電磁気学に置ける「B」について
長年、疑問に感じたことも無かったことに「なぜなのか?」と考えてしまうようにな
り、ある意味で、「不幸な気持ち」に陥ってしまっている自分がいます(:_;)
そのまま、覚えた「知識」のままでいれば「平和」な気持ちでおられたのにと。
ま、しかしながら、一旦、「なぜなのか?」と考えてしまいましたから、その気持ち
を無しにしようとしたり放置できないのが私の損なところかな・・・
本項で書こうとしているのは、電磁気学における"B"についてです。
"B"は一番一般的には、『磁束密度(magnetic flux density)』と称せられてき
ています。しかしながら、私の所有する40年以上前の教科書本(授業で使ったも
のではなく参考用に本屋で購入したもの)を改めて読んだ時、最初の方では『磁
気誘導(magnetic induction)』と書かれていて、後で、磁束密度と言う用語が
出てきています。
前にも触れましたが、この本の場合、実は「EB対応」が基調でありながら(それ
を明記した上で、単位系含めてその根幹の元にして)静磁界に関するクーロンの
法則から論を開始していて、「電流」に触れない論の中で導出された"B"に対し
て『磁気誘導』という呼称をしています。そして、その後で、「電流界」を論じる中
で、この"B"を『磁束密度』と称しているのです。
ネットで「磁気誘導」とか"magnetic induction"で調べてみましたら、google listの
abstractで「Bは磁束密度または磁気誘導である」と書かれているarticleが内外
サイトにいくつもありました。中には、「磁気誘導度」と書かれているものもいくつ
かありましたが、"magnetic induction"というなら文字通り「磁気誘導」でしょう。
しかるに、なぜか、日本語Wikipediaで「磁気誘導」で調べますとそんな説明はな
く、「磁気が近接してくると、物体に反対の磁極が生じる現象」とあるだけです。
一方、英語版Wikipediaでは、
Magnetic induction may refer to one of the following:
・Electromagnetic induction
・Magnetic field B is sometimes called magnetic induction
とそっけなくさらっと書かれているだけです。
確かに、20世紀になり、多くの物理学者が磁界は電流に起因するということから、
「磁気」については"H"でなく"B"が本質的だと主張し、現在の物理学ではEB対
応が正統派になり、中にはこの"B"を『磁場(magnetic field)』と呼称している
向きもありますから、そういう風潮ゆえに問題にもされていないのかもしれません。
で、歴史的にはどうだったのかについて調べてみました。どうも日本語サイトで
は私の求めていることが見付けられないため、"magnetic field history"でググり
ましたら、英語版Wikipedia(⇒ここ)にHistoryの項がありました。そして、知らない
ことが沢山示されていて、自分の恥ずかしい思い違いも知りました(^_^;)。
簡単に紹介しておきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やはり、「磁気の研究」というのは電気の研究に比べて「科学」として研究される
ようになったのは遅かった感がしますね。
磁力線と極の存在は、1269年にフランスの学者scholar Petrusが実験的
に見出し、地球の極からのanalogyで「極(pole)」と命名したそうですが、どうやら
その後、放置されたか成果がなかったか、3世紀もたった1600年にやっとこさ、
William Gilbertが Peregrinusの業績を復興し、"De Magnete"として発行し、磁気
を科学として確立したようです。しかしながら、めぼしい発見は18世紀まで待たね
ばならなかったようで・・・
そういう説明を目にしていなかったので知らなかったのですが、静電界における
クーロンの法則の実験に続いて1785年にCoulombがやった磁界に関するクーロ
ンの法則の実験って、先に結果が1750年にMischellという人が示唆していたそう
です。
で、急激に研究が進んだのは19世紀に入ってから。
1824年に今日で云う『静磁場』(当時はまだ『場(field)』という概念はなかったが)
に相当するモデルをPoissonが出したそうです。
