ボランティアと偽善・独善批判の議論を見て

私自身、『偽善』というのがすごく嫌いな輩なのですが、どうやら、ネットで見ているとこの
『偽善的』という意味をそれぞれ異なる視点で使っていることから議論が平行線になって
いるような面が多々ある気もしています。

そして、今、このネットで『偽善的』がテーマになって議論されているものが東日本大震災
に関する所謂『ボランティア』活動についてです。

実は私自身、そういうことに思いが至らず、少々思い違いしていて、ネットに出て来た意
見の『偽善でもやらないよりはまし』というのを目にした時、元々、『偽善者』という存在に
嫌悪感を抱いていたため、条件反射的に猛烈な反感を感じてしまいました(^_^;)
しかしながら、よくよく考えた中で、ひょっとすると同じ主張をしている人にも二通りあるの
ではないかと思うようになりました。一つはまさに私が嫌悪感を抱いているそのもののス
タンスからのものとちょっと違うスタンスからのものという・・・

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そもそも、こんなこと考えたのは、ネットのトップページだったか、「連休中は沢山のボラン
ティアが来てくれたが、連休が終わったら潮が引くようにいなくなった」という被災地の嘆き
を目にしたからです。一方で、匿名故本音が飛び交うネットでは「被災者だから助けてもら
うのが当然だみたいに思っている」という批判がありました。本当かうそかわからないので
すがボランティアの人が汗水流して働いているそばで、被災者側の人が何もせず酒飲ん
でたというような批判の書き込みも目にしました。

確かに「ボランティア」と言う言葉を聞くと我々は「手弁当」でやる方達=素晴らしい方達
いうイメージを持っています。しかしながら、現実を見ればそこに行く旅費が入りますし、
また、霞みを食って生きている仙人とは違いますから食事の問題は当然出てきますから
全くの手弁当を望むというのも非現実的でしょう。

しかしながら、私が不思議でならないのは『有償ボランティア』なる存在が最近出て来て
いるということです。どうやら、せめて旅費と食費くらい出さないとボランティアが集まら
ないからという理由だそうですけど、こういう話が批判的意見が出てくる一つの要因では
ないでしょうか?そこに本来のあり方と異なる「うさんくささ」が見えてしまうからです。

これはボランティアをやる方も受ける方も本質のところで大いなる勘違いをしている方達
が多いのじゃないかということです。

本質のところでは、ボランティア活動というのは「受ける方は深く心から感謝する」そし
てする方は私心がなしでこのような受け手に心から感謝してもらうことで自分自身も喜び
を感じるというお互いが心から喜びあえるところにその本質がある
のではないでしょうか?
で、どうやら言葉使いを間違えている方達がいますが、この場合のボランティアの方達の
「喜び」というのは決して否定的に使われている『自己満足』とは違うのですね。なぜなら
「感謝される」ことを目的として行ったわけではないからです。「困っている人を助けたい
役にたちたい」という思いからだけで入って行くわけですから、当然ながら受けてにはそ
ういう心は以心伝心で伝わります。彼らは「有難迷惑」とならないよう慎重に行動される
はずですからね。というか、それを感じたら速攻で対処できるはずですからね。そこには
相互の深い信頼関係が生まれてくるはずであり、望まなくてもそういうボランティア精神
結果的には有償ボランティアでなくてもちゃんとやれる(全部手弁当でなくやれる、受け
手が放っておくはずがない)と考えます。

『有償ボランティア』などというのがそもそも出てくるのは結局のところ、受け手側に、
「してもらうのは当然の権利」みたいな気持があり、一方、する側に、否定的な意味の
自己満足』すなわち「俺、かっこいいだろう?」と世間から認めてもらいたいというもの
(これこそ偽善、独善です)がある人が多い
からではないでしょうか?
ボランティアで職種をえらぼうなどという人がいるそうですけど、もうこうなるとまさしく
「俺、かっこいいだろう?」という独善そのものです。ネットで批判がありましたが、「私
は英語が得意ですから英語を教えたい」などという事態を全然理解していないまさに
お花畑脳そのものの人がいたそうです。

そうなると前述のようにお互いの信頼関係などそこに生まれませんし、場合によっては
受けてにとって『有難迷惑』になってしまうことだって多くなります。こういう事態になるな
らそれこそ「偽善でもやらないよりまし」という主張に正統性はでてきません。そこには
不自然で綺麗事だけの絵空事世界しかないからです。

どうも、この日本、現実には触れずに「綺麗ごと」ばかり吹聴する輩がいて、マズゴミが
それを拡散しますから国民は付和雷同的にそれが正義みたいに思ってしまう傾向にあ
ります。そういう傾向が、本来のボランティアのあり方には思いをはせることなく、「綺麗
事」としてそれこそ、それをやると「俺、かっこいいだろう?」という思い込みが生まれて
しまい、そういう偽善・独善がはびこるのです。ネット見てたらボランティアやると単位が
貰えるなどと書いていた学生がいました。こんな話を目にすると「なんだぁ、それ?(-_-メ)」
って怒りさえ湧いてきます(-_-メ)。

結局、『綺麗事』をあたかも『正義』みたく喧伝するからゆえの大きな勘違いが引き起こ
しているのでしょうね(-_-メ)

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