「系」というもの
これはひょっとすると私の勝手な誤解なのかもしれないのですが・・・
物理学で云う「〜系」ってどのように考えているかなんですが。どうも、皆、何か神の視
点に立っているかのように、「実際には見ていない」のに、恰も見たかのような感覚で
系というのを考えているのではないかということです。
私は再三、このコーナーで「実証観測」ということを強調していて、「実証観測」され
ていないようなものはいくら、巧妙でつじつまがあっていても、未だにソフトのバグ一つ、
完全に解決できないような地球人の知恵レベルの範囲での「仮説」にすぎず、いく
ら大多数の科学者が支持しようがそんなものが「真理」だという根拠はどこにもないと考
えていますので、「系」というのは本質的には「観測系」であると思っています。
で、私が考えている「観測系」というのは
「観測装置」を原点として無限の宇宙に伸びている
三軸空間系
というものです。そして、「観測系」というのはその観測装置にとっては唯一無二の系であり
他の系と言うのはないのです。
「観測装置」というのは思考とか知見とかそういう人格的なものは一切ない単なる「マシン」
にすぎません。装置に作用があったときにそれを記録するだけのものであることは間違い
ないでしょう。実は本質的には「人間の目」もそうです。「目」自体には思考とか知見とかと
いうものはないのです。
ですから、「観測装置」が観測するのはその「観測系」に属する対象物なわけです。
したがって、例えば電車の中に設置された観測装置にとっては電車の中とか電車の外とか
という区別はありません。すなわち、「観測系」としての「電車系」というのは電車の中に限
定された系ではないのです。同様に「観測系」としての「地球系」も地球上に限定された系
ではないのです。
要するに「観測装置」がどこに置かれているかだけのことであり、「観測系」としての「電
車系」というのは電車の中・側面外壁・天井・床下というその上間で運動に一切差がない
所に「観測装置」原点が制約されているというだけの系なのです。
「観測系」としての「地球系」というのも全く同様で、「観測装置」原点が地球上に限定さ
れているというだけの系なのです。
無人格な「観測装置」にとっては例えば地球上の電灯からの光も遠い星からの光もそれ
がどこから来たかという区別などできず、単に同じく「光」という作用を観測記録している
にすぎないのです。結局、遠くの星であろうが「地球観測系」に属している「星」を観測し
ていると言うことです。ロケットから観測する時は「ロケット観測系」に属している星を観
測しているのです。
したがって、一つの「観測系」だけで観測した「観測対象物」というのは観測系と独立した
「絶対物」ではなく、その「観測系」に属しているものなのです。例えば、地球で観測した
火星と金星で観測した火星はそれぞれの観測系に属している別物の火星であり、それら
と独立した存在の火星ではないのです。
それゆえ、対象物の「真の姿」を知ろうとしたら、一つの「観測系」だけでの観測では駄目
ということになります。それはその観測装置を原点とした観測系の言わば「相対的」な姿
を観測しているにすぎないからです。必ず複数の観測系の観測を照合し比較検討するこ
とが真の姿を把握するための絶対必要条件ではないでしょうか?
それをしないで、一つの系での観測結果だけを既存の理論だけ用いて「こうなんだ」と決
めつけてしまっている・・・
中には既存理論を『曲解』までして「こうなんだ」とそれを『真理』みたく喧伝し、後生大事
に守っているもの・・・こんなものが現代科学で幅を利かせています。この地球では。
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