名古屋の複雑な地名(2011/5現在)
名古屋は昔から『偉大なる田舎』と称せられてきました。現在、人口第四位(約二百万強)の
古くからの政令指定都市なのに、色々な意味でこう呼ばれているのだろうと思います。
で、これは私だけのおかしな感覚なのかもしれませんけど、名古屋市内の詳細地図を眺める
と、地名がまだ『偉大なる田舎』という陰口を象徴している気がしています。
名古屋市地名にはまだ「大字」「字」地名が実に多く残っています。私が入社した時、入った
会社の寮の住所はそのころ、大字+字地名でした。関東出身の同期が手紙を知人に出した
ところ住所を見て、「どういう田舎に住んでいるのか」って言われてしまったと当時ぼやいてい
ました。
やはり、都会人から見ると、地名に大字とか字があると「田舎」というイメージがあるようです。
私は元々田舎の出身ですからそれまでそういうことには別段気にもとめていませんでしたけ
どそれ以来、すごく気になるようになってしまいました(^_^;)。
私は生粋の名古屋人ではないのですが、長く住んでいることもあって、本当は実にくだらない
ことですけど『偉大なる田舎』などと揶揄されるとすごく悔しい想いがしてしまいます(^_^;)。
ですから、『大都市なのになんでこんな地名が残っているの?』とすごく疑問に感じました。
名古屋市の地名は地図で調べると以下のように色々とあって複雑です。
(a)愛知県名古屋市●●区○○(町)(△△丁目)□□□□番地(←普通)
(b)愛知県名古屋市●●区○○町字□□−××××番地
(c)愛知県名古屋市●●区○○町大字△△字□□−××××番地(←長すぎる地名)
(d)愛知県名古屋市●●区大字△△字□□−××××番地
(c)(d)は必然的に住所名が(a)に比べて長くなっています。以前そういう所に住んでいて
マンション名も長く本当に閉口しました(^_^;)。
で、どうしてこういう風なのかについて直接確かめたわけではないのですが、諸般の見聞
から、恐らくこういうことなのだろうと私は結論付けました(独断と偏見ですので間違ってい
るかもしれませんけどね(^_^;))。
「生粋の名古屋の方達は古い地名にむしろ愛着があって地名変更ということをすごく嫌
う保守性があり、名古屋市役所はそれを無視して勝手に強引に地名変更などしない方
針であろう」
どうやら、私が思うに、最近の若者は別として、年齢層が上の方では『偉大なる田舎』とい
う揶揄など全然気にしておらず、むしろそのほうがよいという認識があるのではないかっ
て気がしています。私自身は生粋の名古屋人ではないのですが、元々が隣の岐阜県の
田舎の出身ですので、同じ東海地方でテレビエリアもほぼ共通(岐阜県はローカルUHF
の岐阜テレビを除く以外は全て名古屋局)で、あまり気になったことはことがないのですけ
ど、かって、『名古屋モンロー主義』というのがありましたし、『名古屋は排他的』と言われ
るのはこの『田舎性』気質にあるのかもしれません。排他的というのは昔から田舎でよく
見られた傾向ですから・・・そして、長い名前も特に気にしていないのかもしれませんね。
学生時代に学友の住所がそれまでの大字○○字△△から□□×丁目に変わったときに、
彼は前の方がよかったって言っていましたからねぇ。私には理解できませんでしたが(^_^;)
ま、それでも少しずつではありますけど、(a)への地名変更は継続して行われていて、私
がかって入社したときに入った寮の住所もかなり以前に(a)の形に変わりました。
少なくとも上記(c)(d)は減少して(a)に切り替わりつつあります。
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さて、、上記(b)〜(d)についてもう少し、具体的に眺めて行きましょう。
名古屋市は平成の大合併よりはるか以前に周辺市町村を併合してその市域を拡大し
てきた市であり、北東部の守山区、東部の名東区、南東部の天白区、南部の緑区は区
の全域、西区・北区は庄内川の北側の地域、中川区・港区は庄内川の西側の地域が
戦後合併してきた地域です(平成の大合併はありません)。
守山区だけはその前身が唯一『市』です。そして、合併後、そのまま
元地名:守山市大字□□字△△
↓
新地名:名古屋市守山区大字□□字△△
に地名変更して名古屋市域となりました。上記(d)はこの守山区のみに残る地名です。
その他は合併当時は守山区と違い、1町村では区にならなかったこともあって、まずは
元地名:○○町(村)(大字□□)字△△
↓
新地名:名古屋市●●区○○町(大字□□)字△△
に地名変更して名古屋市域となりました。
緑区は三つの町が合併して緑区として名古屋に併合されていて、
鳴海町字△△⇒名古屋市緑区鳴海町字△△
大高町字△△⇒名古屋市緑区大高町字△△
有松町大字□□字△△⇒
名古屋市緑区有松町大字□□字△△
