科学の底流(2)〜科学と宗教(’14/6)
よく、『科学と宗教』という切り口での論議があります。
しかし、よくよく考えてみると、日本人の場合は本質的なところを知らないでそうい
う標題の論議に惑わされてしまっているのではないかと思うのです。
この標題の論議と言うのは、勿論、日本発ではなく、欧米発ですよね。
で、科学の基本パラダイムは全て欧米発です。で、その欧米で『宗教』と言えば、
間違いなく、『キリスト教』です。日本と違い、欧米はほぼ一神教の国々ですから、
元々の『科学と宗教』という対立させるような論議は、実際には、『科学とキリスト
教』という構図なんですね。
欧米では、好むと好まざるに係わらず、『習慣・文化』というのは基本的には『キリ
スト教』に根ざしているわけです。そうなると、人間であれば、中には、そういうの
にうんざりしてしまう・反感を持つ方達も出てくるのは必定でしょう。
そして、産業革命の成功以来、『科学・技術』というものの地位が大幅に上がりま
したから、そちらに価値観を抱く方々も出てきたわけです。
なぜなら、確かに科学の基礎を築いたデカルトとかニュートンらは敬虔なキリスト
教信者でしたが、『科学・技術』というものは、宗教における神秘性・非合理性(
と現在の理系の方々の多くは考えている)というものから遠い存在に見えるもの
であり、教皇とか枢密卿とか言った「戒律」で縛る存在もないということから、『科
学・技術』を『宗教=キリスト教』と対立させて、合理的・論理的で素晴らしい存在
だと強調してきたのでしょう。
しかるに、日本はどうでしょうか?日本人の多くは無宗教だと言われています。
調べましたら、キリスト教信者は約1%程度だとのことでした。
日本人の多くは、正月に神社に参拝しますけど、神道には教義というのはないよ
うです。お寺の檀家になっている家は多いですけど、熱心な「仏教信者」ではあ
りませんね。確かにお経を読める人達もいらっしゃいますが、漢文のお経の中身
をわかっている人は少ないだろうと思います。正月は神社に参拝、12月にはクリ
スマスを祝う、そしてお葬式は仏式でというのが多くの日本人の現状でしょう。
したがって、日本人は自ら何らかの宗教に帰依しない限り、『一神教的宗教』(キ
リスト教とか新興宗教等)が自分の日常生活に幼少からどっぷりと関与すること
はないわけで、そこが欧米人との最大の相違点だと思うのです。
従って、日本人特に理系の人々が『科学と宗教』と対立するかのように論じるの
は、大変失礼ながら、欧米人に追従しての「借りてきた観念の振り回し」の感が
してなりません。日本人にはあえて、『宗教』を目の敵にするような必然性がない
からです。
あえて言えば、少しは影響があるかもしれない『仏教』ですけど、キリスト教との
最大の相違点は『仏教』には「万物創造の絶対神」という概念はありません。すな
わち、「無神論的宗教」であることは間違いありません。
欧米人にとっては、宗教=有神論的宗教ですが、日本人の大多数には宗教自体
が有神論か無神論かという対立的な日常感はないわけです。
日本人が、つい辛い時などに「神様、仏様」と「お願い事」したりすることはありま
すけど、この「神様」は「万物創造の絶対神」ではなく、神社に祭られている八百
津の神々でしかありません。
したがって、私から見ると、大変失礼ながら、日本人が『科学と宗教』を対立する
かのように論じるのは、蓋然性の薄い、単なる知的遊戯にしか感じられないので
す。
そういう考え方をしていますので、私にとっては、むしろ、アカデミズム科学を真理
だ・正しいのだと主張される方々を『科学教信者』と思えてしますのです。
『科学教信者』という用語はネットに出てきます。ネット見てますと、『科学教信者』
というのは所謂『疑似科学』信者だと話をすり替えている主張もあります。
また、「科学は宗教と違い、間違っていれば直す」という主張をされている方もおら
れます。しかしながら、すでに別項でそういうのは『神話』でしかないことを再三指
摘しました。
結局、日本においては、「科学vs宗教」などではなく、「アカデミズム科学vs異端
(反対論、異端説などの所謂『疑似科学』と蔑称で呼ばれているもの)」の対立と
いうのが実情ではないでしょうか?
ちなみに、科学に政治が絡んでくる「御用学者・御用科学論」は科学自体の本質
的なものではないのでここでは省略します。
('14/6)
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