で、私の思い違いがあったんですが・・・。「電流」による磁気の発見は時期的に
それと同時代なんですね。
1819年:Oerstedが通電導体周りに磁場(磁界)ができることを発見
1820年:Jean-Baptiste BiotとFélix Savartが『ビオ・サバールの法則』を発表
1825年:Ampèreが「電流」による磁場(磁界)モデルを発表
Poissonモデルとわずか1年違いでした。
そして、1831年のFaradayの『電磁誘導の法則』の発見があり、また、彼はその
実験結果の洞察で「場(field)」の概念を発表しています。
それを定性的に体系化したのが William Thomson(かの有名なLord Kelvin−ケル
ビン卿−)だそうで、1850年のこと。彼は、
PoissonモデルはHに対するもの
AmpèreモデルはBに対するもの
と喝破したそうで、更に、BとHの関係を示したそうです。
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やっと一つ疑問が解けました。まさか、HとBの概念提示が同時とは思いもより
ませんでした(^_^;)。
さて、BとHの関係は
| @
|
ですが、この式の形を見てなのか、ググりますと、このμを比例定数などと書い
ているのが何件か見受けられました。大間違いですよね。透磁率μは決して
一定でなく、BとHは比例関係などにはなっていないからです。
EH対応での静磁界からの式として
| A
|
なんですね。一定なのはこのA式にある真空の透磁率 | | です。
|
このM(磁化)が必ずしもHと比例関係になく、厳密には方向でも異なるからで
す。「近似的に一定として扱う」などと書いている人がいますが、鉄などの強磁性
体や永久磁石周囲ではそんな取り扱いはできません。誘電率と混同しているの
ではないでしょうか?あまりいい加減なこと書かないでいただきたいものですね。
ちなみに、調べても説明が見つからないので、私の想定でしかないのですが、
恐らくこのA式のMから「磁気誘導」と呼称したのではないかと思います。@式
だけ見ていては「磁気誘導」なんて概念出てきませんから。
ところで、1865年のMaxwellのオリジナル式には、ベクトル演算形式で表すと、
| B
|
というのがあります。Aはベクトルポテンシャルです。@、Bより
| C
|
となります。前にも書きましたが、MaxwellはFaradayの示唆からこのベクトルポテ
ンシャルの物理的実在性を信じていて、具体的イメージを描いていました。そし
て量子力学からの予測から提起されたAB効果が1985年に故・外村博士により
実証されてやっとのこと、Maxwellの洞察が100年もたってから証明されたわけで、
そうなると、B式からわかるように、Bはベクトルポテンシャルの渦から生成され
たものということになり、究極の存在ではないということになります。
尚、1865年のMaxwellの論文では、このベクトルポテンシャルを"electromagnetic
momentum"と称していて(1873年の論文ではベクトルポテンシャルとしたとか)、
これはFaradayが"electronic state"と称したものと同じであると述べています。
しかしながら、すでに書きましたように、Maxwellの早死と、19世紀当時の学者が
FaradayやMaxwellの概念が理解できなかったこと、その一人Heavisideがベクトル
ポテンシャルを「測定できないもの」として毛嫌いしてmaxwellの死後、Maxwellの
オリジナル方程式を書き替えてしまい、それがベクトル演算(解析)法の確立に
努めたGibsらの支持を受けて、"Maxwell's equations"とされてしまったゆえに、
長年、「ベクトルポテンシャルは計算の便宜のためにある仮想的な存在」と考え
られてしまい、永久磁石も分子レベルでは内部電流によるものという理論展開
から20世紀になり、Bが本質的なものとされてEB対応が主流のコンセンサスを
得たというのが前述の歴史以後の歴史的側面ですが、物性論ではHは捨てら
れない概念としてHを排斥しようとしている極端なEB対応論者の主張は退けら
れていて今に残ってきたわけですが・・・。私はA式からみて当然のことと思い
ますし、更には、もうAの存在が実証された今、EH対応、EB対応論議自体、そ
れほど声高になされる必要性があるものかどうか考え直すべきではないかと思
うのです。
さて、なぜ、Bを『磁束密度』と称するようになったのでしょうか?