に地名変更して名古屋市域となりました。
かつて、名古屋の東部には猪高村、東南部に天白村というのがあり、当初、猪高村は
千種区に、天白村は昭和区に併合されました。そして、そのときは
猪高村大字□□字△△⇒
名古屋市千種区猪高町大字□□字△△
天白村大字□□字△△⇒
名古屋市昭和区天白町大字□□字△△
に地名変更して名古屋市域となりました。
その後、現地名からの判断ですがどうやらその後、これらの地区における大規模土地
区画整理事業による宅地化・市街化の進展での人口増から千種区なども含めて修正し、
名古屋市千種区猪高町大字□□字△△⇒
名古屋市名東区猪高町大字□□字△△
名古屋市昭和区天白町大字□□字△△⇒
名古屋市天白区天白町大字□□字△△
とそれぞれ名東区、天白区として千種区、昭和区から分離独立しました。
ちなみに前述で「千種区も含めて修正し」という想定(私の想定です)しましたのは、なん
と「天白町大字植田」というのが天白区だけではなく千種区、名東区にも存在するため
です。区境近傍でです。また、猪高町大字□□字△△は今も千種区の一部にその地名
が残っています。
中川区には富田町、港区には南陽町、西区には山田町、北区には楠町が合併し、
富田町大字□□字△△⇒名古屋市中川区富田町大字□□字△△
南陽町大字□□字△△⇒名古屋市港区南陽町大字□□字△△
山田町大字□□字△△⇒名古屋市西区山田町大字□□字△△
楠町大字□□字△△⇒名古屋市北区楠町大字□□字△△
に地名変更して名古屋市域となりました。
最近の地図を眺めますと、これら戦後に合併された地区のかなりの地域で(a)への地名
変更がなされつつあります。元々の字名を生かしたもの、新たに名前をつけたものなど、
様々です。そして、土地区画整理事業に伴う宅地化・市街化で地名変更されたところも多
い(名東区、天白区、緑区など)のですが、そういう理由でなく地名変更されている所もあ
ります(守山区、港区、中川区、西区、北区など)。どうやら、新町名は住民希望を市がダ
ブリなどをチェックして認める形が多いようです。ただ、区分けは市の計画との整合性が
とられているような感がしていますが・・・
まずは大字地名の現状(2011/5現在)を見てみましょう。
一番早くに大規模土地区画整理事業がほぼ完了した感がある名東区では森である緑地
公園地区(猪高緑地、牧野ケ池緑地、明徳公園)だけに猪高町大字□□(上社、高針、
藤森、猪子石[いのこし])字△△の地名が残っています。これらは将来も変わらないよう
な感がしています。管理が市の土地ですから、町内会では対応が困難だからでしょう。
尚、前述の名東区にある天白町というのは牧野ケ池緑地の南側部分です。
天白区は名東区より開発が遅れて進んだためか、地名変更もまだ最近なされた所もあり、
所々に残る森部分とそこの開発された場所などにまだ天白町大字□□字△△地名がそ
のまま残っています。恐らく名東区と同様な事情でしょう。道路の上だけというのもあるよ
うです。ここに残る大字名は植田、平針[ひらばり]、島田、野並、八事[やごと]です。
緑区で大字地名が元からあったのは前述のように有松町で、ここには有松、桶狭間という
二つの大字地名があります。桶狭間と言えば、「桶狭間の戦い」で有名ですが、隣の豊明
市とこちらが本当の場所だと争っているようです。
有名な有松絞は大字有松の方で、名鉄沿線です。ここは町並み保存がなされていますが、
市街地部分も旧地名が残されています。ただ、保存地区より南部は開拓が進められてい
るようで、最近も町名変更がなされた所もあります。
名古屋市西部はまとまった水田地帯となっていて、東部のように大規模土地区画整理事
業での宅地化というのはなされていないようですが、それでも、多くの部分が町名変更さ
れています。それも、水田地帯そのものが名古屋市港区○○×丁目、中川区○○×丁
目と町名変更されていたりしているのです。町名変更されていない地域との相違があま
りないわけで、希望しだいということでしょうかねぇ・・・
ちなみに比較的広い地区でまとまって以前のままの大字地名が残っているのは港区で
は最西地区にある西福田、福田前新田、中川区では千音寺です。他の地区はかなりの
地域が町名変更されて一部が大字地区で残っています。庄内川、新川、戸田川流域な
どに残されているようです。
港区では福田、包里[かのさと]、七島新田、茶屋新田など、中川区では服部、春田、
戸田、万場、長須賀、松下、前田、伏屋、榎津などです。
西区山田町区域、北区楠町区域は早くに町名変更が一斉になされ、現在では庄内川や
その支流などの河川敷などに大字名が残るくらいです。すなわち人家がない区域という
ことです。西区では上小田井(庄内緑地など)、大野木、比良など、北区では味鋺[あじま
]、如意、喜惣治新田などです。
