう?」
ということです。最初から彼らは自己矛盾をさらけ出しているのです。こんなもん
小学生にだってわかる道理じゃないですか!!
だからこそ、事実と違う『地震予知失敗が罪に問われた』とたくみに話をすりか
えようとしているのです。
どうやら、これは民間の地震研究家(人心を惑わすとして告発されているそうです)
が「大地震が来そう」といったのを否定したいがための「アカデミズム学者」らの傲
慢・不遜から来た後先考えていない無責任な勇み足だったと思えてなりません。
それにしても呆れ果てるのは、前からそうでしたが、アカデミズム側の反応です。
彼らには「真摯な反省・自己への戒め」など微塵もありません。そして平気で矛盾
言論をさらけだしています。さすがに神戸大震災、北海道地震、そして昨年の東日
本大震災などそれまでアカデミズム地震学界が全く言及もしてこなかった大震災が
連続しているゆえに世間の見る目が厳しくなっているため、明らかに迷走している
のです。
前にも書きましたが、世界の地震学者の間の共通認識は「今の科学では地震予知
はできない」というのが、なぜか日本の地震学者だけ不参加だった欧州で開催され
た世界の地震学者が集ったシンポジウムの結論だったそうなのに、「こんな判決下
されたら地震予知などできない」と言っています。
しかし、「できない」という認識であるなら当然ながら「裁判など無関係に『予知など
できない』はず」じゃないですか?何をおかしなことをほざいているのでしょうか?
どうやら、皆、『学者特権』で学者は何を言っても責任はないのだと傲慢不遜
にも思い上がっているのではないかと強い怒りが湧いてきてなりません。
「民間人」が言うのでなく「学者」が言うとその「言」
にはその途端に「権威」が伴う
のです。
したがって、当然そこには「責任」というのがあるわけです。「権威」が伴わない
一般人の言とはおのずと重みが違うのです。前述のように、当のイタリアでは
アカデミズム学者でない「民間の地震研究家」は「人心を惑わす」として告発まで
されているのですよ。学者なら間違っていても問題なしとでも言うのですか?!
ましてや今回は告発した住民によればそれを信じた人が死んでいるのです。
おのずと「おとがめなし」ですませられるはずがないでしょう?繰り返しますが、
「予知ができなかった」のではなく、学者側の弁解を逆手にとって「科学的根拠も
ないのに」安全宣言したことを問題にしているのです。
だからこそ、一審の裁判官はそれを重く見て求刑より重い判決を下したのです。
被告の学者側は思い上がっていたとしか思えません。だからこそ、御自分達の
弁解が自分達を追い詰めたことをわかっていないのです。
ネット見てましたら、ちょっと真偽のほどがわからないのですけど、日本の地震学界
は「地震予知」と言う言葉を使うのをやめることにしたという情報がありました。
もしこれが真実であるなら、もう「地震予知連」なるものは名前を替えないと嘘です
よね?元々、調べた結果、私はこんなもの「看板に偽りあり」の噴飯ものとしか思え
ないのですけどね(-_-メ)
昨年の東日本大震災のあと、「地震学の敗北」と学界トップが述べたそうで、ずっと
日本地震学会の地震予知の欺瞞性を追求してきたのを完全に無視されてきた東大
のゲラー博士に講演をさせたそうですが、こんなもん完全に「アリバイ作り」でしかな
いことは、ネットに溢れるお弟子さんたちの暴言を見ていれば明白です。彼らは当然
自己の研究室に蔓延している言を言いふらしていることは間違いないのですから。
要するに、実態は「真摯な反省」など皆無なのです。責任感というのが全く欠如して
いるのです。
「こんな判決出されたら自由にものが言えなくなる」と日本地震学会長?が懸念を表明
したそうですが、この方達は自分を何様だと思っているのでしょうか?
前述のように、アカデミズム科学者の対外的な「言」はアカデミズム科学者が述べた
ということで「権威」が付いて回るのです。重い責任があるのです。それを忘れてい
る学者が多すぎる気がしてなりません。「権威」を有しているからこそ、責任なしに
自由な言をはいてすませるわけにはいかないのです。覚悟と矜持が必要なのです。
でも、弟子達のネットにおける暴言の数々を見ると、こういう無責任体質は今後も
綿々と続くのでしょう。私は今回の判決はそういう甘ったれたふざけた体質に一石を
投じたものだと思います。判決に反発する前に真摯に反省していただきたいものです。
『学者特権』など許されるはずは無いのです!!!
目次に戻る