これは決して、「物理的真理」による用語ではなく、「分かり易さ」から便宜的に導
入された概念による用語なんですでしょう。電界における『電束密度』Dと同じです。
『力線』という概念が考案され、静電界においてはEに対する『電気力線』が想定
されましたが、電気変位
| D
|
が
| E
|
を満足するので、Dを使うと電荷密度ρから出る「線」として簡単化され、それゆ
えに、『電束密度』と称せられこちらの方が一般的名称になっています。
同様に、Bの場合は、
| F
|
となり、こちらは「湧きだし口なし」ですが、同じアナロジーで『磁束密度』と命名さ
れたのでしょう。そして、『磁気回路』を考えると『磁束』というのは分かりやすいわ
けで、だからこそ「電束密度」は記号Dが与えられているのに、「電束」というのは
記号も特になく、SI単位系では計算から単位は[C](クーロン)になるのですけど
そもそも[C]は電荷に与えられた単位なわけで、一方、「磁束」には記号Φが与
えられており、単位[Wb](ウェーバ)はこの磁束に与えられたものとなっていてず
いぶん扱いが違いますね。本来、磁束Φは
| G
|
と | | から逆に定義されたものなのに、単位系では逆に | |
|
ですからねぇ。尚、G式で
です。すなわち、Bの法線方向成分の面積分がΦということです。
実は私、どこで思い違いするようになったかわかりませんが、「磁力線」と「磁束
線」を混同してしまっていました(^_^;)。「磁力線」はEに対する「電気力線」とのア
ナロジーで定義されたHに対するものなんですね。
ところで、F式の中央と右辺の関係は
| H
|
というベクトル演算の公式から出てくるものですが、静磁界の理論過程から
| I
|
が出てきます。ですから、A、Iからも
| J
|
となります。ちなみに、このJ式は、「現在の」四つのMaxwell方程式の一つです
が、本コーナーで再三言及しているように、これはMaxwellのオリジナル式では
なくHeavisideらによって書き替えられた"Maxwell-Heaviside equations"または
"Maxwell-Hertz equations"または"Heaviside-Hertz equations"というべき式で
あり、Maxwell自身のオリジナル式(1865年のものも1873年のものも)には無い式
すなわちMaxwellのあずかりしらない式です。
たまたま現代に至るまで「モノポール」が発見されていないので問題ないのです
けど、もし発見されたらどうなるのでしょうか?無視されてしまったquaternion
で拡張した1873年のMaxwellのオリジナル式の場合はそれがちゃんと入っている
そうですから、ベクトル演算を使い、更に簡略化した今のMaxwell-Heaviside
equations"は×ということになりますよね?未来永劫見つからなければいいので
すが・・・どこでどうなるかわからないのが現代科学ですからねぇ。
いずれにしろ、こうやって電磁気学では説明されていて、とりあえず「わかった」
ような気になっている(論理破綻はない)のですけど、それでもやはり、Aが物理
的実在のものとなった今、BとかHって一体全体何なの?という疑問が湧いてき
てしまっています。更に電界Eだって、
| K
|
であり、ベクトルポテンシャル | | の時間的変化とスカラーポテンシャル | | の
|
空間勾配に起因するものです。ローレンツ条件
| L
|
は電磁ポテンシャルの自由度を表す条件とされていますけど、確かに過去のよう
にベクトルポテンシャルが計算の便宜性のための仮想的な存在であるならそうで
しょうが、物理的実在性が実証された現在、これは自由度を表す式では無く、ベク
トルポテンシャルとスカラーポテンシャルの関係を一意に表すものではないでしょ
うか?
ただし、この「ポテンシャル」、誤解している向きもあるようですがエネルギーでは
ありません。だから、概念的になかなか理解できない感がします(私自身、未だに
そうです(^_^;))。言葉の「概念」だけで「そういうものがあるらしい」ですませてしま
うはおかしい気がするのです。そういう、何か「プラグマティズム」的な所でお茶を
濁すのは「正しい」態度では無く、物理学者の怠慢への弁解でしかないと思うの
ですが・・・。その意味で、「正しい」認識かどうかは不明ですけど、一応は物理的
イメージを描き、当初"electromagnetic momentum"と呼称したMaxwellのスタンス
は科学者として「誠実」な感がしています。
ちなみに、ネット見てたら、Maxwellの理論は「非実在的な渦」を想定した云々とい
うようなことを書いているサイトがありましたが、この認識はMaxwellの概念の本質
を理解しないで後世の知見からだけで判断した誤解だと思います。彼の1865年の
論文を読めば一目瞭然です。現代物理学者にあるような単なる「数理物理学」的
な発想でないことは明白です。1865年という歴史事実を考えるべきです。
ネット見ていて気がついたのですが、日本語サイトで真の科学の歴史(表面的な
ものでなく、理論自体とそれを取り巻く環境的なものを含めたもの)はほとんど見
つけられません。それで私は最近は海外サイトを漁り、入手できる限り原論文を
見るようにしています。知らない又は間違って聞いているようなのが多々あること
がわかります。そういうレベルの知見で勝手なことを書かないでもらいたいもので
す。(私もえらそうなこと言えないことを深く反省していますが(^_^;)
ま、私はAが本質的だからBをどうこうせよなどと不遜なことを主張するつもりは
毛頭ありません。ただ、Maxwellの方程式は少なくとも1865年のオリジナルに戻す
べきではないかと思うのです。Bearden博士のように1873年のオリジナルに戻せ
とは言いませんが・・・(ちょっと疑問が出てきていますので)。
(’14/5)
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