私の知りたい『科学史』は
せがれなどは授業があったようですけど、私は『科学史』というのを習った記憶がありま
せん(意外に色々と断片的ですけど記憶していますので、忘れてしまっただけとは思えな
いんです)。
ですから、『科学史』の専門家の方達が何を研究し、何を講義しているのかさっぱりわか
らない自分がいます。ネット見ましてもよくわかりませんでした。
そして、ネット上に、「自分の専門分野の科学史も知らない学者が多い」という批判をさ
れていらっしゃる方もいました。
なぜ、こんなことを話題にしようとしているかは、私のこのコーナーで散々触れているこ
とを目にしてもらえばわかるだろうと思います。
私が欲しいのは、通り一片の『年表通史』でなく、成功譚で美化されたものでもなく、文
系アカデミズムの主観的イデオロギーに基づいた『歴史学』でもありません。私にとって
はそんなものは無価値でくそくらえのものであり、完全に興味の対象外です。
私が知りたいのは、ひとえに「客観的な真相」だけです。ところが、日本語サイトを漁って
も私が欲しいそういう情報はほとんど出てこなかったんです。ところが、海外サイトを漁り
出してから、かなり、私の疑問に感じてきたことの真相がわかるようになりました。
元々、科学のmainstreamは皆、西欧発ですから、英語がnativeまたは日本人よりより身
近な欧米では、容易にそういう真相が書かれた書籍が手に入るからではないかと思い
ます。
しかし、日本語サイトでほとんど発見できないということは、そういう客観的真相について
は書物もなく、また、決して教えられてこなかったからではないかと思うのです。というこ
とは、大変失礼ながら、日本の科学アカデミーでも客観的真相について知られていない
のではないかと思うんです。もしそうではなかったら、知っていても、無視ないし隠蔽して
いるのではないかと疑ってしまう自分がいます。
本コーナーでは、私が海外サイトから得た情報を沢山アップしてきていますけど、不思議
にそういう情報自体への反論というのは海外サイトでは見られません。不都合は無視と
いう態度のようです。私は、「そういう情報が間違いならきちんと反論すべき」と考えるの
です。それを反論しなくて無視というのは、極めて卑怯であり、その理論への疑念をさら
に増すだけと思うのです。そして、私にとって、それらの情報は、私の疑念に対してすご
く説得性があるのです。
下々に伝えられてきた、科学史なるものが、いかに欺瞞に満ちたものであるか・・・いか
に下々は綿々と、そういう欺瞞の世界に洗脳されてきたかを今更ながら知って戦慄して
いるところです。ですから、英語さえ得意でない私ですけど、最近は科学に関してはやむ
をえず海外サイトを漁っているところです。
私が笑えてしまうのは、そういう「欺瞞の世界に洗脳された」知識をもとに、えらそうに解
説したり、また、反対者を罵倒したりしている方々の言動です。恐らくは真相を知らずにそ
うやっている方々が多いのではないかと思います。
少なくとも、簡単なところでは、日本語サイトでは、マイケルソンがrelativity反対者だった
ことも、一方でLorentzらの静止エーテル説にも反対者だったことなど一切示されていませ
んし、その有名な論文の最後の結語に触れられたものを一切目にしていません。
大部分の方は、「マイケルソンはエーテルの存在を求めようと実験した」と思い込んでい
るんですね。真相を知ってやっていたのか、知らずになされてきたのか、そういう説明ば
かりされてきましたからね。
要するに、そういう真実も知らないでやっているわけです。ちゃんちゃらおかしいです。
真相を知れば知るほど、なぜ私が違和感を感じたかの根拠がますます明白化してきて
います。真相を隠したまたは真相を知らない"beleiver"の説明で納得していてはいけませ
ん。少しでも心の中に「違和感」を感じたら、それを安易に捨てないで調べたり考えるべき
だと思います。学者の言うことだから正しいなどと妥協してはいけないと思います。
(’14/12)
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