綺麗ごと

私は「権利」という言葉はあまり好きでない(なぜなら、殊更「権利」を叫ぶ人々に
はどちらかというと義務は最小限または果たしたくないという考えが見てとれる
ためなんですが)損な性格の輩なんですが、ま、言でそれを言う権利のある人と
ない人というのがあるという思いがあります。

私は加害者を許せる人は被害者または被害者家族だけだと思います。そうで
ない人には「加害者を許せ、愛せ」などと言える権利など絶対にないと思います。
私はこういう「綺麗ごと」を平気で言う人々は全く信用しませんし大嫌いです。

「昔、いじめられたことはもう忘れて今に生きて」と言える人は自らいじめにあっ
た経験を乗り越えられた人だけにある「権利」です。そんな辛い思いをしたことも
ない人にはそういうえらそうな言を吐く権利はないと思います。

しかし、人間ってお節介というか、はたまた、そういうのが正義だと思い込んでい
るのか、本当はそんな権利はないのにしてしまう人々がいるんですね。
甘いやつなどとは言いません。そうではなく神でもないのに神になった気になって
自己陶酔しているだけだと言いたいのです。

私は「がんばれ」という言葉はある意味言われた人にとって不遜な言葉だという気
がして使わないようにしています。確かに中にはそれで励まされる方もいるとは思
いますがそれが慰めや励ましにならない人もいるわけです。
恐らくその言を素直に聞ける相手は同じ辛さから立ち直れた人の言だけだろうと
思うからです。なぜならその言の重みが全く違うからです。

私は真の優しさってなんだろうといつも考えます。

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