旧市電下之一色線続き部分を辿る

(2005/4/24)



今回の足跡 例によって始発の名古屋駅からあおなみ線に乗り、今回は
中島駅で下車しました。この駅は国道1号線沿い(北側)に
あり、駅の東側にはこちらのテレビCMでおなじみの「スー
パージャンボ」という常時軽自動車800台在庫とい大型
軽自動車専門店があります。

1号線を渡り、少し西に行った所に市バスのバス停(中島駅)
がありましたのでここから西方面の権野行きに乗車しました。

今日は、国道1号線より先(南方面)の市電専用軌道跡を歩く
ことにしました。
東起町五丁目−明徳橋−西川町二丁
目−弁天裏−多加良浦−西ノ割−大宮司−稲永町

に相当する区間ですが、一部で区画整理などで線は消えて
しまっています。

さて、下車するバス停の選定から間違えました(^_^;)。道に
近いと「松蔭公園前」で下車したのですが、ここは道が庄内
川にかかる一色大橋をわたるべく上り道になっている途中
で、くだんの道はそのガード下。結局、高杉町信号まで戻ら
ざるをえませんでしたから、1つ手前の東起橋停で下車して
も同じでした(^_^;)。
高杉町信号を南に曲がり次の細い道を右折。ここにはまだ
ぽつんと小さな水田が三個ほど残っていて、その1つでは
農家の人が働いていました。さて、いよいよ下之一色町松蔭地区を通る専用軌道跡の道に入りま
した。ここは以外にも2車線になっていました。西側は庄内川の堤防とその下の道。字松蔭三〜
七と進み、その先で道が狭いのと二手に分かれているところから1車線に。ここは東起(ひがし
おこし)町5丁目。「東起町5丁目」電停があったところです。やがて中川区と分かれて港区
(明正2丁目)に入りました。
Phot_1 歩くうち前に県道59号線のガード下トンネルが。
このガード下は天井が低く頭を打つのではない
かと前かがみになってしまいました(^_^;)。
市電はこのガード下を走っていたみたいです。
県道59号線が庄内川を渡る橋は「明徳橋」で
市電停留所名にもなっていました。

ガードを過ぎた先は当知町。昭和43年の地図
ではここも含めここまでの沿線は東起町地域と
県道59号線沿線を除き完全な田園地帯だった
ようですが今はすっかり様変わりしてしまって
います。区画整理が進んで道の東側は当知4丁
目という地名になっています。

Phot_2 やがて道は2車線になり、お宮を過ぎて「惟信
高校正門」というバス停につきました。
このあたりは今でも「西川町二丁目」。
私はこのバス停付近が昔の西川町二丁目
電停ではなかったかと考えています。
ちなみに合成した小さい写真部分は惟信
(いしん)高校
です。塀の向こうですが
道の右側にはテニニスコートがあり、学
生がクラブ活動してました。

更に歩いていきますとまたガードが見えて
きました。こちらは最近出来た南陽大橋へ
の上り坂で当時は無かったものです。

さて次は多加良浦町地区。旧電停は弁天裏と次の多加良浦。この下之一色線の建造目的は
下之一色の魚行商人(下之一色は伊勢湾台風前までは漁師町)をあてこみ、夏はこの多加良
浦の海水浴客誘致用だったそうです。しかし、多加良浦町は庄内川沿いで海岸沿いじゃない
から海水浴ってねぇ。庄内川河口付近ではありますけどね。
さて、持参した地図はネットから落としたものでしたが、ちょっと合わない所があり、あせりまし
た。多加良浦という信号があったんですが、その地図には多加良浦4は記載されていましたか
が、多加良浦信号は記載されていませんでした。ま、この近くは区画整理により昔の専用軌道
は消えていたんですけどね。

広い市道にある神宮寺2信号より東向きの道は専用軌道跡です。昭和44年の地図ではこのあ
たりは田園地帯だったようですが今では面影はありません。
Phot_3 Phot_4
上左の写真はこの専用軌道跡の道が国道23号線に出会う直前の現在の光景ですが、元は
下隅の添付写真右端奥に見えるように国道23号線にかかる陸橋の上を走っていたようで、
前後には築堤があったようですけど、全て撤去され、今では全く違う光景になっています。
唯一、高圧鉄塔が当時と同じ位置にあって同じ場所であることをしのばせています。
この陸橋のあったところには今は同じ写真奥に見える歩道橋がかかっていて、上右図はその
歩道橋から東側を見た光景です。

国道23号線を越えた所=宝神町も昭和44年頃は田園地帯でしたが、今では区画整理され
宝神1,2,3となって全く面影が残ってはいません。沿線には大きな池があったそうですが
埋め立てられ市街化しています。
稲永電停に入る少し前、東にカーブしていた所は今は遊歩道になっていました。
Phot_5 Phot_6
上の左の写真は現在の稲永交差点。専用軌道の下之一色線の単線区間はここまでで、この
先は複線の築地線に乗り入れていたそうです。

今回の散策は写真の道を向こう方面(東側)に進んだところにあるあおなみ線の稲永駅までで
した。後はこの稲永駅からあおなみ線で帰りました。

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