人間として(2)<大津いじめ自殺事件(:_;)(’12/7)
なぜ、こうも本来はその職責上、「きちんとしている」はずの教育界で
次ぎ次とあまりにもお粗末で恥ずかしく見苦しい迷走を繰り返している
のでしょうか?
私は今回のこの教育界側の対応を見ていると彼らに自分の「職責」と
はなにかという観念と合わせてそれの牽引側としての「覚悟と矜持」
が全く見られないことが非常に腹立たしく残念でなりません。
どう見てもあるのは、「東電」と同じ、責任逃れ思考のみです。
教育関係者の職責ってなんでしょうか?この事件は「まだ一人前の人
間ではないから」としてどんな重犯罪を犯しても「少年法」で守られてい
る『子供』を預かり、守り育てるために法律で定められた「義務教育」の
場である中学で起きた将来ある子の将来が消えてしまった悲惨な事件
なんですね。要するに、この事件は、どんなに弁解しようと、そのため
の存在としてその職についていた大人である教師と管理監督する校長・
市教委などの職責が全く果たされなかったことで起きたのです。
本来なら、亡くなられたことへの申し訳ないという心からの哀悼の気持ち
と自分自身の職責が果たせなかったことへの悔悟の気持ちで一杯であ
るべきではないでしょうか?人間として。
ところが、毎度毎度、同様な事件が起きるたびに同じことが繰り返され
ますが、人間個人の弱さなのか、見えてくるのは「責任逃れの隠ぺい」
対応ばかり。恐らく、少なくとも義務教育に係わる限り、個人的には
心から哀悼の気持ちを抱いている方が一人か二人くらいは「人間」だ
からあるはずですけど、「組織」にいる限り、「組織」の方針に敢然と反
旗を翻すなどというのは自分の職を賭さないかぎりできないのは実体
でしょう。そして、結局はその組織の統率者の思惑で「組織的隠ぺい」
に走るのはちょっと考えれば不思議でもなんでもないというのが悲しい
事実でしょう。
ですが、私は、改めてこの事件はどこで起きた事件で被害者はもう戻
ることがないとりかえしがつかない事件であることを当事者には「人間」
として考えていただきたいのです。
こういう隠ぺいで済ませて被害者家族を泣き寝入りさせて御自分達は
何ごともなかったかのようにのほほんとしていて「人間」としてそれで一
生「平然」としておられるものかということです。10か月も前に起きた
事件がそれですまそうと思っていた連中の思惑がはずれ今頃、焼け没
栗に火がついたように余計のぼうぼうと燃え盛り、関係者の名前も顔
まで全国通々裏々まで広まってしまっています。ひと昔前ならこんなこ
とはなかったでしょうが、関係者は時代が変わったことに気がついてい
なかったんでしょうね。「不都合」を隠して終わりにしたい連中にとって
は「やりにくい」時代になったんですね。
私は、先週末にこの事件のことを知り、ネット・新聞などで刻々と出て
くる状況を見続けてきましたが、冒頭に書いたように、私が当事者だっ
たらいたためれなくて恥ずかしくて穴に隠れてしまいたいような状況に
なっていて、人の噂もなんとやらで鎮火も通常は早い気がしているネッ
トに次から次へと所謂『燃料投下』を繰り返しているため、ますます火
が燃え盛るばかり・・・
そりゃそうでしょう。前言との『整合性』がないことを後から平気の平左
で言えてしまうのですから。
昨日、校長が教育長と記者会見に初めて同席したそうですが、「いじ
めがあったことを知らなかった」という管理者としての「覚悟も矜持も」
一切感じられない「子供」みたいな言い訳をしたそうです。
これはたとえそれが事実であっても、管理職である校長として口が裂
けても言ってはいけないことではないでしょうか?
で、この校長、校内放送では16人もの生徒が証言した「自殺練習」を
「嘘」とまで言い切った事実があるのです。「知らなかった」という弁解
との整合性がどこにあるのでしょうか?あまりに当事者の学校の校長
としてお粗末すぎないでしょうか?御本人はどう考えているのでしょう
か?
市教委の発表では50人ほどの全教師へのアンケートでは一人もいじ
めの存在を知らなかったという誰が聞いても「嘘だろう?」というもの
でしたが、結局、亡くなる直前にいじめ現場に女教師が通りかかり軽く
注意したのを複数の生徒が目撃している話とか、複数の教師がこのい
じめについて話し合いをしていたことがばれてやっぱりアンケート結果
が嘘だったことが明白化しましたね。対応がお粗末すぎるからこういう
恥ずかしいことになるんですね。無理筋でごまかそうとしてもそうは問
屋がおろさないということでしょう。
こうやって、本当に恥ずかしいことを繰り返していて、そしてそこには
自分の学校で預かっていた生徒がいくら市教委が否定しようと明らか
にいじめが自殺のそもそもの根本原因でそれをスルーしてきたことへ
の悔悟の気持ちと自殺された生徒への「本当に申し訳ない」という「人
間」としての哀悼の気持ちが全く現れてきていないことに怒りと悲しみ
を感じています。そして、一番の問題は、生徒達に「こうやれば隠ぺい
で悪いことしても許されたしまうんだ」という「反教育」的思考を植え付
けかねず、また大人不信を増大させてしまっていることだと思います。
もうこの学校の教師は生徒に「嘘をつくな」と叱ることができないのじゃ
ないでしょうか。気が利くやつなら「先生だって同じじゃん」って反論す
るに決まってますな。そして、それ言われたらもう何も言い返しできな
いのではないでしょうか?そういう後先考えているとはとても思えませ
んね。
そして、もう一つ深刻な問題として、全国の親や生徒に学校不信を植
えつけたのではないかということです。いざとなったら自分の子供は守
ってもらえないのではないかという不信感です。これは文科省の重責
です。一学校の失態だけに矮小化してすませる話ではないのです。
なぜ、いじめ自殺は無くならず、そして学校・教委側が隠匿に走ってし
まうのか、教師としての前に「人間」としての悲しみを感じないのかとい
う理由をよ〜く考えてもらいたいです。
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したり顔して「いじめ」で自殺まで追いやった生徒に対し、それをその
子の「弱さ」と決めつけ、また、被害者の親がなぜ気がついてやらなか
ったのかと言う連中が多々いますが、私はこういう「勘違い」連中の存
在こそが問題の解消どころか複雑化し鎮静化を妨げている根本的な
要因と思っています。
彼らには「人間」に対する「優しさ」など微塵もないのです。どういう立
場にあっても、結局は彼らの「強者」の論理だけなのです。それを公
的に吹聴している連中はそれを「売り」として「のり代」にしているだけ
の極めて卑怯な唾棄すべき連中として私は嫌悪していますが、広大
な電脳世界では同じ思いの人も多いですね。私自身はそれが「普通
の人間」の感覚だと思うのですが・・・
もし、この事件もうやむやのまま被害者家族に泣き寝入りさせて終わ
るようであれば、将来とも同じことは続くのは間違いないでしょうね。
本当に何かこの世界、「正義」が無くなって来ている気がしますので、
多分にそうなる恐れを感じているのですが・・・
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