さて、大字地名が残る最後の区は守山区です。ここには交通の不便さと相まって守山区
ではまとまって一番開発が遅れていた地域があります。そこは『名古屋のチベット』と揶
揄されてきた地域で、庄内川と南の森林公園の森との間に東部側に半島のように突き
出た、所謂、志段味地区です。ここには西側から吉根[きっこ]、下志段味、中志段味、
上志段味の4つの大字地区があります。長い間、名古屋市にありながら、何か山村風景
がする地域でしたが、最近、ここにも土地区画整理組合ができて大規模開発の波が宅
地化の最後の聖域みたく押し寄せて来ています。
一番早く進んでいるのは取り口にある吉根で、宅地化・市街化に伴いかなりの区域で
町名変更が進められています。南側の森部分とか庄内川流域部分はそのまま旧地名
で残っていますが。
下、中、上志段味は開発の真っ最中で、私の感覚では農家と新興住宅街が雑然と織
り込まれたような風に感じられて「なんだかなぁ」っていう気がするのですけどね。
都市計画と言うより、農村に何か強引に割り込んでいるような感じというか・・・。
いずれにしろ、これらは全て昔の地名のままで残っています。
守山区の残り地域では庄内川、矢田川の河川敷や区内にある市民憩いの地、小幡
緑地本園・西園に小幡、川、牛牧、大森などの大字地名が残る程度です。
さて、以上は戦後に市内に併合された地域の話でしたが、私が不思議に思うのは実
は昔からの市内と思っている地域にまだ残る(b)地名なのです。
調べてみますと、全く(b)地名のないのは前述の元々大字地名であった名東区・天
白区・守山区と緑区鳴海町・大高町を除く他の区では中区のみです。それ以外の区
は最低一つ以上、(b)地名があります。そして、それは別に河川敷とか森とかでは
なく住宅地なんですね。また、1丁目がなく2丁目から始まる所とか途中が抜けてい
るところとか町境が変に不自然なところとかあります。
私が市は町名変更は住民の合意によるものと考えているのはこういうのを目にして
いるからです。「なんでそこだけそんな旧地名で残しているの?」ということなんです
ね。ちょっと不自然さがあるんです。
私が目にして驚いた例は、ある交差点から道沿いに1丁目から7丁目まで並ぶ街が
あるのですが、実は2丁目だけなく、本来は2丁目になるはずの区域だけ旧字地名
が残されているのです。見事にそこだけの住人の反対が大きかったと推測できます。
で市は将来を見越してか2丁目だけ飛ばしているんですね。
こうやって地名を眺めていますと、4種類もある名古屋の複雑な地名形態は今後、
(a)に移行するところが出て来たとしても永久にこの4形態はあり続ける気がしま
す。
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ところで、その字名含めての名古屋の地名を眺めていますと、おもしろいというとそこ
の方に失礼になるかもしれませんけどそういうのがいくつも見つけられます。
ネットでも有名所として西区に西ハサバというのがあります。正式には名古屋市西区
田幡町字西ハサバというそうで、前述の小さな町名区域でかつ字も一つしかないとい
うのはここのことです。
そこの角の交差点の名称も西ハサバ、その西側にある信号名称は西ハサバ西です。
カタカナ名なのでちょっとその筋では有名みたいですが、どうも地名の由来ははっき
りしていないようです。
もう今はありませんが、昔、字地名時代に名東区に「地(ヂ)アミ」というところがあり、
まだ今でも信号名にその名が残っています。また、天白区には「メクソ」という字名が
あったそうです。守山区大字中志段味には「墓前」という字名があります。
港区宝神町というところには字「い」というところがあります。
あとカタカナの字名としては中川区富田町大字榎津というところに西ナコラ、東ナコラ
というのがあります。カタカナ地名があるというのは不思議な気がしますねぇ。
守山区大字中志段味には字名で湿ケと言う地名があります。
その他、「山」「川」「町」「森」などというそのままかと感じられる漢字1字の字地名もあ
りますし、山の中などというそのまんまの字名もあります。
苗代1,2丁目というのは字名から付けられていますけど、以前は田んぼ地帯だった
からこその名称ですよね。
極楽1〜4丁目という楽しい地名が名東区にあります。勝手につけたのではなく元は
字名だったそうです。緑区にはほら貝1〜3丁目というのがあります。昔の字名をひ
らがなにしたようです。中川区には大蟷螂町というのがありますが、この名は最早、
庄内川河川敷部分だけ残し、人間の住んでいるところは字を簡単にして「大当郎」
1〜3丁目にしています。蟷螂なんて書けないですものねぇ。「かまきり」のことですが・・・
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