『制度』を免罪符にしてはならない(’12/10)
今夏に大きく話題になった『いじめ自殺』事件に関して、あまりにも情けない教育
関係者の対応に怒りと共に悲しみを感じていくつか書いてきました。
明らかな『隠ぺい』がぼろぼろと明るみに出てきて、知りもしなかった全国の人々
にそれがばれてしまったというのが間違いのない事実でしょう。ま、以前ならその
『隠ぺい』で終了してきた事件の一つということなのですが。そして関係者はもう
「昔と違う」「時代が変わってしまったのだ」ということに未だに気がついていない、
気付こうともしない・・・・それでも「人の噂はなんとやら」でじっと我慢しておれば
これまで通り「忘れられるさ」と思っているのかもしれませんね。
しかしながら、ネット見ていると、どうも『制度』だけを責任にして擁護する意見
が垣間見られます。要するに、これは『制度』を『悪』として彼らもその『被害者』
なのだと彼らに体のいい『免罪符』を与えようとしているのです。
そして彼らは「制度を変えればいじめもいじめ自殺はなくなる」などと主張していま
す。明白に、これは「犯罪が起きるのは社会・政治が悪いせいであり犯罪者は悪
くない」などという私に言わせれば、「人間」という生き物の真の実体から目をそら
せているだけの金輪際実証されたことが一度もない完全な『お花畑思考』
そのものなのです。事は簡単で弁解の余地などなく「悪いことは悪い」の
です。こういう連中に問いたいのは「では資産家やその家族は犯罪など全くせず、
貧しい人々が皆、犯罪を犯すのか」ということです。事実はそんな馬鹿なことはあ
りません。そして世界中、犯罪のない国は一つも存在しないのです。
全てはその『人間自体』に根本原因があるのです。責任転嫁してそれを免罪符
にするなど言語道断なのです!
はっきり言って、完全隠ぺいしようとしたのにそれが明るみに出て尚、平気でその
職にあるまじき居直り・自己弁解ができてしまう人は制度が違っていても同じなの
です。圧力とか単なる保身だけではああはなりません。多くの人には『恥』という
概念があるはずだからです。
そして、リンカーンが言ったとされる「40歳過ぎると顔に責任を持て」ではないです
けど、その人の『人間性』は顔に出ているのです。美男・美女とかというような顔の
造形の話ではありません。言わば『品性』の話です。
7月に全国に知れ渡ってしまったあの人達の顔を見ているとまさにそれを感じるの
は私だけではないようです。驚くくらいです。
ある「退職校長」という方が自己のブログで市教委・校長などの教育関係者の会見
発言を私と同じような気持ちで猛批判されています。そこでは地域的に「いじめ」の
隠ぺいはなく、指導教育主事の方がこの方が現役校長時代に話されたという言葉
が掲載されていますが、『制度』とやらに全責任を被せて事件の教育関係者も被害
者みたいに擁護している方達に是非読んでいただきたいと思います(サイト失念し
ましたのでご紹介できないのですがぐぐれば出てきます)。
東京都のどこかの校長が匿名で本音を言ったとその言葉がネットに転載されていま
したけど、そんなことをいくら匿名と言えど言えてしまうその校長の資質も疑いたくな
ります。
どうやら、「校長」という存在の真の意義を忘れ(というか知らない?)て、単に「管理
している」だけであって、それを務めるための『覚悟と矜持』など全然持ち合わせて
いない人がそういう地位で満足して大きな顔をしている例が多そうですなぁ。
嘆かわしいことです。ま、知り合いに社会常識に欠けているとしか思えない元・校長
(女性)がいますしね。最近はああなのかも・・・
どうも私がこのコーナーでたびたび言っている『覚悟と矜持』は日本では最早、
『死語』になり果てているのかもしれません。『覚悟と矜持』を持たない人が教育な
るものを行っていればそれは必然的な結果かもしれませんね。
あ〜ぁ(:_;)
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